余話(遠い星)

 模擬戦の後、寮の食堂で夕食を終えて、自室に戻った二人。

 ノランとたわいない話をしていたルゥリアは、胸のむかつきを覚えて動きを止めた。

「どうしたの?」

 ノランの声にも答えず、それが静まるのを待ったが、不快な刺激の波は次第に高まり、ついに限界を超える。顔が青くなるのが自分でも分かり、洗面所に駆け込んだルゥリアは、今食べたものをほとんど戻してしまった。

「大丈夫?」

 ノランが背中をさすりながら、

「とうとう来ちゃったか」

 と優しい声をかけた。

 一息ついたルゥリアは、水を流して口を漱ぎ、呟く。

「副作用……」

「そうだね」

 ノランが答えた。



 居間に戻って、ソファに腰を下ろす。ノランが、砂糖抜きの紅茶を勧めながら話し始めた。

「前にも、子供の被験者が居たんだ」

 思わず顔を上げると、ノランは目を半ば伏せ、

「やっぱり子供には副作用がきつくてね。その子は半年しか続けられなかった」

「半年、ですか……」

 それを聞き、ルゥリアはある事に思い至った。

 アバンティーノに来た日。ケリエステラ所長がトルオに言った言葉。


『私は、反対したからな』


「……私を受け入れることにケリエステラ所長が反対していたのは、そのせいなんですね」

「そうなのか…。うん、そうだね。ホイデンス所長、すごく落ち込んでたから」

 自分も紅茶を一口すすると、

「あんたが何をしょってここに来たのか、詮索はしない。でも、何年も結果が出るのを待つわけにはいかないし、そんなことしたら体が持たないよ」

「はい……」

 答えながら、ルゥリアは自分の覚悟がまだ甘かったことを悟った。母のためにも、故郷の人々のためにも、早く仇討ちを成し遂げなければならないとは思っていた。

 だが、自分の肉体、それ自身が二つの矛盾するタイマーを備えていたのだ。子供であるが故に、勝つための技量を身に着ける時間。そして子供であるが故に、副作用によって体が壊されるまでの時間。

 被験者であることを先送りにすれば、ホベルトから剣技の指導を受ける間の生活も成り立たない。

 さらに、いつ来るか分からない、竜骨騎騎士としての覚醒、人造竜骨騎の覚醒。

 そのすべてが奇跡のように噛み合わなければ、自分の選んだ道に理想の結末はありえないのだ。



 一度は床に就いたものの、結局は寝付けずにベランダに出た。

 この時間には街路灯も光度が落ち、周りの集合住宅も殆どの部屋が灯りが消えている。


 模擬戦の時、クルノの事を思い出すと体が熱くなった。だが、その気持ちを言葉にする事には今でもためらいがある。

 ガレージで暴発からかばってくれた時、命に代えても守ると言ってくれた時、夕闇の迫る森の中で怒られた時、帝都で真剣に止めてくれた時。その一つ一つごとに、ルゥリアの中でのクルノは大きくなっていった。自分の中で強まるもやもやした何かとクルノが、引き合っているように思えた。

 もし今も彼が一緒にいてくれたら、どれほど心強かっただろう。安心できただろう。

 その彼を置き去りにしてしまった。怒っていて当然だ。恨んでいても当然だ。

 今クルノの事を思う時の胸の苦しさは、きっとただの罪悪感なのだ。だって、それ以上の事を思う資格なんて、自分にはないのだから。

 一刻も早く、仇を討とう。トルムホイグに帰って、クルノに謝ろう。叱られよう。

 それでも、自分はやはりクルノに甘えている。きっと、クルノが自分を本気で突き放すとは、冷たく拒むとは、心の奥底では思っていないのだから。

 心に浮かぶクルノは、いつも困ったような顔で頭を掻いている。そう、森の中でクルノの中での父ヴィラージがそうだと語ったように。


 見上げると、ビルに区切られた細長い空に、一つ、二つ、光が瞬いていた。

 アバンティーノに来てから初めて、ルゥリアは星を見た。

 それからずっと、彼女は星を見上げ続けた。

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