第34話 ラスティン15歳(ゲルマニア)

 ロマリアからゲルマニアへの旅も、ロマリアへ向かった時と同じような旅路になりました。国境の検問でも、トリステイン国王の親書が物を言い、すんなり通過することが出来ました。

 ゲルマニアに入ってから、しばらくは長閑な田園風景が続きましたが、首府ヴィンドボナに近づくと印象がガラッと変わりました。まさにこれから工業が発達していくという、風景が見受けられます。エレオノールなどは、石炭を燃した時の煙の臭いが気になるようで、ハンカチで鼻と口を隠しています。


 皇帝の居城につくと、早速親書を出して、担当大臣への面会を求めました。ローレンツ商会からの情報によると、ゲルマニアの皇位継承争いは、混沌とした状態だそうで、素直に皇室の人間に会えるとは思わないので、とりあえず、財務担当の大臣にでも会えれば良いかと思っています。(アルブレヒト3世の即位するはずなのですが、即位前の名前までは分からないので仕方がありません)

 可能ならば、現在ゲルマニアの政治を取り仕切っている、宰相のマテウス・フォン・クルークという人物に会いたいと思いますが、ガリアの例もあるのでさほど期待はしていませんでした。


 ですが、城の中に入って、案内されたのは、宰相の居室でした。トリステインからの工業品にかけられた関税の事から、マテウス・フォン・クルークという人物は、トリステインにあまり良い感情を持っていないと考えていたので、この対応には驚きました。

 始めて目にする、宰相マテウス・フォン・クルークという人物に対する印象は、僕には珍しく極めて悪いものでした。45歳位の人物で、宰相としては若いと思いますが、見るからに優秀そうで、しかも自分の能力に自信を持っているということが、その表情から見て取れます。この印象だけでは、僕が悪印象を持った事の説明にならないのですが、一目マテウス・フォン・クルークという人物を見た時から、これは敵だという印象が、僕の頭から離れません。


 それでも一応形式通り、挨拶を交わしました。(どんなに悪印象を受けたとしても、普通に挨拶をすることは出来たと思います)


「トリステインからの使者ということだが、この様な若い方々だとは思いませんでしたな。それで国王からの親書は見せていただけるかな?」


「はい、閣下。こちらになります」


 僕が親書を手渡すと、宰相はゆっくりと親書を読み始めました。


「ふむ、トリステイン国王の仰りたい事は分かった。だが、ラスティン殿だったかな?今、ゲルマニアは政治的に混乱しているのは、ご存知だろう?私も先帝の方針に従って、とりあえず、政務を代行しているに過ぎない。やはり次の陛下が決まらない限り、こういった問題は私の一存では了承出来ないな」


「次の皇帝陛下は、まだ決まりませんか?」


「そうなのだよ、先帝には多くの皇子がいてね。先帝は皇太子を決めずに急死されたので、皇子達がそれぞれ貴族の後ろ盾を得て、我こそは次の皇帝なり、とやりだした物だから、大混乱といった所だな」


「そうですか」


「そういう訳だから、今回のトリステイン国王の提案は見送らせていただく事になる。謝罪の手紙を書くので、少し待っていただけるかな?」


「はい、仕方がありません。お待ちします」


 そうして、僕達は、1度客間に下がる事になりました。そしてしばらく待っていると、宰相からの書状を持って1人の文官がやってきました。僕は書状を受け取ると、そのまま城を後にします。実にあっけない会見でした。


 そのままヴィンドボナでとった宿に戻りました。宿に戻ると、挨拶の時以外、口を開く事の無かったエレオノールが口を開きました。


「スティン兄様、あの宰相閣下が、どうかなさったのですか?」


「ああ、君には分かってしまうんだね。僕の彼に対する態度はおかしくなかったかな?」


「ごく普通の、対応だったと思いますけど。私には、兄様が緊張?警戒?していると感じられました。人見知りという言葉に無縁の兄様がこんな反応をするのは始めて見たかもしれません」


