第44話 湯屋
煙突のある建物の入り口付近に漢字ともアルファベットにも見える不思議な文字が書かれている。
普通、読めるはずがないそれ。
しかし、なぜか脳内に『湯屋』の文字が浮かんでいた。
「ああ、
「なにが?」
「なんでもない」
入り口には扉の代わりに簾を太くしたようなものが下げられており、潜るときにカラカラと乾いた音がした。
そして正面には小さいカウンターがあったのだが、誰もいない。
それを見てアウソが「あれ?」と声を出した。
「っかしーな、普段居るのに。オバァー!!居ないばー!?」
「居るとー」
「うわっ!?」
ヌルンという感じでカウンターの下からシワシワ婆ちゃんが顔を出してきた。
婆ちゃんは大きなあくびをしつつ眠たそうに目を擦っている。まさか、寝てたのか?
「オバァよ、シェルスタの時間にはまだ早いばーて。交代の兄ちゃんも来てんのに」
「はっ!年寄りはいつでもシェルスタ時間やて。アウソちゃんもいい加減ルキオなまり取ってちゃんと喋りーや」
「ははは、堪忍してやー」
アウソと笑い合っていた婆ちゃんが「さて」と言いながらこちらを向く。
「そこの兄ちゃんは初めて見る顔やけど」
「ああ、こいつ新入りなんさ」
「ライハと言います」
軽く会釈をすると婆ちゃんが首を傾けた。
「ん?コーワの人?」
「いえ、……ホールデンの方から…、生まれは違いますけど」
「ほぉ、つい仕草が似てるから間違ってもうたわ」
はっはっは、とお婆ちゃんが笑う。
頭のなかにコーワ人はお辞儀をするという情報が追加された。
そういやここに来てお辞儀する人見たことないな。ホールデンでは軽くお辞儀してたけど、もしかしたら地域によって違うのかもしれない。
「んで、今日は二人と一匹入ると。合わせて600カースや」
「ほい」
「…一匹?」
幻聴だろうか、お婆ちゃんに返事するように後ろからニャーと聴こえた。
無言でフードに右手を伸ばし、手に触れた物体を掴んで目の前に持ってくると真っ黒毛玉がドニャ顔で現れた。
「ニャー」
猫だ。
「ニャーじゃねーよお前。なんで居るんだ。置いてきたはずなのに」
ふんっと鼻で笑われた。
猫のくせに。
「お前気付いてなかったば。そいつずっと居たぞ」
「まじか」
再び猫に視線を戻す。
大あくびをしていた。
なんかもうどうでも良くなって猫をフードの中に戻すと、猫一匹分の重さがずしりと肩にのし掛かる。なんで重さで気付かなかったかな。
この湯屋という所は一部の動物のみ人と一緒に入ることが出来るらしい。例えば目が不自由で目の代わりをしている動物とか、使い魔と呼ばれている動物。使い魔と聞いて魔法使い等が頭に浮かぶが、ギリス・グランドニアとかいう国の人は小さい頃から魔物や魔獣を使役するという風習があるとか。
そしてオレの猫はその使い魔として見られたらしい。
普通の猫なのになんか申し訳ない。
「向こうの方には馬専用の湯屋もあるんさ」
「へぇー」
アウソの説明を聞きながら服を脱ぐ。
ロッカーも木製で、ちょっと変わった形をしており、普通の正方形のロッカーに細長いロッカーがすぐ横にくっついている。どうやって使うのかと思ったら武器を入れるための物だった。確かに武器って細長いの多いな。
準備が出来たら猫を抱えて出発。
「おお」
扉を開けると予想外の景色。
てっきり湯屋って、見た目銭湯っぽいから勝手に湯船があると思いきや、なんと湯船がない。
その代わり壁から幾つもの竹が飛び出し、そこから熱いお湯が出ている。
足元には少し窪みがあって、その中にお湯が少しの間溜まるようになっているみたいで、辛うじて足湯が出来るか出来ないか…。
「何呆けてるば、行こうぜ」
アウソがさっさと奥へ行ってしまう。
