第九話 候補者たち・3
「そっか……みんなそれぞれ、異形に立ち向かうための武器を持ってるんだね。それを誰かのために役立てたいから、ここにいるんだね」
メリルの熱狂にどうにか収まりがついた頃、再びユダたちはテーブルを囲み、おかわりの紅茶を片手に和やかなひとときを過ごしていた。
「そうね。あたしたち、もう仲間同士よ。あなたみたいな同僚が出来て、あたし本当に嬉しいわ!」
「私もですよ、ユダ。候補者の中に、あなたのような方がいらして良かったです」
「ほんとそうよね。同じ年頃の女の子が三人も揃うなんて思ってなかったわ。むさ苦しい男ばっかじゃ、華がないものね!」
「まあ、ラナったら」
晴々しく笑い合うと、ほっこりと胸が温かくなった。
旅人として各地を流れ歩く生活をしていた自分に、まさか〝同僚〟などと呼び合える仲間が見つかるとは思いもしなかった。これまで相棒とたった二人だけだった世界が、この一瞬で大きく広がったような手応えを感じる。
しかし、幸福感が膨らめば膨らむほど、同じくらいに〝気掛かり〟も募っていた。
だけど、彼女たちになら――!
迷いを散らすようにかぶりを振ったユダは、意を決してテーブルに身を乗り出していた。
「あのね。突然だけど僕、ラナとメリルに相談したいことがあるんだ」
「どうしたの? 何でも言ってみてよ」
二人は各々面持ちを引き締め、すぐさまこちらへまっすぐな眼差しを寄越してくれた。
相棒以外の人間に〝相談事〟などという経験は初めてで、何をどこまで、どんな風に打ち明けて良いものか、まるで見当もつかない。あれこれと言葉を探しながら、ユダは辿々しく思いの丈を吐露していた。
「実は――僕の相棒は、ここで騎士を目指すことに賛成出来ないって言うんだ。どう説得すれば分かってもらえるかなって、今はそればっかりが気になってて」
ユダの話を聞くや否や、ラナは驚きを隠せない様子で、大きく両目を見開いていた。
「特別何かやりたいことでもあるのかしら? こんなにやり甲斐のある仕事なんて、他にないのに。誰にだって出来ることじゃないのよ。素質を見込まれたなら、どうあってもそれを活かすべきだわ」
熱を込めて語る彼女の純粋な瞳が、ユダに強く訴えていた――「断る理由などあるはずがない」のだと。〝騎士〟という栄職に寄せる彼女の信頼は、それほどまでに絶大なものなのだろう。
「きっと、ユダのことを心配されているのではないかと思います」
続けて入れ替わりに、しばし思案顔を浮かべていたメリルが、憂いに満ちた瞳を向けてきた。
「確かにやり甲斐のあるお仕事だとは思いますが、やはり力を求められるからには、相応の危険も伴います。志半ばで命を落とす可能性も、大いに有り得るわけですから――きっとガラハッドさんは、その辺りを心配なさっているんでしょう。先日もこの城では、痛ましい事件が起きたばかりです。いろいろと気掛かりがあるのも、仕方のないことだと思います」
「そうだね。それもありそうだけど、でも彼はもっと他に――」
もっと他に、何か気になることがあるようだった。
そんな風にユダが切り出そうとしたとき、背後の扉から突然ノックの音が飛び込んできた。
思いがけない事態に、ユダは息が止まるほど、胸の真ん中を凍りつかせていた。
「はい、どなた?」
「夜分にすみません。こちらに僕の相方が厄介になっていると聞いたのですが」
――まさか、どうして。
唐突に、とんでもなく後ろめたい密談でもしていたかのような気分になったユダは、即座に応えることが出来ない。
硬直しかかっていたユダに代わって、ソファから立ち上がったのはラナであった。
「もしかして、噂のガラハッド君じゃないの? それにしても、えらいタイミングで現れたものね――はいはい、ちょっと待ってて!」
彼女が小走りに扉へ駆け寄る様を見送った後で、ようやっと我に返ったユダは、その背中を追いかけることが出来ていた。
大仰な音で軋んだ扉が、いびつな軌跡を描いて開かれる。扉の向こうに立っていたのはやはり、相棒のガラハッドだった。
「こんばんは。夜分に失礼します」
鍔付き帽子を外して小さく会釈したガラハッドは、穏やかな笑みを浮かべていた。
相棒の笑顔を目にした途端に、ユダは強烈な違和感をおぼえる。
ついさっきまで、あれほど刺々しい態度だった彼が?
