第3章 夏の特別合宿【3】

 しかしそうなってくると、俺の中に一つの疑問が浮かび上がって来る。それこそまさに、捻くれたような、揚げ足を取るような疑問だが。


「鷺崎さん、天地との関係が希薄というのなら、何でわざわざその天地の家の前なんかに居るんですか?その程度の関係の相手なら、こんな所で足なんて止める必要ないでしょうに」


 当たり前の疑問、いや、むしろ鷺崎の言っていることとやっていることが矛盾していたため、俺はその矛盾に異議を唱えただけだった。


 しかしその鷺崎はというと、相変わらずのヘラヘラ顏で、その天然パーマの黒髪をわしわしと掻き毟っていた。


「いやはや……さすがにこの程度の、辻褄つじつまの合わない言い訳じゃ欺けやしないか。思春期の男子なんて所詮、エロいことくらいしか考えれないほどの、そんなものだと思っていたけれど、岡崎君は存外、そんじょそこらの男子学生とは違うみたいだね。いやはや参った参った」


 エロいことばかり……というのは賛同しかねないが、しかしこの男、どうやら俺が捻くれ者だということを理解してくれたらしい。


 同じニオイを嗅ぎつけたようだ。


「だが岡崎君、僕は最初に言ったはずだ。僕が注目する人物に、キミがまるで納豆の糸ようにねばっこく絡んでくるとね?……あれ、少し違ったかな?まあいいや、僕は納豆と疑り深いヤツは大の苦手だからね。とにかく、天地さんは僕のピックアップ対象というわけだ」


 もっとも、と更に鷲崎はクックッと笑って見せる。


「僕と彼女に関係はほぼ無い。だけど僕が、一方的に目をつけているだけといったところかな?所謂、片思いってやつだよ。岡崎君キミはしたことあるかい片思い?」


「片思い……さあ、どうでしょうか?そんなようなものなら、したことあるかもしれません」


「そんなようなものなら……ねぇ。随分と余裕のある答えじゃないか。まるでそう、今はもう満たされているから、そんなことを考慮する余地も無いと言わんがばかりの、そんな発言だと僕には思えるんだけど」


「だから鷺崎さん、俺は最初からそう言ってるんですよ。俺の彼女に、アンタみたいな見ず知らずのオッサンが何の用があるんだってな」


 俺は鷺崎を、鋭い眼差しで見据える。


 随分と遠回りにはなってしまったが、ようやく鷺崎も俺がここに来た理由、そして俺が何故ここまで食らいついてくるのか、その理由を理解したようだった。


「はっはぁなるほどね!岡崎君こりゃ悪かった!僕はスキャンダル問題とか、その手の察しと嗅覚はバッチシなんだけど、その手のモノについては全くの無頓着なんだ。いやいや参った……まさか運命の糸は既に絡むどころか、結ばれちまっていたってわけか」

 

 ガッハッハッと愉快に笑って見せる鷺崎。


 男子学生が女子学生の家を訪ねる、その時点で察しはついて欲しかったものだが、どうやらそういう点での嗅覚は本当に乏しいようだ。


 週刊誌記者なのに。週刊誌記者のくせに。


「おっと勘違いするなよ岡崎君、週刊誌記者といっても僕は部門が違うからね。芸能人が浮気をしたりホテルに出入りしたとか、政治家が新幹線のグリーン車で手を繋いで乗っていたとか、そちら側の、惚れた腫れたが原因で起こったものを捉えるような、そんな部門じゃない。まあもっとも、僕ほど恋愛に疎い人間を、編集長がそっちの部門に配備するはずもないけどね。もしそんなやつがいたら、そいつは人の能も見抜けない、無能の管理職ってことになっちゃうんだけどね」


「……政治的スキャンダルですか?あなたの部門っていうのは」


「ご名答!といっても、一概に政治のスキャンダルだけとは言わないけどね。所謂、ルールに反したり、社会的に悪だと思われる行為をしたにも関わらず、のうのうと欺瞞を働いてる奴等の足を掬い取る。それが僕の専門としている部門なのさ。もういっそのこと、こう思ってもらってもいいかな、詐欺師が詐欺師を騙していると思ってもらってもね」


