第26話 理桜(18)高き壁を這う影
「今日は大切なお知らせがありまーす」
二曲目の『コラージュガール』を歌い終えたわたしは、息を切らせながら告知を兼ねたMCに突入した。
「来月の十日、四丁目のスクランブル交差点で『フレッシュガールズ・ダンスフェス』というイベントが行われます。わたしたちは午前十一時から交差点中央のステージで二曲、やらせてもらう予定です。わたしたちとしては初めての大きいイベントになる予定なので、みなさん、応援よろしくお願いしまーすっ」
わたしが告知を終えると、客席が「おお」とどよめいた。今日の入りは四十人くらいか。平日としては悪くない方だった。自分で煽っておいてなんだが、わたしは内心、不安で仕方がなかった。何しろイベントでは『ヴィヴィアン・キングダム』の存在自体を知らない一般のお客さんが群れを成してやってくるのだ。
「それでは今日も最後の曲になりました。『大人は救ってあげない』!」
わたしは曲名を叫ぶと、気迫を込めて歌い始めた。あの事故以降、この曲は振り付けが変更になっていた。もうステージの前、ぎりぎりへ飛び出すような動きはない。
わたしは踊りながら、怖くない、もう大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
ライブが終わると、フロアの片隅で即席の物販ブースが組まれ始めた。
握手と物販が始まると、わたしの前にも十数人のファンが並んだ。初めて見る顔もちらほらと見えたが、ほとんどはお披露目ライブ以来の「常連」たちだった。
「今日も格好良かったです」
そう声をかけてくれたのは、転落事故の直後にわたしを気遣ってくれたカップルの片割れ、
「来月のイベントにも、必ず行きますね」夏彦は力強く言った。
「どうもありがとう、ステージの上から見かけたら、手を振るね。……今日は一人?、
「それが……ライブハウスの入り口で待ち合わせてたら、「急に用事を思い出したから、先に入ってて」ってメールが来て……結局、まだ姿を見せてないんです」
「ふうん、それは心配ね。電話してみた?」
「はい、してみたんですけど、出ないんですよね」
わたしは浮かない表情の夏彦に「次は二人で来れたらいいね」と言葉をかけた。
夏彦は微妙な表情のまま、わたしと写真に納まるとライブハウスを出て行った。
やっぱりカップルが片方しかいないというのは寂しく見えるな、とわたしは思った。
※
ライブの後、母から言付かった差し入れを砂原兄妹の元に届け終えたわたしは、一仕事終えた気分でエレベーターを降りた。
メディカル・ビルのエントランスを速足で歩いていると、見覚えのある顔がすっと目の前を往き過ぎるのが見えた。先ほど、物販ブースで顔を合わせた夏彦だった。
「夏彦君。まだ絵美ちゃんとは会えないの?」
声をかけると、夏彦は足を止め、難しい顔になった。
「理桜さん……実はそうなんです。さっき、もうすぐメディカルビルに着くっていうメールがあったんですが、その後はふっつり音信が途切れてしまって。本当に来てるんでしょうか」
「待ち合わせ場所を間違えてるってことはないですか」
わたしは思い付きを口にした。ライブの開始前であれば、ライブハウスの入り口以外にはありえないが、ライブがとっくに終わってしまっている以上、もはや会場にこだわる理由はない。
「うーん。会場の入り口以外となると……一度、駐車場側の入り口で待ち合わせたことはありますけど」
「駐車場側の?」
「ええ。別に車で来たわけではないんですけど、彼女がビルの裏側にある建物が面白いからっていって、一度だけ裏口を待ち合わせ場所にしたんです」
「裏口のそばの建物……」
「古い平屋の、お化け屋敷みたいなコンクリートの建物です」
わたしはあっ、と声をあげた。ボイラー室の真上のコンクリート棟のことに違いない。
「行ってみますか?そこへ」
「はい」
わたしたちはビルをいったん出ると、建物の外側を回って駐車場の中へと足を踏み入れた。車両進入路の途切れたところで立ち止まると、わたしはコンクリート棟を目で探した。……と、その時だった。夏彦が唐突に驚きの声をあげた。
