142 - 王都メルドギリス

「それを取って、瞳を見せろ」

そう居丈高に命じたのは、比較的軽装の兵士だった。その背後には、鎧兜に身を包んだ重装兵、騎馬兵の姿。

 城門では、今朝ほんの数刻前に関所の橋塔を潜る際に受けたものと同じ様な入国審査がなされていた。

片側しか開かれていない常より狭くなった門には王都に着いた者、出ていく者がそれぞれ列をなして兵士達の検問を受けている。

 やや俯いて、言われるままに眼鏡を外しセフィは目を上げ兵士を見た。

「っ……!」

頭巾に隠されていた旅人の美貌に、思わず怯み微動した兵士に気付かず――眼鏡を外し見えなかったため仕方がないのだが――セフィはいつもと変わらぬ風に問う。

「……もう、よろしいですか?」

「あ、あぁ」

僅かに呆けていた兵士が頷きながら手元の帳面に『青い瞳』と書き込んだのを、眼鏡を掛け直しながらちらと見て、セフィは密やかに胸を撫で下ろす。

「どこから来た。出身は?」

「アムブロシーサ大陸のフェレ村です」

今朝と同じように答える。用心のために、ほんの少し真実と異なる答え方だ。

「連れは、あの四人か」

「はい」

「ふむ……」

その後も、訪れた目的や滞在予定場所と期間、職業等を聞かれ答えるとやっと、彼らは門をくぐることが出来た。


 城門を入ってすぐの最外郭の壁沿いには、貧しい者達が身を寄せ合っていた。天幕を張れていればいい方で、敷くものもなく地面に横たわっている者も居る。その様子から魔物の襲撃があるまでは城門の中に入ることすら許されていなかったであろうことが窺えた。

 襲撃を受けての犠牲者のほとんどは、外郭壁の更に外側にしか居場所のなかった移民や貧しい者達、それから城門を守っていた幾人かの兵士達だったという。

今は恐らく救貧院の関係者であろう者達が――人数的に、圧倒的に足りて居ないことは明らかだが、人々の間を忙しく動きまわっており、加えて、城の兵士らしき者が何やら見回っているのが見受けられた。

 街は、王城に最も近い一番街から、外へ行くにつれて数字が大きくなり、五番街まである。城下町の各区画を隔てる壁に門は2カ所ずつ、南北と東西に交互に設けられており、区画間を移動するためには街を約四分の一周せねばならず――王家の離宮や貴族の別邸がある周辺は変則的だが――真っ直ぐに城に攻め込まれない構造になっている。

 カーラに忠告されていた通り、彼らは三番街に宿をとった。それより外側は、暮らし向きの思わしくない者達の住まいが多く、治安もあまりよくないとのことなのだ。確かに、内側に入るにつれて路上で生活する者の数は目に見えて少なくなり――全く居ないわけでは無いが――各家屋の大きさ、道行く者の身に付ける装いも違っている様子だった。

 「自衛のために、ここいらじゃみんなやってるよ」

とのことで、受付の際にも瞳の色の確認をされたが、何ら問題なく到着後早いうちに宿を確保した彼らは二手に分かれて街の散策に向かった。

アレス、アーシャ、そしてロルは救貧院を含む外側地区へ、セフィとリーはそれ以外の地区、まずは宿のある三番街で情報収集をすることにした。セフィを知る教会関係者に出くわすことをできるだけ避ける為だ。

 全体的に白や薄い灰色の石で築かれた町並みは直線的で整然としている。立面に精緻で優美な装飾を彫り込んだ建物は多いが、窓辺に花を飾る家は少なく、時折見かける街路樹も光を求めて上へばかり伸びている印象だった。

 セフィとリーは、何処の街にもありそうな繁華街の近くを歩いていた時、ヤツェクという名の物乞いの男に出会った。

スプル村のメレディスと似た特徴を持ったその男は駆け寄ってきて跪き、憐憫の情を掻き立てるようなことを言って金をせびった。

「病気の子供を助けるために施しを」と――勿論それは、金が欲しいが為の偽りだったのだが、真実を知ってもセフィは躊躇いを欠片も見せず男に手を差し伸べた。腹を満たすパンと硬貨を数枚、その手に握らせてやった、その様子をすぐ傍で見ていたリーはふと、かつての出来事を思い出していた。


『救いを求める者全てに応えてやることができないのに、一部の者にだけ手を差し伸べるなんて、偽善じゃないのか。独り善がりな自己満足の為の憐れみが何になるっていうんだ?』

