第十一幕:ふたつの虹と太陽と

民宿風水にお世話になって三日目の朝。蝉の目覚ましに急かされるが、その声を掻き消すように布団の中に潜り込み、少し考える。

当初の目的から大きく予定が変更されている。主目的であったブロッケンの虹は、撮影できている・・・けど、今思うと、かなりコントラストが低く満足はしていない。そして、七夏ちゃんの「ふたつの虹」・・・目視では、はっきりと分かるのに、虹としては撮影できていない事。それよりも、七夏ちゃん自身の虹の見え方の方が気になる。「ふたつの虹」の撮影はできなくてもいい。けど、その持ち主には本当の虹を知ってもらいたい・・・一体どうすればいいのだろうか・・・。


蝉の目覚ましに混ざって、トントンと物音がする。


七夏「柚樹さん!」


扉を叩く音と、七夏ちゃんの声がする。


時崎「七夏ちゃん! どうぞ!」


俺は、少し慌てて布団から飛び起きる。


七夏「おはようございます! って、まだ、おやすみでした?」

時崎「おはよう! ちょっと布団の中で考え事してて・・・」

七夏「くすっ☆ もうすぐ朝食できますので!」

時崎「ありがとう!」

七夏「えっと、今日もここちゃー・・・あ、お友達が来ますので・・・」

時崎「天美さん!?」

七夏「はい☆ ちょっと騒がしくなるかも・・・です」

時崎「いや、天美さんならきっと、楽しくなるよ!」

七夏「ありがとうです! それじゃ、失礼します」


部屋を出てゆく七夏ちゃんを見送る。「ふたつの虹」・・・こんなに近くに存在するのに、触れる事が出来ない。まあ、虹自体が触れる事が出来ない存在だと思い、無理矢理納得する。見えるのに触れられない存在なんて、この世界には沢山ある。太陽や月、空に浮かぶ雲だってそうじゃないか。七夏ちゃんの虹も、その中のひとつだと思う。普通の事のように自然に接する事が大切なのではないだろうか。


浴衣姿のまま、一階の和室へ向かう。


七夏「あ、柚樹さん、おはようございます☆」

時崎「おはよう、七夏ちゃん!」

七夏「朝食、もう少し待っててくださいね」

時崎「ありがとう」


ふと、机を見ると、今出来上がったばかりと思わしき目玉焼きが二つ置いてあった。しかし、いつも七夏ちゃんが座っている席の前にある目玉焼きは、黄身が崩れており「目玉焼き」としては失敗作と言えるかも・・・。その黄身が崩れた目玉焼きを手に取り、俺の前に置いてあった綺麗な形の目玉焼きと交換する。


