第2話 レイニーデイズ
第2話 レイニーデイズ【1】
俺の住んでいる地方上空はすっかりと梅雨前線が横たわり、雨の日の続く嫌な季節になった六月十八日。
この日は全国的に父の日という、父親に感謝を告げる為の、言ってしまえば母の日の対抗イベントみたいな、バレンタインデーに対するホワイトデーみたいな、そんな感じの日だったのだ。
しかし俺からしてみれば、バレンタインデーもホワイトデーも、母の日も父の日も、ハロウィンやクリスマスなんかも、全部同じように思えて仕方がない。企業の方々が売り上げを獲得する為、知恵を絞り、宣伝し、まるでそのイベントがあたかも行われている事が、当たり前であるように消費者に向けて定着させてきた、計画的催眠にしか思えないのだ。
まあこんな考え、俺くらいの捻くれ者でないと思いつきもしないだろうから、踊らせている側も、踊らされている側も気づきもしない事なのかもしれないけれど、俺は本日この日を、そんな偏見溢れた見方で迎えていた。
家から出て、電車に乗って僅か数分の場所。地方都市の繁華街に俺は来ていた。
何故こんな日にこんな場所にいるのかというと、俺もまた、踊る為にここに居たというわけだ。
「父の日って言われても、何を買えばいいのかさっぱり分からん……」
俺は弟の
母の日にはカーネーションという、代表的アイテムが存在する為、比較的楽に済ませ、お茶を濁す事が可能なのだが、父の日となると何なんだ?この時期だと紫陽花だから、紫陽花でもプレゼントすればいいのだろうか?
しかし紫陽花をプレゼントしている父の日の映像を、光景を俺は一度たりとも見た事が無い。という事はやはり違うのだろう。ミスマッチというか、世の中的に季節の花を贈ればいいっていうような、そういう解釈ではないのだろう父の日とは。
一体日々の感謝を伝える為に、父親に何を渡せばいいのだろうか……。
「あらまあ、紳士貴婦人の多いこの繁華街に貧相な人間が、幸薄そうな顔で彷徨ってると思ったら岡崎君じゃないの」
知っている声、知っている罵倒、知っている姿がそこには見えた。というかそれは、
勿論、今日は日曜日である為、天地は制服ではなく私服であった。四月に見た時の私服とは異なり、黄色いシャツに水色のフレアスカートとあの時とは対照的な、かつてのあの服装が艶めかしいと表現するならば、今回のは清楚でラフな服装をしていた。
「随分な挨拶だなそりゃ……そんなに幸薄そうな顔してたか」
「幸薄いというか、思い悩んだような顔をしていたわ」
じゃあ最初からそう言えよ、と言いたいところだが、天地の毒舌はいわば、俺に対しては口癖のようなものだ……どえらい迷惑な口癖だな、本当に。
「もしかして迷子になったとか?」
「そんなガキじゃあるまいし……」
「人生の迷子とか?」
「それはここで解決出来る問題なのかっ!?」
そんな奴、繁華街でうろうろしている暇があったらさっさと相談所とかそんな場所に行けよ。街の占い師に相談したって、どうせロクな解答は返って来ないだろうからな。
まあしかし、悩んでいるという点では、俺も迷子という分類には入ってしまうのかもしれない。迷っているというのは、間違いでは無いのだから。
しかしこの悩みを、こんな贅沢な悩みを、天地にしていいものなのか。もっとも、天地には不可能な上、考えた事も無いだろう悩みだからな。
「まあなんだ、買い物だ。何を買えばいいのか分からなくてな」
「買い物は知ってるわ。むしろ買い物以外で繁華街を歩いてるなんて、そいつはきっと女の子のラッキーショットなんか狙ってる奴なのよ」
「ラッキーショットってなんだよ」
「具体的に言うなら、ラッキーパンチラ」
「具体的過ぎるわっ!」
しかも街でパンチラを狙うって、そいつの思考回路は千九百五十年代製なのか?七年目の浮気に影響され過ぎだろ。現代の街に、下の通気口から突風なんて吹いてこないし、そもそも現代女性は風なんかで簡単に捲れるようなスカートを穿いちゃいない。ちょっと残念だけど。
「じゃあ訊き方を訂正するわ、一体何の目的で、何をする為に買い物をしているの?」
「かなり掘り下げたとこまで訊いてきたな……まあいいか、この程度でお前、別に何も思わないだろうし」
「お前?わたしに関係あるの?」
「う~ん……関係があるというか、お前には禁句かなって」
「はあなるほど、父の日ね」
今の言葉の羅列で伝わったのがむしろすごいのか、それともここまで言ってしまえば誰だって分かってしまうのか、そのどっちでもあるような気がしたが、天地はどうやら理解出来たみたいだった。
