「魔術武装、展開」


 ニコラに肉薄しながら、アイリスは魔力を束ねて一振りの剣を作り出す。聖剣よりも二回り程大きな、アイリスの身の丈を越える大剣を隣を走るレラに向かって投げ渡す。


「やるべき事は理解しているな?」

『無論……!』


 迫る斬撃を切り払い、二人は駆ける。レラに先んじたアイリスの持つ聖剣がニコラの剣と組み合う。

 聖剣を持つ手に伝わるのは金属と打ち合う感覚だが、響くのはまるでゴムを蹴ったような鈍く重い音だ。


「欠陥品の鎧相手に負けたテメェが僕に勝てるとでも思ってんのかよ!」


 真なる輝きを封じられているとはいえ、人間以上の吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアの腕力で振るわれる聖剣を相手にニコラは引かない。むしろ単純な力だけならアイリスに勝り、レラに匹敵している。


「僕はアイネ・ウルタールとは違う、異教の聖剣程度じゃ相手にもならねえ!」

「なら私を殺してみせるがいい。貴様にそれが出来るのならな!」


 それはかつてアイリスが幾人もの勇者エインヘリアルへと送った言葉だ。それぞれが正義を背負い、善良なる者の為に戦うという理想を抱き、主神が定めた邪悪、吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアを断罪せんと己の正しさを信じてアイリスの悪性を叫んだ。

 けれどそれに一度目から耳を貸した事はない。勇者エインヘリアルとして正義を謳うのならを倒す事。それがアイリスが天上において定めた勇者エインヘリアルの条件だからだ。


勇者エインヘリアルとなる頃にはそんな口を叩く者は少なかったが)


 勇者エインヘリアルとは絶対の正義と秩序を背負う者。ならば悪の言葉に耳を傾けるな、悪にかける言葉を持つな。天上で求められる勇者エインヘリアルとはそういうものだった。

 だからこそ、それを嗤うアイリスは地上で見つけた己の勇士を勇者とは呼ばない。悪の言葉に耳を傾け、悪に言葉や情けをかける者など天上では勇者とは呼ばないのだから。


「もっとも、貴様はの敵であっても正義を背負ってはいない。どうあっても貴様の言葉に耳を貸すつもりはないがな!」

「分かってねえなあ! テメェが悪なら、僕が正義だろうが!」


 轟音と共に振るわれる右腕を避け、受け、流しながらアイリスはニコラから離れない。残された魔力が少ない今、距離を取れば攻撃手段はほとんどない。接近戦しか選択肢はなかった。


『笑止。悪の敵が正義とは限らない。汝に立ち向かう我らがそうであるように』


 アイリスが姿勢を低くした時、その背後にレラの姿が現れる。横凪に振るった大剣がニコラの異形の腕を捉えるが、伝わる感覚は剣の部分と同じだった。完全に腕と剣と触手が一体化し、恐らく右の上半身にはもうそれらの区別はないのだろう。


「ならもっとシンプルに! テメェらは強者に歯向かう雑魚だ! 鬱陶しいんだよ欠陥品!」


 痛みを感じる素振りも見せず、レラの胴体を蹴りつける。右腕程ではないがその力も人の出せる力を越えて、レラを後退させた。


「テメェらだけじゃねえ! バートレットもアイネもあの女も! 全員僕からすりゃ目障りなッ、欠陥だらけの雑魚なんだよ!」


 後退したレラの兜からアイリスまでを両断するつもりで振り下ろされた右腕を二人は剣を交差させて受け止める。二つの剣の間で火花が散りながら寸での所で右腕が止まった。


「ッ!?」


 勢いを殺しきったのではない。その途中でニコラが右腕を止めたのだ。ニコラ自身、その事に驚愕しながら二人から飛び退く。

 自身の腕の調子を確かめるように幾何学模様のカーテン越しに差す月明かりにかざした後、二人の剣と見比べるように視線を動かす。


「妙な感覚だ。その聖剣か、それともテメェの魔術か?」

「さて、どうだかな」

『……?』


 とぼけて笑うアイリスと聖剣の柄頭に納められた槍についての詳細を知らず、訝しむレラの二人にニコラは苛立ち、舌打ちする。

 右腕に宿した『アイオド』の本能が右腕を動かした事は分かる。ニコラを苛立たせるのは何が原因か分からない事、そして道具として扱っている『アイオド』が自分の意思に反した動きをした事自体が不快だった。


「まあいいさ。どっちにしても首を斬ればそれで終わりだ」


 再び始まる三者の殺し合い。その最中でアイリスは眉を顰める。公園でニコラと相対した時にも浮かんだ疑問がまた頭を過ぎっていた。


(こいつが私や詠歌の事を知っていたのは背信者と同じような対攻神話プレデター・ロアの神性の神託だと思っていた)


 ユーリが知っていたのは『アイオド』を通してニコラが真に信仰する神からの神託を伝えたのだと、そう思っていた。


(だがならば何故、聖剣の正体を知らない?)


