十四.痛み
所長室では、ナイードが腕を組んで居座っていた。
「何を怒ってる」
ホイデンス所長が眉をひそめると、ナイードは視線を天井に向けたまま答える。
「十二、三の子供が命を賭けて戦うのを、簡単に決めるべきではないでしょう」
「メリットとデメリットは提示した。嘘はついていない。何が問題だ」
「あの勧め方で、彼女が断る筈がないでしょう」
「当たり前だ。あいつに断らせるつもりなど、端から無いぞ」
ホイデンスは心底不思議そうに答え、ナイードが溜息をつく。
「それが問題になり得ますよ、という話です」
所長は、机の上で組み合わせた両手を見つめた。
「俺は、あいつが俺達のプロジェクトにとって突破口を開く鍵になると思っている」
顔を上げ、
「あいつは、亀裂の入った高圧ガスボンベだ。遠からず爆発する。それがあいつを竜骨騎騎士として覚醒させることになる」
「やはり、子供である必要がある、と」
ナイードは肩をすくめる。ホイデンスは机の上で手を組んでしばらく考えていたが、
「まあ、お前が絶対に不承知なら……この件は中止しよう」
「私を馘首にしてもやるつもりかと思っていましたが」
意外そうなナイードに所長は苦笑した。
「お前の人脈頼りのプランだからな」
それを受けてナイードも頭を掻く。
「まあ私も、絶対反対ではないんです。三者完全勝利というのは、両プロジェクトの代理人としても、ルゥリア嬢を応援する一人としても、第一に目指すべき目標ですからね。そして一号機のポテンシャルを引き出せれば、彼女の勝利の確率はかなりあると、私も思ってます」
「無論だ。決闘が実現したら、あいつと、俺たちの二つのプロジェクトは一蓮托生だ。勝つために全てのポテンシャルをつぎ込む。それとだ」
椅子に深く座り直し、背筋を伸ばす。
「その時、緊急脱出装置の外部コントロールはお前に渡す。万が一にも敗北しそうになった時、お前が一番躊躇わずに押せるだろう」
ナイードは少し考え、
「では、システムを二重にして、もう一つをトルカネイ殿に渡してください。戦いの帰趨を見る目は、あの方が一番です」
「現役の騎士だからな。そうしよう」
所長はうなずいた。
「俺はここで思索するから、十七時までお前は好きにしろ。今日は休日だった筈だ。朝から済まなかったな」
「私たちに休日は有って無いようなものですからね」
ナイードは時計をちらりと見て、
「もうすぐ十四時ですね。それまでここに居ても良いですか?」
「なぜだ」
「私の勘では、彼女はもうすぐ来ます」
所長は片眉を上げた。
「あれだけ言って、あいつが実際に考えるのは五分だと?」
「大事なのは実際に考える時間ではなく、時間を与えてもらった、という事実です」
「随分あいつの事を深く知っているように聞こえるが」
「アバンティーノに来るまで一緒に居ましたから」
「一日かそこらでか」
「それでその人となりを把握できなかったら、顧客と直接相対する商売はやってられません。彼女、可愛いじゃないですか」
「あいつは見た目と違って面倒な奴だぞ」
「そこまで含めて、私は可愛いと思いますよ」
所長は嫌そうな顔で頭をかく。
「……俺にはお前のような客商売をやるのは無理だと確信した」
「所長がライバルでなく顧客で嬉しいですよ。でも、所長の研究も人間相手じゃないですか」
「俺の相手は人間じゃない。世界の真理だ」
所長が胸を張ると、ナイードは苦笑した。
直後、ノックの音がして、
「失礼します」
ルゥリアの声が聞こえた。所長が視線を向けると、ナイードは無言で微笑む。
「入れ」
ドアを開けたルゥリアは、所長の前に立つと、書類を差し出して頭を下げた。
「仇討ちの件、お願いいたします」
「よく考えたか?」
所長は書類を受け取りながら訊く。
「はい」
「どう考えたか、聞かせろ」
書類に目を向けたままの所長に、ルゥリアは少し頭の中を整理して言葉を紡ぎ出す。
「私、この道を進んだときにどんな事になるか、考えました。二度と故郷に帰れない未来。戦いに敗れて命を失う未来。ひどい手傷を負って一生を不自由な体で過ごす未来。仇討ちに成功してもなにも変わらない未来。その痛みを、想像しました。想像して……でも、分かりませんでした」
俯いて頭を振る。
「やっぱり私は子供です。未来の痛みを、いくら想像しても分からない。それは本当の痛みの何百分の一でしかない。それに対して故郷を、家族を、友達を奪われ、汚され、傷つけられた痛みは、今ここにあります。今この時、私の心を刺し貫いています」
ルゥリアは胸に触れた。
「きっと思い通りにはいかない。きっと後悔する。そう思います。それでも、今の私に、後戻りする道はありません。だから、お願いします」
所長は書類に目を落としたまま、しばらく答えなかった。一度目を閉じ、数秒後に再び見開く。
「よし」
所長は書類をナイードに投げた。
「後の事はナイードと打ち合わせしろ。ナイード、要点を早く決めてこいつは無人タクシーで返せ。会計は俺持ちだ。ノランには迎え不要だと連絡を入れろ。以上」
「はい、あの……」
ナイードと共に部屋を出かけたルゥリアが、再び向き直った。
「考える時間をくださって、ありがとうございました。私、自分でも、面倒な人間……子供だとは分かっています。お手間を取らせてしまいますが」「おい」
彼女の言葉は、所長に遮られた。驚いて顔を上げたルゥリアに、所長は唇の端を下に押し曲げ、
「大人の面倒臭さを舐めるな。大人はな、歪んだプライドと後悔と卑屈さで出来た糞みたいなカクテルだ。俺など、お前の十倍は面倒だぞ。覚えておけ」
言った後、ふっと体から力を抜く。
それが彼流の慰めの言葉なのだと、今のルゥリアには何故か分かった。
その瞬間、彼女にとってのホイデンスが、冷たく攻撃的な知の怪物から、人との付き合いに不器用で孤独な思索を愛する……どこか自分と似たところのある人間に変わった。
「はい!」
ルゥリアは微笑んだ。
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