第69話 ラスティン21歳(急使来る)


 その日は、何故か朝起きた時から、気分が落ち着きませんでした。どれ位、落ち着かなかったかと言えば、午前中に2回、そして午後にも2回、キアラから仕事に集中出来ていないと叱られる程でした。最終的には、執務室から追い出されて湯浴みと食事を済ませて、寝てしまえとまで言われました。(昨日の晩に見た、月があまりにも赤かったり、暗かったりしたのが、印象に残ったせいかも知れません)


 それでも、僕は食い下がって、何かあったら眠っていても直ぐに起す様に約束させて、何とか一休みする事になりました。キアラが口では強気な事を言っていましたが、その瞳は僕を本気で心配しているのを隠しきれていなかったので、こんな仕打ちにも耐える事が出来ます。何より、今は魔力や体力を充実させておくべきだと考えたのが、大きかったと思います。


 当然ですが、まともに眠る事など出来ませんでしたが、横になっているだけで、少しは休養が出来たと思います。日も暮れて、夜になり、窓から見えるワーンベルの町の明かりも少しずつ減りだしましたが、僕の中では、まだ嫌な予感が続いていました。


 そして、それは夜半近くになって、やってきました。一騎の伝令が、この屋敷まで駆け込んで来たのです。僕は、そのまま伝令の話を聞くために、玄関ホールに向かいました。(こういう事態に備えて、寝衣に着替えず、外出が出来る格好のまま横になっていたんですから)

 伝令は息を切らせながらも、その役目を果たしてくれました。


「レーネンベルク公爵夫人からの伝令です。先程、公爵が倒れられました。至急屋敷まで戻るようにとの事でございます」


「そうか! それで父上のご様子は?」


「はい、公爵夫人が治療に当たられておりますが、予断を許さない状況かと」


 ここで伝令は、僕の横で話を聞いている、キアラに視線を移しました。


「構わない」


 僕がそう答えると、伝令は声を落としたまま、


「屋敷内では、毒殺ではないかという話が囁かれています」


と報告を続けました。


「伝令ご苦労様、お疲れでしょうから、ゆっくり休んでください。キアラ、伝令の方を頼むよ。それに護衛の手配も」


「はい」


 キアラに、対応を任せて僕は、クリシャルナの部屋へ向かいます。


「クリシャルナ、起きているかい?」


 部屋のドアをノックすると、中からごそごそと物音が聞こえ、少しだけドアが開かれました。


「なーにー、こんなよなかに?」


 ほとんど睡眠状態のクリシャルナが、その隙間から顔を出しました。僕は構わずに、先程の話をクリシャルナに聞かせましたが、反応はイマイチな感じです。


「前に言ってただろう? ゲルマニアという国で、毒殺が横行していたって。君はその時、エルフの毒薬かも知れないって言ってたよね?」


 その言葉で、クリシャルナは完全に目を覚ましたようです。


「直ぐに準備するから、少し待って!」


 クリシャルナは、1度ドアを閉めましたが、直ぐにいつも通りの格好で姿を見せました。


「ラスティン、急ぎましょう」


「ああ、すまないね。こんな時間に」


「それは言わなくていいわ。友達のピンチなら喜んで力を貸すし、エルフが関与しているなら私が対応しなくちゃいけないしね」


「助かるよ」


 僕たちは、厩舎に向かいました。まだ護衛の手配が済んでいないようですが、クリシャルナは構わず、一頭の馬を引き出しました。


「アイラール、急だけど頼むわよ」


 そういうと、アイラールの頭に手を触れました。すると、そこには夜目にも鮮やかな純白の天馬(ペガサス)が現れました。


「さあ、乗って!」


 一足先に、アイラールに跨ったクリシャルナが僕を促します。こうなったら、護衛を待っている訳にはいかない様です。僕もアイラールに跨ります。


「行って」


とクリシャルナが声をかけると、アイラールは数歩の助走をとっただけで、見事に空中に舞い上がりました。ですが、空中を旋回するだけで、前に進もうとしません。


「ラスティン、貴方の実家のお屋敷ってどっちの方向かしら?」


「ここから、南西の方向だよ。距離は50リーグ位かな?」


 クリシャルナは返事もしませんでしたが、アイラールは確実に南西針路をとった様です。アイラールの速度はかなりの物でした。しかも、それが全く落ちないのが素晴らしいです。メイジがフライを使っても、相当な速度を出せますが、長距離には向きませんし、人を抱えて飛ぶのもかなり難しいはずです。

