第88話 厄災のお散歩

 その日、ハイアード王国の王城をぐるりと水の壁が取り囲んだ。


 昼下がりの事である。

 小高い崖上に築かれたハイアードの王城の裾野、崖下の城下町は昼食の前後ということもあって、どこか気怠い穏やかな空気に包まれていた。早上がりで仕事を終えた男達が軒下で気勢をあげ、女房らしい女に叱られている。

 

「良い街だけど・・」


 俺はアンコと一緒に、市街地を巡り歩いていた。


(スラム街は酷かったな・・花街も・・地面下の汚水管が壊れてるだろ)


 下町の悪臭は不衛生にしている住人の体臭やゴミ、路上へ撒かれた屎尿ばかりでなく、地面の下から立ちのぼっていた。


 スラム街など下水が整備されていない街が多い中、ここは設備はあるのに、どこかで詰まったか破損したかで機能していない。


 今歩いているのは、どちらかと言えば中流階層が住み暮らす地区なのだろう。

 臭いはさほど気にならないが、生活ぶりはあまりよく無さそうだ。人の表情に余裕が無く、先ほどの女房の怒鳴りっぷりも鬼気迫る感じがあった。夫婦のじゃれ合いのレベルを超えてしまっている。


(シーゼルは魔界でも有数のお金持ち国家だって言ってたけどなぁ・・)


 それにしても、市場のような場所が見当たらない。

 ちょっと買い食いとかしてみたかったんだが・・。


 路地にあるのかと思い、ちょろちょろと覗いてみるが、裏通りに行ってみても、それらしい場所は無かった。人に訊いてみたら、なんと大通りの先、貴族街の入り口付近にある広場にあるらしく、市場に入るために役人にお金を払う必要があるのだという。

 なので、数家族で買い物役を1人決めて必要な物を買ってくるという話だった。

 

 城の周りに水の壁が出来たと騒ぎになり始めた大通りを歩きながら、俺はハイアードの壊し方を考えていた。

 考えていたんだけども・・まあ、これといって思い付かなかった。


(俺に、妙案無し!)


 なんだか、きっぱりと男らしくって格好いいじゃん?


「陛下・・」


 不意に呼ばれて顔を向けると、連絡役の闇妖精が路地にひっそりと立っていた。


「どう?」


「宣戦布告の後、宰相閣下からご依頼の方々は全て避難致しました。ルーキス商会の者達も同様、こちらの街区へ待避済みです」


「ご苦労さん。じゃあ、ちょっと城を潰して来るんで、シーゼルに現状の報告をしておいて」


「はっ!」


 短い返事と共に、闇妖精のすらりとした影が消え失せる。


 と、思う間もなく


「陛下」


 次の人影が現れた。


「どした?」


「第一皇妃殿下より、暗殺教団の219支部、4057拠点を狙撃、破壊に成功した旨をお伝えするよう申しつかりました」


「・・・速いなぁ、さっすがヨミさん」


 俺がハイアードの町中をうろうろしている間に・・うちのお嫁さんは働き者だねぇ。


「現在、ローリン老師以下、我等の手勢で生存者を掃討中であります」


「うん、派手にやって。うちに喧嘩売るとどうなるか、魔界中に知らしめないといけないから」


「はっ」


 ふわりと消えて行った闇妖精を横目に、俺は水壁で囲んだハイアード王城を眺めた。

 

 先ほどから、内側で小さな火球が飛び交っている。

 水壁めがけて火魔法を撃っているらしい。

 

(厚さ100メートルの水流の壁ですよぉ?どうするんですかねぇ?)


 時速にして300キロメートル近い速度で流れる水の壁だ。おまけに、内側50メートルは時計回り、外側50メートルは反時計回り。突破は簡単じゃ無いですよ?

