迷子スキルのダンジョンキーパー
滝口流
『迷子』スキルのラティメリア
第1話 プロローグ
あなたは迷子になったことはありますか?
現在地もわからず、どちらに行けばいいのもわからず、来た道すらもわからない。
不安と焦燥に駆られるものの、焦りばかりが募っていく。
わたしはまさに今そんな状態でした。
迷子なう。
小さな頃から方向音痴で、ことある毎に迷子になっていましたが、今日のわたしは一段と酷いようです。
一本の短剣と普段着のまま、わたしは森の中を
そんなわたしの前に唐突に現れたのは、洞窟の入り口でした。
熊や魔獣でも余裕で入れるような
パラパラと小雨が降ってきており、一日中歩き続けた足はすでに棒のよう。
そして、その洞窟の中からは――。
「――甘い匂い」
まるで焼き立てのお菓子のような香ばしくも甘い匂いがしてきたのです。
ゴクリとツバを飲み込みます。
今日は丸一日何も食べずに歩きっぱなしです。
まさかこんな森の奥に、お菓子屋さんがあるとは到底思えないのですが。
わたしの足はふらふら吸い寄せられるように、その洞窟の中へと入っていくのでした。
§
カツン。
足音がやけに響きます。
洞窟の中は外から見た以上に広い通路が広がり、何本もの道に枝分かれしていました。
ところどころにヒカリゴケが生えていて、足元を照らしています。
わたしは奥へ奥へと進んでいました。
なぜならその洞窟には、人の手が入った形跡があったからです。
入った直後は気付きませんでしたが、よく見ればヒカリゴケは
それは機織り職人が布に刻む
これは自然に生えたのではなく、人の手によって植えられた物でしょう。
――ならば、奥には人がいるのでは?
好奇心は猫を殺す。
そんな言葉が頭の中を過ぎりながらも、なだらかな坂となった通路を進んでいきました。
肌寒かった気温は徐々に暖かくなっていき、服を湿らせたわたしに温もりを供給してくれます。
地熱?
岩肌がむき出しとなった茶色い壁に手を触れると、ほんのりとした温かみを感じました。
しかしそれは周囲の甘い匂いに反して、決してお菓子では出来ていないようです。
ちぇー……んん?
「おおっ……?」
その壁は力を入れるとぐらりと動いて、人一人分ほどの大きさの岩がぐらりと倒れました。
奥には通路が続いています。
そしてその先から漂ってくるのは甘い香り。
「正解の道かな……?」
迷子のわたしにしてはよくやりました。
岩の上を越えて、巧妙に隠されていたその通路の先へとわたしは歩みを進めます。
しばらく歩いた末に辿り着いたのは、石の扉の前でした。
明らかな人工物を前にわたしは息を呑みつつ、その扉に触れます。
するとその扉は、力を入れる間もなく中央から割れるようにスライドして開きました。
「わ……」
思わず声が漏れます。
その奥に広がっていたのは、青白い水晶の広大な空間でした。
壁面は青く濃い色の鉱石で覆われており、頭上にはまるでシャンデリアのように透明な水晶の塊が鎮座し、ほのかな光を放っています。
そしてその部屋の中央には――。
「ビ!」
「ひっ!」
そこにあったのは丸くて透明な、それでいてでっぷりと柔らかそうな、手のひらサイズの球体でした。
スライム、でしょうか。
その球体は音と共に、上下にぷるぷると震えます。
「ばばばばー! ばーばーばーん!」
まるで少年のような声を発しながら、それはこちらへとにじり寄って来ました。
「自走要塞ヨルムンガルドへようこそ、ラティメリア・カルムナエ」
「ひえ……」
それは名乗ってもいないわたしの名前を口にしました。
今日は夢を見ているかのような出来事が続いていて、そろそろわたしの許容範囲を越えそうです。
「このダンジョンに相応しき力を持つ者、ラティメリア。どうかボクにその力を貸しておくれ!」
スライムさんはそう言うと、にょいーんとその体を伸ばしてまるで鏡のような板を作ります。
そこにはわたしの名前と、なにやらいろいろな数字と文字が書かれているようでした。
ラティメリア・カルムナエ
人間
筋力 9
体力 14
敏捷 11
魔力 13
スキル
『料理』レベル 2
『裁縫』レベル 1
『迷子』レベル31 ☆UP!
