終天の門 -Deus ex machina-

@cherry0521

プロローグ

 1945年某日。


 燃え盛る帝都の中、二人の魔人が相対していた。


 見上げた先には天を覆い尽くすような巨人が立つ。その身体は鉄の塊、この戦争によって生みだされた兵器達によって構成されていた。

 それが放つ砲撃は、地を割り、全身に存在する対空機関砲が米軍爆撃機を容易に撃ち落とし、焼夷弾を物ともせず燃え盛る建屋を踏み潰す。

 それは、世界の終焉を思わせる光景であった。事実として、それは終焉にすら繋がる意思だった。鋼鉄で構成された怪物でありながら、然して余りにも温かな光すらも纏っているようであった。

 温情、世界を包み込む愛情こそがそれを動かす。終天はその愛を以て形を成し、咆哮とともに世界を砕かんと口を開けている。


「どうした、藤宮曹長。その程度で俺を攻略出来るつもりか?」


 その胸部に空いた空洞、其処に一人の男が坐す。

 帝國陸軍の将校軍服を身に纏った男。階級章は燦然たる陸軍少将。名を岩畔豪雄。その男こそが、機械仕掛けの幕引の巨神を操る者であり。

 それは絶大な魔導を放出しながら帝都を蹂躙していた。燃え盛る帝都を、狂笑と共に踏み潰し、焼き払い、撃ち尽くしていた。

 その軍装が示す通り、岩畔豪雄は帝國陸軍の軍人であり、帝都を守る軍人の一人であった――――であるが、然し。同時にそれは、『救世主』だった。

 『救世主』が行うべきは、即ち『救世』でしかない。そして、それは救世であった。愚かな人類の命を背負って余りある、それは唯一無二の救いであった。

 逸脱した、絶大な精神性が巨人をまるで自らの手足の如く動かし続ける……そして、それは今。帝都を駆ける一人の軍人へと向けられる。


「――――私の任務はこの帝都の防衛です。任務は必ず遂行します」


 それはまた、帝國陸軍の軍装を身に纏った一人の軍人。

 白い肌に、白い髪。赤い瞳を持った白子の少女、階級章は曹長の物。然してその動きは魔人足り得るものであった。

 放たれた砲撃、三十粍にも達する口径を持った砲弾による一撃を、跳躍を以て回避する。凄まじい破壊と衝撃波の中を一切身動ぎせず、空中で右手を突き出した。


 右手を輝きが包み込む。終天が齎す魔力がその身に宿り、収束し、構築されて形を成していく。

 それは黄金の槍であった。それは嘗て渾沌でしかなかった存在を撹拌させた大いなる鉾であった。其の輝きは正しく素晴らしき救世主の血を受けた聖槍にすら匹敵した。然し、それでいてその輝きは余りにも怜悧であった。

