誰かの正義

「あの二人の治療もあるから、手短になー?」



 アデリーに手渡された野営用の毛布を腰に巻き、胡座をかいて座る小柄な男、コルドゥに詰め寄る。



「ええと、あっしの安全の保証はどれくらい希望できるんですかね?」



 出自がなんとなく想像できてしまうような、おどけた仕草の最中にも油断なくこちらを窺う眼差し。

 コルドゥは開拓村で通信の役目を担う正規兵で、外部との連絡の任務がない時には見張り台に立って監視の任務にも従事している。

 通信兵はとても重要なポストなので、人選は厳しいというのが前の世界での基準だった。

 グランティンバーの人選や運用がどうなってるのか、詳しく知らないので何とも言い難いけど、コルドゥは油断ならないと勘が告げている。


 疑ってこそいたけど、能力を低く見積もって油断してたので、今更何言ってんだと自分でも思う。

 が、既存の認識に固執して事実を否定したところで得られるものはほとんどない。

 さっさと認識を改めた方が遥かに有益だ。


 さて、そんなコルドゥへの安全の保証?



「命は保証するよ」



 そう告げたら、コルドゥの表情に微かな安堵が浮かぶ。



「出てくる情報次第で、体に残る部位が増える……ってのはどう?」



 続けた言葉でそれも搔き消え、気持ち顔から血の気が引く。

 変化は僅かなので分かりにくいけど、逆にその反応がコルドゥの素性を物語ってしまっていると考えることもできる。

 こう考えさせることすら彼の思惑の内かもしれないけれど。


 裏稼業に従事する者との交渉は、何度経験しても慣れない。



「エンさんが言うと冗談に聞こえやせんぜ?」


「そういう探りは無駄だと思うよ?」



 遠回しな腹の探り合いは苦手なので、ぼくは腹を割って実直に話を進める方向性を示す。

 のらりくらりと躱そうとするなら、どうせ情報の信頼性を疑わなければならんのだ、話を切り上げて手持ちの情報で次の選択を決定する方が早い。


 それに、早く服を入手しに行きたい。

 そのためには話は手短な方が望ましい。

 せめて靴が欲しい。

 服は最悪、虎皮のパンツで我慢する。


 この世界に虎っているんだろうか?



「で、どうすんの? ぼくはもう、他にあんなのがいると覚悟したから、多少は手荒な手段も取ると決めたよ?」


「うぇえええええええ!? ちょ! 勘弁してくださいよ! あんたらみたいなバケモノはそんなゴロゴロ転がってねーですから!」



 アデリーとアメリアさんの方を向くと、神妙な顔でウンウンと頷いている。



「それにケント坊ちゃんとガーネットお嬢様がこんなタイミングで出てくるなんて、あっしだって聞いてなかったんすよ!」


「あーはーん? そこんとこ詳しく」


「あっしの雇い主の名は明かせませんが」


「コルドゥが転がってる間にロザリオって名前は聞いたなぁ」


「うぇえええええええ!? 相変わらず口軽っ! だから嫌んなって隊長のとこに飛ばしてもらったのに!」



 コルドゥは割と本気で泣きが入っているように見える。

 なんとなく察しは付くけど、確認しておこう。



「コルドゥってさ、元はあの二人がやり散らかした後始末・・・が仕事だったとか?」


「マジで酷いんすよあいつら! 正義の味方ごっこだかなんだか知らねぇが、貴族や商人の不正の情報掴んだとか言って半端な策でそういう奴らをぶっ殺すわ、善人ぶって生かして残した連中にベラベラと自慢話披露して情報与えるわ、後始末する身にもなれってんですよ!」


「あー……いつ頃から? 頻度はどんなもんで?」


「坊ちゃんの暴走は10年前からっすね。最初は酷いもんでしたよ……もうほぼ毎日、殺しはなかったけど騎士学校の生徒やら教師やら手当たり次第……あっしがどんだけ頭下げて回ったことか……」



