元老院隔離区 6

 魂を殺すにも、走馬灯は起こるらしい。


 だがそれは、ごく最近の過去ばかりだ。


 ここまで揺られてきた馬車、話しかけてくるダグ、睨んでくるバニングさん、ずっといたドラム缶のケイ、ダンジョン突入前の休憩、いよいよ突入、飛び出してきた岩の蛇、それから入って、うざったいほど慎重な歩み、トイレ、竹槍との遭遇、骨面との遭遇、竹槍の大量発生、抜けるトイレ、下水道、叫ぶ根、出れば植物園、地脈の太陽、豚との死闘、水面に沈む骸たち、検死に墓掘り、手作りの階段を登れば仲間とのご対面、やめろと言ったのに蜘蛛を倒し、仲間の大群とご対面、姫剣士を倒し、仲間割れして閉じ込められ、出れたら骨面との戦闘、退けても斬らなかったとなじられ、たどり着いたが壁の裏、骨面との平和会談、ジェネラルとの邂逅、長い話にあぁ漏らしたさ、それでスパークして、最深部っぽいとこまで降りてきたらふんずけられて、追っかけ助けて戦ったのは一本角、最終奥義で勝ったと思ったら射抜かれて、助けられて、そして射ったやつに嘘という毒を吐くのだ。


 これの何が楽しいんだ?


 怒りを隠し、言葉を探す。


 背を向け、まだ開けられない鉄の扉を引っ掻き回しながらチラチラとこちらを伺っているバーナムの姿は、みっともない。


 長い髪はべっとりと泥で固まってて、湿った衣服はだらしなく伸びてて、見たくもない肌を晒してやがる。此の期に及んで戦う度胸すらない。


 この程度の小物、しかし何百人も殺し、その何百倍もこれから殺そうとしている男、なのに罰することも斬ることもできない。それどころか、おべっか使うとか、止めてもらうとか、お願いするとか、反吐が出る。


 ……人を斬れなくて苛立つなど初めての経験だ。


 だが俺は、そこで辛抱できないほど未熟ではなかった。必要なら靴でも泥でも舐める、戦場で生きるとはそういうことで、社会で生きるというのも同じようなもの、俺はそれを知っている。


 …………だが、俺はそんな俺が大っ嫌いだった。


 もう、寝たい。


 疲れたし、ダメージもある。さっさと終わらせて、世界を救って寝たい。


 嫌なことへ、踏み込んだ足が、無意識に踏み切り、俺は跳んだ。


 ……無意識に、なのに全力の跳躍、背中を天井にかすめながらバーナムへと届くその一歩、その意味は、宙にたどり着いてやっと理解した。


 瞳に残像として残るはバーナムの、振り返りながらも見せたあの笑み、悪意に満ちた笑みに、俺の本能が跳ねたのだ。


 そして全ては同時に動き出す。


 ゆっくりと降下する俺、笑みが引きつるバーナム、そしてその、体に隠れた右手が、レバーを引いた。


 そして俺の股の下を突き抜けたのは、床より飛び出た薄い刃、それが笹向けのように、びっちりと、狭い通路に生え揃っていた。


 こいつがおそらく、あの水底の骨の殺めた凶器、罠だった。


 バニングさんの心配はあながち間違ってなかったのかぁ、などと思い至ったところで頭が鉄扉へと激突した。


 飛び散る火花、視界が真っ白なうちに落ちてまた尻を打つ。


 ……幸い、罠の刃は引っ込んだ後だった。


 だが尻もちに怯んだ俺を、バーナムは見下ろしていた。


 やばい。


 この状況、詰んでる。


 腰には折れた刀、だが抜いて立ち上がる隙は素人よりずっと遅い。


 ならば、ヘケト流剣術『泥溜まり』をとも考えても、尻を擦って逃げる隙は罠がまた発動される。


 ならばならばと考え、俺はバーナムと目があったまま動けなかった。


「……なんで」


 ……そして、最初に動いたのは、バーナムだった。


「なんで避けちゃうんだよぉおおおおおお!」


 感情に任せて吐き出される怒声、バーナムは正に子供のように、地団駄を踏んで、泣き出した。


 ▼


「だから何度も言ってるじゃんか! 僕は荒廃した世界でおっぱいのおっきな赤髪ロングのツンデレとちっぱいでロリっ子な青髪ショートカットと一緒にハーレム作って僕のゴーレム技術で無双して神になってハーレム作るんだい! お前らみたいなインキャどーてなんかと違うチートマシマシで無双して新世界の神になってそこで女神様相手に新しいハーレムを」