 あっという間とは行きませんが、それほど時間がかからず、マリロットの町が見えてきました。こんな時間にも明かりが点いているのは、父上の事で騒ぎが起こっているからでしょう。


「クリシャルナ、あそこに降ろしてくれるかい?」


 アイラールは、僕が指示した通り、屋敷の前に見事に着地してくれました。まるで僕の言葉が分かっている様です。僕が屋敷に駆け込むと、執事のラザールが出迎えてくれました。


「父上は?」


「寝室でございます。奥様が治療を」


 それだけ聞くと、僕は両親の寝室に向かいました。ドアを蹴破る様な勢いで開けましたが、寝室の中は静かでした。ただ、母上が呪文を唱える声だけが響いています。


「クリシャルナ、頼む!」


 クリシャルナが、ベッドの上で苦しそうに呻いている父上の容態を、確認し始めました。僕はそれを見守る事しか出来ませんでした。クリシャルナはすぐに、症状の確認を終えた様です。


「ラスティン、これをお父様に飲ませてあげて」


 クリシャルナは、腰のポーチから、こげ茶色の丸薬らしき物を取り出して、僕に渡してくれました。僕はその丸薬と、枕元にあった水を手にとって、父上に話しかけます。


「父上、聞こえますか? この薬を飲んで下さい」


 父上から返事はありませんでしたが、僕の手を握り返してきた事で、意識があることは確認出来ました。少し開いたままの口に丸薬を放り込むと、続けて水を含ませます。父上が何とかそれを飲み込んだのを確認すると、振り返ってクリシャルナに指示を仰ぎます。


「これで良いのか?」


「ええ、効果は直ぐには出ないけど、間に合ったはずよ」


「そうか・・・、治癒魔法は続けた方が良いのかな?」


「ええ、体の自由が利くようになるまでは、その方が良いと思うわ」


「母上、聞こえましたか?」


 僕は、一心不乱に治癒魔法を唱え続ける母上に声をかけましたが、答えは返って来ませんでした。父上の身体が動くようになれば、父上が止めてくださるでしょう。僕は僕で出来る事をしましょう。僕はとりあえず、居間に向かいました。クリシャルナとラザールもついて来ました。


「ラザール、状況を説明してくれるか?」


「状況と言われましても、ご夫妻がおやすみになってしばらくして、寝室からリリア様の悲鳴が上がったのです。駆けつけてみると、既に先程の状態でした。とりあえず、兵団の方に水メイジを派遣してもらう手配と、ラスティン様にお知らせする事にしました」


「そうか、どうやら毒を盛られた様なんだが、心当たりは?」


「あ! そうでした。ベッケル子爵様が」


「ベッケル子爵?」


「はい、お客様の子爵様が旦那様と同じ状態なのです」


 僕は慌てて、ベッケル子爵が泊まっているという客間に向かいました。そこには兵団の水メイジが懸命に治癒魔法を唱えている姿がありました。クリシャルナの見立てでは、父上と同じ毒という事で同様の対処をする事で、何とか事無きを得たという感じです。治療を兵団員に任せて、僕は再び居間でラザールから話を聞くことにしました。


「屋敷内で、他に調子がおかしい者は居ないか?」


「はい、全員無事です」


「そうか、ならば、父上とベッケル子爵だけが口に付けた料理は?」


「屋敷の料理人を疑うのですか? お二人だけしか食べていない料理は無かったと思います。奥様もジョゼット様もテッサ様も、食事は共にされていましたから」


「そうか・・・」


「あ! そういえば、食後にお二人だけで、ワインを召し上がっていました」


「それだ! そのワインの素性は?」


「子爵様がお持ちになったもので、わたくしも詳しくは存じません。旦那様なら、お聞きになっていると思いますが」


「そうか、父上の回復待ちか」


 そんな中途半端な結論に達した時に、居間に、ジョゼットとテッサちゃんが手を繋ぎながらやってきました。


「スティン兄」


「ラスティン様」


「ジョゼット、テッサ、起しちゃったみたいだね?」


「お父様が倒れたって聞いたんだけど」


「その話なら、母上が魔法で治しているし、何よりこのおねえちゃんがお薬をくれたから、心配いらないよ!」


 努めて明るく答えました。急に話を振られたクリシャルナが驚いた様でしたが、そこはフレンドリーエルフの事ですから、心配無用でした。あっという間に二人とも、クリシャルナに懐いてしまい、クリシャルナに寄り添うようにして、うつらうつらしています。その平和な様子を見ていると、屋敷の外で物音がしました。

