3.葦木くんのささやかな幸せ
3-1.悪魔は昼に幸せを感じる。
「見ろよ! あの雲、このちくわの磯辺揚げにそっくりだ!」
そう言うと姫琴は本当だねと笑った。
風の弱い正午過ぎ、日差しはさめざめと降り注いでいる。まるでピクニックの様な暖かい陽気は、これから訪れる雨の季節なんて嘘だよと言っているようだ。
紫外線とやらが姫琴の白い肌を差さぬ様に今日の空には少し雲を出しておいた。おかげで天にはちくわが溢れている。ちくわ牧場かここは。
あぁ、それにつけても友達と食べる昼飯はどうしてこんなにも美味なのか! 今、この屋上には旨味成分が詰まっている。
この時間が楽しみ過ぎて昨日の夜から何も食べていないから、久方ぶりの食物は更に美味い。美味すぎる。
空腹は最高の調味料だが、友達は最高の調理法に近い。上手い事を言ったつもりだが、『そのこころは?』と聞かれれば答えはない。なんとなく思いついただけだからな。だから、聞かないでね。
「姫琴も自分で弁当作ってんのか?」
彩り良く、栄養バランスも整ったおかずの並びに目を奪われた。
可愛らしい弁当箱は彼女の幼げな表情で一際輝いて見える。まるで宝石箱の様。
「ううん、わたしはお母さんが作ってくれてるよ。
葦木くんは自分で作ってるの? 料理上手なんだね」
なんと姫琴が俺の事を褒めているではないか! そうだろう、そうだろう! 今日の卵焼きはとても綺麗に焼けたのだ! 今までで最高傑作だと言っても良い。
「おう! ひと月も自分で作ってたらそこそこ上手くなった!」
他愛も無い話だ!
これが夢にまで見た他愛も無い話か! 全く意味がない! でもそれが良い!
人間はコミュニケーションの手段として非常に高度な『言語』と言う手段を生み出した。それはとても価値のある発明だと言う事実は疑いようがなく、その貴重なツールを無駄遣いする事は究極の贅沢に近い。
俺は今、最高に贅沢な時間を過ごしている。よし! もっと他愛の無い話をするぞ!
「姫琴の弁当箱ちっちゃいな。足りるの?」
「女の子はこんなものなの。それにわたし、もともと食が細いから。
お陰様でチビで嫌になっちゃう」
「そんな事ないぞ! 姫琴は立派だ! 全然チビじゃない!」
特に胸のあたりが。帆篠さんと大違いだね!
「そんなことないよ、クラスでも一番背低いんだもん。
でもありがとう。慰めてくれて」
「良いってことよ! 友達なんだから!」
全くもって身にならない! だがそれが良い! くだらない話で時間を過ごす、なんと素晴らしい!
でもこれは無駄な時間では無い!
食事は単なる栄養補給の手段ではないのだ。大切な人、即ち友との絆を深める為の大切な場なのだ。
こうして言葉を交わす度、二人の距離が縮まっていくのがわかる。もっと話したい、もっと姫琴を知りたい!
あぁ、昼休みがずっと続けば良いのに!
「うるさいな……またお前か」
聞き覚えのある声が幸せなひと時に不快な色を落とす。いつの間にか、昨日と同じ場所から
相変わらず腹の立つ言い草だ。
突然の乱入者に姫琴は驚いたようで、口に放り込んだほうれん草のお浸しでむせている。
クソ馬鹿昼寝クソ野郎、また俺の邪魔をする気か。それだけでは飽き足らず、姫琴にまで危害を加えるつもりかこのクソ馬鹿昼寝クソ馬鹿クソ野郎。
空気を読め、空気を。声に出して読め。音読しろ。そしてお母さんに『音読ノート』に正の字を足してもらえ。
眉間にシワを寄せ黒斗を睨み返す。
「今俺は友達と飯食ってんだよ! ひとりぼっちのお前と違ってな! 二対一だ! お前が別のところで寝ろよ!」
「ご、ごめんね黒斗くん。すぐ出て行くから」
いきなり友達に裏切られた。
姫琴って勉強はどうなんだろう? 民主主義って知ってるのかな?
昨今、若者の政治離れが深刻な問題となりつつある中、きちんとその制度を理解している俺はなんと勤勉な学生か。
因みに魔界は絶対王政なので関係ないのです、この国の実情は。
「おい姫琴、多数決でこっちが勝ってるんだから良いんだって」
そっと耳打ちをする。
姫琴の髪からは何やら甘い匂いが漂っていた。毛先に鼻をくすぐられて思わず距離を取る。
姫琴も俺の真似をする様に耳元へ唇を近付け、ヒソヒソと声色を控えた。
「でも黒斗くんわたし達が来る前から居たみたいだし……」
なんて優しいんだ我が友は。あんなヤツにまで心配り出来るなんて。良いんだよ、情けをかけてやらなくても。あ、でも介錯が必要なら俺が喜んで引き上げるぞ、黒斗。
姫琴がその優しさを配り過ぎて心がなくならないか心配だ。
でもそんな君が友達である事を、俺は誇りに思う。そしてそんな仁徳を待つ我が友の言葉なら、俺は素直に従うとしよう。
「良かったな昼寝野郎。姫琴がここに居ても良いってよ……」
そう言う頃には黒斗はもう居なかった。
「なんなんだあいつ!」
地団駄を踏んで階段に続くドアに舌を出す。
人が話している途中に居なくなるとはなんと無礼者なんだろうか。いちいちムカつく野郎である。
「あぁ、ビックリした。黒斗くん、いつも昼休みいないと思ったらこんな所に居たんだね」
ひと通り俺が屋上の床を踏み鳴らしたところで、細く息を吐きながら姫琴は言う。
「あいつのこと知ってんの?」
困り顔の姫琴は俺を見上げながら笑った。
俺はもう一度座り直し、彼女の言葉に耳を傾ける。
「彼、同じクラスだよ。クラスのみんなの事、ちゃんと覚えようね」
そうなんだ……。
授業中とか必死こいてノート取ってるから知らなかった。休み時間も別にすることないし、周りのやつらのことなんか気にしてないし。て言うか、人間にあんま興味ないもんなぁ。
でも姫琴の言う通り、同じクラスの連中の顔と名前くらい覚えておく事にしよう。友達を作るならそれくらいの努力をするべきなのかもな。
「それに黒斗くんって有名人だよ。格好良いし、寡黙でミステリアスな感じが女の子達の間では人気なんだ。
わたしにはちょっと怖くて近寄り難いけど」
落ち着いた心がぶり返す。
なんであんなやつがモテるんだ。不条理だ。愛想悪いうえ初対面の人間……悪魔に不躾な悪態を叩くようなヤツが異性に好意を持たれるなどあって良いのか!?
