第4章 一人ぼっちの女の子【4】

 気づけば夕方、放課後になっていた。赤みがかった夕日が窓から見えるし、クラスメイト達がこぞって下校をしていたので間違いないだろう。


 隣の座席にはもう人はいない。天地は最後のホームルームが終わるや否や、即刻教室を出て行った。どうせ向かう場所は同じなのだから、一緒に行けばいいのに……と思うのは野暮なのだろうか?


 今回もそうだが、弁当に誘われた時も、そしてイタズラを仕掛けた時も、アイツはいつも俺を待っている。決して後からは行かないし、一緒にも行かない。これには何か意味があるのだろうか……。


 まあいい、そんな事よりももっと、アイツからは根掘り葉掘り訊かなければならない事が盛り沢山だからな。


 朝の時のメランコリーな気分も、放課後になると幾分かマシになっており、とりあえず尻に着いた白い粉を叩き落とす程度には正気に戻っていた。まあ、それでもまだ白かったからもう諦めて、素直にクリーニングに出す決意を固めたんだけどな。


 しかし制服をクリーニングに出す決意は簡単に固まったものの、俺自身が抱く天地への思いの丈というものは未だ分からずにいた。いたのだが、今は行かねばなるまい屋上へ。


 俺は通学鞄を背負い込むと、一年教室の並ぶ二階の廊下を歩き、上級生が下校をする為に階段を下っている中、俺だけがそれに逆らうように上って行った。


 そして四階の三年教室の並ぶ階層まで辿り着き、俺は人が居なくなるのを見計らって、屋上への階段を他の生徒に見つからない様に瞬く間に上って行った。


 屋上の扉は少しだけ開いており、そこからは外の夕日の光が微かながらに漏れだしていた。そしてそれは同時に、天地がそこに居るという目印でもあった。普通屋上は生徒の立ち入りが禁じられているので、ピタリとその扉は閉まっているだろうからな。


 屋上の扉を潜り、俺は屋上へと到達する。屋上はこの前昼に来た時の蒼天ではなく、夕日が差し込み、空は幻想的にも思える程一面が赤く染まった、緋色の空となっていた。


「待っていたわ岡崎君、随分と時間がかかったわね?」


 声が聞こえたのは先日、共に弁当を食べた場所。その時と同じ様に、天地はそこに腰掛けていた。


「あぁ……屋上に行く姿をあまり他の生徒に見られたくなかったもんでな。人通りが少なくなるのを見計らうのに時間がかかった」


「そう……慎重なのはいいけど、時には大胆さも必要よ?」


「大胆さ……ねぇ」


 何だか今、俺が最も欲しいものを直球で言い当てられた様な気がする。妙な所で勘が鋭いのは相変わらずだな。


「さて、ダラダラ話しても時間を無駄に消耗するだけだわ。簡潔に言いましょう」


 天地の顏は、今まで見たものの中でも最上位ととれるくらいの真剣な、引き締まった表情をしていた。それを見て、俺の背筋も自然と伸びる。


「あなたがどこでその噂を聞いたのか知らないけど、岡崎君にも、そしてクラスの皆にも黙っていたけど、わたしはある大きな企業の一人娘なの。多分名前を言えば誰だって分かる様な場所よ」


「……天地電産だろ」


 俺は即座に答えた。知っていた事だし、別に黙っておくような事でも無かったからな。だが、俺が答えた事によって天地は驚く事も無く、むしろ興醒めした様な表情で俺を見てきた。