 ラザールが対応に出た様ですが、声からすると護衛役のニルスが到着した様です。


「クリシャルナ、二人を頼めるかな?」


「いいわよ、この娘達の部屋は?」


「2階に上がって、右側手前の3番目の部屋だったかな? 部屋には乳母のメアリが居るはずだから」


「了解!」


 クリシャルナはそう答えて、二人を連れて、2階に上がって行きました。それを待っていた様に、ニルスが居間に入って来ました。その厳しい表情を見て、今回の騒動がまだ終わっていないことが分かってしまいました。


「ニルス、ご苦労様。何があったか報告してくれ」


「キアラさんが、随分怒ってましたよ」


それは、確かに大事件です。いや、そうじゃないだろう?


「他に何か事件が起こったんじゃないのか?」


「ああ! そうでした、兵団の警備隊からの連絡で、モーランド侯爵領にゲルマニア軍が侵攻を開始したという事です」


「本当なのか? モーランド侯爵領にはうちの兵団は出入が出来ないはずだろ?」


「はい、警備隊がワーンベル周辺の盗賊を壊滅させる為に、密偵をモーランド侯爵領に送り込んでいたそうです。情報は確かだと、キアラさんも言っていました」


「そうか・・・」


 報告の順序にツッコミ所満載でしたが、そういう場面でもないですね。ここは慎重に、しかし早急に僕自身の対応を決める必要がありそうです。


1.兵団本部から指示をだして、国中の兵団を集めて対応する

2.直ぐにワーンベルに戻り、モーランド侯爵領からゲルマニア軍が侵攻してくるのに備える

3.王宮や、ラ・ヴァリエール公爵に連絡を入れて、救援を要請する


といったアイデアが浮かびました。本来であれば、1を選択して父上の代理としてこの屋敷に腰を落ち着けて、領内に指示を出すというのが、望まれるのでしょう。ですが、この選択をした場合は、確実に遅れをとるという奇妙な確信があります。3に関しては、ラ・ヴァリエール公爵ならともかく、王宮に対しては僕では押しが弱いという問題点があります。

 結局、僕は2を選択して、ラ・ヴァリエール公爵だけに連絡を入れ、兵団本部で方針の指示だけを出す事に決めました。そして、その後ワーンベルに向かいます。ラザールに、ラ・ヴァリエール公爵への使者の派遣と、父上に変化があった時には必ず知らせを送るように命じると、護衛を連れてマリロットの町へ入りました。

 そのまま兵団本部へ向かうと、そこは夜とは思えない状態でした。基本的に事務方しかいない本部が、こんなに慌しい状態になるとは思って事が無かったです。

 仔細構わず団長室に直行すると、マティアスがらしくも無く矢継ぎ早に団員に指示を出しています。マティアスは僕に気付くと、


「ラスティン様、公爵のご容態はいかがですか?」


と、大声で話しかけて来ました。意図は分かるのですが、ちょっとうるさいですね。


「大丈夫だ、直ぐに意識を取り戻しはずだし、障がいも残らないそうだよ」


 僕の言葉に、周りの兵団員が、安堵したのが分かりました。


「それで、何の御用でしょうか?」


「うん、ここから指示を出すつもりだったけど、必要は無いようだね。マティアスには1つだけ言っておこうかな?」


「はい、何でしょう?」


「レーネンベルク公爵代理として命ずる。レーネンベルク公爵領を守ってくれ!」


「はい、お任せ下さい」


「この領土の兵士と、ワーンベル以外の兵団員の運用を一任する」


「はっ!」


 これだけのやり取りだけで、僕は兵団本部を後にしました。さてここからは強行軍です。ワーンベルまで夜道をひた走る事になります。

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