丁鳥姉さんには彼氏が居るらしい

 どうせ、誤記の訂正メールか何かだろう? マルヤマ書店から定期的に来るメールマガジンかもしれないし。


 ぼーっとした頭で一応確認すると、差出人欄には「グルグール」と書いてあった。


 グルグールといえば、「グルグール詮索せんさく」で良く知られる、インターネット詮索サイト。詮索サイトの中では一番シェアの大きい、事実上のデファクト・スタンダードなプラットフォームと言って良いところ。


(天下のグルグールさんが、何か用ですか。こんなダメ人間に)


 俺は、よろよろとした足取りで駅ホームを歩き、椅子にどっかと腰掛けてから、その2通目のメールを開いた。



 件名は、謎の文字列。

 本文も、謎の文字列。



 まったくもって、意味不明な文字列が並んでいる。

 それでも、俺を覚醒させるには至らない。


(不思議なメールだなー。俺の一生をリセットしたり、異世界に転生させてくれる、魔法のメールとかだったら、うれしかったんだけどなー)


 そんな「逃げ思考」が、俺の頭の中に、うたかたのように浮かんでいた。うたかただというのに消えてくれない。


 ただ、なんと表現したら良いんだろう? 件名も、メール本文も、ただのランダムな文字列ではない感じを受ける、というか……。


 異世界とかで、邪神の崇拝者とかが使っていそうな、魚がにょりにょりと這い寄ったような。そんな名状し難い文字だった。


 俺は混乱した。いや、もともと混乱していた。押し寄せる情報を処理しきれない。


 こういう時、どうしたらいいと思う?

 笑えばいいと思う?


 ちっ、


 ちっ、


 ちっ、


 ぽーん!


 では、正解を発表。



「帰って寝る」

 1択だ。俺の心が、これ以上の精神的負荷を拒否している。もはや寝逃げしかない。


 歩いて自宅に帰り、シャワーを浴びた。

 

 泡立たないシャンプーのミステリーが俺を襲う!

 その真相は、『これはシャンプーではなく、リンスである』だった。

 

 風呂掃除用のスポンジで、体を洗いそうになった。


 連鎖的にミスをやらかす。

 あーもう! パズルゲームの『ブニョブニョ』みたいに、連鎖でミスがブニョッと消えないかなぁ。


 体をバスタオルで拭いていたら、スマホがピカピカと点滅していることに気付いた。SNS『シュットドン』のダイレクトメッセージ。差出人は……。


丁鳥ていちょう姉さんだ……!)


 SNS『シュットドン』の小説創作クラスタで、いつもお世話になっているお姉さんだ。クラスタにいる小説書きの中には、落ち込み&闇落ち状態にある所を、姉さんの優しい励ましで救われた人って、たっくさんいると思う。


『Calcくん、こんばんは』

 小説書きの仲間でもあり、いつも優しい丁鳥ていちょう姉さん。

 姉さんになら、今のゴミクズみたいな俺でも、話が出来る気がした。


『姉さん……! 俺、もうだめです』

 そう、ダイレクトメッセージを送った。小説書きのお約束に従い、三点リーダは2つ重ねて。ビックリマークの後には空白を一文字あけて。


『あれ。どうしたのかな?』

 マルヤマ大賞落選の件だということは、姉さんだって分かっているはずだ。今日のお昼に発表だったんだから。でも、敢えてストレートにそうは聞いてこない姉さんの「さりげない優しさ」に、俺は涙が出そうになった。


『マルヤマに、「俺の応募作は届いてるか」って感じの、恥ずかしいメールを送ってしまって。落選なの明らかなのに』


『そっか……。ずっと、一生懸命書いてたもんね。Calcくん頑張ったよ。そのメールだって、熱意の表れ、ってことで、受け取ってもらえるんじゃないかなぁ?』


 丁鳥ていちょう姉さんにそう言ってもらえるだけで、気持ちが凄く楽になるから、本当に不思議だ。


『そうでしょうか……』

『多分、マルヤマ書店さんも、そんなに気にしてないよ。Calcくん、私より絶対文才あるし、大丈夫だよ。私なんて、これで何度目だろ? 落選するの。落選慣れしちゃってるよてへへ』


(しまった!)