 コルドゥから急激に覇気が失われて行く。

 歳は40そこそこくらいに見えるけど、本当はもっと若いのかもしれない。

 元々白髪がちらほら見えていた茶色の髪も、この短時間で一気に白髪が増えているように見える。

 結石とか大丈夫かな。



「その後は頻度こそ下がったんすけどね、身内の貴族や商人にまで手を出し始めちまって。でも、エンさんも見たっしょ? 手が付けらんねーんで、ロザリオ様も処分に困ってらした・・・・・・・・・んすよ」


「大変だなぁ」


「隊長のとこは天国でした」



 随分と本音で話してくれてるように見えるけど、彼の目的は何だろう?

 ぼくからの脅しに屈したからだとは思えない。

 やろうと思えば、あの手この手で自殺くらいできるはずだ。



「今受けてる任務は?」



 切り口を変える。

 凡その把握はできたし、他に必要な情報は恐らく後からでも聞けると判断した。



「ジョージへの情報提供も兼ねた開拓村の調査と報告っす。最初の頃こそ真面目に仕事してましたがね、居心地が良かったんで、ジョージの内偵も取り込んで多少は隊長に配慮してやした。エンさんが来てからはそうも行かなくなりやしたけどね」


「アデリーの人徳様々だなぁ」


「言ったっしょ? 隊長のとこは天国でしたって」



 コルドゥは苦笑いしながら肩を竦めてみせる。



「どうするねアデリー?」


「なんか変わりそうな予定でもあるか?」


「ってことらしいよ、コルドゥ?」



 露骨にほっとした顔をするコルドゥに苦笑いしてしまったけど、右手を差し出して握手を求めることにする。



「とりあえず、あの二人の処分はぼくに任せるってことで。この件の報告その他は、話し合って決めようか。改めてよろしく」


「手を取ったらブスッ! とかないっすよね?」


「どうだろうね?」


「ヘッヘッヘッ……お世話になりやす!」



 コルドゥはパンッと音を立てて手を重ね、ぼくの右手を握り返す。

 その手を引いて立ち上がらせ、手を握ったまま、笑顔でその手に魔術を仕込む。



「いでっ!?」



 反射的に逃げようとする手を離さず握ったままで、何をしたのか問うような視線を投げかけるコルドゥに笑顔で返す。



「ぼくが信じるのは可能性まで。だからこれは保険な。ぼくに対して次に嘘ついたら……」


「えええええ!? 信じてくださいよ!」


「失くした信用は戻らないって知ってるでしょー? もっかい勝ち取れ! 信用できたら解除するよ、その誓約の紋」


「……は? って、えええええ!?」


「エルフに習った。オレ覚えた。だから使える」


「そんな簡単そうに……! えええええ!?」



 マルセリー愛用、誓約の無い誓約の紋を刻んで、次の予定に取り掛かることにした。

 ハッタリだとすぐ気付かれるだろうけど、それはそれでいい。

 少なくともコルドゥは積極的にアデリーを裏切ろうとはしないだろうし、もし裏切ることがあれば、それは彼なりに退っ引きならない事情が生じた時なんだと思う。

 そういう事情が生じ難くなるように、足場を固めて行く手間が増えただけだ。


 解放されてアデリーに泣きつくコルドゥを苦笑いして見送り、ふとアメリアさんに視線を移す。



「アメリアさん?」


「はいッ!」


「アメリアさんも誰かの内偵だったりします?」



 ブンブンと音が聞こえそうな勢いで首を横に振って否定してくれた。



「旦那、あんまりイジメんでやってくれ」


「諜報や暗殺は女性が担うことの方が多いんだぞう!」


「違いますからー!」



 これ以上からかうと怒られる。

 そう悟って、笑って誤魔化しながら次の作業に取り掛かることにした。





―――





 積み重ねられた干木が、時折パチパチと音を立てて小さく爆ぜながら、炎を揺らめかせる