現状に、何ひとつ納得しているはずのない彼が?
あんな風に笑っていられるはずがないのに!
うすら寒い思いを味わっていたユダには、ほんのりと頬を薄紅の色に染め、「やるじゃない」などと呑気にはしゃぐラナの黄色い声援など、ほとんど聞こえてはいなかった。
「ガラハッド――具合はどう? 気分は良くなった?」
このまま客室の奥に隠れ果せてしまいたい衝動と懸命に戦いながら、ユダは〝少しも笑っていない〟ガラハッドの瞳をおずおずと見上げていた。
「まだ少しふらふらするけど、もう大丈夫だと思うよ。さっきの戦いで負傷した騎士がたくさん居たから、そっちを診てやってくれって言って、部屋を出てきた。僕も君と同じように、守護騎士候補者の客室へ移ったよ」
「そっか……でも、まだ本調子じゃないなら休ませてもらってた方がいいと思うよ。明日にはちゃんと動けるようにならないとね」
当たり障りのない台詞を言ったつもりで、ユダがそう切り返すと、それまで穏やかに保たれていたガラハッドの表情が一変していた。つぶらな紫暗の瞳に、鋭い光が宿る。
「君、まさかここにずっととどまるつもりじゃないだろうね――あれほど駄目だって言ったのに」
思わず怯みかけたユダであったが、よろめいた体をそっとメリルの温かい手が支えてくれたおかげで、どうにか踏みとどまることができていた。
「どうして? 何がいけないの、ガラハッド。きちんと理由を説明してくれないと分からないよ」
「それは――」
メリルの手の平から伝わってくる温度に勇気付けられたユダは、頑として眼差しを堅くする。
そんな切り返しを予想していなかったのか、思いのほか戸惑いの色を濃くしたガラハッドはふいと目を逸らし、拗ねたような顔付きでぼそりと零していた。
「君が、騎士なんかには向いてないと思うからだ」
――嘘だ。
彼の語り口は常に、鉄壁の論拠に基づく〝正論〟のみで構成されている。
だからこそ、彼の言葉はいつだって揺るぎのない自信に溢れているのだ。こうしてまっすぐに向き合おうとしないのは、今の発言が穴だらけなことを自分でも理解しているから――つまり、嘘をついているからということになる。
当て推量を何より嫌い、完璧な
そんな自らの信条を歪めてまで、彼がユダに騎士をやらせたくない理由とは何なのだろうか。
「とにかく、駄目なものは駄目だ。今回ばかりはおとなしく僕の言うことを聞いてくれ」
「どうして……?」
あまりに強引すぎる彼の態度がただただ哀しくて、ユダは震える唇を噛み、がくりとうなだれていた。
すると、つい先ほどまで、こちらに好奇心いっぱいの眼差しを向けていたラナの様子が豹変する。
「ちょっと待ちなさいよ。ユダが騎士に向いてないってどういうこと? いい加減なこと言ってんじゃないわよ!」
「何ですか、貴女は」
大きな瞳を三角に吊り上がらせ、庇うようにユダの眼前に躍り出たラナは、怪訝げに眉を寄せたガラハッドに、びしりと人差し指を突き立てていた。
「あたしは守護騎士候補者のラナよ。たった今、ユダと友達になったの。友達をいじめる奴は許さないわ!」
「いじめる……? 貴女は僕が、ユダをいじめていると仰るんですか?」
「どこからどう見たってそうじゃない! 女の子をいじめる男は嫌い! 嫌い嫌い嫌い!」
しばしの間、ガラハッドは冷ややかな眼差しで、金切り声をあげて息巻くラナをじっと観察していた。
