死ねない呪いと鬼の過去
「エンさん何やってんすか?」
「んあー、コルドゥ。いやね、これでひと段落ついたのかなー? まだなんかあったっけなー? とかね、グルグルと考えてたわけよ」
「せっかく終わりそうだったのに止めたのエンさんっすよ? 悪党は死ぬまで悪党なんすから、エンさんは甘いっす」
「おまえがそれ言う?」
「チッチッチッ! エンさんはあっしを見縊ってるだけですぜ! 坊ちゃんの尻拭いができたのは」
「ロザリオの権力使って無理を通すのが上手かった悪党コルドゥの手腕だよね?」
「違いますよ! エンさんひでーっす!」
謁見の後、晩餐のためにと風呂に押し込まれ、着替えさせられ、だだっ広い食堂でご馳走にありついた後、部屋の隅でぼんやり晩餐の風景を眺めていた。
考えることが増えたせいで考え疲れてそうしてたんだけど、コルドゥはぼくが晩餐の空気に飽きたからそうしてるとでも思ったんだろうか。
コルドゥなりに気を遣ってくれたんだろうから、その心遣いには感謝している。
いい奴ではないけど、言うほど悪い奴でもない。
気配りはできるし、目敏く、頭も回る。
アデリーが今回の遠征に連れ出した人選に納得できるくらいには有能な男だと思う。
「なあ、コルドゥ。本当に悪党は死ぬまで悪党だと思う?」
「真面目な話っすか?」
「ぼくが真面目じゃなかったことってある?」
「存在自体が冗談みたいな感じっすからね!」
地味に傷付く。
自覚はしてるけど、それとこれとは別なんだ。
自分が常に真面目かといえば、そんなこともないけど。
「悪党が死ぬまで悪党でしかいられねーんなら、あの村のあの空気はねーっすよ。ワケありの掃き溜めっすからね」
そう言ってコルドゥは肩を竦めてみせる。
最初に辿り着いた場所、あの開拓村で見た人々に、ぼくが悪党だと思えるような顔は一つもなかった。
あの村を襲った者たちにすら悪党はいなかったと思ってる。
今ならまだ、目を閉じれば思い起こせる。
あの地で出会った人々の生きてる表情、恐怖に慄く顔、苦悶に呻く声、断末魔と、末期の瞬間で止まった死体の姿。
ダニエルもロザリオも、ジョージやケント、ガーネット、ガバンディも、ぼくにとって悪党だとは感じられなかった。
未熟なりに、愚か者なりに生きて、道を誤り、
よほどぼくの方が悪党と罵られるに相応しいんじゃないだろうか。
暴力に頼って自分の
それが善いことではない、悪いことだと理解した上で、そう選択し、暴力によって成し遂げた。
この世界に辿り着く遥か以前から、ぼくは血と死に塗れた悪鬼、禍ツ神みたいなもんだ。
そんなぼくを救ってくれた
ぼくを半端にニンゲンぶらせているのは、妻が死んでも消えて失くならなかった、彼女との温かい思い出の記憶、それのお陰でしかない。
偏狭な正義を振り翳した悪党のままのぼくを、優しい人だと、そう言ってくれた彼女の言葉と想いが、ぼくを光に導いてくれている。
「コルドゥ。良かったな、あの村に行けて」
そう言ったぼくの顔は、お調子者のコルドゥの軽口を止めてしまうくらい酷いものだったのかもしれない。
彼は「へい」と一つ頷いて、アデリーたちのテーブルに歩いて去って行った。
城を囲む堀を越えた風が開いた窓から滑り込み、頬を撫でる。
昼間の暑さを忘れさせてくれる涼やかな風が心地良くて、エールを片手にテラスへと足を運ぶ。
手摺りの向こうには欠けた月を映す堀と、その向こうに聳える白い城壁、切り取られた夜空。
空と水面に揺れる月は明るく、月光に呑まれた星々は姿を消してしまっていた。
「なんだ、おまえもここに来たのか」
テラスにいた先客が声をかけてきた。
月明かりと部屋の灯りとに照らされた金の髪が、そよ風に揺れて美しい光沢を返す。
細められた眼、その隙間から覗く紅い瞳は、高位の魔法使いの
……たぶん。
「綺麗なもんだなぁ。その姿だけ見てれば、どんな堅物でもおまえに跪いて愛と忠誠を誓うんじゃないか?」
「お? その気になったか? ならば遠慮などせず妾の手を取るがよい。ほれほれ!」
「一気に台無しだよ」