「そう、お前父親とは絶縁状態だろ?だからこういうのをお前に言うのって、少し気が引けちゃってさ」
「いらない気遣いよ、いや、むしろありがた迷惑とも言うわ岡崎君」
それってほぼ同じ意味なんじゃ……と思ったが多分、同じ意味の言葉を反復して、総合して、そういう事をされるとむしろ不満であると、俺に言いたかったのだろうここは。
「父親と絶縁してはや五年、その間に四回父の日が来てるんだから、とっくに耐性は出来ているのよ。いや、わたしの場合は父の日だけじゃないけど」
「あっ……」
天地にとっては父の日だけじゃない、母もいないから母の日も、周りに人が居ないからクリスマスもハロウィンも、友達も恋する人間もいなかったからバレンタインデーもホワイトデーも関係無かった。
それが本当の意味での、天涯孤独なのだから。
「スマンその……配慮が足りてなかった」
「だからそれがいらない気遣いなのよ岡崎君。それにあの時と今のわたしは違う……今は友達だって、そして岡崎君という大切な人もいるんだし、だからむしろ、そういう事には積極的に首を突っ込んで行こうと思ってるほどなのよ」
「そうか……分かった!今後はそういうのは無しでやるよ」
「じゃあとりあえず今回の分、罰金千円ね?」
「いつもいつも、後付けで罰金取ろうとするんじゃねえっ!!」
と言いながらも、俺は罰金である千円を財布から取りだし、天地に手渡す。謝礼といったところか。
それにさっき、天地は俺の事を大切な人って言ってくれたし、それは千円以上の価値には該当するだろう。だからこの千円を手渡す事なんざ、安いもんなんだ……きっとな。
「とりあえず全ての情報を加味するに、岡崎君は父の日の買い物をしていて、一体父親に感謝を伝えるとしたらどんな物を買えばいいのか、それが分からなくて悩んでいた、という事ね?」
「まあ
「ふうむ……母の日ならカーネーションとか、定番があるから考えるのが楽なんだけどね」
それはさっき、俺も考えていた事だ。
「そうね……カーネーションにちなんで、六月だから紫陽花を贈るなんてのは」
それはさっき、俺が思いついて即座に廃案にしたものだ!
「なによ岡崎君、わたしを見透かしたみたいな言いざまね、女子高生の頭の中まで網羅してるなんて、まさに変態のガイドブックね」
「どんな世界に案内しようとしてるんだそれはっ!」
割と気になる世界ではあるが……いやいやそうじゃない!そもそも、俺の軽薄で、軽率な考えをそのままコピーしたかのように言ってのけた、天地の方こそ俺の頭の中を見透かしてるようなもんじゃないか。
いや、それとももしかして、こういう贈り物とかお祝い事とか、そういう事に対して、俺と天地の発想力は似ているのだろうか?
「それは違うわ、わたしは経験が無いだけ、あなたは無頓着なだけ。経験値が不足してるからそこまでの考えに至らないのと、経験があるのに無頓着な故、それを積もうとせず棒に振ってるのとではワケが違うのよ」
「…………」
言い訳のしようが無い程、的確なダメ出しを受けた。傷つく間もなく、完膚なきまでに言い込められたような、そんな感じだ。
「まあいいわ、これも何かの縁なのかもしれないし、それにさっき、わたし自身がそういう事には今後、積極的に首を突っ込んでいくなんて発言しちゃったんだし、父の日のプレゼント探し、付き合ってあげるわよ」
「何かそれ、嫌々ながら付き合ってやろうって感じだよな……」
「そう……だったら、わたしの経験値稼ぎの為に、どうかその御腰に着けた吉備団子、全部わたしに寄越しなさいな。さすれば御供いたしましょう」
「どんだけ貪欲なんだその御供はっ!!」
犬、猿、キジがどれだけ謙虚なのかがよく分かる発言だ。いや、失言とも言っていいだろう。それともその御供は、その三役を跳躍する程の力を兼ね備えてるとでも言うのか。だったらそれは、ただの傲慢だ。
「やれやれ……どうせ拒否したって、着いて来るんだろ?」
「モチのロンよ」
ロンは分かるが、モチって何だよ。麻雀にそんな言葉あったか?
まあいい、どうせ一人で繁華街を歩いていたって、ロクな考えに至らないだろう事は、なにしろ、俺自身が最もよく分かっている事だ。
それにこんな強引で、唐突なデートも、存外、俺は嫌いじゃ無かったからな。
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