 その焚き火から少し離れた草地に座って、ぼくは新しい服の着心地を確かめていた。

 関節部位が厚手の生地は羊毛なのか、チクチクする上にやや暑い。

 上下とも明るい灰色に染められていて、デザインも簡素で実用性重視という印象を受ける。

 その上に鎖帷子くさりかたびらを着込み、更にその上に黒く染められた革製の軽鎧を装着している。


 ぼくが次の作業に取り掛かっている間、コルドゥに近くの駅まで馬車を確保しに走らせ、ついでにぼくの服の入手も頼んでいた。

 馬車で戻ってきたコルドゥに渡されたのが、グランティンバー正規兵の装備一式だった。



「それで角がなければ正規兵で通るな」



 アデリーが笑って言ったのを思い出す。

 黒髪の兵士ってだけで目立って仕方ないと思うけど、角の違和感には劣るか?


 何にせよ、半裸状態を卒業できたのは幸いだった。



「はッ!」



 焚き火の向こうで、跳ねるように起き上がる人影が目に映る。



「よう。意外と早かったな」



 その人影に声をかけると、そいつはハッとしたようにこちらを振り向き、表情を憤怒に染め上げていく。



「キサマ……ッ! よくもガーネットを!!」



 人影、ケントは、右手を真っ直ぐこちらに向け、その手のひらに光が灯って、消えた。



「な………んで…………?」



 何度も何度も同じことが繰り返される。

 そんな様子を意に介さず、手元のカップに革の水筒から水を注ぎ、そのカップを持って少年に歩いて近付く。



「飲んどけ。出血は少ないけど、水分は足らんだろ」



 差し出したカップを振り払おうとした手をヒョイと避けて頬を蹴り飛ばし、転がった少年の隣に座り、カップを地面に置く。



「相手を殺したいんなら感情に流されんな。冷静に状況を把握して、計算して動け。騎士学校とやらでは、そんな基本も教えてないのか?」


「うあああ! ガフッ!?」



 起き上がってなお掴みかかろうとした少年の顔、その口を塞ぐように右手で掴み、左手の人差し指を立てて自分の口元に当てる。



「静かにしてろ。お嬢ちゃんも起こしちまうだろ」



 驚愕に見開かれた目が、キョロキョロと動いて何かを探し求め、一点で止まって涙を流し始めた。



「………ふぁーふぇっふぉ…………」



 顔を掴んだ手を離して解放すると、少年は崩れるようにその場に座り込む。

 その目は揺れる炎に照らされながら眠る赤いドレスの少女から動かず、静かに声を殺して泣いた。




 それからおよそ1時間、ようやく落ち着いたケントはガーネットの側に座り、ぼくはその隣に座って薄い紅茶をチビチビと飲んでいる。



 眠る少女の深紅のドレスには肩から先の袖はなく、スカート部分もミニスカートと言える長さまで短く断たれ、今はそんな下半身を隠すように毛布がかけられている。

 少年の服も似たような状況で、上着は血飛沫で斑らに染まってはいるけど、それがそこそこ似合っているので複雑な気分になる。

 二人とも身長はほとんど大人のそれだけど、顔には幼さが多分に表れ、少年にいたっては細身で少女然とした美形とあって、中性的な雰囲気を醸し出している。



「先に言っておく。おまえの魔法は使えんようにした。魔力が集中するとそれを掻き乱す呪いをかけてある。魔力集中が短くて済む魔術なら使えるかもしれんが、身体強化はできんだろう」



 言われた少年は少女を見つめたまま、そうか、と気のない返事をする。



「お嬢ちゃんにかけた呪いはちぃとエグい。攻撃の意思に合わせて発動する痛みの呪いだ。再現される・・・・・痛みは、今日ぼくがお嬢ちゃんの四肢を切断して焼いた記憶をベースにしてある。発動すればたぶん神経が焼き切れるし、脳にも軽くない負担がかかる」