絶世の美女がものの数秒で残念な美人に早変わりしてしまった。
近寄り難い高嶺の花が、場末の酒場でクダ巻いてガハハと笑ってそうな雰囲気に豹変するもんだから、そのギャップに笑いが込み上げてくる。
どちらが好みかと問われれば、ぼくは間違いなく今の彼女の方を選ぶだろう。
砕けた会話で楽しめる
ぼくの返事にカカカと笑う彼女は、その笑う仕草にすら華がある。
「マリー。今日は邪魔しちまって悪かった」
「構わん。だがイエンよ、腕は本当に大丈夫か?」
なんとも気まずそうな顔を見せてくれる。
配下に手練れの
ぼくは痛覚は人並みだけど、死に至るほどの痛みでも死ねないし、肉体を粉々に消し飛ばされても再生する。
だから臆病者のぼくでも、あんな無茶ができた。
ぼくの性格については
「まるで蛸だな」
触って確かめて、何かに納得した顔で呟かれたその言葉に、思わず爆笑してしまう。
「便利な能力だの。そういう種族なのか?」
「いんや、こりゃ呪いだよ。こことは異なる世界の、優しい魔法使いがかけてくれた呪いだ」
「呪いなのに優しい?」
「ぼくが頼み込んだんだ。命懸けで」
もう朧げにしか覚えていないけど、故郷から前の世界に渡った後、初めて出会った戦場で死にかけたぼくの命を救ってくれた白髪の爺さん。
その爺さんが"優しい魔法使い"だ。
彼とどんな日々を過ごしたのか、もう思い出せない。
彼をとても困らせて、でも大切に育ててくれたことは覚えている。
言葉と文字、戦場での生き残り方、あの世界での生き方。
クソガキだった自分に色んなことを教えてくれた。
失くしたはずの家族を思い出させてくれた。
そんな彼が叶えてくれた最後の願いが、この呪いだ。
呪いの解き方は教えてくれなかったし、彼の死体と一緒に彼の研究記録も全て灰になったから、解き方を調べる術すらなかった。
「ほう。その呪いで強くなったのか」
「ん? これは死ねないだけだよ?」
「ならばその力はどうやって」
「そりゃおめぇ、何度も死にながら戦場で鍛えたのさ」
マリーの眉根が寄り、ヒクヒクと動いている。
「……痛みはあると言っておらなんだか?」
「あるよ?」
「なのに戦場を?」
「うん。マリーより強い奴がアホほどいたね」
その言葉を聞いたマリーの顔が輝いたように見えた。
でも、何かに気付いたのか、その顔は苦渋に歪んでしまった。
「……その、"前の世界"ではどれくらいの時間を過ごしたのだ?」
「分からん。ほとんど戦場にいたし、年号もコロコロ変わってたからなぁ。宮仕えした時に確認できたのは600年分くらいだったか? それも正しいかどうか分からん」
真剣な表情でいちいち頷き、考え込んでいる。
ぼくの左腕に触れたまま。
くすぐったいから離してくれていいんですよ?
「宮仕えとは、士官のことであるな?」
「んだな。ほとんど最前線送りだったけど」
「その他は?」
「文官や派遣領主もやった。王になったこともある。ぼくにゃ務まらんかったけどな。身内に滅ぼされたり、椅子から逃げ出して数年後に滅びたり」
思い出すだに苦い記憶しか甦らない。
不思議と悪い評判は耳にしなかったけど、悪い評判が出るようなことすら成し得なかっただけだろう。
「安い正義感に燃えただけの、思い上がったクソガキだった。誰も信じなかったし、誰も頼らなかった。お陰で勉強だけは人一倍やったから……うん。それでも、失くしたものの方が痛ーッ!」
「いちいち暗いわ阿呆!」
ぼくの左腕がマリーの手の中でギリリと音を立てて引き絞られている。
「で? 喧嘩に明け暮れてた悪ガキが、なんでそんな心変わりしたんだ?」
「いや……マリーさん? せめて手を……イダァッ!? 違う! 強めるんじゃなくて!」
「
「先にもげるわ!」
ベシッ
鬼のような形相でぼくの腕を掴むもんだから、解放された腕には真っ赤なマリーの手形ができていた。
千切れられるかと思った……鬼のぼくより鬼らしい形相ってどうなのよ?
「どうせ女絡みなんであろ!」
「ちげーよ! ……いや、そうとも言えんか。一回は妻が絡んで」
ゴスッ!