「宰相からみて普通の対応が出来たなら問題はないかな?それにしても、君には隠し事が出来そうもないな」


「そうですよ、兄様。ですから何でも私に話してくださいな」


「そうだ、君の目からみて、あの宰相閣下はどんな人物に見えたかな?」


「私から見てですか、うーん、何と言ったら良いか分かりませんけど、まるで一枚仮面を被っている感じがしました。宰相という仮面をですね」


「仮面かい、考えさせられる表現だね」


「私の様な女の子の意見ですから、あまり真剣にとらないでください、兄様」


===


 そんな話をしていると、突然、護衛のセブランさんが、話に割り込んできました。


「ラスティン様、少しよろしいですか?」


 必要な事以外ほとんど喋る事がないセブランさんが、話に割り込んでくるという事は、緊急な要件なのでしょう。


「構いませんよ、何が起こりました?」


「この宿は、どうやら監視されている様です」


「監視なら、ガリアでも出国までされていたじゃないですか?もしかしてただの監視じゃないんですか?」


「はい、はっきりとではありませんが、殺気とまではいかないまでも、害意に近い意思を感じます。エレオノール様の護衛も同意見です」


「そうですか、見つからない様に宿を抜け出すのは、無理でしょうね。とりあえず馬車を何時でも出せるように手配だけは済ませておいて下さい」


「そちらは手配済みです。ラスティン様にはこれからの方針を決めていただかなくてはなりません」


「このまま宿に留まっても、事態は好転しないでしょう、それに街中で襲ってくる事は無いと思います。ただ、このまま予定通り、エルフの里に向かうのは愚の骨頂ですね。ゲルマニアを一刻も早く抜けて、国外に出るのが先決ですね」


「その方針が無難とは思いますが、このままトリステインに直接戻るのは避けた方が良いと考えます」


「そうですね、その気になれば、国境で網を張ることも可能ですからね。そうすると、ロマリアかガリア経由ですね、少し遠回りですが仕方ありませんね」


「兄様?」


「どうしたんだいエレオノール、心配しなくても君だけはトリステインに無事に帰して見せるよ。事態はそこまで逼迫(ひっぱく)していないしね。念のための話をしているだけだから、心配しないでおくれ」


「いえ、そうではないんです。提案があるんです。トリステインへの最短距離のツェルプストー辺境伯の領土を通らせていただいたら、どうかと思ったのです」


「ツェルプストー辺境伯領ですか?確かにトリステインや他国の国境に向かうより遥かに近いですな、ですが、ラ・ヴァリエール家とツェルプストー家は犬猿の仲と聞いておりますが」


 セブランさんが直ぐに、エレオノールの意見の問題点をあげます。


「エレオノールは、ツェルプストー辺境伯と会った事があるのかい?」


「はい、何度か。ツェルプストー辺境伯はいかにも軍人という方です。ラ・ヴァリエール家とツェルプストー家の確執と言っても、それ程、陰湿なものではありません。それに、お父様からは、沢山、ツェルプストー辺境伯の悪口を聞きましたけど、その中に、卑怯とか策謀家とかいったものは一度も聞いたことがありません」


「ありがとう、エレオノール。セブランさん、エレオノールの提案に乗ってみようと思うのですが、どうですか?」


「ツェルプストー辺境伯の人柄が、エレオノール様のおっしゃる通りなら、一番良い方法かも知れません」


 無論、セブランさんの結論は、エレオノールの意見を無原則に受け入れた物では無いでしょう。彼自身の経験や、知人からの意見なども彼の判断の一因になっていると思えます。そして、僕個人の意見もエレオノールとセブランさんの意見を否定する物ではありません。


「それでは、状況が動く前に、こちらから動きましょう」


「ラスティン様、エレオノール様、馬車馬には無理をさせる事になるかも知れませんから、荷物は最低限にしていただける様お願いします」


「「分かりました」」


 僕達は直ぐに準備を済ませ、宿を後にして、ツェルプストー辺境伯領へ向かいました。僕達の動きが早かった為か、監視の目は直ぐに撒く事が出来ました。ですが、油断は禁物ということで、予定通りほとんど休みをとらない強行軍で、ツェルプストー辺境伯領への道を急ぎました。馬車馬を何度も変え、時には馬車自体も買い替えて、何とか3日で、ツェルプストー辺境伯領へ入る事が出来ました。そのまま領を通り過ぎても良かったのですが、辺境伯への挨拶だけはしておく必要があるということで、辺境伯の屋敷に赴きました。

 屋敷の門番に、来意を告げると、そのまま屋敷の中に案内されました。応接室でしばらく待っていると、赤い髪と瞳の男性が、やってきました。エレオノールが立ち上がって、お辞儀をしたので、僕も慌ててそれに合わせます。