しかし、すぐに張り合うのが面倒になったのだろう――呆れ顔を浮かべて帽子を被り直し、彼は深々と溜め息を漏らしていた。
「やれやれ、仕方がありませんね……とりあえず、今日のところは部屋に戻ります。お騒がせして、申し訳ありませんでした」
いつもの穏やかさを取り戻した相棒の声調子を聞いて、ユダは内心ほっと胸を撫で下ろしていた。
「また明日話そう、ユダ。今度は誰にも邪魔されない場所でね」
しかし安堵も束の間、早くも棘の混じる言い回しを漏らしたガラハッドに、またしてもひやりとさせられる。けれど、そんな皮肉っぽさも含めて彼の〝通常営業〟だったことを思い出し、ユダは踵を返した相棒の背中を見つめ、今度こそ安堵に頬を緩めていたのだった。
「何なのかしら、あいつ! 顔はいいけど、性格悪すぎじゃないの? あなた、よくあんな奴と一緒に旅なんかしてたわね!」
結局言われっぱなしで終わってしまったラナは、相棒の去り際の一言に相当むかっ腹を立てているようだ。
「ごめんね、ラナ。彼はちょっと人見知りの激しいところがあるから……でもじっくり話してみると、わりといい奴なんだよ」
「そうかしら。あいつがいいこと言う所なんて想像もつかないんだけど」
時としてユダも、彼の辛辣な物言いには不穏な気持ちを抱くこともあるが、良くも悪くも今回に限っては、彼女が全てを代弁してくれているおかげで、それほどストレスを感じずに済んでいたりもする。
「ガラハッドさんにも、何か複雑な事情があるのかもしれません。最初の印象だけでそんな風に決め付けるのは良くないですよ、ラナ」
苦々と笑うユダの背中をさり気なく後押しするように、傍らでメリルが小さく呟いていた。
「複雑な事情――か」
おそらく彼女にとっては何気ない一言だったであろうその言葉を繰り返しながら、ユダは再び遠くを見遣っていた。
瑞々しい緑の気配に満ちた中庭には、うっすらと夜霧がかかっている。目の前の景色はまるで、自身の心の内をそっくりそのまま映し出しているかのようだ――霧の向こうに消えてゆく相棒の背中を見つめていると、言い知れない不安が湧き出してくるのを感じた。
「やっぱり僕、少しガラハッドと話をしてくるよ」
もたもたしていたら、すぐに追いつけなくなってしまうかもしれない――そう思った瞬間、ユダは再び扉を内側へ引っ張り込もうとしていたラナに、慌てて声を掛けていたのだった。
「それが良さそうですね。二人でしか話せないこともあると思いますから」
すると、深々と頷いたメリルが、ソファの背もたれに掛けておいたケープをさりげなく手渡してくれた。
「ええっ、なんで? あんな奴、放っておけばいいのに。下手にご機嫌伺っても、付け上がるだけよ」
すんなりとユダの意見を受け入れてくれたメリルに対し、ラナは相変わらず否定的だ。どうやらユダの無二の相棒は、あの短時間でとことん嫌われてしまったらしい。
確かに、波長の合わなそうな組合せではある。好みがはっきりしていて、ある意味〝聞かん坊〟な二人が意気投合しているところなんて、想像もつかないような。
苦笑を零しながら、ユダはぷりぷりと怒り散らすラナに今一度説得を試みようとする――相棒のもとへ辿り着くには、何につけてもまず、この小さな番人に重い扉を開けてもらわねばならないからだ。
「気になることが残ったままじゃ、ぐっすり眠れないからね。だから頼むよ、ラナ」
「まあ、あなたがそう言うなら止めはしないけど」
渋々ながら再び扉の位置を元に戻したラナは、あっさりと道を譲ってくれた。
