召喚の契約

 東の空が朝焼けに赤く染まり出した頃、アメリアさんと、彼女の計らいで彼女の私服に着替えた魔術士と、ぼくとの三人で、食堂で朝食の時間までを過ごすことにした。

 同性だから落ち着くのか、アメリアさんの人徳なのか、魔術士は彼女に多少は心を開いている様子だったので、同伴をお願いした形だ。


 年齢の関係もあるんだろう、アメリアと魔術士とでは身長が頭二つ分ほど違うので、魔術士はぶかぶかの麻のワンピースの袖を捲り、スカートの裾を腰元で調節して幅広の紐で留めて、それっぽく着こなしている。

 今は髪をどうするかで、二人で楽しそうに話している。



 アメリアさんは二十代半ばくらいだろうか?

 明るい茶色の髪をボブカットにしていて、明るい水色の瞳と相まって、柔らかい雰囲気のお姉さんという感じだ。



 魔術士は十二歳程度だろうか?

 真っ赤なロングヘアが雑然と伸びてるだけという感じで、痩せこけているせいもあって、陰気な印象を受ける。

 ちゃんと飯食わせて体型が安定したら、印象はガラリと変わるんだろうと思うけどね。



「ところでお嬢ちゃんや」



 思い付いたように言うと、二人ともぼくに顔を向けてくれる。

 アメリアさんもお嬢ちゃんって呼ばれたいのかな?



「名前、どうするね?」


「「サリィじゃないんですか?」」




 二人で綺麗にハモっていただきました。


 保留になってると思ってたのは、どうやらぼくだけだったらしい。

 押し付けだし、自分のネーミングセンスに自信もないし、嫌だと言われても仕方ないと思ってたので、そんな胸中をそのまま打ち明けると、



「私は父も母も奴隷なので、名前を頂ける日が来るなんて夢にも思っていませんでした」



 そう言って喜ばれ、嬉しいやら切ないやら、複雑な気持ちになる。


 アメリアさんの説明によると、グランティンバーでもヘルマシエでも、奴隷制は縮小傾向にあるものの、富裕層を中心に奴隷が売買されていて、奴隷が名前を持つことは基本的に法で許されていないらしい。



「あんれ?それじゃ、ぼくがサリィを自分のものにしたのって、犯罪になるん?」


「いえ、奴隷兵の場合は、捕虜にもせずに殺すのが慣例なので、戦闘に負けた時点でその所有権は無くなったものとして扱われます。これは一般兵も同じで、唯一の例外が貴族です」



 貴族は身代金が取れるからだそうな。

 敗残兵の装備品や所持品は、戦勝兵の臨時収入として略奪が許されていて、生け捕りにした奴隷兵も当然その対象になるんだとか。

 ただ、奴隷兵を所有できる者はどうしても限られてしまうので、基本的に殺してしまうらしい。


 同じ人なのに、難儀な世の中だよなぁ。



「なあ、サリィ」


「はい、なんでしょう、ご主人様?」



 髪の色に似た赤い瞳がぼくに向けられる。



「ぼくのものになれとは言ったけど、あれはホレ、誓約の紋が消えた確認するための方便だからさ。ぼくをご主人様と呼ばなくてもいいんだよ」



 言い終えると、サリィの顔色が青褪めていき、目に涙を溜めながら震え出してしまった。



「あー……要らないから捨てるとか、そういうことじゃないんだ。むしろサリィは必要ではあるんだ」



 サリィは困惑気味に首を傾げる。

 子犬みたいでかわいい。



「説明するにも長くなるんで、落ち着いたら詳しく説明しよう。とりあえず、ぼくは家がないし金もない。身分もなければ身寄りもない。しかも、人ですらない。それが理由だと思っててくれればいい」