 アイネに宿った『ウルタールの猫』を滅ぼしたのは夜影の禍槍ヴェルエノートによる一撃。アイリスや詠歌、聖剣の事を知りながら槍の事だけを告げられていないというのは不可解だ。

 アイリスは傲岸な態度の一方で、自分の力量を理解している。対攻神話プレデター・ロアの神性たちが警戒するとすればそれはアイリス自身ではなく、アイリスが携えた槍であると知っている。


「ちょろちょろしてんなよ!」


 眼前に迫った腕に思考を打ち切り、戦いへと意識を集中する。裏にある思惑は今はいい。一番の目的は最初から変わっていない。


『気を抜く余裕など汝にはあるまい!』


 アイリスよりも速く、レラが大剣を盾に腕を受け止めた。余計な真似を、そう思いながらも機を逃さずに首を斬り落とすつもりでニコラを狙う。

 コンビネーションなどではなく、互いの目的の為に互いを利用する戦いだが、その方が彼女たちには合っていた。元より守る戦いなど性に合わないのだから。


「遅えんだよ!」


 腕を取り巻く触手が分かれ、聖剣の一撃を阻む。返す剣でそれらを斬り捨てるが、瞬時に再生する。対攻神話プレデター・ロアに共通する再生力だが、『ウルタールの猫』よりも厄介なのはニコラが対攻神話プレデター・ロアの本能に呑まれていない事。

 たとえ右腕の動きを止めてもニコラ自身は止まらない。人の理性で本能を抑え、多少の傷を無視して戦い続ける。全てを受けるでもなく、全てを避けるでもなく、アイリスたちの攻撃を見極めている。


「邪魔くせえ!」

『くっ!』


 腕から生えた触手がしなり、レラの足を絡めとる。体勢を崩したレラを串刺しにしようと振り下ろされる腕。聖剣だけでは受け止めきれない、そう判断したアイリスは残り少ない魔力を防御へと回す。


「武装展開……!」


 ニコラの背後の虚空から出現した三本の鎖が腕を拘束し、勢いを殺す。膝を着きながら聖剣の刀身で剛腕を受け止めた。

 ミシリと肉と骨が軋む音が聞こえる。コンクリートが罅割れ、膝がめり込む。歯を食いしばり、ニコラを押し返した。


「雑魚が群れやがって……面倒だ」


 押し返された勢いで飛び退いたニコラは溜息を吐いて腕を振るった。アイリスたちにではなく、虚空に向けて放たれた斬撃は空間を裂いて次元を繋ぐ。


「成程、気配を感じぬわけだ。彩華の言っていた通り、隠れ潜む臆病者の神か」

「ほいほいと姿を見せちゃ神様らしくないだろう? けどテメェみたいなのが人間の問題に首を突っ込んでくるなら、僕も神様を呼ばないとねえ」


 裂けた空間をさらに押し広げながら『アイオド』が現出する。

 顔が無数の眼によって形成され、体形はムカデの如きシルエットだがその大きさは巨大。ニコラと接触したユーリの恐怖を喰らったからか、その体躯は詠歌が目撃した時よりもさらに大きくなっていた。


『『アイオド』……汝が契約した邪神!』

「その通り。人間では、いいや、人外であっても神ならぬ身では決して及ばぬ存在さ! 僕はその力を手に入れた! 神を意のままに操り、正義を為す! いずれ僕は世界を救う救世主になる!」

『馬鹿な、そのような力で救世など……!』


 完全に現実へと現出した『アイオド』が放つ魔性、論じるまでもなく、紛れもない悪性の力の波動。人が操るなど到底出来そうもない邪神をニコラは完全にコントロールしていた。


「世界を救う、か。この地上にそんな事を口にする者が居るとは驚きだな」

「これだけの力を得たんだ。それぐらいはしないと勿体ないだろう?」

『この地に汝の救いなどは不要だ!』


 巨大な力に怯みそうになる自身を叱咤し、レラが叫ぶ。『アイオド』が発する魔性を知っている。かつて自身を侵した対攻神話プレデター・ロアの正体が『アイオド』なのだと、一目見た時から気付いていた。


「いいや、必要さ。テメェらみたいなのが蔓延ってるんだ。僕が救ってあげないと」


 ニコラが生身の左腕を動かすとそれに呼応し、『アイオド』が頭に響く耳障りなノイズじみた音で叫ぶ。


『GYAAAAAAAAAA!!』

「さあ、まずはどちらから頂こうか」


 触手を蠢かせ、全身から暗い光を放つ『アイオド』が狙ったのはレラの方だった。その巨躯からは想像できない速さで近付き、押し潰そうとレラを影が覆う。


「人質を盾にするつもりはないけど、中で瞬く光が見えるかい?」

『!』


 ニコラの言葉通り、『アイオド』の半透明に透けた体の内部で瞬く光。それが霊魂オーブの光であるとすぐに理解できた。

 魂とは本来、肉体の中で守られているもの。剥き出しとなった人の魂はあまりにも脆いとレラは知っている。詠歌本人も分かっていたはずだ、それでもレラとの約束を優先したからこそ、レラも約束を果たすべく此処に来た。