「……ッ!?」
マリーの華麗なローキックが、ぼくの脛を打ち抜く。
声にならない叫びが口から漏れ出た。
い た い☆
「妾というものがありながら……ッ!」
「まだ付き合ってもおらんわ!」
「……そうだったかのう?」
このマリーの様子は、午前中の暴走を彷彿とさせる。
思い込んで感情が突っ走るとこうなるんだろうか。
グスタフもこういう経験したんかねぇ?
……いや、なさそうだ。
あの男はマリー命の
「おまえはグスタフと付き合ってんでねーの?」
「子を産んだだけだぞ? 妾を孕ませたのはグスタフだけではない。ここ200年で唯一妾に子種を仕込む権利を与えたのはあの男だけだが、それより前は何人もいたものだ」
反応に困ることをしみじみと自慢されても、本当に困る。
それに、この世界のエルフは、そんなに短期間で子どもを産めるもんなんだろうか。
「そんなことよりおまえ、その妻はどうしたのだ」
「話してもいい。だが、受け答え次第で俺はすぐにここを出て行くし、二度と近付かない。いいな?」
今度はぼくが鬼の形相になってるんじゃないだろうか。
元々鬼なんだけど、そういうことじゃない。
ぼくの大事な部分だから、それを軽い気持ちで踏み躙られそうな空気は許さない。
そんな気持ちは伝わるだろうか?
ぼくの頭の中だけの
もしそうであるなら、マリーにはぼくの気持ちが理解し難いんじゃないだろうか?
ぼく自身、マリーの意図や気持ちを知ろうとせずに、"子種"関係の行為を否定しようとしている。
マリーにはマリーの考えや思いがあって、そういう行為に及んでいたはずだ。
やらかしてしまった気がする。
「其方の奥方を悪し様に扱う気は無いのだ。だが、怒らせてしまうのも当然の振る舞いだったと妾も思う。悪かった」
小さくなって俯きながら素直に謝られると、後悔の念も深まる。
胸が痛い。
「ぼくもカッとなって言い過ぎた。ごめん。長い話でもないんだけど、ずっと立ち話ってのもなんだ。場所を変えて……」
そう言いかけて食堂を振り返ると、部屋はもぬけの殻になっていた。
テーブルの上には、ご丁寧に冷えたワインまで用意してある。
マリーを振り返ると、どうした? 何かあったか? と表情で問われる。
「知ってた?」
部屋の中を指差して尋ねると、なんだそういうことかとでも言うかのように、
「気付いておらなんだか?」
首を傾げて問い返されてしまった。
どうも熱くなってしまっていたらしい。
自覚はしてたけど、こうも気付かないもんだとは思わなかった。
まぁ、いいか。
「じゃあ、座って話すか」
「うむ」
マリーの足取りは軽い。
この感じだと、マリーと手合わせして負けることはなくても、勝てそうにないな。
色々と敵わない。
ワインに近い椅子に隣り合わせに腰を下ろし、互いのワイングラスにワインを注ぎ合う。
手酌でもいいんだけど、それは2杯目からでいいだろう。
「さて、何から話そうか」
「馴れ初めから簡潔にかの」
「へいへい。だいぶ記憶飛んでるから、覚えてる範囲でな」
「……承知した」
マリーは意外そうな顔をして頷くけど、ぼくは苦笑いを返すことしかできない。
大事な思い出なのに、櫛の歯が欠けるようにボロボロと抜け落ちていて、思い出せることは少ないんだ。
だからしがみついているのかもしれない。
グラスのワインを一口含み、口の中を濡らして飲み下す。
味はしなかった。
「妻と出会ったのは、色んなことに疲れて無計画に放浪の旅をしてる最中だったかな。
今と同じくらいの季節だった。
妻は透き通る湖のような青色の髪の少女でな、瞳の色は髪より濃い青色、天真爛漫といった感じの快活な子でな。戦争だらけで疲弊したあの世界では珍しい人種だった。
国王やったってのは、その子の友人が困ってるってんで、一緒に行った先での話だ。裏であれこれ策謀巡らせて、流れで王になった。その椅子も冬の前に関係者に譲った。3ヶ月弱ってところか。
その子が病で倒れたんだ。
愛着の薄い国より彼女を選んだ。
ただ、医者に長く保たんと言われたらしくてな、落ち込んで痩せ衰えていく彼女を励ます内に、彼女にも好いてもらえて夫婦になった。
それからは、短いけど濃い日々を送れたと思う。
ぼくが治癒魔法を覚えたのはその時だ。生まれて初めて、誰かを生かすために真剣に学んだ。
年を越せるか怪しいと言われながら、なんとか年越しを迎えて喜び合って、次は二人で『桜』を観に行こうと約束を交わした」
「サクラ?」