ほら、ちゃんと話せば大丈夫。
この愛くるしい扉の番人は、人よりほんの少し力持ちで気が短いが、やはり心根は優しい普通の女の子なのである。
「あまり遅くならないうちに戻ってきてくださいね、ユダ」
「うん。ありがとう、メリル。それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
中庭に立ち込める霧は、時が過ぎるごとに深さを増している。
戸口で見守る二人に手を振って、ユダは颯爽と外へ駆け出していた――。
*****
小雨のような冷たい霧の中を走り抜ける。
「待ってよ、ガラハッド!」
噴水前広場を突っ切り、客室の並ぶエリアの最奥へ差し掛かったところで、ようやくユダは相棒の背中に追い付いていた。
「ユダ……? どうして追いかけてきたの?」
振り返るなり、帽子の鍔を軽く持ち上げたガラハッドは、意外そうに目を丸くする。そして彼は、すっかり息を切らせたユダをまじまじと見つめていた。
「だって、気になったから――」
著しく鼓動を早めた胸元を撫でつけ、乱れた息遣いを整えようと、深く呼吸を入れ替える。
「さっきは周りに人が居たから、ちゃんと話せなかったでしょ?」
外気に冷やされた全身の汗が、ユダの体温をぐんぐん奪い取っている。夜霧に覆われた中庭は、思いのほか冷え込むようだ。
くしゃくしゃに丸めて持っていたケープを手早く広げて羽織り、眼前の相棒を改めて捉える。すると彼はひょいと肩をすくめ、皮肉げに笑みをこぼしてみせた。
「特定の一人さえ居なければ、もう少しまともに話は出来てたと思うけどね。君のおかげで僕は、すっかり不審者扱いされてるみたいだ」
「そんなことないって。二人とも、すごくいい子なんだよ。会って間もない僕のことを、歓迎してくれてるんだ」
どうにか捻り出したフォローを聞いているのかいないのか――噴水広場のある北側をちらと側めたガラハッドは小さく息をついた。
「ねえ、君はこの街のことで何か気に掛かってることがあるんでしょ? ここでなら、ちゃんと教えてくれるよね」
いつも一緒が当たり前だった今朝方までを思えば、彼とこうして二人きりで向き合うのは、随分久し振りのような気がする。
微かな緊張に気を取られていると、さっと腕を組んだ相棒は、不貞腐れたように目を背け、唇を尖らせていた。
「どうせ君はもう、ここで騎士をやりながら暮らすって決めたんでしょ? 今更そんなこと聞いて、どうするつもりなんだい」
本題を持ち掛けるには、いささか勇み足が過ぎたのかもしれない。辛辣な突き返しに、すぐさまユダは二の句を継げなくなっていた。
どうにか立て直そうと、四方へ目を泳がせていると――
「……ごめん、冗談だよ」
ばつの悪そうな顔で帽子の鍔を引っ張り、ガラハッドがぼそりと零していた。
謝るくらいなら、端から言わなければいいのに。
途端に込み上げてきた笑いを噛み殺そうと、ひくつく口元に力を込める。すると、ますます居心地悪そうに目を据わらせたガラハッドは、ふいとユダの方から鼻先を逸らしていた。
「確かに、数日前起きたばかりの〝大量暗殺事件〟のことも気に掛かってはいるよ。首謀者も目的も未だに不明って話だし――だけど僕が一番引っかかってるのは、〝楽園の成り立ち〟についてのことだよ。この街の平和がどんな風に作られていったのか――その過程が気になっているんだ」
「楽園の、成り立ち――?」