 その大いなる力は今しがた放たれたばかりの砲弾を、それがこの世界に出現したという事実、余波のみを以て消し飛ばす。

 砲弾の主たる岩畔豪雄は、それに不快感を示すどころか、笑っているほどだった。寧ろその力の奔流に、狂喜乱舞すらしかねないほどに。

 然して、彼はそれを必至に抑え込む。其の程度ではないのだと、お前の力は未だ未知であると、岩畔豪雄は、その一人の少女を信じていた。


「だが、逃げているばかりでは壊れていくばかりだぞ――――さぁ喰らい尽くせ、グスタフ・ドーラ」


 巨神の胸部に一対の砲門が内側から現れる――――堂々たる巨砲、それは世界最大の火砲であり、それが一人の魔人を砕くために放たれようとしていた。

 ただでさえ最高の威力を持つそれは、岩畔豪雄の魔導を以て強化されている。それが帝都に炸裂したのであれば正しく焦土と化すだろう。

 帝都を守る使命の為に。藤宮一葉は着地の瞬間に地を蹴り出して、巨神へと向かっていく。


「ほう、勇壮だな藤宮曹長。だが、お前にこれが防ぎ切れるか?」


 だがそれでも、岩畔豪雄は笑う。人類を想う物として、世界を救うべき者として笑う。

 魔導の差は歴然。藤宮一葉のそれは、未だ育ち切っていないというのが岩畔豪雄の理解であった。

 対して、岩畔の魔神は魔導として最高峰の『幕引の機神』。慢心ではない。彼我の実力を理解した上での、明確な事実を一葉に突きつけていた。


「はい、可能です。私の目的は帝都の守護にあり、私にはその機能が備わっております」

「岩畔少将と薔薇十字卿より頂いた力があります。故に――――私は、帝都を守ります」


 その言葉に、岩畔豪雄は少々表情を崩した。

 不快感ではないが、然してそれは負の方向へと傾いた物であった。それは、彼女が帝都を護ると宣言したことに対して、ではなかった。

 その信条は彼自身最も評価するものであった。だからこそ彼女はローゼンクロイツが齎した最大の誤算であり、岩畔にとって最高の障害であった。

 だが、其の精神性には何も無い、それ以外が余りにも空虚だった。藤宮一葉という少女は、それ以外に何も保有していない。

 それは正しく聖女のそれであった。与えられた使命を徹底的に忠実に護る。其処には正義感どころか、使命感もなければ殺意すら無い。

 最早それは人間の業ではない。それはただの歯車機構だ。岩畔豪雄は今まで少女に人間性を与えることを試みて、その全てを尽く打ち砕かれてきた。


「ならば、撃ち貫いて見せろ藤宮曹長! この俺の幕引を、この俺の救世を!!」

「お前の役割が帝都を守る鉾であるのならば――――お前は俺の、愛すべき仇敵に他ならない。故に、此処でお前を喰らい尽くすッ!!!!」


 故に、それは岩畔豪雄にとって目の前に立つ敗北であった。だからこそ、堂々と立ち上がり、両手を広げた。

 全身を構築する兵器の全てが砲門を擡げる。最早この世界を砕き尽くさんとばかりに口を開いた。

 それは正しく世界を終わらせる終局の砲火、撃ち放てば世界は正しく砕け散り、色無き零へと回帰する。


「さぁ吼えろ、全砲門を解放――――無限無明の彼方まで撃ち尽くし、そして終世へと焼き払え!!」


 そうして、破壊の奔流が解き放たれようとしていた。その幕開けは、二門の最大火砲――――その砲弾が轟音とともに、一葉を破砕せんとしていた。

 然し、そこに一切の感情を抱くことはなかった。その全ては帝都を護る為にあった。であれば、その身を捧げることに恐怖の一切を抱くわけがなかった。

 そういう風に出来ている。息をし、心臓が鼓動し、指先にまで血が通っていようとも、それはただの機構でしか無かった。

 故に、其の渾沌別つ聖槍の切っ先を向けるのに欠片の躊躇など無かった。機構である以上、問題解決のための最善策を取る以外に選択肢は持ち合わせていないのだから。


「私の魂を、槍に。私は、帝都の守護者であるが故に」


「この身の全てを捧げます。穿ち、貫いて――――どうか。帝都の輝かしき未来が護られますように」



 魔導とは、正しく魂の強度であった。魂が如何に強力に終天と接続され、そこからどれだけ確固たる意思を以てこの世界に具現化するかどうか。

 それこそが魔導である。故、余りにも過ぎたる力は本人の魂を焼き尽くす。終天から生み出される力に押し潰され、食われ砕かれ終天に溶かされる。

 そして藤宮一葉はそれを選択した。単純な話だった。