「理桜さん、あれ!」
「え、何?」
夏彦の視線が示した方向に目を向けると、ビルの壁面に目を疑うような光景があった。
高さで言うと四階あたりの壁面に、異様な生物が張りついていた。
生物は人間とほぼ同じ大ささで、亀とヤモリの中間のような姿をしていた。さらにわたしたちを驚かせたのは、生物が背中にくくりつけている物だった。触手のようなもので生物の背におぶわれているのは、絵美だったのだ。絵美は時折苦し気に顔を捻じ曲げ、助けを求めるように口をぱくぱくさせていた。
「絵美ちゃん……どうしよう。あんな高いところに」
「誰かに助けを求めたほうがいいでしょうか。……あんな生き物、見たことないです」
夏彦が驚愕に震える声で言った。わたしは頷きつつ、これははたして現実の光景なのだろうか、と思った。夢でないのなら、またしても「非現実」が現実を浸食してきたということになる。こんな日中に屋外で、第三者の目もあるというのに。
呆然と立ち尽くすわたしたちを尻目に、生物はひょいひょいと身軽な動きで壁をよじ登ると、一メートルほど上の解放されている窓の中に背中の絵美ごと、姿を消した。
「中に入った。……理桜さん、行きましょう」
促され、わたしは頷いた。わたしたちは駆け出すと、裏口からビルの中に飛び込んだ。
「五階あたりの窓でしたよね?」
「たぶん……でもあんな生き物がいきなり窓から入ってきたら、大騒ぎになってるんじゃないかしら」
「たしかに。誰かが捕まえててくれたらいいんですけど」
わたしたちは、エレベーターに向かった。階数表示は二階を示していた。幸い、降りてくるようだ。わたしは生物と絵美の入っていったフロアがどうなっているのかを思い浮かべた。教会の時のようにいったん非現実に飲み込まれたら、そこにいた人たちは消えてしまうのだろうか。
わたしたちはやってきたエレベーターに乗りこむと、五階のボタンを押した。到着したわたしたちを待っていたのは、廊下の長椅子にぐったりと横たわっている絵美の姿だった。
「絵美ちゃん!」
夏彦が叫ぶと絵美は上体をゆっくりと起こし、首を動かして物憂げにこちらを見た。
「夏彦さん、理桜さん、私……なんでこんなとこにいるんだろう?」
わたしたちが駆け寄ると、絵美は途方に暮れたような目を向けてきた。
「君はさっきここの壁を、見たこともない変な怪物に背負われて上ってたんだ。それで慌てて追いかけてきたんだけど……覚えてないのかい?」
「誰かの背中に乗ってたような記憶はあるんだけど……今日は駐車場側の道から来て、ビルの中を通ってライブハウスに行こうと思ったの。そしたらあの、コンクリートの建物の近くで気分が悪くなって……しゃがみこんでから後の記憶がないのよ」
「ふうん。ということはあの化け物の姿を君は見ていないわけか。いったい、あいつはどこから現れて、どこへ行ったんだろう?」
「なんにせよ、無事でよかったわ。化け物の事は後でゆっくり考えましょ」
「私、その怪物にここまで運ばれてきたの?」
絵美は震える声で問いかけると、再び長椅子の背にぐったりともたれかかった。
「うん。でももう大丈夫だ。……理桜さん、僕はしばらく絵美をここで休ませてから帰ります。つきあっていただいてすみません」
「ううん、それはいいの。絵美ちゃん、とんだ災難だったわね。落ち着いたら、また二人でライブに来てね」
「はい。どうもありがとうございます」
絵美は弱々しい声で、かろうじてそれだけを言った。わたしは二人をその場に残し、立ち去った。ビルを出てからも、頭の中で怪物に背負われた絵美の姿が何度も蘇った。
――あれはやはり、非現実が見せたある種の幻だったのだろうか?
廃病院や教会で受けたような異様な感覚は、感じられなかった。……では、あの化け物は一体、なんだったのか?ダカさんや典子さんなら、知っているだろうか。
二人と別れてもなお、わたしは周りには非現実への入り口が口を開けているように思えてならなかった。
〈第二十七話に続く〉
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