辿々しく復唱した声は素っ頓狂もいいところだったが、ユダにはもはや、気恥ずかしさを感じる余裕などなくなっていた。
「どうしてそんなことを気にするのかって顔だね。まあ、大方予想はついてたけど」
よほどはっきりと顔に表れていたのだろうか。呆れたように頭を掻き、溜息を吐ききったあとで、それでも彼は辛抱強く解説を続けてくれた。
「平和ってものは、意志を持った誰かが働きかけることで生まれるものだろ。つまりこの街の平和も、誰かの働きによって作り出され、手厚く保持されてるってことだ」
「この街の平和が保たれてるのは、王宮と守護騎士団の人たちの努力のおかげでしょ?」
「そうだね。でも、それにしたってこの街は、あまりに平和すぎると思わないかい? 外の世界と比べれば、ここは本当に天国みたいなところだ」
毎度のことながら、彼の説明はひどく遠回しだ。細かな情報を小出しにしながら、時間をかけてはっきりと全容を理解させようとする――察しの悪いユダにとっては、なかなかに酷な言い回しである。
「どういうこと? 何が言いたいの?」
痺れを切らして責っ付いたユダの熱視線をやんわりと流しつつ、相棒は尚もゆっくりと、ひとつの〝答え〟を導くために外堀を固めてゆこうとする。
「人は良くも悪くも〝慣れる〟生き物だ。誰かの作り出した平和な世界に住み慣れてしまうと、平和の出処について考えることを忘れてしまう。僕はそうなりたくないんだよ」
「この街に、そこまで疑わしい何かがあるっていうの……?」
「詳しいことはまだ言えない。はっきりしないことが多すぎるからね。もっと具体的な何かを掴んだら、必ず君にも話すよ。約束する」
彼の懸念が全く理解出来ないというわけではない。ここは、僅か数日前に流れ着いたばかりの見知らぬ土地だ。分からないことなどと言い出せば、それこそユダにも掃いて捨てるほどある。
それでも、だ。
揺るぎない志と希望を胸に、破滅に抗う意志を持った多くの人々が、ここに集っている。
――それだけでは、信じるに足らないというのだろうか?
この国の平和は、多くの人々の善意と熱意によって形作られている。
――そんな考えは、尚早だとでも言うのだろうか?
「ユダ……納得出来ないのは分かるよ。でも君には、これから僕が話すことを、絶対に忘れないでいてほしいんだ」
「ガラハッド?」
しかしながら彼も、圧倒的に説得材料が不足していることは理解出来てきたのだろう。これまでのような強い否定は示さず、どこか諦めたように肩の力を抜いたガラハッドは、戸惑うユダの瞳を静かに見下ろしていた。
「光の側には、必ず影が生まれるんだ。栄光の傍らには必ず、目を背けたくなるような挫折や犠牲が転がっている。この先どんなことがあっても、絶対に忘れちゃいけないことだ。君がそれを忘れないでいてくれるのなら、僕は迷わずついて行ける」
その口調は限りなく穏やかで優しかったが、彼の紫暗の瞳には、
彼の真意とはなんだろう。
そして、彼が大きな懸念を抱く、この街の平和の成り立ちとは何なのだろう。
突き付けられた命題は、途方もなく難解だ。けれども、相棒の強い眼差しごと、その命題は鮮明にユダの記憶の奥へと焼き付けられた。おそらくはもう、易々と忘れることは出来ないだろう――
その、刹那のことであった。
「話はここまでだ。邪魔が入った」
「え?」
いつの間にかガラハッドが、ユダの遥か後方を見つめている。気付くや否や、ユダは慌てて踵を返していた。