 ガバッと勢いよくこちらを振り返る少年の目を冷たく見返し、言葉を続ける。



「守りたければ争いを避けろ。面倒ごとを知恵で乗り切れるように頭を使え」



 そこまで言って、溜め息を一つ吐き出す。

 吐き出しきれない疲労感と無力感を溢すようで、それは深く、重かった。



「ぼくが言っても説得力ないんだけどな。こっち来てから力技しか使ってない」



 この世界に辿り着いてから今日までの日々が脳裏を駆け巡り、もう一つ溜め息が零れ落ちた。

 悪いことばかりではなかったけど、悪いことの程度が酷い。

 自分が殺した人々の死に様が浮かぶたびに後悔と自責の念が募る。

 誰からも愛されなかった者などおるまい。

 自分という理不尽モンスターと遭遇しなければ失われなかったはずの命だ。


 そうすれば違う命が失われただけだと理解しているし、そうであっても絶対に死ななかったとも断言できないと理解はしている。

 そもそもたられば・・・・で自分を責めることに益はない。



「前の世界で出会った『日本人』は戦争のない日常を懐かしんでいた。避けられない争いに巻き込まれて、仕方なく戦ってる者が少なくなかった。ケント、おまえはどうなんよ?」


「俺は自分の正義を貫いてきただけだ」



 直ぐさま答えたその声は、少女への配慮からか声は抑えられていたけれど、確信と熱の籠った言葉だった。


 その言葉に溜め息が出る。



「正義ねぇ。自分の気に入らない者を、無法に、暴力でぶち殺すのがおまえの正義なんだ?」


「あいつらは! ……人間じゃない。力のない民を踏み躙って笑うような悪魔だ」


「ぼくを殺そうとした時のおまえみたいにか?」


「ちが…………」


「うん。大して違わないよな」



 何やら葛藤している様子の少年を突き放すように言い切り、視線を外してカップを揺らす。


 正義という言葉は、なんか知らんが大衆に大人気だ。

 特に人口が密集していて防備も堅固な場所の住人ほど、取り憑かれたように正義をありがたがる。

 そうした都市部を離れた途端、正義という言葉は鼻で笑われるようになる。

 戦場を渡り歩くと、そういう違いには否応なく直面させられる。

 都市部を離れた集落では、物資の徴収、糧食の調達と称して、所属に関係なく兵士の略奪に晒される。

 兵士は誰も彼もが正義を謳いながら彼らの僅かな糧を奪い、働き手である男を連れ去り、女を犯し、戯れに子どもを殺したりもする。

 兵士による蹂躙が終わった後に残るのは、荒らされた田畑と傷を負った人々、そして飢餓。

 それでも生き抜くために、兵士と入れ替わりで現れる人買いに女子どもを差し出して日々の糧を確保し、それができない集落は滅びる。

 ぼく自身、そうして奪う側を経験したこともある。

 奪われる者を守ろうと戦ったこともある。

 守るために戦っても感謝されたことなどほとんどない。

 守ったはずの人々に襲われることの方が多かった。

 憎みようがない。

 自分が振り翳した正義が、恐怖と憎悪とを生み、育み、それが返ってきただけなのだから。



 幸か不幸か、ぼくはそういう経験をできた。


 この少年はどうだろう?

 ぼくが生まれ育った『日本』を生きた彼に、そんな経験はあっただろうか?

 戦争だなんて大きな争いでなくとも、似たようなことは繰り返されてたんじゃないだろうか?


 だからこそ、彼は今、苦渋を浮かべながら葛藤しているんじゃないだろうか。


 甘い考えかもしれないけれど、そうであるならいいなと思う。

 生きてる間しか反省や改善を体験できないんだ。

 何度失敗してもいいから、上手な生き方を身に付けて欲しいと願う。

 その挑戦は、成功も失敗も、一人では決して生み出せないのだ。

 二人から始めて、二人で過ちを乗り越えてくれたらいい。


 これまでどんな生き方をし、どんな思いを抱えているのかは知らない。

 大して興味もないし、敢えて問う気もない。

 いつからでもやり直しはできるし、幸いなことに得難い若さがそこにあるのだ。

 特権を活かして幸せになってくれればいい。



 それ以降、特に言葉を発することもなく、朝までの時間を過ごした。

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