「本当にエレオノール嬢じゃないか、屋敷の者が騙されているのかと思ったぞ、大きくなったな」


「はい、辺境伯。ご無沙汰しております」


「なんでも、我が領を通り抜けるついでに挨拶に来たという事だが、何があったのかな?」


「ヴィンドボナから、トリステインへ向かうだけですわ」


「そうか?ヴィンドボナから私の所に、”トリステインの要人を拉致した犯罪者たちが、トリステインに向かう可能性がある、見かけたら捕縛し、ヴィンドボナまで連行せよ”という命令が先程届いて、そこに書かれている犯罪者達の一行の特徴に、君達は完全に一致しているんだがね?」


「辺境伯、それは違うのです!」


「そうだろうな、君達が犯罪者の一団に見えたら、余程目が悪いのだろうな。悪いようにはしないから、詳しく事情を説明してくれないかね?」


「それは、私の方から説明させていただきます。ラスティン・ド・レーネンベルクと申します。よろしくおねがいします、ツェルプストー辺境伯」


 僕は、ヴィンドボナで監視が付き、それから逃れる為にここまで来た事を、辺境伯に簡単に説明しました。


「なるほど、ヴィンドボナでは宰相のクルーク伯に会わなかったかね?」


「良くお分かりになりますね、もしかして、監視や犯罪者としての手配も宰相閣下の仕業なのでしょうか?」


「裏の事情は分からないが、あの”キツネ”のやりそうなことだよ。他国の若者に話すような事ではないから、これ以上は話せないがね」


「いいえ、辺境伯が宰相のことを嫌っていると分かっただけでも、私たちは安心出来るというものです」


「ははは、これは一本取られたな。”キツネ”については忘れてくれ。これからはどうするかな?強行軍だったのだろう?ならば、この屋敷でゆっくりしていくがいい」


「はい、護衛の者達もかなり疲れている様ですし、お言葉に甘えさせていただきます」


「ふむ、見かけに似合わず、肝が据わっているようだな。私をそこまで信じていいのかな?」


「この場で辺境伯が、私達を捕らえろと命じられたら、今更どうしようもありませんから。それに、辺境伯の人柄は、エレオノールに聞いていた通りの様なので、そんなことは無いと確信しております」


「エレオノール嬢が、私の話をね。それは夕食の時にでも詳しく教えてもらおう、まずはゆっくり休みたまえ」


 僕たちは客間に通され、そこで一休みする事が出来ました。その後、辺境伯一家と、僕、エレオノールで夕食をとりました。食事は美味しかったですし、終始和やかなムードでしたが、2,3歳のキュルケちゃんが人見知りする性質だったのには、すこし驚きました。

 翌朝になると、僕たちはツェルプストー辺境伯自身の護衛で、トリステインへと移動する事になりました。護衛のセブランさん達は、ツェルプストー辺境伯に兵士に変装しています。

 ちなみに、昨晩の夕食の席で、このまま僕達をトリステインへ帰してしまったら、問題にならないか?と尋ねたら、辺境伯は、


「”賊は私の兵士によって討ち取りました。拉致された要人は無事奪還したが、かなり混乱している様なので、そのままトリステインまで送り届けました。先方には感謝されたので、外交的には失点にならないでしょう。”と使いを出す予定だ、これなら文句の言い様がないだろう?」


と笑いながら答えてくれました。そんな訳で、護衛の皆さんは、兵士の格好をしている訳です。


 そのまま何事も無く、トリステイン国内に入ることが出来ました。国境の砦では、エレオノールを見ただけで門が開かれました。

 ツェルプストー辺境伯は国境で帰っていきましたが、去り際に、エレオノールに、


「君の父上に、”これでこの間の借りは返したからな”と伝えてくれ」


と言っていました。それはともかく、こうして無事にトリステインに帰って来れたことを喜びましょう。エルフの里には行けませんでしたが、それ以外はほぼ目的を達成出来たと思いますから。


===


 ちなみに、ラ・ヴァリエール家に、エレオノールを送って行ったら、エレオノールの事を心配していたラ・ヴァリエール公爵に思いっきり説教されてしまいました。婚前旅行には10年早いとか、いろんなことを言われました。娘の事になると、公爵は人が変わった様な行動を取るんですね。

 しかし、説教されたのは僕だけでした。公爵は、3女だけではなく長女にもかなり甘い様です。

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