 もしも反撃し、内部の魂を傷つけてしまった約束を果たす事は永遠に出来なくなる。

 眼前へと迫った『アイオド』を前に、大剣を握るレラの手が緩む。


「どけ」

『ッ!?』


 そんなレラを背後から鎖が捉え、引きずるように『アイオド』の影から引っ張り出した。そして入れ替わるようにアイリスが『アイオド』の影へと自ら足を踏み入れる。

 手を伸ばすが届かない。レラの目の前でアイリスは轟音と共に『アイオド』の下敷きとなった。


「あはははは! まさか吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアが勇士どころか欠陥品まで庇うなんてねえ!」

『ッ、汝は己の勇士を救いに来たのではなかったのか! 何故、我を……!』


 アイリスはレラを庇ったわけではない。その内にある詠歌の肉体を庇ったのだと知っている。だがそうだとしても自身が死んでは意味がない。詠歌を救うのはまだこれからだというのに。

 此処へ来る直前、アイリスはレラがすべき事を告げていた。詠歌の魂を救う為、まずは『アイオド』を引きずり出せ、と。

 その為にレラはアイリスを庇っていたし、アイリスもそうだったはずだ。そして仕留めきれない事に業を煮やし、ニコラは『アイオド』を呼び出した。その後の事はその時になれば分かる、とアイリスは答えなかった。


『これでは意味がないではないか……! もう我に約定を果たす事は……』


 レラの手にする大剣が消えていく。元となっていた魔力の持ち主が消えたからなのだろう――そう思った。


「――煌鎧装臨ブレイク・アップ


 幾何学模様のカーテンの向こう、空を覆う紅いオーロラがその煌きを増す。

  『アイオド』の下から紅黒の光が溢れ出す。


「へえ……」

『GAAAAAAAA!』


 その光に押されるように『アイオド』の巨体が宙を舞う。目障りな光を塗り潰すべく伸びた触手の全てが光に呑まれて消えていく。

 光の中で一対の翼が羽ばたく。光が収まり、漆黒の羽が舞い落ち、彼女の降臨を知らせる。


「恐怖で以て謳え、我が名は吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリア。アイリス・アリア・エリュンヒルテ!」


 即ち、主神が生んだ天上の悪、吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアの降臨を。


『汝、その姿は……』


 黒の両翼と身に纏った紅黒の戦装束、先ほどまでとは一変したアイリスの姿。そこから感じるのは最初に戦った時よりも明らかに強大な力。

 圧倒的とは言わないまでも、これだけの力があればああも一方的な勝負にはならなかったはずだ。


「言ったはずだ、その時になれば分かるとな。今がその時、貴様は其処で見ていろ」


 レラに目も向けず、『アイオド』、正確にはその内部で瞬く光だけを見つめてアイリスが告げる。


「衣装替えした程度で随分強気じゃないか? その程度で僕に勝てると思ってるのかい?」

「殺せはしても勝てはしなかった。だから待っていたのだ、我が勇士の魂が現れるのを」


 聖剣を地面に突き立て、アイリスは『アイオド』に手をかざすと呪文を紡ぐ。


「選定の時は来たれり、エリュンヒルテの名において彼の魂を此処に」


 その言葉と共に『アイオド』の内に囚われた詠歌の魂が眩い光を放つ。アイリスに引き寄せられるように『アイオド』から飛び出そうと動き始める。


「何のつもりか知らないけど、『アイオド』が捕らえた獲物を放すとでも?」

「『ユグドラシル』に連ならぬこの地上において貴様が知らぬのも無理はない、が伝聞として知ってはいるだろう。戦乙女ヴァルキュリアの役割を」

「ああ、勇者エインヘリアルの魂を選定するんだろ? そりゃあ知ってるさ。でも残念、神の走狗に過ぎないテメェじゃ『アイオド』から魂は奪えない」


 アイリスが魂に関する何らかの術を持っているだろう事は予想出来ていた。だが所詮は人外といっても神の従僕、神そのものから奪い取る事など出来はしない。


「戯けめ。その程度の力に溺れる貴様には分かるまい。神とは全知であって全能にあらず。いいや全知すら驕りに過ぎん。我は神に唾吐く反逆者、私は神に盾突く堕落者だらくもの、此処は我が戦場にして我が聖域! 神であっても勝手は許さん!」


 詠歌の魂は光り輝く。アイリスの叫びに応じようとさらに強く。


吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアが認めよう。汝、勇ましき者! 我が勇士に相応しき勇気を示した事、他の誰もが否定しても私が肯定する! 久守詠歌、我が唯一の勇士よ! 汝の魂は私が連れていく! 邪神如きにくれてやるものか!」


 そして、ついに光は『アイオド』の内から飛び出した。

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