1-3 アザレとヴェルミヨン

 アザレという男は犯罪者だ。

 十歳を迎えた辺りから、どうやら自分は人と違うらしいということに気づいた。十五歳になる頃には自分の性質というものをはっきり自覚するようになり、十八歳には自身の欲望をしっかり受け止めるようになり、二十歳を超える頃には立派な犯罪者となっていた。

 もちろん、犯罪はよくない。法律でなくても、超えてはいけないものが存在している事はわかっている。けれど、やめられないのだ。自覚はあれど、やめられない。次から次へと溢れる欲望がアザレを突き動かす。アザレを形成する全てと言わんばかりに、欲はアザレに快楽と生きる力を与えた。

 戻る事はできない。アザレは素直に自分を受け入れる。我慢なんてナンセンスだ。

 けれど、犯罪は犯罪。アザレがどんな言い分を持っていたとしても、追われ、捕らえられる。アザレはしかたなく、逃げるしかなかった。

 どうやっても止まらない欲求。繰り返される犯罪。麻薬のように痺れる快感。渇望する身体。果てのない行為の末、辿り着いたのが白い街だった。

 風力タービンだけが動く街。何もかも漂白された景色。影すら白く発光する。

 何もない。ひたすらに白い。だが、どういうわけか、満たされる。間なしに繰り返さなければ満たされなかった心が、僅かの行為で腹が膨れる。しかも――(ここのオーナーはよほど狂ってるに違いない)ここでは堂々と犯罪を犯していいのだ。むしろそれが条件だという。「自身の幸せのために行動して欲しい。それが犯罪行為だとしても、あなたの幸せになるのなら」ここは、アザレにとっての楽園になった。

「さてと……」

 紙巻き煙草をくわえながら、アザレはとある場所へ向かった。白い煙と粉が舞うが、誰も文句は言わない。マナーにうるさい昨今、自由に嗜好品を楽しめるのはここしかないだろう。

 分かれ道がどこにあるかすら曖昧な白い道を行くと、一人の女に遭遇した。見知った顔にアザレは笑顔を作った。もっとも、彼女には意味のないことだが。

「ヴェルミヨン、珍しいな。散歩か?」

 気安く声をかけると、女は気高く微笑んだ。水にぬれたような真っ赤な唇、筋の通った鼻。贅肉のないシャープな顎。装飾品のようなパーツたちは透き通る白い肌の上で輝いていた。だが、目だけは違う。白い絹に目隠しされて見えない。それを解いてしまえば、石になってしまいそうなほど見惚れる瞳があっただろう。完璧な顔に、国の一つでも捧げてしまいたくなるだろう。

 ヴェルミヨンは立ち止まると、腰まで届く黒い髪をかきあげ、見上げる仕草をした。その先にはアザレがいるが、彼女には見えていないはずだ。それでもしっかりと見据える。

「アザレ。そっちこそ珍しいね。買い物かい?」

「いや。ちょっと野暮用でね。呼ばれてるんだ」

「そうかい」

 ヴェルミヨンはハスキーな声に蓮っ葉な口調で素っ気なく言うと、口の端で笑みを作った。

「あたしはその通り、買い物さ。新しいドレスが欲しかったけど、いいものがなくてね。サテンでできた赤いドレスが欲しかったんだけど」

「それは残念だったな。今度見たら教えるよ」

「おや、優しい」

「教えるだけで買ってはあげないけどな」

 ヴェルミヨンは肩をすくめると、そのまま通り過ぎてしまった。小さい街だ、またすぐに出会うので別れの挨拶はいらない。

 ヴェルミヨンを横目で見送り、煙草を吸った。その口元には歪んだ笑みがあった。自分でもわかるほど、筋肉が収縮している。心には餌を見つけた獣のような高揚感があった。あるいは、支配欲とでも言おうか。もしくは、それとはまったく真逆――過ぎ去った栄光を見るような、映像を見ている感覚か。それに浸っているとでも言うのか。複雑だが元を辿れば、愛に近いかもしれない。欲情する愛とは違う、同志を想う友愛。

 アザレは煙草を捨てると、靴底でなじった。

 ヴェルミヨンは異常なほど美しく、異常なほど自分の美に固執していた。だから、願った。ずっと願っていた。切望していた。永遠の美貌を。

 今のままの姿を永遠に留めたい。老いていく事が恐ろしく、次から次へと現れる女たちが恐ろしく、自分の美も疑わしくなり、ついには発狂寸前まで追いつめられていた。

 二人の意見は一致した。アザレはそれを求め、彼女はそれを望んだ。

 アザレは彼女の願いを叶えた。周りを見ないように。自分を見ないように。記憶にある自分の姿だけを頼りに生きれるように――目玉をくりぬいた。

 そして、ヴェルミヨンに笑顔が戻った。彼女の美は永遠を保つこととなった。

 ヴェルミヨンは美しい。共通する欲がある。アザレも男だ。魅力的な女がいたらそれなりに欲情する。それ以上に、ヴェルミヨンは美しい目玉を持っていた。アザレが愛してやまないのは肉体でも精神でもない、目玉なのだ。それを手に入れるためにはどうしても犯罪行為になってしまう。死人の目も嫌ではないが、生きたままくり抜いた目玉が何よりも美しくて、その輝きに全身が震える。

 アザレは笑う。ヴェルミヨン本人ではない、目玉を見つめたい。

 永遠を得るための代償となった鮮紅色の瞳は、アザレのコレクションケースで眠っている。

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