 

 ハシゴのような物を突き出したり、石造りの箱っぽい何かをぶつけたりと色々やっていたが、すべて粉々にひしゃげて元の木阿弥である。


 火球は魔術師だろうか。

 以前に、クロニクスを攻めて来た龍族のように、上を飛び越えようとする飛影もあったようだが、水壁から生え伸びる水蔦、さらには水の弾丸によって原形を失って墜落していった。


「うははは、無駄、無駄、無駄ぁぁぁーー!」


 俺は高笑いをしながら、アンコを小脇に、水壁を跳び越えて王城へと続く坂道へ降り立った。ちら・・と振り返ると、城兵達が攻城兵器らしき物を並べて、水の壁を相手に頑張っている。みんな、水壁に気を取られていて、俺の方は見てくれていなかった。


「・・・なんか悔しいから、もう一枚、追加しちゃおう」


 俺は、さらなる水壁を俺と兵士達の間に出現させた。

 これで、兵士達は城へ戻る事も、水壁を突破して城下町へ行く事も出来ないまま立ち往生である。


『オヤブン アタマイイ』


「むふふ、当然なのだよ、アンコ君。俺は全世界の皇帝なのだから」


『アンコモ コウテイト ヨブ?』


「いや、親分の方が良い。アンコだけは特別に親分と呼ぶ事を許可しよう」


『ハイ オヤブン』


 俺に抱えられたまま、黒い球がピカピカと明滅した。


「では、アンコ君、手はず通りに城へ潜入して、めぼしい物は全部頂いちゃいなさい」


『アイアイサー』


 元気よく返事をして、黒い球が影へと潜って消える。


「さて・・ようやくか」


 王城へと続く坂道を、土煙をあげる一団が駆け下って来ていた。

 しっかりと俺を見付けているらしく、集団の先頭に居る大柄な騎兵が剣を差し向けながら何やら怒鳴っていた。


「ぬふふ、肉体の圧倒的な性能差というものを教えてやろう」


 俺は、ニンマリと笑みを浮かべつつ前傾姿勢をとった。

 そのまま両手を肩幅ほどに拡げて地面について、膝を屈伸、お尻を高く持ち上げる。


 そのまま、蛇行する王城への道を曲がって殺到してくる一団が正面に来るのを待つ。


「位置に着いてぇ・・よぅぅぅ~いぃぃ・・」


 正面、約200メートルに集団が現れた。


「・・っドンッ!」


 蹴ったのは地面じゃなく大気である。

 ほぼ直後に、俺は集団の中央を通過して坂の上まで到達していた。


「ふっ・・魔界記録じゃね?」


 瞬間移動ができる魔法があるので、あまり駆け足に意味は無いが・・。

 やや遅れて、重々しい雷鳴のような轟音が鳴り響き、俺が通過してきた一帯が衝撃波で薙ぎ倒されて散って行った。


「法円展開っ・・」


 俺は地面を踏みつけた。踵を中心にして淡く輝く魔法陣が拡がって行く。


「召喚っ・・荒ぶる女帝」


 魔法陣の上空遙かに暴風が渦巻いて、どことなく女性を思わせる姿を形作る。


「外に出て来ないし・・まずは、容れ物からいこうかね。アンコ、避けとけよ」


『アイアイサー』


 足元の影から、半球だけ出してアンコが返事をした。


「ようし・・発動っ、荒ぶる平手打ちコンデムストライクぃぃーーー!」


 俺の号令一下、暴風の女帝から風の渦が振り回されてハイアードの王城へと打ちつけられて行った。

 心地よい軽快な破砕音が鳴って、石も金蔵も何もかもが細切れに引き千切れて宙へと舞って散乱した。地表には、実に鮮やかな切り口が残っている。


「続いてぇぇ・・・発動っ、執拗なる踏みつけヒステリックスタンプぇぇーーー!」


 今度は上から下へ、風の渦が貫き圧し潰す。何度も何度も、地響きを立てて王城跡が踏みつぶされて行った。


 俺は軽く手を振って、荒ぶる風の女帝を帰還させた。


「召喚っ・・黒の狩猟蜂イビルイェーガーっ!」


 呼び掛けに応じて、光る魔法陣から拳大の漆黒のスズメバチが群れを成して溢れ出して来た。


「皇帝が命じる!生きとし生けるもの、すべてを捜し出して連れて来い!」


 高らかに号令すると、漆黒の蜂達が羽音も勇ましく王城跡めがけて殺到して行った。

 

(よっぽど運が良くないと・・生きていないだろうけど)


 俺は大きく伸びをすると、あわあわと欠伸を漏らした。

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