 自分の角を指で弾いて示すと、渋々頷いてくれた。

 そして、大事なことに気が付いた。



「そういえば名乗ってなかったっけか?」



 サリィも言われて気付いたようで、ハッとした表情を浮かべる。



「威焔という。姓はない。発音しづらいだろうから、アメリアさんみたいに"エン"と呼んでくれればいい」


「はい、ご主人樣」



 真剣な表情で頷かれてしまった。

 好きに呼んでくれて構わんといえば構わんのだし、無理強いしたところで困らせるだけだろう。

 当面は聞き流すことにしよう。




 そうこうしているとホフマン師匠が食堂に現れ、朝食の準備を始めたので、サリィ用に消化の良い食事をとお願いしておいた。


 

 しかし、当たり前のようにタダ飯食ってるけど、ぼく自身は無一文で宿無しなんだよなぁ。

 それでいて世間知らずな無知の塊だ。

 アデリーに色々と相談して世話になろう。

 よし、そうしよう。



「おーい、エンさーん! 準備できたから持ってってくれ!」


「へーい」



 用意されたのは、オートミールとベーコン入り野菜スープ、三人とも同じメニュー。

 ベーコンは何の肉なんだろう?



 サリィの食事する様子を確認しつつ、昼までの予定の段取りを頭の中で雑に組み上げ、食事を済ませる。

 その頃には食堂に人が増え始めていたので、アメリアさんは本来の業務に戻り、ぼくとサリィは村の東側の草原に移動した。


 食堂の中や草原までの移動中、挨拶を交わした人たちは拘束されてないサリィを見て一瞬ギョッとするものの、ぼくの顔と彼女の服装を見て態度を緩和させてくれた。

 誰もが歓迎してくれたわけではなかったけれど、表立って罵声を浴びせたり、暴力を振るおうとする人はいなかった。



 草原、といっても、村の建物から五十歩も離れていない場所で、太陽の傾きを確認し、サリィにこれからすることの説明を始める。

 召喚の実験に付き合って欲しいと伝えると、人を召喚する魔法を聞いたことがないと驚かれたけど、だから実験なんだよとお茶を濁しておいた。


 実験の要素はこの世界でぼくの召喚魔法が通用するかどうかだけで、その他は確認でしかないんだけど、その辺は追々説明すればいいだろう。

 ざっくりと説明して召喚の契約を行う。



「ほんじゃ始めるよー」


「はい!」


「えーと、それっぽい雰囲気でやるのと、基本だけ押さえて雑にやるのと、どっちがいい?」


「はい?」


「たとえば、魔法の詠唱って

『我、古の盟約に基付き、天と地の精霊に請い願う。大地よ、その御姿を我が盾と成し、天よ、我が前にその盾を顕現させ給え。その盾は剣を弾き、魔を押し止め、我が身に降り掛かるあらゆる厄災を退けるものなり。大地の盾アースシェル

 って感じじゃん?」



 地面から土でできたような盾がせり上がり、ぼくの正面で宙に浮いて静止する。

 体の向きを右に左にと移動させると、盾はその動きに合わせてぴったり正面に付いてきて、解除すると淡い燐光となって消える。


 その様子をサリィは感心して眺めていたけど、盾が消えた後、ぼくに向き直って控え目に右手を挙げる。



「ご主人樣、質問です」


「ほいほい?」


「私、その魔法も聞いたことがありません。後で教えていただけませんか?」


「ぼくのオリジナルではあるけど、似たような魔法は有るんでない?」


「……たぶん」


「教えるのは構わんよ」


「はい! ありがとうございます!」



 脱線してますサリィさん。

 まぁいいか。



「話は戻るけど、魔法の詠唱ってこんな感じだよね?」


「そうですね」


「じゃあ、こういうのは?