七夏「柚樹さん、お待たせです。今、ごはんを用意いたしますね」


そう言うと七夏ちゃんは、ご飯をよそって、手渡してくれた。


時崎「ありがとう。七夏ちゃん」

七夏「はい☆ あれ? 柚樹さん、えっと、その・・・ありがとうございます」


七夏ちゃんは、俺の前にあった目玉焼きに気付き、事を察してくれたようだ。


時崎「凪咲さんは?」

七夏「お母さんは、先に頂いてます。お心遣い、ありがとうございます」

時崎「普段は一緒に食べないの?」

七夏「えっと、お客様が居る時は別々に頂いてます。お客様から声がかかった時に、二人とも食事中というのはちょっと・・・ですので」

時崎「なるほど。じゃあ、この前みたいに三人で食事は困るのかな?」

七夏「いえ、他にお客様が居なければ、大丈夫です」


七夏ちゃんのしっかりとした答えに、感心させられるばかりだ。


時崎「いただきます!」

七夏「いただきまーす☆」

時崎「ん・・・この目玉焼き美味しい!」

七夏「すみません・・・ちょっと失敗しちゃって・・・柚樹さんは、目玉焼きと玉子焼き、どっちが好きですか?」

時崎「どっちも好きだよ。でも、焼きたては目玉焼きで、冷めた場合は、玉子焼き・・・かな」

七夏「なるほど・・・分かります! 私も作り置きの場合は玉子焼きや、ダシ巻きの方が好みです!」

時崎「そうそう、目玉焼きを後で電子レンジで暖めると黄身がポンッ! って、破裂する事があるから」

七夏「くすっ☆ あ、ゆでたまごは、もっと危険かもです!」

時崎「いわゆる玉子爆弾ってやつだね」

七夏「そういう名前があるんですか?」

時崎「いや、なんとなく・・・」

七夏「ゆでたまごは、出来たては美味しくて、作り置きもできるから便利です!」

時崎「おでんに入れても美味しいよね」

七夏「はい☆」

時崎「で・・・おでんの中で、ゆでたまごを潰して、ダシを濁らせてしまう・・・と」

七夏「見た目はともかく、それはそれで美味しくなると思います!」

時崎「俺は、自分の皿の中で、先にゆでたまごを潰す事もあるけど」

七夏「くすっ☆」


・・・七夏ちゃんと、玉子料理の話題が弾む。お料理の話をする七夏ちゃんは、いつも以上に楽しそうだ。セブンリーフの事を話してた七夏ちゃんの笑顔と重なる。俺は今の七夏ちゃんの笑顔を、普通で自然な事にしたいと思う。


凪咲「柚樹君。おはようございます!」

時崎「あ、凪咲さん! おはようございます!」

凪咲「七夏。お母さん、ちょっとお出掛けするから、お留守番お願いね。午前中には戻るから」

七夏「はい☆」


・・・朝食を済ませ、居間でのんびりとくつろぐ・・・七夏ちゃんは台所で食器を洗っているのだろうか、不規則だが心地よい音を奏でている・・・この一時が心地よい・・・。しかし、のんびりしている事が少し申し訳なく思えてきた。


??「おはよーございます!」


玄関から、大きく元気な声・・・この声は既に知っている・・・。俺は臨戦態勢に入り、先手を打つ事にする。


時崎「あ、天美さん! おはよう!」

心桜「お! お兄さん! 二度目まして! また会えたね!」

時崎「・・・・・」

心桜「ん? どしたの?」

時崎「いや、てっきり『まだ居たんだ』って、言われるかなーって」

心桜「あははっ! 一瞬、そう思ったけどって、あ゛・・・」

時崎「・・・やっぱり」

心桜「まあまあ、また会えて嬉しいよ・・・ホントに・・・」

時崎「まあ、それは俺も同じだよ」

七夏「ここちゃー、いらっしゃいです!」

心桜「お! つっちゃーおはよー!」

七夏「おはようです☆」

心桜「んじゃ、ぱぱっと済ませちゃおっか!!」

七夏「はい☆」

時崎「宿題・・・か、偉いなー」

心桜「んー、別に偉くは無いよ、どっちにしても結局は、済ませないと・・・ってだけで」

七夏「それじゃ、柚樹さん! またあとで☆」

時崎「ああ、俺で分かる事があったら協力するよ!」

七夏「はい☆ ありがとうございます!」


二人は二階の七夏ちゃんの部屋へ向かったのだろうか・・・。俺は再び虹について考える事にする。そして、今回の撮影旅行のスケジュールも再検討する事にした。俺が追いかけ始めた虹は、すぐそこにある・・・それこそ、手で触れる事もできる距離だ。さっき、無理矢理納得して押さえつけたけど、やっぱり何かが引っかかって飲み込みきれない・・・。もう一度考える。「ふたつの虹」に触れる事は簡単な事ではない。そもそも、ふたつの虹を持つ七夏ちゃんが、本当の虹を知らない・・・本人すら知らない事に、他人が触れていいはずが無い。虹を知る方法、世の中にある様々な虹の中に、七夏ちゃんにも七色に感覚できる虹があると信じたい。まずは、その虹から追いかけるべきだと思う。

少し考えがまとまりかけたので、部屋に戻って、MyPadにメモとして記録する。浴衣から普段着に着替えつつ、写真機を手に取り、撮影した七夏ちゃんの写真を表示させる。


時崎「翠碧色・・・」


七夏ちゃんにとって普通の虹・・・それを普通じゃない事にするのなら、七夏ちゃんが望んでくれなければならない・・・。


何か、鈍い物音がする・・・。耳を澄ませると、七夏ちゃんと天美さんが何か話しているようだが、二人の声は七夏ちゃんの部屋からではないようだ。鈍い物音が気になったので、俺は部屋を出る。廊下に出ると、二人の声は会話として認識できるようになってくる。