筋力、体力、敏捷、魔力、それに、スキル。
「……『迷子』」
いくつかあるスキルの中で一際大きく書かれていたのは、そんな不名誉な称号でした。
「それに気付くとは、さすが聡明なラティメリア。それこそが迷宮の主に相応しい
いや、聡明というか。
ただ単にその文字だけが大きく書かれていただけというか。
「君が持つ力は全ての者を迷わせる力、『迷子』!」
スキル。
神官などが使う分析呪文などによって明かされる、その人固有の力。
才能とも呼ばれるそれは、先天的に持って生まれるものもあれば、後天的に習得できるものもあります。
戦闘技能や魔法などは特に冒険者や騎士なんかに重要視され、貴族の間でも自身の価値を底上げする為に話の種にもなるとかなんとか。
わたしの場合はただの庶民なので、そんなの気にしたこともなかったのですが。
「『料理』レベル2、『裁縫』レベル1……」
喋るスライムさんで出来たその画面に映しだされた表示を読み上げます。
スキルには詳しくはないものの、
たしかにお料理は少し得意です。じまーん。
……でも。
「……『迷子』レベル31……」
謎です。
「『迷子』スキルってなんですか……?」
迷子の才能ってなんなんでしょう。
「そもそもなぜ一つだけこんなに高く?」
わたしは首を傾げます。
スライムさんは全てを迷わせる力と言いました。
――それはただのはた迷惑な力のでは……?
それに今までの出来事を思い返してみても、わたしが勝手に一人で迷子になっているだけのような気がします。
「それは君が無意識的に何度も使うことでレベルを上げてきたからだよ、ラティメリア」
スライムさんはそう答えました。
……そういえば彼はどこから声を出しているのでしょうか。
後ろ側を見ようと回り込もうとすると、スライムさんはその画面が正面に来るようぐぐっと回転しました。
どうやらその仕組みを教えてくれる気はないようです。
ちちぃ。
「迷宮の主には資格が必要なんだ。今日この
そのスライムの映す画面に表示された文字が大きさを変えて、『迷子』が拡大されました。
「さあそこに触れておくれ、ラティメリア。そうすれば君はこの迷宮の主となる!」
迷宮の主……?
何が何やらわかりませんが、このスライムさんはわたしに主となって欲しいようです。
「いえあの、突然過ぎて何が何やら……」
困惑するわたしに彼は答えます。
「それは悪かったね、ラティメリア。それじゃあ君が主になりたくなるよう、プレゼンテーションを始めさせてもらうよ」
「プレゼン」
スライムさんは画面の表示を切り替えます。
するとそこには、人型のシルエットとダンジョンの物と思わしき地図が現れました。
「この自走要塞ヨルムンガルドは
「魔力を吸い上げて……?」
魔力。
冒険者や宮廷魔導師にとっては何か重要なものだとか?
でもわたしは魔術なんて使えないので、必要ないと言えば必要ないのですけど。
さっき表示された数値を見るに、わたしの魔力がそんなに高そうには思えませんでしたが……。
わたしの言葉に彼は慌てたように言い繕います。
「もちろんそれは
「楽……?」
スライムさんは画面の表示を切り替えます。
「ダンジョンは魔力の他に生命エネルギーを取り込み、稼働のための魔力とするよ。具体的には死にたての死体を取り込むことで、ヨルムンガルドは成長するんだ」
「死体……」
洞窟の入り口が、獲物を捕まえるためパックリと開いた魔物の口のように思えてきました。
「維持魔力が賄えなくなるとダンジョンと一緒に体が崩壊するから気をつけてね、ラティメリア」
なんか今こいつとんでもないことさらっと言いませんでした?
