第3部 欺いた青春篇
プロローグ
プロローグ
すっかりと、昼も夜も蒸し暑くなってきた、七月下旬。
従来、寝巻用に使っている長袖スウェットなど、暑くて着ていられるわけも無く、半袖半ズボンの姿のまま、タオルケットを被って寝ていた俺なのだったが、普段目覚まし時計に起こされるところを、今日に限り、ある一通の電話で叩き起こされる事になった。
午前五時ちょっと過ぎ、こんな時間に起きるのはよっぽど早起きな人間か、老人か、山寺で修業に勤しんでいるお坊さんくらいで、俺のように、いつもは七時まで寝ているグータラ学生にとっては、とても辛い所業であり、仏の顔も三度までというが、三度程度では怒らない、そんなおそらく寛大だろう俺の心をも不機嫌にさせてしまうような、そんな酷な行為ではあった。
当たり前だ、こんな朝っぱらから電話を掛けてくるやつに、ロクな奴がいてたまるかと、内心ご立腹になりながらも、俺はベッドから少し離れたテーブルに置いてあるスマートフォンを取る為に、タオルケットを払い除けて、起き上がる。
しかしそんなおかんむりの、へそ曲がりの俺だったのだが、スマートフォンに表示されている名前を見て、瞬時にその背筋は真っ直ぐに伸び上がった。
そこに表示されている名前は、神坂和澄。
彼女から電話がかかってきたのは、五月のゴールデンウィーク初日、天地を空港まで追いかけたあの日以来だった。
確かあの日も朝にかかってきたと思うが、こんなに早朝ではなかったな。
とりあえず神坂さんの電話ならば、例え早朝だろうと深夜だろうと受けざるを得ない。
俺はスマートフォンを手に取り、気を取り直して、応答と表示されているマークにタッチした。
「はい、もしもし」
「あっ、おはようございます、こんな朝早くにごめんね岡崎君」
「おはようございます、いやいや、別に気にしてないです……じゃなくて、気にしてないよ」
言いそうになって、瞬時に思い出した。そういえば神坂さんに俺は、敬語禁止令を出されていたことを。
あれから直接会う時は、神坂さんに対して敬語で話すことは少なくはなってきたのだが、電話はその禁止令が出される前以来だったので、ついつい出てしまいそうになる。
クセづいてるというか、意識しない内に出てきそうになるので、意図的に気をつけねばならんな。
「実はちょっと、岡崎君にお願いしたいことがあって……」
「お願いですか……ええ、神坂さんの頼みなら!」
神坂さんの願望であれば、例え日の中水の中、世界に散らばった七つのボール集めだろうが、仏の御石、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮、龍の首の珠、燕の子安貝そのどれであろうと、或いは、全てであろうと全力でもぎ取って来るだろうさ。
しかし、神坂さんの頼み事は、そんなファンタジックなものではなく、もっと現実的な、だけど俺にとっては夢のような、そんな頼み事だった。
「今日の放課後、わたしを家まで送ってくれないかな?」
「……えっ?い……家って、神坂さんの?」
「うん……徳永君は生徒会の用事があるみたいで、頼めるのが岡崎君だけだったから……」
そういえば徳永のやつ、確か生徒会に入ったとか言ってたな。何かの副委員長になったとか、ならなかったとか……。
まあその事に関しては、俺にとってはどうでもいい話なのだが。
しかし神坂さんを家まで送る……別に構いはしない、いや、むしろウェルカムだった。
「モチロンオッケーだよ!じゃあ放課後、三組の教室で」
「うん……ありがとう岡崎君……」
そして、通話は切れた。
この時の俺は、スマートフォンを握り締めて、ガッツポーズを天井に向けて掲げているほどに浮かれていたのだが、しかし後から考えてみると、この電話の内容には妙な点が二つあった。
まず一つ目は、何故こんな時間に神坂さんが電話をしてきたのかということ。
昨日徳永から生徒会の用事があるという事を聞いていたのなら、昨日の夜の段階で俺に連絡をくれればよかったものの、何故この早朝に連絡をいれてきたのか。
そして二つ目は、そもそも何故、送ってもらう人が必要なのかという点だった。
別に誰かに送ってもらわずとも、一人で家に帰ることくらい、小学生でも出来る事だろう。
それに俺と神坂さんの帰る方向は真逆であり、俺が神坂さんを送るとなるならば、遥かに遠回りをして家に帰らねばならなくなる。
その事については多分、神坂さんも認知していると思うのだが、それでもあえて、俺に頼む必要性とは何なのだろうか。
しかしこの時の俺は、これらの疑問にすら気がついていない。何故なら、浮かれていたから。
浮かれて、地に足がついてない。
だから引っ張られたんだ、しっかりと地面に足を着けていないが故に、巻き込まれたのだ。
この欺瞞に満ちた、青春の物語に。
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