 そう思った。落選で落ち込んでるのは俺だけじゃなかった。丁鳥ていちょう姉さんも応募してたんだった。俺、自分の事しか見えなくなってたのか!


『姉さんごめん。また頼ってしまった』

『そういうとこ可愛い。お互い残念だったけど、チャンスはいくらでもあるんだし、次頑張ろうぜ次! ∠(`・ω・´)』


 何か変な顔文字付きで、励ましのメッセージが来た。ありがとう、を姉さんに伝えるつもりが……。


『姉さん結婚してください!』

 ネット人格だと、こんな表現になってしまう。


『来世でな∠(`・ω・´)』

 と、メッセージが返ってきた。


 丁鳥ていちょう姉さんは、スパッと気持ちを切り替えているみたいだ。同じく身分は大学生で、年齢も俺と1つか2つしか違わないらしいのに、ストレス耐性がこんなにも違うかね、と俺は感嘆する。


 姉さんのおかげでSAN値正気度が回復し、冷静になってきたはずの俺は、やって来た『来世でな』ネタを、うまく切り返す語彙ごいを持たなかった。そこで、駅で受け取った、2通目の変なメールの話題を振ってみた。


『現世仕事しろ! ところで姉さん。魚が這いまわるような文字って、どこの国の言語か知りません? 西洋かなあ?』

『魚文字? 見せてもらうことできる?』

『これなんですけど』


 俺はスマホを操作し、グルグールからメールで送られてきた謎の魚文字列を、ダイレクトメールにコピー&ペーストして、姉さんに送った。


『えっと、なにこれ?』

『姉さんにも、わかりませんか?』

『うん。見たことない……なんか、魚っぽいね』

『そうなんですよ。まったくもって、意味不明でしょ?』


『Calcくんが、<謎のメールを受信したら魚に転生したのだが?>みたいな感じの小説を、新たに書く流れかなあ?』

『魚になって、何するんですか!』


『人魚姫とかに、話を繋げば良いと思うけど、どうでしょう?』

『それ、同報メールだったら、海が人魚姫で埋まりますね。ある日、浜辺にピチピチの人魚姫が大量に打ち上げられ……』

『絵的に怖いよそれ(`・ω・´)』


 そんなこんなで、いつものように、小説の新しい設定(というか、小ネタ)の話に花が咲いた。あっと言う間に時間が過ぎる。


 …… 

 

『姉さん、今日は助かりました。落選のショックで、SAN値がヤバイことになってたので……』

『いいよいいよ。オフ会とかでもし会ったら、おごってな(`・ω・´)』


『姉さん、彼氏さんいるんですよね? 見ず知らずの男におごらせるの、マズいっすよ? ひひひひひ』

 文字なら、こういう軽口も叩ける。リアルに面と向かっては、絶対に無理だと思うけど。

 

 返信が来るまで少し間が空いて、姉さんからこう返ってきた。

『うちのは、そういうのに寛容なんだよっ! まぁいいや。魚の文字は、グルグール詮索でもしてみたら?』


 なんか、急に話をそらされたような気がする。彼氏さんの話を突っつくと、はぐらかされる事が多いような……。


『そうっすね』

『あ、ごめん。ちょっと私、お風呂行ってくるね』


『はい(お風呂ですと? 興味津々)』

『じゃ(子供は寝る時間ですよ)』


 そんな感じで、シュットドンの、ダイレクトメールでのやり取りは終わった。

 

 この時、予想できるわけがなかった。


 魚が這い寄ったみたいな、謎の文字列。

 その文字の向こう側から、コズミック・ホラーが這いよってくるなんて。

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