第4章 一人ぼっちの女の子【7】

「だから論文にしたいとか言ってたのか。気づいたからそんな事を」


「ええそうよ。だってみんなが当たり前だと思っている事を、別の観点から見れる人間なんて稀よ?それがわたしには出来るんだから、せっかくだったらって思いついたのよ」


 でも……でもそれって……こういう事なんじゃないのか天地。


「……確かにそんな人間は稀かもしれん……俺にはそんな発想、例え怪人から脳改造手術を受けたとしても出てこないと思うしな。でも天地……それは、あまりにも自嘲的なんじゃないのか?自分が天涯孤独だという事を民衆に晒すという、自虐なんじゃ……」


「言わないで……わたしだってとっくに気づいてるから……」


「そうか……ゴメン」


 やはり気づいた上で言っていたのか。今までは俺に罵倒だなんだをやってると言っていたが、あんなもの、それに比べると冗談程度の事だったんだな。


 天地が最も辛辣に扱い、最も罵倒してる相手。それは自分だったという事だ。


「さて……そろそろ夕暮れも深まってきたし、お開きにしましょ」


 気づけば、朱色だった空は黒ずんだ夜天へと変わりつつあった。いつの間にかそんなに時間が経っていたのか……。


「あなたと最後にこうして話が出来て良かったわ。それじゃあ……」


 天地は直後、俺の左手を強く握ってきた。これまで幾つかイタズラを仕掛けたり、話したりする機会はあったが、天地が俺に触れてきたのはこれが初めてだった。


「さようなら、岡崎君」


 薄い笑みを浮かべて天地はそう言うと、俺の手を離し、いつも通り先に屋上を後にしようとした。


「……天地っ!」


 俺はその時何も考えずに、反射的に天地を引き止めた。引き止めたのだが……咄嗟の事だったため、続く言葉が見当たらない。


 何か……何か俺は天地に伝える事があるはずだ……言え……言うんだ俺っ!


「その……なんだ、お前のお蔭で楽しかったよ。それから……」


 そう、それから。


「それから…………もっと自分の事は大切にしろよ」


「……ええ、こう見えてもわたし、割と自分は好きだから」


 天地は俺の方へ振り返らずに答えると、屋上を下る階段へと消えて行った。


 天地は、天地自身の事全てを俺に教えてくれた。それに対して、俺は何一つ天地に本当の気持ちを伝える事が出来ず、そして正念場で……へたれた。


 天地には……海外に行って欲しくなんかない。俺と一緒に……三年間共に居て欲しかった。それが本音だ。


 だが、俺にそんな事を言う資格があるとは到底思えなかった。俺は天地のクラスメイトであり、友達であり……それ以外の何でもない。


 天地自身が決めた事を引き留める権利など……俺は最初から持ち合わせていなかったのだ。


「クソ……」


 俺は一人、屋上で頭を抱えていた。後悔は空をどんどん浸食していく暗闇の様に、さらに俺の中で膨らんでいく。


 そして……この後悔こそがようやく、俺を自分の気持ちに真正面から向き合わせたのだ。


 俺にとって天地魔白とは……ある強い感情を注ぐ、その対象であったのだ。


 それはあいつが俺に求めていた怒りではない。怒りとは真逆の方向で、強く人を動かすその感情……そして、捻くれ者の俺が最も表現するのが苦手な感情だ。


 そう……俺は天地に特別な感情を……いや、もう誤魔化すのはよそう。俺は結局、天地の事が好きだったんだ。


 しかしそれに気づいたのは今この瞬間。天地はもう、ここには居ない。だから俺は後悔したのだ。


 全てが後の祭りだと……。


 しばらくこの屋上で塞ぎ込みたい気持ちだったが、ここは生徒の立ち入りが通常禁止されている場所だったので、教師にばれてしまう前に、腰を上げ、鞄を背負って立ち退く事とした。


 多分……この場所にはもう二度と足を踏み入る事は無いだろう。立ち入り禁止であるというのもそうなのだが、ここに来る度に思い出してしまいそうだからな。


 今日という、人生で最も後悔しただろうこの日を。

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