「なんだそれも知ってたの……案外情報通なのねあなた」


 情報通なのは俺じゃない。俺の友人、徳永だ。俺はそういうのにはかなり疎い分類に入る人間だからな。


「やっぱり完全に隠しきるって事は出来ないわね……どこか糸がほつれて完全犯罪が成り立たない様に、秘密を隠しきるっていうのもまた同義の事なのでしょうね」


 はぁ……と溜息を吐く天地。まあ、完全犯罪も言わば超極悪な秘密事みたいなものだからな。同義だそりゃ。


「その点だと、海外進出の事も知ってるって感じよね?だからわたしが海外へ行くという事も」


 俺は一度だけ首を縦に振った。ちなみに言うなれば、外国のどこに行くのかも、そして天地電産がそこでどんな事業を展開するのかも知っていた。


「何よ全部対策済みじゃない。まるでプレーヤーに攻略本を読まれながらあっけなく倒されていく、RPGの魔王の様な気持ちだわ」


 そりゃあさぞかし可哀想なプレーヤーだな。そいつの前で試行錯誤という言葉を再三再四に渡って教えてあげたいものだ。


「……よかったら俺から質問していいか?」


 いつもは仕掛けられる側の俺なのだが、今回だけはどうやら仕掛ける側に徹した方が話がスムーズにいく様な予感がしたので、一応質疑応答の許可を得ようと天地に尋ねる。


「ええ、構わないわよ。ただし、くだらない質問をしたら即刻会見は打ち切り、その後何故その質問をしたのか明確な理由が出てくるまで問い質すからそのつもりで」


 どうやら承認を得る事は出来たみたいだが、やれやれ、手厳しい条件付きだ。もしコイツが今後、天地電産を引き継いで記者会見をする事になったら、そりゃあさぞかしピリピリした会見会場になりそうだな。ちょっと怖いもの見たさで見てみたい気がするが。


 と、そんな他人事の様に言っている場合ではないな。今は俺が試されているのだから、何か良い質問をしなければ……そうだな。


「お前、父親とは仲が良いのか?」


「……初っ端の質問にしては意味不明な質問ね。どういう事かしら?」


「中学校の頃、一ヶ月に三回程しか学校に来なかったんだろ?それってつまり、多忙な父親に着いて行って回ってたって事なんじゃないのか?」


「なるほど、そういう発想からの質問って事ね。岡崎君にしてはなかなか捻くれた見方の質問で嫌いじゃないわ」


 それ喜んでいいのか?……まあいい、良い意味って事で受け取っておこう。


「そうね、イエスかノーかで答えると、答えはノーね。むしろ父親とは絶縁状態だったわ。今もそうだけど」


「えっ……そ、そうなのか!?でもじゃああの入学式の時の花環は……?」


「あぁ、あれはわたしがこの高校へ入学する事を会社の役員共が知って、わたしをダシに学校関係者と繋がりを築く為に勝手に送ってきたものよ。目障りだったからぶっ壊しても良かったけど、さすがに花環が丸ごと無くなるのは怪しまれると思ったから、立札だけわたしが入学式前日にすり替えさせて貰ったわ」


 そういえば徳永が、あの小さな立札にすり替えたのは天地だと推理していたな……認めたくないものだが、どうやらアイツの仮説は正しかったようだ。本当に、何でこういう事が分かるんだろうなアイツは。


 さて徳永の事はさておき、天地は更にその後、茜色の空を見つめながら、何故そのような経緯いきさつになったのかを俺に教えてくれた。


「わたしが何故中学の頃学校へ行かなかったのか……確かに父親に着いて回っていたというのはその通りで、だけどそれは、普通に父親の仕事に付き添っていたというわけじゃなく、わたしにはある明確な理由があったわ」


「明確な理由?」


「天地電産そのものを乗っ取る、それが理由よ」


「んなっ!!?あ……天地電産を……乗っ取るだと!!!」


 そのぶっ飛んだ、衝撃的過ぎる理由に、俺は大口を開けたまま固まってしまう。その時の俺の顔は、大そうなアホ面をしていたのだろうが、天地はそんな俺の表情に目もくれず、紅色の天穹を見つめたまま続ける。


「あの会社を乗っ取る為には、その頂点に立っている父親のやっている事全てを理解する必要性があったのよ。だからわたしは父親の行くところへは必ず、誘われても無いのに一人で向かっていたわ。幸い、着いて回っても、一応は肉親だから怪しまれる事は無かったわね」


「ちょ……ちょっと待ってくれ!そもそも何故父親と絶縁状態であるとはいえ、お前が会社を乗っ取ろうだなんて画策しているのか、そこが俺には分からん!!」


 むしろ絶縁するくらいの間柄だったら、父親の会社とは一切関わろうともしないはず。それが通常の思考パターンじゃないのか?


「岡崎君の言う通り、普通なら皆そうするのでしょうね。でもあの会社を父親から奪う事で、わたしの復讐は成立する……だからこそ、あの会社を乗っ取る必要があるのよ……」


 それから天地はその後淡々と、俺に全てを語ってくれた。家族の事、父親との決別のワケ、そして天地電産を乗っ取るその理由。それら全てを。


 それは多分、人間的には愛の告白なんかよりも、もっと赤裸々な告白。言葉で着飾る事の無い、自分自身を本当の意味で曝け出した告白だった。

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