「体? 体って、わたしの体ですか!?」
スライムさんはプルプルとその体を震わせます。
「ダイジョウブダヨ。ラティメリアの基礎魔力でもしばらく持つハズダヨ」
「カタコトになってる! さてはスライムさん、嘘付くのが下手ですね?」
「嘘はついてないヨ。言わない方が良いと思う事があるだけダヨ。あとボクのことはヨルって呼んで欲しいな、ラティメリア」
「やましいことだとわかっているなら、素直に真実を教えてください。ヨルくん」
わたしの言葉に観念したのか、彼は体をぐんにょりとさせながら画面を作ります。
そこには日付と思わしき数字が書かれていました。
「外部から供給される魔力がなかったとしても、ラティメリアが契約してくれれば3ヶ月間はこのダンジョンを維持できるよ」
……それは逆に言えば、契約するとわたしの命が最短で3ヶ月になるということなのでは?
「でもラティメリアが契約してくれないと、1ヶ月を待たずにヨルムンガルドは崩壊してしまうんだ」
ヨルくんは淡々とそう言いました。
「……そうなると、ヨルくんは……?」
「当然、一緒に灰になるよ」
む、むむ。
どうやら彼も命が懸かっているようです。
「では次に、この迷宮の主となるメリットを提示するよ。ラティメリア」
彼がそう言いながら画面を切り替えると『今契約するとこんな素敵な特典が!』という文字が踊り狂っていました。
あ、怪しい……。
「えーと……。アップデート機能?」
そこに書かれていたのは、ダンジョンの中を自由に設計できるという機能のことでした。
「ダンジョンがよりよくなる機能だよ、ラティメリア」
ヨルくんに映る画面が切り替わります。
さまざまな部屋が、まるで実際にそこにあるかのように画面の中に映り込みます。
「外部魔力が供給されてダンジョンのレベルが上がると、中を好きなように改造できるようになるんだ。デフォルトで設定されている図書室やシャワー室、豪華な寝室なんかの他にも自由自在に作れるようになるよ、ラティメリア」
そこに映るのは本が山のように並ぶ本棚、見たこともないピカピカ光る浴室、そしてまるで王宮にあるような大きな天蓋付きなベッド……。
「わ、すごい……。こんなところに住んでみたい……」
わたしの言葉にヨルくんは気を良くしたのか次々と画面を切り替えました。
「さらにこの部屋の奥にある『クリエイトルーム』では魔力を精製して様々な品物を作ることが出来るよ。レベルが上がれば豪華な食べ物や便利なゴーレムなんかも作れるんだ、ラティメリア」
そう言って表示されるチキンの丸焼き。
むむ……! これはとても魅力的……!
ぐぎゅるる、とお腹が鳴りました。
そろそろ体力も限界に近付いています。
「……そうですね。わかりました」
わたしは決意して、ヨルくんに向かって答えます。
……そもそもここを出たところで、わたしにはもう帰る場所がありませんし。
どうせ行くところがないのであれば。
「このダンジョンの
こんな森の奥のダンジョンで世捨て人のように暮らしてみるのも面白いのかもしれません。
幸い食べ物には困らなそうですし。
……いえ、決して空腹に負けたわけではありませんよ? 本当ですよ?
「歓迎するよ、ラティメリア! さあ、さっそく契約の儀式を」
ヨルくんがその体を伸ばします。
平たい画面には、またわたしの名前やスキルが表示されていました。
「……よし」
わたしは覚悟を決めて、その中で一際大きく書かれた『迷子』の文字をタッチします。
「んっ……!」
するとパチリと小さな稲妻が指先に走りました。
画面から一瞬、激しい光が漏れ出ますが、それはすぐにおさまりました。
……契約とはこんなものなのでしょうか?
案外あっけないかも。
「……ありがとう、迷宮の主ラティメリア。これから君のことはなんて呼ぼうか?」
ヨルくんの言葉に、わたしは笑って答えます。
「では『ラティ』で」
家ではそう呼ばれていたのです。
画面を見れば、それまでわたしの名前の下に書かれていた『人間』の文字が『ダンジョンキーパー』へと書き換えられました。
「改めてようこそヨルムンガルドへ。よろしくね、ラティ」
「……よろしくお願いします、ヨルくん」
そうしてヨルくんに歓迎されながら、わたしはこのダンジョンの
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ラティメリア・カルムナエ
ダンジョンキーパー ☆NEW!
筋力 9
体力 14
敏捷 11
魔力 13
スキル
『料理』レベル 2
『裁縫』レベル 1
『迷子』レベル31
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