「詐欺師が、詐欺師を騙す……」


「ああそうさ。まあ別に、僕たちは人を騙してるわけじゃないんだけどさ。ただ、僕たちの仕事は事実を調べ上げて、そこに尾ひれ背びれを付けて世に放つのが仕事だから、人によっては詐欺師なんて呼ぶ人もいるんだよね。まあ、そんな呼び方する人たちは、大体僕たちのカモにされちまってるけどね」


「カモ……ねえ」


 ということは、もしかしたら神坂さんの父親もそのカモの一匹ということなのか。


 草場から、猟師に密かに猟銃で狙われているにも関わらず、水辺を泳ぎ続ける一匹のカモだと。


「じゃあなんですか、天地もそのカモだって言うんですか?」


 俺が鷺崎を睨みつけると、鷺崎はまるで、百年の恋も冷めたかのような、そんなガッカリ感をもろに表情と態度と言動に出してきた。


「はあ……岡崎君、そうは言ってないだろ?君は確かに、そんじょそこらのヤツよりかは聞き分けは良いみたいだけど、好きな女のことになると、どうやら盲目になっちゃってるみたいだね」


「盲目?」


「そう。僕は言っただろう?彼女には記者として狙う価値は皆無だって。それに本当に、僕はただ寄っただけなんだよ。そうだな……具体的に言うならば、昔よく通っていた定食屋さんがあって、数年間そこに行かなくなっちゃって、ある日ふと思い出して行ってみたら『あっ、まだこの店やってるんだ』ってことがあるだろ?それと同じだよ」


「……なるほど」


「ふう……まったく、この仕事をしてると本当に人に疑われっ放しだ。損な役割だよ本当に」


 やれやれと、首を横に振る鷺崎。


 まあ、疑われるのもやぶさかではないだろう。そういう職業柄なんだろうからな。


 しかしまあ、ちゃんとした服装の記者ならまだしも、この男の場合、もし週刊誌の記者でなくとも職務質問を受けてしまうような、そんな人に怪しまれそうな、だらしない恰好をしているもんだから、余計怪しまれるのだろうけれど。


「おっともうこんな時間か……それじゃあ岡崎君、僕は次の用事があるからそろそろおいとまさせてもらうよ。週刊誌の記者っていうのは、意外に多忙だからね。それに一分一秒を争うような、そんな仕事でもあるのさ」


 時計を確認し、まずいまずいと焦りつつも、よく喋る記者だ。


 こんなお喋り好きでも、秘密主義であるはずの記者なんてものが務まるのが不思議だな。

 

「それじゃあ岡崎君、また会ったら是非声を掛けておくれよ。こう見えて僕、お喋りが大好きなんだけど、それを聞いてくれるお友達がいなくてね。いやはや……久々に色々と話せて、フラストレーションが解消されたよ、ありがとう!」


 そう言い残して、鷺崎は声高らかに、快活に、ご機嫌に、その場を去って行った。


 俺はその直後、どっと溜息を吐いて、肩の力が抜けていった。


 なんだこの疲労感は……対話するだけでここまで人を疲れさせるなんて、ある意味才能だ。エナジードレインでも使えるのかあのオッサンは?


 まあ兎にも角にも、こういうのもなんだが、余計なお邪魔虫は追い払えたといったところだな。


 しかし、鷺崎は天地との関係性について、極めて希薄だというようなことを言っていたが、その逆を返すと、希薄ながらも何かしらの関係性があったということなのだろう。


 それがいつ、どのタイミングでの出来事なのかは不明であるが、しかし、何故天地が週刊誌の記者に接近するような、そんなことが起こり得るキッカケとは何だったのか、その点は気になるところであった。


 まあ取り敢えず、俺はこれから、天地との夏休みの課題を消化するための合宿をするわけだが、始まる前からこんなに体力を消耗してしまって、果たして課題なんかにまともに手が付くだろかという、一抹の不安が頭をよぎる。


 しかし、もう天地の家の真ん前まで来てしまっているわけで、今更引き返すことなど出来ないわけで(というより、引き返した後が恐いので)俺は天地の家の敷地内にクロスバイクを駐輪し、そして覚悟を決めて、玄関の扉をノックしたのだった。 

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