「やあ、ご機嫌よう」
そこに居たのは、柔和な笑みをたたえた長身の男であった。城内で見かけたことのある顔ではない。
「水入らずのところを邪魔してしまって、悪かったね。でも、あんまり興味深い話だったものだから」
年の頃はレヴィンやサイと同じくらいだろうか――若いが、ユダと比べれば遥かに大人の男だ。さらさらと風になびく真紅の髪に、長いまつ毛の生え揃った、甘いサファイアの瞳。華やかなパーツのよく映える、雪白の肌。
この薄闇の中においても、まるで自ら光を放っているかのような錯覚さえおぼえるほど、あでやかで気品に溢れた、いかにも貴族然とした風格の男である。
顔立ちも煌びやかなら、その装いももちろん負けてはいない。
髪と同じ真紅のコート、細かな浮き彫りの施された黄金のベルト。柄の先に見事な宝玉をあしらった、細身の剣。そして極め付けは、派手顔の真横で揺れ動く、大きな金細工の耳飾りだ。
どこへ目をやっても落ち着かないくらい、兎にも角にも派手派手しい身なりだが、どういうわけか全体としては、きちんとまとまっているように見えるから不思議だ――つまりは、よく似合っているということである。
「君の話をもう少し聞きたいんだが、続けてはくれないのかな?」
「貴方は、誰ですか?」
露骨に眼差しを尖らせ、警戒心を剥き出しにしたガラハッドが、男の投げかけてきた台詞を無視し、ユダの前にずいと歩み出る。
一方、驚きに言葉を失っていたユダは、呆然と目の前の二人を見比べるほかに術をなくしていた。
「私はただの通りすがりだよ。仕事の息抜きにここを散歩していたら、君たちの話し声が聞こえてね」
眩しい笑みは残したまま、困ったように眉を寄せた男は、細長い指先を伸ばしてさらりと前髪を掻き上げ、小さく肩をすくめた。
動き回るには随分不向きな格好のように見えるが、剣を佩いているところからすると、彼も騎士団の一員だろうか?
身なりや立ち居振る舞いから察するに、いわゆる〝一般人〟であるとは思えないのだが――
無遠慮にユダが、男の頭の先から爪先までをじろじろと眺め回していると、不意にばっちり本人と目が合った。
どれほど苦々しい顔をされるのかと思っていたが、彼は嫌がるどころか、溢れんばかりの笑みでもってユダを見つめ返してくる。
――何とも、掴みどころのない男だ。ニコニコしてはいるが、その態度や言動からは全くと言っていいほど考えが読めない。
思わず釣られて笑顔を浮かべたユダは、内心でもやもやとわだかまる気持ちを持て余していた。
「ああ、これ。これは護身用だよ。お守りみたいなもので、自分では使ったことがないんだ。私は騎士じゃないからね」
ユダの勘繰りを汲み取ったように、腰元のベルトに下がった剣を指差した男は、あっけらかんと答えていた。
馬鹿正直に自ら剣を「使えない」と明言してしまったのでは、護身用も何もあったものではないだろうに――
おそらく、同じ考えに至ったのだろう。怪訝げに目元を曇らせたガラハッドと、ほんの一瞬視線が交わった。
「よからぬ密議を交わす不逞の輩を、霧に乗じて排除しに来られたのでは?」
「ええっ? そんなことは思い付きもしなかったな。私にそんな荒っぽい真似は出来ないよ。信じてくれ」
それでも、警戒を解くことなく男に鎌をかけたのはガラハッドであった。
しかし、男は相変わらず爽やかに笑って流そうとするだけで、身構えることさえしようとしない。
――どう思う?
