第41話 移住の仕方

 ミニール砦町の南に流れている川が、人が生きて行けるギリギリの限界線だとされていた。川を越えた土地以南に広がる広大な樹海は、魔物の森と呼ばれて畏れられる暗黒地帯である。


 火薬と鉄器が失われ、原始的な武器での戦いを強いられる新世界では、岩のような肌、分厚い獣皮などをもった魔物は、ただそれだけで脅威となる。矢は徹らず、剣も突く事でしか効果が無い。しかも、上手く剣先が突き徹ったとしても、それは小さな傷でしかなく、いたずらに魔物を刺激するだけだった。武器の花形となったのは、長槍と強弩、そして魔法だ。


 離れた位置から攻撃を加えて弱らせ、じわじわと生命力を削っていって斃すのが、魔物との戦い方の主流となっていた。

 だが、この戦法は、人側が魔物より数が多く、しかも、魔物が思うように場所を移動できない事が条件となる。足を止めるための罠、数人がかりで弦を巻き上げた強弩、魔物の皮を貫くために騎馬で長槍ごと突っ込む騎馬隊・・・。

 わずかな数の魔物を相手に、とんでもなく大掛かりに準備をしなくてはならない。

 

 ・・・はずだった。


 ミニール砦町のルーキス商会の護衛隊は、灰色ゴブリンを一対一でも斬り伏せられるという。砲弾のように突進してくる狂血猪を、数人で押さえ込んで狩るのだという。

 信じ難い噂が近隣の町に聞こえ始めた。

 現実に、ルーキス商会の隊商は12名程度の護衛に護られて、はるばると旅をして交易を成功させている。10回に1回、成功するかどうかという旧領都との往復でさえ、易々と成し遂げていた。


 ルーキスの護衛隊の勇名は、近隣の町や旧領都などでは知らぬ者がいないほどに知れ渡ることとなった。


 だが、


「俺等なんか、雑魚っすよ?」


 護衛隊の一人は諦めた顔で呟く。


「俺達は、虫けらだ」


 別の一人は言う。


 自分達は強く無いのだと、貧弱過ぎて哀れまれる蛆虫なのだと・・。


 何とかして秘密を聞き出そうと、女をあてがい、酒を呑ませるのだが、どう持ち上げても、チヤホヤと女達の嬌声で包んでやっても、誰一人として靡かない。心の底から、自分達は弱者だと確信しているのだった。


 ものは試しだと、ゴロツキを嗾けたり、山賊まがいの連中を雇って道中を襲わせたりしたが、全員が瞬殺されてこの世を去った。待ち伏せの強弩は、うるさげに素手で払われ、火炎魔法は霧散し、剣や槍で押し包もうとしたら矢で片っ端から射殺される。しかも、騒ぎ立てているのは襲撃側だけで、ルーキスの護衛隊は欠伸混じりに雑談をしながら進んで行くのだ。


 それならばと、ルーキス商会に護衛を依頼して交易を成そうとする商人達も現れたが、当然のように断られた。館に招こうとした貴族も居たが、もう貴族だの王族の権威が通じる世の中では無い。使者の恫喝など、一笑に付して終わりだ。咎め立てようにも、その貴族の抱える騎士団では、野山の魔物を退けてミニール砦町へ辿り着くことが出来ないのだ。

 せいぜいが、城壁に囲まれた町中だけの権威だ。

 もう、誰もが知っている。

 王が威張れるのは王都の中だけ。領主が威張れるのは領城の中だけなのだと。


 そして、皆が気付き始めた。

 ミニールへ行けば、魔物を怖がらずに暮らせるんじゃないか?灯火制限をして夕暮れ以降になると早々と真っ暗にした家の中で風の音に怯えながら暮らさなくて良いのでは無いかと・・。


 違う目的の者達も居る。

 ミニールには武器や防具を造るための金属がふんだんにあると・・。

 あの馬車に使われていた金属はミスリルだった。鎖帷子まで総ミスリルだ。あの長剣の金属は見たことが無い。槍の穂先は何だ?

 鉄を失った鍛冶職人達の中にもミニールへの旅を志す者が現れた。

 

 難民同然に町の城壁に身を寄せていた農民の中にも、ミニールへと旅を始める者達が現れる。町中の閉塞感で鬱屈していた若者達、何も分からず、ただ行く当ても無い孤児達・・・。


 その多くは魔物の胃袋へと消えて行き、しかし、それでもミニール砦町へと辿り着く者は居る。


 そして、驚愕するのだ。


 川沿いの丘陵地に広がる農耕地の広大さに・・。


 伸び伸びと野外で働いている農夫、農婦達の明るい表情に・・。


 騎馬で見回っている警邏達らしき男達に城門まで案内されれば、大通りをきゃあきゃあ騒ぎながら駆け回って遊んでいる子供達の姿が見えてくる。


 建物に沿って並んだ店には、大きなガラス窓が填められ、様々な意匠を凝らした衣服が並び、見たことも無いほどの種類のパン、焼き菓子が見える。裏通りの辺りでは、鎚が金属を叩く鍛冶音が響き、大通りを行き交う荷駄には見たことも無いような毛皮や骨、肉が積まれて運ばれていく。


 町そのものが生きているような活気に輝いていた。


「3ヶ月間、移住者のための研修を受けて貰う。その間の住まいと食事は町が用意する。3ヶ月経ったら、町が身元を保証して賞金稼ぎとして登録してもらう。最低限の食い扶持は稼げるからな。後は、自分でやりたい事を見付けると良い。見ての通り、人手はいくらあっても足りない。魔獣の産物は毎日どんどん運ばれてくる。自分で拓いて農耕に従事しても良し、魔物の産物を加工する職人でも良いだろう。正式に訓練を受けて、町の衛兵や、魔物狩りの狩猟者となるのも悪くない。ただ一つの事を守るならば、ミニールは自由だ」