何故、そんな話になったのかはもう覚えていない。

だが幼いリーは、無垢な瞳の幼馴染にそう言って詰め寄った。

『それでも、全てを救えないからと言って目の前の人を見捨てる、なんてことはできないっ』

いつになく強い口調で答えた少年に、彼は昂ぶる感情に任せて言葉を重ねた。

『例えばその施しを与えた者が、他の者に妬まれ恨まれることになったとしても!?』

『……!』

言い放った彼の言葉に、少年は綺麗な瞳を見開いて涙を堪えるように言葉を飲み込んだ。

 羨む気持ちは、否定すべきではないと知っている。自分もそうなりたいという向上心にも繋がるからだ。その思いがあるからこそ、人は更なる成長や発展を遂げることが出来るのだ。だが、過ぎる妬みは恨みとなり、時に他者に対する残酷な攻撃感情へと変化することすらある。

力の弱い持たざる者から、悪意を持って奪う者も居るだろう。

『……それでも、少しでも、できることをしたい……本当は、救われなければいけないのは、彼らの心なのだろうけれど……』

そう呟いた、今より幼いセフィは痛々しい程の決意を秘めて見えた。



「――無駄なことだと、偽善的行為だと、思いますか」

此方を向かないまま、そう声を掛けられてリーはハッとなった。

「いや、そんなこと」

咄嗟に応え目をやると、セフィはそっとリーを見て苦笑する。

「どうすればいいのか、未だにわからなくて。……確かに、彼らの様な人々を苦境から救うには、国の仕組みや社会構造から、変えていかないといけないのでしょうけれど、私には――」

「間違ってない。あれでよかったと思うぜ」

例えば与えられた厚意が転じて仇となったとしても、それを誰かのせいにするならそれまでだろうと彼は思っていた。

 自分に目を向けてくれた、声をかけて気にかけてくれた、手を差し伸べてくれたくれた。

それだけで、救われる心があることを――今のリーは知っていた。

「さっきのおっさんにはセフィの思い、ちゃんと伝わってたと思う」

リーはそう言って笑む。

――あの時のオレは、単にもどかしかったんだ。セフィの優しさが踏みにじられるのを見ていたくなかった。傷つけられる心を、守ってやれないことが悔しくてもどかしくて……

――傷つくくらいなら、しない方がいいと思ってた……

そうでしょうか」

「あぁ。大丈夫だ」

別れ際に、跪いたまま彼らを見上げたあの男は、まるで初めて朝日を目にした子供の様な顔をしていた。

そう、男が真実欲しかったのは酒を買う金などではなく、それよりももっと得るのが難しいもの。

自身もまた、見失いそうだった心を救われたことがあるから、あの男ももう大丈夫だとリーは確信をもって頷くことができた。

 人々は、世界は、決してセフィに対して優しくはないのに。寧ろ傷つけようとさえするのに。それでも、例え振り払われても叩かれても、きっとセフィは何度でも手を差し伸べるのだろう。

『どうすればいいのか、何が出来るのか。考え、行い、そして祈り続けましょう。私の全てを賭して……』

目に映る人々の為に自分に何ができるかなど分からない。それでも、出来ることをしたいのだと言ってセフィは心を砕き、祈り続ける。

自分自身の為ではなく、いつも誰かの為に。

それがリーには少し、切なかった。

「それに同じ後悔するなら、やらなかった後悔より、やってからの方がいいしな」

だが彼は、にっと笑ってきっぱり言いきった。

するとセフィは少し驚いた様に瞠目してその表情を覗き込み、それから

「あぁ、リー、これだから貴方は……」

「? 何?」

表情を綻ばせたセフィの意図が分からず首を傾げるリー。

「いえ……あなたのそういうところが、とても素敵だと思います。本当に……」

何事かを行わなかった後悔よりも、行ったことによる後悔の方がずっといい。

それは俯いた顔を幾度となく上げさせてくれた、前向きな彼らしい発言だった。

「好きってこと?」

「えぇ」

お道化て言ったリーの言葉に、セフィは綺麗に微笑む。

 思わず抱きしめたくなった衝動をやり過ごしてリーは微笑みを返し、それから少し照れ臭くなって視線を余所へ遣ると

「あ、アレスとアーシャだ」

丁度、青髪の少年と赤髪の少女が此方に向かって歩いてきていた。

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