パンツあたためますか?/著:石山雄規
角川スニーカー文庫
0-1:前日談
「みんな死なないかなぁ」
ガキの頃だった。
ブラウン管から連日流れるノストラダムスの大予言、一抹の不安はあったものの、それは紛れもないビッグイベントだった。
深い意味など考えることなく、ただ真夏の叫びと共に恐怖の大王がやって来るのを、ガキの俺は心の底から待ち焦がれていた。
母親の細かな反応もシビアだった。
まるで信じていないなんて口ぶりだったけれど、非常用のナチュラルウォーターを三本だけ買ってきたのをよく覚えている。
六リットルの水で人類の滅亡に備える母親は、果たして現実を直視していたのだろうか。
センチメンタリズムに浸った神様が梅雨を起こし、そして泣き止んだ。
蝉の鳴き声に誘われ夏が訪れる。
毎日がクリスマスの朝、枕元にプレゼントが置かれていないかを確認するような気分、季節外れのサンタがこの平穏な日常をぶっ壊してくれると思っていた。
しかしなにも起こらなかった。
専門家によると、恐怖の大王は宇宙に漂う微量なガスに影響されて軌道を逸したらしい。
なにも変わらない蒸し暑いだけの日常が過ぎ、人類は去年より平均気温が二度上昇した八月を迎える。買い置きの水はその日のうちになくなった。
蝉が鳴き、紅葉の葉が黄色に染まり、しまいには枯れ落ちて透明な雪が降る。
誰に言われるでもなくサンタクロースの正体を知ったガキの俺は、我が家の経済事情では世界を終わらせるなど到底不可能であると悟り、となると頼れるは科学や常識などを超越したオカルト的超常現象以外にはありえなかった。
そうして、大学受験を間近に控えた十二月の冬にもマヤ文明による終末論が世間を騒がしていた。
二十一日から二十三日にかけての終末予言に、中東の油田王がフランスの地下シェルターに避難し、数多くの関連書籍が店頭に並び、日経平均株価は上昇した。
もちろん周りの受験生たちはそんなくだらないヨタ話に構う暇もなく勉強に勤しむわけだが、月刊ムー定期購読者の俺だけは違った。
マヤ文明がどれだけ偉大かを知っていた俺は、アポロ8号の打ち上げから月周回飛行成功とほぼ重なる日付に驚異的な説得力を感じ、悔いの残らないよう同じクラスの伊藤に告白した。
振られた。
「頼むから、俺を殺してくれ」
それでも明日が来なければ問題はなかったのだ。
ロクに勉強もせず、靴を揃えて、寒空の下真っ白な息を吐きながら、俺はたった一人冷たい雪が降るのを切望していた。
ただ、マヤ文明研究家はうるう年を計算に入れるのを忘れていたらしく、世界の終わりは三年後に延期された。
どれだけ待っても空から巨大隕石は降ってこず、ベテルギウスは超新星爆発を起こさない。それでも関係者は謝罪の一言も寄こさないばかりかむしろ助かってよかったなんて言い出す始末。月刊ムーは素知らぬ顔で一月号を発刊していた。
ただし残された俺は悲惨そのものだ。
クラスの女たちからは時期も考えずに告白する馬鹿だと陰口を叩かれ、直前模試の志望校判定では見事Eを叩きだした。
ぼっち仲間だったはずの伊藤はこれを機にすっかりクラスに馴染み俺とは距離を置いた。あれだけ嫌ったクリスマスには雪が降った。
寒い、とても冷たい朝だった。枕元にはなにもなかった。
つまるところそういうことで、現実は平凡で、世界は俺を殺すつもりなんてないらしい。
明日はきっとやって来るし、明後日も俺は息をしている。
世界の終末に俺ができることといえば、精々水を三本買うくらいなのだ。
そんな単純な現実に気づいた俺はようやく月刊ムーの定期購読を解約し、浮いた一万円札を握り締めパチンコを打つことにした。
ポケットが軽くなった。
誰か俺を殺せ。
けれども明日は来てしまう。俺の意思とは無関係に、時計の針は進んでいく。
明日世界が終わるなんて宗教とメディアの創りだした大嘘だ。
俺はこれからも惰性で生きていく。
そんなことはもう、知っていたのだ。
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