心桜「あっ、つっちゃー!!」

七夏「なぁに? ここちゃー」

心桜「あれ!」

七夏「え? わっ!」

心桜「天井に何か居るよ~!」

七夏「ど、どおしよ・・・」

心桜「棒かなんかで突付いてみる?」

七夏「えっと、棒ですね。ちょっと待っててください」

心桜「あたし、逃げないように見てるから」

七夏「はい!」


七夏ちゃんが、部屋から出てきた。少し慌てている様子だ。


七夏「あ、柚樹さん!!」

時崎「七夏ちゃん! 何か慌ててるみたいだけど、どうしたの?」

七夏「えっと、お部屋の天井に虫さんが居て・・・」

時崎「え? どこ?」

七夏「えっと、こっちです!」

心桜「あっ、お兄さんっ!」

時崎「虫が居るって?」

心桜「うん。あれ!」

時崎「ん? 確かになんか居るけど、なんだろ? そうだっ!」


俺は手に持っていた写真機で、虫を捕らえ、ズームインしてみる・・・その虫は体長2~3センチ程度の黒褐色で細身の甲虫のようだった。


心桜「お兄さんさぁ・・・なんで写真撮ろうとするかなぁ~」

時崎「いや、ズーム機能でちょっとした双眼鏡のように、虫の詳細が見れるかと思って」

心桜「ふーん、そうなんだ」

七夏「柚樹さんっ! これ!」


七夏ちゃんは俺に「はたき棒」を手渡してくれた。そのはたき側を手にし、ターゲットの虫に棒の先端を近づける・・・。


時崎「あっ!」

七夏「ひゃっ!」

心桜「わわっ!」


棒が近づく気配を感じたのか、その虫は突然落下し、机の上に落ちてきた。俺はその虫を間近で確認して、あれだ・・・面白い特性がある虫だと分かったので、カメラの動画撮影モードで録画撮影を開始してみる。


心桜「あははー、この虫、ひっくり返って身動き取れてないよー」

七夏「ちょっと、可哀相です」


しばらくすると、その虫は、ばたつかせていた足を動かさなくなった。


心桜「ん? 動かなくなったよ・・・死んだふり???」

七夏「ど、どうすれば・・・」

心桜「んー」


その動かなくなった虫に、天美さんが顔を近づけて覗き込む・・・七夏ちゃんも少し近づいてきたその時、


七夏「ひゃっ!」

心桜「どわぁ!」


その虫は、突然跳ね上がり、顔を近づけていた天美さんの頬っぺたにタックルをして、床の方へ吹っ飛んでいった。


心桜「なっ、何!? 今の!?」

七夏「びっくりしました!!」

心桜「あいつ~!! どこ行った!?」

七夏「あっちです・・・」


その虫は、床の上でまだひっくり返っていて、足をバタつかせていた。それを見た天美さんは、机の上にあったレポート用紙を一枚ちぎって二つ折りにした。その虫は先程と同じように、足を動かさなくなった。天美さんは、その様子をじっと見つめている。


虫 「プツッ!」

心桜「よっ! ・・・と!」


その虫が跳ね上がり、天美さんは二つ折りのレポート用紙でその虫を受け止める。その虫は、天美さんのレポート用紙の上でひっくり返ったまま足をバタつかせていた。


心桜「つっちゃー、窓っ!」

七夏「はいっ!」


七夏ちゃんが急いで窓を開ける。


心桜「ぽいっ!」


天美さんは、その虫を窓の外へ・・・その虫は、空中で羽を広げてそのまま飛び去ってゆく。その様子を見ていた俺は、ちょっと面白くて、こみ上がってくる笑いを堪えていた。


心桜「ふー、任務完了ー! んで、あいつ、何だったの?」

時崎「あれは、コメツキムシだよ」

心桜「こめつきむし!? お兄さん知ってたの?」

時崎「まあ、一応」

心桜「つっちゃー、知ってる? こめつきむし」

七夏「いえ、初めて見ました」

心桜「その『こめつきむし』はいいとして、なんで突然跳ねるの? ・・・いや、あたしが覗き込んだ時、あの虫、どう見ても跳ねる体勢じゃなかったよ、仰向けになって死んだフリしてたし・・・・」