 全人類の魂を背負い世界を焼き尽くす覚悟を決めた岩畔豪雄と、ただ機構として帝都東京を護るというだけの少女との間には、絶対的な壁があった。

 その覚悟は、意思は、決定的に違っていた。元より引っ繰り返すにはそれしかないと知っていて、それに躊躇する心など持ち合わせていない。

 祈りは白々しくすらあった。心など無いのだから、心からの祈りになどなる筈もなく。ただ、存在するだけの魂が聖槍へと変換されていく。



「――――『創世神話・天之瓊矛』」



 その名を告げて、少女は光の槍となった。

 終焉の幕引へ、創世の神槍が向かっていく。それが幕引の機神であるならば、創世の神槍以外に喰らい合える魔導などどこにも存在しない。

 ただ、藤宮の聖槍こそが岩畔の救世を防ぐための手段だった。この世界に存在する魔導の内の、唯一幕引を喰らう事ができる創世は。

 数多の障壁を一瞬の内に貫いた。原子爆弾ですら傷一つつかず、あらゆる魔導に膝をつく以外の選択肢を与えぬその終世の障壁を。



 ――――凄絶なる一撃が幕引の巨人を貫いた。



 その巨人の左半身が吹き飛んだ。残骸すら残さずにこの世から消え失せて、其処に立つ岩畔の左半身もまた巨人と同等に抉り取っていった。

 叩き込まれたのは創世の一撃。なればそれは人間一人の手に余る物ではない。その一撃を受けた以上は、生命体であれば必ずや創世に砕かれることになる。

 世界が変形する過程の中で、合間に挟まれ魂を砕かれ、次の世界の燃料とされる。そういう風に創世は出来ていた。

 だが、それでも岩畔豪雄は立った。創世の聖槍の一撃を受けながら、それでも尚その魂を溶かさず、砕かれず、少女の前に立ち塞がっていた。


「まだだ、まだこんなもので終わるものか。この程度で俺は砕かれない、俺を砕くことは出来やしない」

「そうとも、俺は世界を救うと決めた。全ての魂を俺が背負うと決めた、であれば意思無き人形が俺を砕くことがあるものか!!!」


「動け、動き猛り狂い叫び砕け!!!! そうしなければならない、そうでなければならない!! 俺は、俺こそが――――」


 そうして岩畔が取った手段もまた、藤宮が取ったその手段と同一であった。魂を変換し、直接魔導へと変換する。

 岩畔は藤宮とは違う、意思のある人間だった。魂が終天に溶けていく感覚に、一つ一つ、骨の髄まで恐怖しながら。それでも、それは此処で終われぬと立った。

 直上より、まるで砲弾の如く、或いは神の裁きのごとく、再度の飛来を以て自身を砕かんとするそれを睨みつけて、そしてその右腕を掲げた。



「――――『終焉終世・幕引の機神デウス・エクス・マーキナー』ァァァアアアア――――ッッッ!!!!!!!!」



 それは正しく、神域の攻防であった。

 ほんの一度の交錯であった。それでもそれは、この大戦に於いて使われた全ての砲弾、弾丸、爆弾、ありとあらゆる兵器を用いても到底追いつかない破壊を起こした。

 そして、それだけの破壊を振り撒きながら、それはお互いに食い合って零を保ちながら膨れ上がり続けた。

 しん、と東京が静まり返った。誰も彼もがそれの前ではただちっぽけだった。



 やがて『神域』は、帝都にて決着する。



 膨大な黒色が、空にはあった。膨れ上がった、創世と終焉の中和によって生まれた零は、やがて膨大な量の虚数となって時空の破断をすら創り出した。

 それは、ほんの僅かな間だけ開かれた。それは、帝都の砕かれた破片たちとともに聖槍と化した藤宮一葉の身体を時間流の中へと汲み上げていった。

 終焉の機神は崩れ落ちていく。砂のように崩れていく巨人と共に、岩畔豪雄は落ち続けていた。魂を砕き、虚ろになった意識の中その光景を見上げていた。

 思惑は失敗に終わった。終焉の機神は、其の役目を果たすことなく一人の少女の手によって砕かれた。岩畔豪雄の魂もまた、同様に。



「――――まだだ」



 最早、人間としての精神性は奪われているはずの肉体だった。然して、岩畔の身体は笑って言葉を発していた。

 或いはそれは、ただ残された電気信号を頼りに脳が忠実に従っただけの自然な『機構』でしかなかったのかもしれない。

 だが、それでもそれは笑っていた。



「――――まだ、これで終わりじゃないだろう」



 笑って、空を見上げていた。



 時間流が閉じていく。帝都の空は――――眩いばかりの、蒼天だった。

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