それにミステリアスさで言ったら俺もそうだろうが!
結局顔か? 顔なのか? 立ち上がれ群衆! 顔の良い男を野絶やしにせよ!
「葦木くんの場合、ミステリアスと言うより奇天烈な感じだけどね」
がくりと膝を折る。ボディーブローが直ぐに脚に影響をきたした。
違いはよくわからないけど、褒められてないと言う事はなんとなく察した。
字面が間抜けだもん。帰ったら『奇天烈』の意味を調べよう……いや、やめておこう。これ以上傷を抉る必要は無い。
「それより昨日の夜わたし考えたんだけど、葦木くんがよく転ぶのって翼がなくなったからじゃないかな?」
恨めしそうな俺の視線を感じてか、姫琴は話題を切り替えた。
「いやいや、廊下が滑りすぎるんだよ」
「それもあるけれど、他の人は葦木くんみたいに転ばないでしょ?
きっと翼がなくなって重心が上手く取れてないんだよ。だから胸を張って歩いてみれば良いんじゃ無い?」
「た、確かに背中が軽いからなるべく前のめりに歩く様気をつけてはいるけど」
「ね? 昨日、前向きに倒れることが多かったからもしかしてと思って。前向きに転ぶのに尻餅を着いちゃう理由はちょっとわからないけどさ、試してみる価値はあるんじゃない?」
その言葉に、目から鱗と涙が溢れそうになった。
「ね、寝る間も惜しんで俺の事を考えてくれてたのか……」
「いや、十時にはベッドに入ったけど……」
やはり持つべきものは友達だ。
俺なんかの心配をしてくれるとは、彼女は天使か何かであろうか。
このひと月で初めて温もりに触れた気がする。あれ? 空が滲んで何も見えねぇや。ちくわがふやけてちくわぶになってやがるぜ。え? ちくわぶってそう言うものじゃないの? まぁ、いいじゃない。この際そんな些細な事は。
人間界に来て良かった。そう思える日が来るとは夢にも見なかった。このひと月ほど、募るは人間への怒りと社会や政治への不満ばかりだったから……やっぱり俺、この国に必要な存在なんじゃない?
そうだ、今日から日記を付けよう! 姫琴の事をたくさん書こう! 姫琴が何を食べていたか、何を話していたか、何回トイレに行ったか、寝るまで何分かかったか、全てを記念にして記録を取ろう!
「なんだか寒気がする……」
二の腕をさすりながら姫琴はじとりとした目で俺を見上げた。
もう梅雨に入ろうと言うのに、変な姫琴だな。空もこんなに晴れ渡っているのに……まるで俺の心を映しているかのようだ。気付くとちくわの群れはどこか他所の空へ逃げて行ったらしいかった。
梅雨前線がやって来たら中々見れなくなるなぁ、こんな快晴は。今のうちに目に焼き付けておこう。
「さて、そろそろ戻ろっか。もうすぐチャイム鳴っちゃうよ?」
姫琴は俺が弁当箱を仕舞うのを見届けて立ち上がった。
大きく伸びをした後、彼女はスカートの裾を手で叩き砂埃を払う。
「ここって入っちゃいけないんだよね? 校則を破ったのって初めてかも。なんだかドキドキしちゃった」
笑顔が眩しい。直視できないほどだ。
俺が人間だったらきっと恋に落ちている。なんなら今から飛び降りたって良い。丁度ここ屋上だし都合がいい。
「ちょ、ちょっと葦木くん!? なにしてるの!」
錆びたフェンスに足をかけたところで彼女は俺に駆け寄る。
「大丈夫だ! 俺は死なない! 生きて帰るから!」
「その台詞、死んじゃうフラグだから!」
必死でズボンを掴む弱々しい手。それを振りほどこうともがく俺。これぞ青春。
その時、ズボンがズルリとずれ落ちて俺のおケツを涼しい風が撫でた。
我に帰りベルトを上げる。
振り返ると顔を真っ赤にした姫琴が両手で顔を覆っていた。
「こ、今度わたしの前で服脱いだりしたら絶交だからね!!」
脱がしたの姫琴じゃんか。俺悪くなくない?
でも絶好は嫌なので、金輪際服は脱ぐまい、ベルトはきつめに締めようと心に決めたのだった。
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