「ああ、そう。この世界にあるのかは知らんけど、春になるとピンクの花を咲かせる木があるんだ。花びらは5枚の離弁花で、雨が降ろうもんなら満開の花がほとんど落ちてしまうほど脆く、儚い。そこが美しいのだと、多くの人に愛される春の象徴みたいなもんだな。この世界に来て日は浅いけど、あの世界とそう変わらんようだから、探せばどこかにあるんじゃないかな」
そう、と呟くマリーの表情は穏やかな微笑みを湛えていた。
話している内に、ぼくもマリーと同じような表情になってたんだと思う。
顔から力みが抜けて、頬が緩んでいるのが分かる。
ちょいちょい目頭が熱くなるんで言葉は時々止まるけど。
「まぁ、話はもう終わるんだ。『桜』の開花がもうすぐって時に、妻は死んだ。2ヶ月ちょっと、ほとんどベッドに寝たきりの妻との短い夫婦生活だった。その妻の遺言が、今の生きる目的かな」
「奥方はなんと?」
「他の誰かを愛することをやめないで幸せになって……と、そんな感じで
苦笑い……したつもりが、涙腺が決壊した。
抗いようもなく涙が溢れ出す。
「いや悪い。泣く気はなかったんだ。すまん……まだキツかった……」
言い終える前に言葉は嗚咽に飲まれた。
溢れ出す感情がなんなのか、自分でも分からない。
自分がこうして泣いていることも辛い。
でも、何度も繰り返したことだから、対処も分かってる。
知らぬ間に力んでいた体から力を抜くよう意識し、嗚咽もろとも肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出す。
それからゆっくり深呼吸を3回。
終わる頃には体の力みも抜け切って、涙も止まっていた。
顔を挙げたら、右手を宙で泳がせていたマリーの困った顔が、苦笑いに変わった場面に鉢合わせてしまった。
「おまえは器用なことをする」
「そうか? 戦場でもやるだろ?」
「ここは戦場か?」
マリーの言葉に責めるような色はない。
寂しさと悲しみの感情が伝わってきて、かえって胸に突き刺さる。
「いや、ごめん」
「謝るな! 違うのだ。そういうことではない……おまえが泣いてやらねば、他に誰が泣いてくれる!」
拳を握りしめ、小さく肩を震わせながら絞り出されたマリーの叫びは、堪えられていた嘆きと共に涙まで押し出してしまったようで。
自分の頬を伝う涙の感触に気付いてか、顔を真っ赤にして慌てて手で拭おうとするも、溢れ止まぬ涙を止めること適わず、両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。
泣き虫も伝染してしまうらしい。
ぼくが着替えさせられた服の胸ポケットには小綺麗なハンカチが収まっていたので、椅子に座る彼女の傍に移動して身を屈め、震える背中を軽く撫でながら、これを使うようにと伝えてハンカチを握らせる。
「えー……マリー? あのな? 泣いてくれた手前、非常に言い難いんだけど。ぼくが泣いてしまったのは発作みたいなもんなんだ。ぼくは大丈夫だから……ありがとな」
「分からん!」
「そうだよな。でもさ、妻は幸せになれと言ってくれたのよ。笑えとな。誰かを愛することをやめるなと願ってくれたわけよ。なら、泣き続けるのはなんか違うと思うんだ」
「それは……少し、分かる」
「うん。責めてくれた方が楽だと思ったし、死ねばまた一緒になれると思ったりもしたけど、妻のお陰でそれがぼくだけのための我儘だと気付けた。愛してるなんて口にしながら、ちっとも妻の気持ちを大事にしようとしてないと理解できた。厳しいよなぁ……そんだけ想われたら、笑って応えなきゃ顔向けでけんだろ」
ぼくが話してる間に落ち着いてきたマリーから離れ、元の椅子に腰掛け、グラスの中で
香りは薄く、ブドウの甘味とアルコールの苦味が喧嘩していて、後味も悪い。
辛うじて氷が残るワインサーバーで冷えているワインを新たに注ぎ、口に含むと、温度でこれほど味が変わるのかと驚かせてくれる美酒に、舌が歓喜を訴える。
ワイングラスは他にも新しいものが有ったので、冷えたワインを軽めに注ぎ、目が合ったマリーに手渡した。
それからは朝まで取り留めのない話をして過ごし、朝食の準備に訪れた城の従者に酔い潰れたマリーを預け、長い晩餐会はお開きとなった。
その後ぼくが城内で迷子になったのは、不可避の事故だったと弁明させて欲しい。
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