『外の魔力を使う。土の盾を作る。丈夫に作る。ぼくの正面に作成して固定。大地の盾アースシェル』」



 前回と同じ土の盾が、前回と同じ形で出来上がる。

 サリィは口を半開きにして呆気にとられている。



「魔法って魔力を意識でこねる粘土細工みたいなもんだから、その工程が分かってればこんなこともできる。

大地の盾アースシェル』」



 土の盾がもう一つ、ぼくの右側にできる。



「なんなら声に出す必要もない」



 更にもう一つ、ぼくの左側にもできる。



「こんな感じで魔法は便利だけど、魔力の量には限りがあるから、ご利用は計画的に」



 土の盾が三つとも淡い燐光になって消える。

 サリィは目が点になっている。



「ってことで、それっぽい雰囲気でやるのと、基本だけ押さえて雑にやるのと、どっちがいい?」



 軽く頭をポンポンと叩いて再確認してみる。

 意識が戻るスイッチとか付いてないかな。


 あっても困るか。



「雑な方でお願いします」


「ほいほい。魔法の勉強は、また別の機会にぼちぼちやろうな。ぼくも知らないこと多いし、サリィが知ってる魔法を教えてくれると嬉しい」



 頭を撫でて告げると、コクコクと頷いてくれた。

 赤い髪は細くてクセもなく柔らかい。

 ずっと触っていたい感触だけど自重しよう。



「じゃ、始めよう。やって欲しいことは都度説明するから、その通りにやってくれたらいいよ」


「はい。分かりました」



 サリィと向き合って両手を繋ぐ。


 苦労してる手だなぁ。

 何度もマメができては潰したような、皮の厚くなった手の平の感触には、規則性が見て取れない。

 何でもやってきた苦労人の手だ。



『ぼくは威焔。君はサリィ・グラシリスティラだね?』


「はい」


『ぼくとサリィの魂を繋げる魔力の糸を作る。了承するなら、魔力を受け入れてください』


「魔力を?」


「うん。ぼくの両手から、ぼくの魔力を感じるでしょ?」


「はい……なんとなく、ですが」


「その魔力を自分の意思で受け入れてくれればいい」


「……やってみます」


「難しく考えんで大丈夫だよ。魔法はイメージだから、受け入れると決めればできるできる」


「……? はい」


「ほれ、できたじゃろ?」


「え? こんな……簡単に……?」


「この辺は簡単、ここからが多少面倒くさい。けど、その辺はぼくが処理するよ」


「お願いします」



 笑顔で頷いて、術式を構築していく。

 自分の魔力の糸をサリィの中で固定し、サリィの魔力も自分に引き込んで同様に固定する。

 召喚用の術式を構築し、自分とサリィの魂に刻み込む。



 傍目には奇妙な光景として映るだろう。

 見た目が四十路のオッサンと、十代前半の少女とが、両手を繋いで立ってるだけなんだから。

 魔法陣が地面に浮かんでピカーっと光るだとか、二人を包む光が現れるだとか、そんな演出は一切ない。

 魂に干渉してるからか、サリィはなんかモジモジしてるけど、その様子が異様さに拍車をかけてる気はする。



「こんな感じかね。

『サリィ・グラシリスティラ、ぼくの魔法を受け入れますか?』」


「はい」


「『これにて契約を完了とする』

 お疲れさん、ありがとう」


「なんだかムズムズしました」


「誓約の紋を刻まれた時の感覚が近いんじゃね?」


「……そういえば、はい。そうですね」



 誓約の紋も、魂に刻み込むタイプの魔法だった。

 仕組みが分かれば打てる手を模索するなり作り上げることもできる。



「最初は、ぼくがサリィを召喚する実験だけやろうと思ってたんだけど、サリィがぼくを召喚できるようにも術式組んでみたから、早速実験してみよう」



 驚いた顔をしてくれる。

 反応が素直で多彩、ええ子や。



「召喚の仕方は、ぼくが喚んだ場合はサリィの心に問いかけが出るようにしてあるから、今回は了承する形で応じて欲しい」


「やってみます」



 確認して百歩ほど離れ、サリィの召喚術式に魔力を込めて起動する。