「あーもうわかった!」


 流石のダグも匙を投げ、バーナムを部屋に残しドアを叩きつけるように閉めた。


 一応、椅子に縛ってあるし、部屋には何もないとバニングさんが確認してる。無力化は、できてるだろう。


 だがそんなことよりも、もっと問題な状況に陥っていた。


「ダメか?」


「あぁダメだ」


 俺の問いに、ため息のような声でダグは応える。


「幼児退行、見当識障害、躁状態なのは、まぁ状況が状況だけにアレだが、ぶっちゃけ使いものにならん」


「ふりって可能性は?」


「ありゃないな。専門じゃないが、考えてもみろよ? ただでさえ閉鎖した地下暮らし、それも外には敵だらけで、誇るべき正義もない。ただ罪から逃れたい一心で虐殺するような小物が、怯えながら孤独に十年も耐えられるわけねぇだろ?」


 言ってダグは俺の隣にどかりと座る。


「こう言っちゃなんだが、例え拷問しようとお望みの答えは得られないぜ」


「野球で釣ってもか?」


「辞めろ」


 らしくなく厳しいダグの声に思わず身構える。


「これでもしあいつが、野球を汚しやがったら、道を外すしかなくなる」


「……そうかよ」


 お得意の野球ネタでこの反応、これは思ったよりやばい状況らしい。


 だがもう、やれることの無くなった俺は足を延ばすぐらいしかすることがなかった。


 ……こうして見ると、最初はただ跳び超えてただけの赤絨毯だったが、汚れとか摩耗とか、何というか生活して使い古された感じがある。


 流れるのは冷たい空気、ここには俺以外もいるはずなのに聞こえてくるのは己の呼吸音のみ……こんなとこに十年、怯えながらともなれば、まぁ壊れるかぁ。


 思い、納得して視線を骨面へと向ける。


 ……骨の面を砕かれた骨面は、静かに寝ていた。


 ダグの診断を信じるのなら、傷は大したことはないらしい。ただ脳を揺らしたらしく気を失ってるそうで、万一を考えて寝かせている。


 こう見れば、やっぱり骨面はただのガキだった。


「なぁ」


「なんだよ」


 俺の返事にダグが何か言う前に、魔法の灯りが戻ってきた。


 ケイとバニングさんが戻ってきた。


 と、なぜかバニングさんの足が止まる。


「なんで、あんた裸なのさ」


 言いながら俺を見るバーナムさんの目は、あの睨むような眼差しを向けてきやがる。


「仕方ないだろ? あいつを椅子に縛るのに誰もロープ持ってなかったんだ。だから俺の帯使うしかなかったんだろ?」


「だからって、全裸?」


「このガキ寝かせるのに直だとアレだろが。それに全裸って言ってもよ」


「あ」


「……なんだよ」


 俺を遮ったケイが、わざわざガンドレットを出して、俺の股の間、ふんどしの先端を指差す。


 そこには拳一つ分ほど上の部分でガッツリ斬り込みが入ってて千切れかけてた。


「あれだな。罠跳び超えたあたりで避けきれてなかったんだな」


 応えながら鬱陶しいので引き千切る。


「ぎゃあああああああああああああああ!」


 なんか知らないがバニングさんが絶叫する。その目は睨むのを辞めて、パチクリしていた。


「いや、鬱陶しいだろ? それに何かの拍子で邪魔になるかもしれないしよ」


「鬱陶しいってあんた、そんな、生え変わるもんでもないでしょうが」


 生え変わる?


 何を言ってるかわからないのは俺だけではないらしく、ダグも戸惑ってる。


「……ひょっとして、ですが」


 恐る恐ると言った感じでケイが口を、開いてるんだろう見えてないが。


「もしかして彼のふんどしが尻尾に見えたんですか?」


「……いや、尻尾って言うか、前の方と言うか、男の、アレって言うか」


 言わんとすることが色々わかった。


「おいちょっと待て。お前ひょっとしてこれがずっとアレっていうかふんどしがふんどしに、お前目悪くて、ちゃんと見えてなかったのか?」


 ……俺の確認に、バニングさんは頷いた。


「おいふざけるなよ。見えてないやつが制球指示出してたのかよ」


「うるさい野球バカ。見えないのは遠くにあるものだけで近寄れば見えんの。問題なかったでしょが」


「だがそんな目じゃ野球できないだろが。今ドワーフとの関税下がってメガネ安くなってんだから買えよそれぐらい」


「やよ、メガネなんて、あたしに全然似合わないでしょ」


 言って鶏冠の髪撫で上げるバニングさんに、ダグは立ち上がる。


「同じパーティとして言わせてもらう。メガネかけろ。冷静に考えておしゃれと野球、どっちが大事なんだ」


「だからなんで野球が」


 バチンときた。


 あの、魔力が溢れてなんとかっていうやばいやつだ。


 そうだ、世界はピンチのままだった。

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