第ニ章 歌うために戦う人

1. 猛、壁にぶつかる


「……これなあ」

 がっくりとうなだれた猛の手には、狐の面が握られていた。祭りで売られているようなプラスティック製の物ではなく、張り子の、古風な作りの面である。

 猛はため息をついてから、狐の面を顔に装着し、鏡に自身を映してみる。

 そこには首から下はTシャツにジーンズだが、妙に面としっくりきている狐男が映っていた。自分で言うのも難だが、とても似合っている。

「だから、似合ってるってなんなんだよ!」

 吐き捨てるように猛は言い、鏡から顔をそむけた。


 猛が初めて狐の面を手にしたのは、たかだか一週間ほど前の話だった。一緒にバンドを組むメンバーから急に渡されたのだ。

 猛が組んでいるバンド「CLACK」は、デビューして丸三年が経つ。自分たちで言うのも難だが、ここまでの道のりは順調だった。レコード会社主催のコンテストで特別賞を受賞してデビュー。それから年一枚はアルバムを出せ、ライブハウスでの定期的なライブを行なえる環境を作ってもらっていた。

経済的な余裕はないが、一応生活はできる。

 綱渡りかもしれないが充実した活動を続けてきた中、突然すとんとお達しは来た。

 バンド全体の、今後の活動の新しい方向性を打ち出して欲しい。 

 噛み砕くとそのような内容だったのだ。簡単に言わないでくれ、と猛はショックで鈍った頭でぼんやりと考えた。


「かぶり物をするのはどうか」

 男三人が大真面目にミーティングを行なって、出た一つの提案がそれだ。新しいものを貪欲に取り入れようとするメンバーの一人、雪久が決心を固めた顔つきで口を開いた。

「そういうの流行ってる……かもしんないしね」

 頷いたのは基本的に批判をしたことがない温和なメンバー、サトシだった。飛びつくというわけではないが、雪久の意見をいつものようにやんわりと肯定した。

「流行っているかは微妙だが、話題作りにはなるだろ」

「うん。そうだね」

 呆気に取られる猛を置き去りにして、雪久とサトシは頷き合っている。

「何のお面にしよっか」

「すでに結構使われてるよなあ」

「ちょ、ちょ、」

 話が具体化しそうな勢いだったので、猛は慌てて止めに入ろうとしたが言葉がつっかえてしまい、うまく制止できなかった。

「……ちょっと待て、お前ら」

 やっとの思いで猛は抵抗した。

「何だよ?」

 雪久とサトシは何となく広げられていたノートに動物の絵を描き始めていた。二人して手を止めて、ぽかんとした顔で猛を見た。しかしそれは

ほんの一瞬で、再びノートに視線を戻した。

「あの動物とこの動物はもういるじゃん?ロボットみたいなのもいるじゃん?だから……」

「おい!俺はやるとは一言も言ってねえぞ」

 ばん、と猛は机を叩いた。自分で叩いておきながら手が痺れた。

──情けない。カッコ悪いし。

 ほとんどいつも、猛がのほほんと流れて行こうとする二人のバンドメンバーを本来の流れに戻す役目を担っていた。二人にとっては嫌われ役で、口うるさい奴だと思われているだろう。

 しかしそう思われてもやむを得ないと思っていた。本当は全然リーダーシップなど備わっていない猛だが、この呑気かつどこか的外れな二人に流されていたらとんでもないところに行きついてしまう。

──ま、こいつらは俺をリーダーだと思ってないだろうけどな。

 猛が苦笑したそのとき、ぽんと雪久が手を打った。

「狐!」

「あ、それいいかも」

 サトシがすかさず賛同した。猛は横で口をぱくぱくさせていた。反論の言葉を捻り出そうとしていた。

──結局俺、流されてる……?

 猛はまだ口をぱくぱくさせたまま、楽しそうに盛り上がる二人を眺めていた。そして、心の中でつぶやいた。

──どうせ今回も口だけだろう。

 雪久は新しいことをしたがるが、アイデアだけ出して気が済んでしまう節があった。それも、こちらが反論すればするほど燃え上がるが、結果的に実現せずに終わる。

 今度もまたそんなふうに収束するのだろうと高を括っていたが。


 予想に反してその三日後、雪久はいやに上等な狐の面を三つ調達してきたのだった。

 しかも、誰よりも猛が似合っているという嬉しくもない現実が待っていた。

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