 するとサリィの方でも起動したのか、サリィがぼくを見て頷いてみせてくれたので、両手で丸を作って応える。

 サリィがもう一度頷くと、視界からその姿が消え、ぼくの真後ろに現れた。



「だーいせーいこーう! いええええええええい!」



 サリィを抱きしめて、そのままグルグル回転する。

 サリィはあわわわと言いながらぼくにしがみつき、されるがまま振り回されている。

 五回転ほどしたところで降ろし、満面の笑みで感謝の気持ちを伝える。



「ありがとなー! 召喚は一人じゃできないから、本当に助かった。ありがとう」


「お役に立てて良かったです」


「うんうん。さて、次に、サリィにぼくを召喚してもらおう」


「どうしたらいいですか?」


「また離れるから、ぼくが合図したら、心の中でぼくを呼んでくれればいい」


「分かりました」



 そして百歩歩いて振り返り、両手で大きく丸を作ると、頭の中にメッセージが浮かぶ。



『サリィ・グラシリスティラからの召喚に応じますか? YES or NO』



 YESを選択すると視界が光に包まれ、サリィの左側に出現する。

 召喚用の魔力が自分から消費されていることを確認し、術式が意図通りに完成していることを確信する。



「完成だな。サリィ、ありがとう。戻って昼飯でも食うか」



 昼にはちょっと早いくらいの時間だけど、構わんだろう。

 アデリーとの約束もあることだし、早めに食堂に移動することにした。




 食堂ではホフマンさんの他に五人が食事の準備をしていた。

 アデリーの食事の時間を尋ねると、そろそろ持っていくところだとのことだったので、ぼくとサリィの分も準備してもらい、アデリーの執務室に移動する。



「隊長、飯持ってきたよ」



 アデリー用の食事を持ったオッサンが慣れた感じで呼び掛け、返事も待たずにズカズカと執務室に入っていくので、その後ろに続く。



「お疲れー 来たよー」


「おう旦那、早かったな。と、後ろにいるのはヘルマシエの魔術士か?」


「そそ、アメリアさんが服くれてな」


「サリィ・グラシリスティラと申します。ご主人樣に名前を頂きました。よろしくお願いいたします」


「お、おう。アデリー・サロフェットだ。よろしく頼む」


「ぼくも自己紹介した方がいい?」


「旦那はいらんだろ」


「それもそうか」



 笑いながら応接用の椅子に勝手に座り、テーブルに食事を置いて、勝手に寛ぐ。

 サリィにも同じようにさせるが、アデリーも気にせずテーブルに食事を置くと、何処に隠してたのか、酒瓶を持ってきて席に着く。



「お嬢ちゃんはイケる口か?」


「いえ、私は……」


「ま、そうだな。最初の一杯だけ付き合え。ほら座んな。とりあえず飯食おうや」



 三人分のカップにエールを注いで、各々それを手に取ると、



「ほんじゃお疲れさーん」


「お疲れー」


「お疲れさまです……?」



 雑な音頭で乾杯し、思い思いにエールに口を付ける。

 サリィは初めて飲んだんだろう。

 苦味に顔をしかめながら、スープで口直しをしている。

 オッサン二人はそれを見て笑い合い、カップを空にして食事に移った。


 食事をしながら簡単に昼までの経緯と成果を説明しておくことも忘れない。



「魔術士だから身代金もガッポリ取れるかと期待してたんだが、そうか。奴隷だったか。旦那に拾われてラッキーだったな」


「アデリー、ぼく無一文の宿無しだよ?」


「旦那の腕なら士官先にゃ困らんぜ? 王室付きの将官だって目じゃないと思ってんだがね」


「宮仕えは懲りた。面倒クセェ」


「あーなぁ。楽して稼げりゃ、俺もこんな仕事してねーな」


「だろ?」



 気風が似てるからか、そんな会話が弾む。

 自分の分を食べ終えて手持ち無沙汰になってるサリィに、ぼくの残りを押し付けて食べさせながら、勝手にエールを注ぎ足しては飲み干す。


 数十年振りの楽しい団欒を味わった。

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