時崎「あの虫は足を使って跳ねるんじゃなくて、首の力を使って跳ね上がるんだったかな」

心桜「く、首!?」

時崎「そうだ、さっきの様子、この写真機で録画していたから見てみる?」

心桜「え!? 録画?? 見る見るっ!」

時崎「七夏ちゃん」

七夏「はい!?」

時崎「居間の大きなテレビを借りていいかな?」

七夏「はい☆ どうぞ」


一階の居間へ移動し、大きなテレビと写真機を映像ケーブルで繋ぐ。


心桜「へー・・・写真機って、テレビに繋げられるんだ」

時崎「まあ、そういう機種もあるよ。じゃ、再生してみるよ」

心桜「うんうん!」


先程撮影していた動画を再生してみる。


《心桜「あははー、この虫、ひっくり返って身動き取れてないよー」》

《七夏「ちょっと、可哀相です」》


《七夏「ひゃっ!」》

《心桜「どわぁ!」》


心桜「ほら! やっぱり、仰向けで死んだフリしてたのに急に跳ねた! ・・・って、お兄さん!」

時崎「な、なに?」

心桜「あのさー、笑いたければ、笑っていいよ・・・つっちゃーも!」

七夏「え? えっと・・・その・・・」

時崎「う、ごめん・・・。ちょっと、ゆっくり再生してみようか」


俺は、笑いを堪えつつその録画をコマ送りで再生してみた。その虫は跳ね上がる直前に首を大きく曲げ、跳ね上がり、覗き込んでいた天美さんの頬っぺたにタックル・・・。


心桜「なんで首が曲がるだけで跳ねんのよ!! ・・・訳分かんないんだけど!」

時崎「くくっ・・・」

七夏「ゆ、柚樹さん!!」

時崎「ごめん・・・しかも、ゆっくり見ると、七夏ちゃんの方が少し反応が速い」

心桜「え~!!! 反射神経ではつっちゃーに負けないと思ってたのに・・・」

七夏「ぐ、偶然です!」

心桜「あ~、なんかもう、色々とショックだよー、ショック過ぎて顔洗うの忘れてたから洗ってくる~」


そう言って、天美さんは顔を洗いに行く。


時崎「七夏ちゃん」

七夏「はい?」

時崎「ごめんね・・・あとで天美さんにも謝るから」

七夏「ここちゃーなら大丈夫だと思います! それに、私もちょっと笑ってしまったから・・・謝っとかないと・・・」

時崎「やっぱり、あの虫のタックルはキツイよね」

七夏「はい。まさかここちゃーを驚かせるなんて」

心桜「ん? あたしが何?」

七夏「あ、ここちゃー、さっきはごめんなさい」

時崎「俺も、申し訳ない」

心桜「いやいや、あたしが油断してただけだから・・・あいつ、今度会ったらどうしてやろかな・・・」

七夏「こ、ここちゃー! もう・・・」

時崎「しかし、その後の天美さんの対応は流石という感じがしたよ」

心桜「あははっ、あたしに同じ手は通用しないよ。ありがと。お兄さん!」

七夏「ここちゃーの凄いところです!」

心桜「最初から窓が開いてたら、直接スマッシュをお見舞いしてあげる所だったかなー」

時崎「あはは、天美さんらしい!」

心桜「で、気になったのが、なんで首を曲げるだけで、あんなに勢い良く跳ねるのかなんだけど・・・バッタとかが足を使って跳ねるのは理解できるんだけど、あいつは・・・」

時崎「それを説明するには『慣性の法則』から入らないと」

心桜「完成の法則? あいつの技は完成されているという事?」

時崎「いや、その『完成』じゃなくて『慣性』なんだけど、七夏ちゃんは知ってる?」

七夏「はい。なんとなくでしたら」

心桜「わわっ! つっちゃー!!!」

七夏「どしたの? ここちゃー?」

心桜「あたし時間がっ!!」

七夏「あ・・・ちょっと、急がないと」

心桜「お兄さん、ゴメン!」

時崎「え?」

心桜「その、慣性とかはまた、機会があればっ!」

時崎「あ、ああ。別に大した話じゃないから」

心桜「ありがと!」

時崎「天美さん、午後から部活?」

心桜「そっ!」

七夏「柚樹さん。ありがとうございます!」

時崎「七夏ちゃん!」

七夏「はい!?」

時崎「後で、時間あるかな?」

七夏「はい☆ では、あとで、お部屋に伺いますね♪」

時崎「ああ。よろしく」

心桜「???」


慌てて二階の部屋へ戻ってゆく二人を見送る。七夏ちゃんにとって太陽と言える天美さん・・・これは俺の勝手な解釈だが、間違ってないと思う。天美さんと居る七夏ちゃんは、とても自然だ。今朝、俺と玉子料理の話で楽しそうにしていた笑顔とはまた違う。この自然な笑顔を生み出せる天美さんが少し羨ましく思える。俺は、七夏ちゃんの笑顔を撮影したいと思っていた。でも、それは間違いで、本当は「自然な笑顔」を撮影しなければならないと気付かされるのだった。


第十一幕 完


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次回予告


不思議な虹、もっと深く知りたい・・・俺は見えている間に手掛かりを探し続ける・・・。何か共通点は見出せないだろうか・・・。


次回、翠碧色の虹、第十二幕


「お揃いの虹」


少しでも「ふたつの虹」に近づきたい・・・けど、虹は近付き過ぎると見えなくなってしまうので、思うように動けない・・・。

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