受験勉強その3


 俺は翌週の日曜日、また変な雑誌に騒がれないようにジェシカちゃんのマネージャーを介してとある場所の関係者以外立ち入り禁止のエリアに俺と外崎と雪の3人を連れて行って貰った。

 俺と外崎だけでも色々面倒そうに書かれるだろうし、雪が居るとこういう意味では安心だ。


「ああ……緊張する。生ジェシカが拝めるなんて……」


 赤い薔薇の花束を持参しピシッとしたスーツを着ている外崎と対照的に、俺と雪はかなりラフな格好で来ていた。

 ──5分後。

 ジェシカちゃんがマネージャーさんと一緒に部屋へ入ってきた。


「sorry、お待たせしました!」


「うおおおおお! 生ジェシカ! い、生きてて良かった……!!」


「お、おい、外崎大丈夫か!?」


 興奮のあまりメガネまで曇らせた外崎は頭に血が登ったのか、今にも貧血で倒れそうになっていた。

 人間、とんでもなく興奮すると尋常ではないくらい狂うというのはこういう事を言うのか。俺は彼を見てひとつ勉強になった。


「ジェシカ、俺、俺……あなたの大ファンなんです! 故郷イギリスでのご活躍、これからもずっと応援しています! だから、だから……また日本に戻って来てください」


 後半は涙で鼻声になっていた。色男のスーツ姿が台無しだ。ジェシカちゃんもケラケラ笑いながらハンカチで外崎の鼻を拭ってくれていた。


「そこまでジェシカのファン嬉しいね! ジェシカ日本大好き。パパは仕事、あと3年日本にいます。ジェシカ1年置きに日本来ます!」


「マジですか! また戻ってくる日を待ってます。今日は本当にあり、あり、ありがとうございました! あ、握手……させてもらってもい、いいいいですか?」


「だ、大丈夫か外崎。頑張れ……!」


 俺はもう緊張と興奮と喜びでライフがゼロになりかけている外崎の背中をそっと押した。ガチガチに震える手でジェシカちゃんの手を握りまた感動のあまり泣いている。


「お前、薔薇渡すんじゃなかったのか、ほら」


 俺につつかれて漸く思い出したのか、手汗で危うく枯れるんじゃないかと思うくらいぎっちり握りしめていた薔薇の花束を外崎は頭を下げてジェシカちゃんへ渡していた。

 そのやり方だと昔何かで見たようなベタな告白じゃないかと突っ込みたくなる。

 ただ、ジェシカちゃんはそういうのは知らないのか特に気にしていない様子で嬉しそうに両手を合わせて喜んでいた。


「わあ、綺麗なお花! ジェシカピンク大好きね」


 赤とピンクの入り交じった可愛らしい薔薇の花束を無事に渡した外崎は、ジェシカちゃんから日本語と英語のサインをそれぞれ入れてもらい始終ご満悦だった。

 ただ、あまりにも緊張し過ぎてジェシカちゃんと写真を撮りたいという当初の目的はすっかり忘れていたようだが、


『生のジェシカが拝めた。俺の目の奥にジェシカちゃんは永遠に写っている……!』


 とか訳の分からない事を言っていたけど、満足してくれたから良かったのか。何より俺も無事過去問をゲット出来て大満足だ。


 帰り道、俺はジェシカちゃんのマネージャーに呼び出された。また問題事かと思ったが、そうではないらしい。


「ご迷惑をおかけした事深くお詫び申し上げます。実はジェシカが帰るのを決めたのは、あなたの妹さんの言葉なんです」


「……え? 雪が何かしました!?」


 俺は雪がまたジェシカちゃんに無理難題吹っかけて迷惑をかけたのかと思い焦った。中学3年になってもまだ暴走機関車的な所がある雪なので、誰かがストッパーにならないといけない。


「『ひろちゃんが学校に行けなくなったら、ジェシカちゃんを一生嫌いになる』って。ジェシカはフェイクニュースを全く気にしない子ですが、周りに凄く迷惑かけたと私に泣きついてきたんです」


 雪と友達関連でも今まで色々巻き込まれて正直面倒臭いとか思っていたけど、雪は俺の大学受験を影でずっと応援してくれていたのだ。


「俺は馬鹿だな……自分の事しか考えてなかった」


「弘樹さん?」


「ジェシカちゃんに、イギリスでもいつもの元気を忘れず頑張るよう伝えてください」




 ──────




 雪はジェシカちゃんとの最後の別れがあるから暫く残っていたらしい。

 帰りはジェシカちゃんのマネージャーさんが家まで送ってくれたようで、雪は目を真っ赤にしながら帰宅してきた。


「おかえり、雪」


「ただいまぁ〜。えへへ、ジェシカちゃんに可愛いアクセサリー貰っちゃった」


 青い鳥のブローチを取り出した雪は自慢気にそれを見せてきた。

 早速つけようと嬉々としていたが、今までアクセサリーなんてつけた事のない雪は留め具部分で苦戦し、何度も針のような所に指を刺して痛めていた。あまりの不器用さに見ていられない。


「ほら、それ貸しな。俺がつけてやるよ」


 左胸に青い鳥をつけた雪は嬉しそうに鏡を見て顔を綻ばせていた。


「青い鳥さんは幸せを呼んでくれるんだって! だから、雪はこれをずっとつけて、ひろちゃんが受験勉強頑張れるようにするね!」


 真っ赤に腫らした目で俺に笑顔を向ける雪。あの子の大切な友達に対して酷な事を言わせてしまった。

 ジェシカちゃんやその周囲が俺に寄らないようにしてくれた雪の優しさに、俺はちっとも気づいていなかったんだ。


「ひろちゃん、そんなにわしゃわしゃしたら髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃう」


「……いいんだよ、なんか今日は雪が可愛く見えたんだから」


「えへへ〜。珍しくひろちゃんが優しいぞう」


 俺は雪の長いストレートヘアをなでなでしながら心の中で雪にジェシカちゃんと離れる事になってごめん、とありがとう、を伝えた。


 ──明日からは、また勉強に集中しよう。

 俺は雪のお陰で、悩みの種であった重い胸のつかえが取れたのを感じた。

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