 移住説明をしている男が言葉を切って部屋の中を見回した。


「絶対に逆らったり、不敬を働いてはいけない御方がいる。魔の森の外れに住んでいらっしゃる治癒師様と二人の奥方様だ。この地を人が住める場所にして下さった、ミニールにとっての恩人だ。あの方々に不快な思いをさせるような馬鹿は、この町をあげて駆逐する!ようく覚えておけっ!それさえ守るなら、ミニールはお前達を歓迎する!」


 移住者達への説明会は、ほぼこうした内容になる。

 それから、仮の宿舎へ。

 3ヶ月の間、共同生活をする寮のような建物だ。


 3ヶ月の研修中は、健康診断から魔法の適性試験まで毎日規則正しく行われ、最低限の文字の読み書きから生活魔法の習得まで順をおって教えられる。この時、全員が、移住説明時に聞かされた治癒師様の診察を受けて、怪我や病気がある者はその場で完治される。この時の治療費は無料だ。


 全員の健康状態が整ったら、今度は野外訓練となる。

 警護の兵隊が随伴した中で、蟻や鼠の魔物を相手に戦闘訓練を受けるのだ。

 ぎりぎりのところで兵隊が助けてくれるが、大勢の者が怪我をして恐怖で動けなくなる。だが、それを咎められることは無く、どうやれば安全に戦えるか、どう立ち回れば傷を負い難いかなど丁寧に指導され、手傷は傷薬によって立ち所に癒やしてもらえる。そして、一匹、二匹と斃している内に、体は楽に動くようになり、3ヶ月の修了訓練では、灰色ゴブリンとの戦闘訓練に参加することになる。

 苦しいし怖いのだが、死者は一人も出ない。

 

 研修の修了証が、身元保証書だ。

 そのまま教官に引率されて商人組合で、ミニールの賞金稼ぎとして登録される。

 これによって正式な市民権を得るのだ。

 

 賞金稼ぎというのは、幅広く雑多にある。

 ちょっとした荷物運びから清掃活動、配達や大工の手伝いなど町中のことから、耕作の手伝い、作物の運搬、伝令役、薬草や木の実などの採集、魔物の落とす品々の収集等々・・・。


 商人組合が元締めとなって、それぞれの用務に対価の目安額を設定して、掲示板に用務の貼り出しを行い監理をする。商取引き上でのトラブルは、ルーキス商会が裁可役として登場する事になっていた。

 

「では、私の役目はここまでだ。ようこそ、ミニールへ!」


 教官役の男が連れて来た移住者達に挨拶をして去って行く。


「はい、では登録証の配布を行います。名前を呼ばれたら窓口へ来て下さい」

 

 声を掛けてから、落ち着いた雰囲気の女性が窓口で名前を呼び上げていく。


 その様子を、賞金稼ぎの先輩達が微笑ましく眺めていた。

 皆、同じ道を通った身だ。

 説明されたことは、すべて真実だ。騙されて搾取されたり、酷い仕事を押し付けられるような事は無い。自分の裁量で、自分の将来を選択できる。


 こんな生き難い世の中で、奇跡のような町だった。


 その時、


「あっ!ルチェ、お出迎えをっ!」


 不意に受付の女性が声をあげた。

 掲示板を眺めていた男達がつられて視線を向けるなり、すっと背を伸ばして小さく息を詰める。


 建物の中に、青年が入って来た。背丈は並だし痩せた感じのする獣人の若者だった。

 三角の耳も尻尾も白銀の毛に覆われている。

 

「ヤクト様っ!」


 小さく声をあげて、商人組合の制服を着た小柄な少女が小走りに出迎えた。綺麗な栗色の髪をした平人の娘だ。


「治癒師様並びに奥方様達が町にお越しだ。治療の用があればルーキス商会に連絡するようにと言付かった」


「ご連絡、ありがとうございます!」


 ルチェという少女が丁寧にお辞儀をした。


「本日はいつもの宿にお泊まりになり、明日には職人向けの競りを開催したいとの仰せだ。連絡をお願いしたい」


「畏まりました!すぐ、組合長と職工組合にも連絡いたします。場所はこちらで用意させて頂いて宜しいのでしょうか?」


「競りの差配を含めて、商人組合に一任するとの仰せだ」


「・・っ、ありがとうございます」


 あの治癒師に信任されたというのは、商人組合にとってはこの上ない誉れである。ルチェの顔が喜びで染まっていた。


「では、失礼する。邪魔をした」


 銀毛の獣人が礼儀正しく頭を下げて身軽く外へと出て行った。


「お、俺の連れが一昨日から腹が痛むって寝込んでて・・」


「親父が高い熱を出しちまって、ろくに飯を食えねぇんだが・・」


 掲示板の前に居た男達が勢い込んでルチェの方へ集まって行った。

 最高の治癒師が滞在しているのだ。

 おまけに、この治癒師への治療代はルーキス商会が支払ってくれる事になっている。


「治癒師様の御使者だって?」


 額に傷のある中年男が息せき切って駆け込んできた。


「もうっ、組合長、遅いですよぉ。ヤクト様はもうお帰りになりました」


 ルチェという少女に小言を言われ、男が頭を掻き掻き肩を落としていた。

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