今一度ユダが目配せで訴えると、ガラハッドは男のもとから視線は外さないまま、風の音に紛れて消えそうなほどの小さな声で、ユダに語りかけてきた。
『なんかあの人、本当に弱そうだな……何の力も感じない』
――やっぱり、そうなのか。
すぐさまユダが頷いて同意を示すと、彼は肩越しにこちらを側め、更に言葉を続けた。
『でも、熟練した戦士ほど気配を殺すのはうまいからね。笑顔で近付いきて真正面からバッサリ――なんてのはよくある話だ』
眉ひとつ動かさぬまま、ぞっとしない例え話を零すガラハッド。
『ねえ、ユダ。もう少しだけ鎌をかけてみようか』
しばし思案するような間を置いたあと、彼は唐突に声音を躍らせていた。再びこちらを見遣った彼の顔には、悪巧みを思い付いた少年のような、無邪気な笑みが浮かんでいる。
『相手の隠れた殺意を引き出すのに、とてもいい方法があるんだ』
途端に、ユダの胸を大きな不安が煽っていた。しかし、声をあげようと考えたときにはもう、全てが遅かったのである。
その瞬間、見慣れた相棒の背中から、異様な〝圧力〟がぬらりと這い出していた。
ねっとりとまとわりつくような、ひたすらに禍々しい圧迫感。例えるならそれは、大蛇の懐に取り込まれ、あとはただただゆっくりと絞め殺される瞬間を待つばかりの、哀れな獲物の境地のような。
〝闘志〟や〝敵意〟といった、相手を射すくめるような鋭い威圧感とは全くもって別物の――しかしながらそれは、あまりにも明白な〝殺気〟であった。
それが自分に向けられたものでないことは、はっきりと分かっていたはずなのに。
気がつくとユダは、力なくその場にへたり込んでいた――
「待て、〝フレドリック〟!」
そして。
意識が混濁していた数瞬の間に、ユダの眼前には著しい変化が生じていた。
再び正気を取り戻したとき、へたり込むユダを庇うように立っていたガラハッドと、張り詰めた面持ちで叫んだ男との間にもうひとつ、人影が増えていたのである。
赤茶の革ジャケットと革パンツに身を包んだ細身の男が、腰に帯びた剣に手を掛け、鬼気迫る様相でガラハッドの真正面に立ちはだかっている。
万全に身構えた状態でありながら彼がその剣を抜かなかったのは、おそらく赤髪の男が彼を牽制したせいだろう。
危うく斬られかかったガラハッドは、その場から身じろぎさえしていない。
赤髪の男が声をあげなければ、今頃どうなっていたことか――遅れてユダの全身には、恐怖から来る冷汗が滝のように溢れ出していた。
「フレドリック。警戒する必要はないと予め伝えてあっただろう? 頼むから、私の前でその刀を抜くのはやめてくれ」
「……斬らないのか。こいつは明らかに殺気を発していたぞ」
「本気のはずはないさ。彼らはサイに招かれた大切な客人なんだよ。君たち、すまなかったね。大丈夫かい?」
やや不服そうに眉をひそめた革ジャケットの剣士を押しのけるようにして、赤髪の男がこちらへ駆け寄ってくる。
どうやら彼は本人の言った通り、騎士ではないようだ。僅かでも戦闘経験のある者ならば、あの異様な殺気を浴びせられた直後に、こうも無警戒でいられるはずがない。
「びっくりした……何事もなくて本当によかった」
ようやっとまともに考える余裕の出てきたユダは、覚束ない足取りでどうにか立ち上がろうとする。
「くそ……護衛がいたなんて気付きもしなかった。あの剣士はかなりの手練だよ。まともにやり合ったら、二人掛かりでも勝てないかもしれない」
すると、おもむろにユダの手を取り、ふらつく体を支えてくれたガラハッドが、悔しげに零すのが聞こえた。
旅の最中、どれほど強力な異形に遭遇しようとも、一切後ろ向きな言葉など吐かなかった相棒の口から、〝勝てないかもしれない〟などとひどく消極的な発言が飛び出す瞬間を見たのは、初めてのことだ。
「二人とも、すまなかったね。彼は少し心配性なんだ。君たちのことはちゃんと伝えてあったのだけど」
文字通り風のように現れた謎の剣士の素性にもちろん興味は尽きないが、最も気になるのはやはり、そんな天下無双の護衛を従えたこの男のことである。
「あなたは一体、何者なんですか?」
相棒よりも剣士よりもずば抜けて上背のある男を、ユダがおそるおそる見上げると、彼は何ともすっとぼけたような顔付きで、小首をかしげてみせた。
「さて、誰だろう。少なくとも、君たちの来訪を歓迎している者の一人であることは、確かだと思うよ」
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