それに着いて行きながらあちこち見る。
竹の先から勢い良く流れるお湯は、シャワーの用にはなっておらず、水道をそのまま捻ったような感じで流れ出している。そして人はそのお湯を頭とか背中とかに直接当てている。見た目は完全な滝修行者です。
部屋は湯気で真っ白で、アウソの姿を見失いそうだ。目を凝らして歩いていると前方に見覚えのあるものが。
「あ、湯船あるじゃん」
小さいけど。
ワクワクしつつしゃがんで水に触ってみると冷水だった。残念。
「あれ?アウソさん?」
落胆しながら立ち上がるとアウソが居なくなっていた。
ヤバイ、見失ったかも。
「一応迷子って事だよな、コレ」
じゃあ動かない方がいいかも知れない。
仕方がないので人の居ない近くにある滝に向かう。試しに水が溜まっている足湯の方に爪先を沈めてみると、意外な事にお湯はそこまで熱くはなく、むしろぬるめだった。
それじゃあ入るかと思ったところで、猫は水が苦手というのを思い出す。
猫を下ろし、動くなよと言ってから試しに滝に手を突っ込み慌てて引き戻す。
予想以上に威力が強い。
「本物の滝並じゃねーか?これ」
本物の滝を触ったことは無いけれども、一瞬腕を持っていかれそうになった。
最初頭にやるのはキツいかも知れない。
肩なら大丈夫かと、回れ右して背中から突入すると物凄い水量が体に襲い掛かる。まるで太鼓のバチで背中や肩を全力で連打されているような。
初めは凄く痛かったが、段々とそれが心地良くなり体がポカポカと温まり始めた。お湯が温いのが残念と思っていたが、血流が良くなった体にはむしろこれくらいの水温が丁度よい。
何だろう、この凝り固まった疲れやストレスが木っ端微塵に砕かれて流れていくような感じ。
調子にのって頭にも当ててみた。
角度が悪いと頭がもげそうになるが、これもなかなか悪くない。脳に血が回ってんのか、心なしか体がふわふわとした感覚がする。これ、いいな。瞑想とか出来そう。
合掌。
うん。何か悟れそう。
「あ、そういや猫」
足元に置いておいたの忘れていた。
姿勢はそのままに視線だけで猫を探すと、すぐ足元の足湯に浸かっていた。
時たま顔にかかる飛沫を嫌そうにして頭を振る以外は別段気持ち良さそうにしていて、猫にも水が好きなやつが居るんだなと素直に感心。
嫌がって逃げ回るんじゃないかという心配事が無くなったので、再び合掌しながら滝を楽しんだ。
◇◇◇
「何処に行ったかと思ったさ」
「こっちの台詞ですわ、アウソさん」
アウソが現れたのはあれから結構経った後で、蒸し湯をするために歩いていたらオレの事を発見したらしい。
ちなみに迷子になっていたのは知っていたが、そこまで広くはないし周り見ればやり方くらいは分かるだろうってことで探しはしなかったらしい。
ちなみに滝のあれは、滝湯という。
なんともそのままな名前である。
もっとも、そのあと蒸し湯には入れなかったけど。なんでか分からんが猫が嫌がって大暴れしたのだ。水は平気だったくせに、変な猫だ。
「しかも変なポーズで。何かのおまじないだば?」
「アウソさんも今度やってみたらどーですか?何か悟れそうになりますよ」
「へぇ、じゃあやってみるか」
すぶ濡れ猫を布でゴシゴシ擦りつつアウソを見ると、合掌擬きを練習していた。次は一緒に向かい合って修行出来るかもしれない。
「ナァアアアーーッ!!」
「暴れるなって!」
拭いている途中暴れる猫を抑えながら拭き続けるが、タオルではなく布なので吸水性が恐ろしく悪い。しかし人間も布で拭くのでどうやらこの国にはタオルが無いようだ。ホールデンには湯船もあったしタオルに似たものもあったからな。
抑え付けながら拭いて、絞ってはまた拭いてを繰り返しつつなんとか乾いてきたころには布は毛だらけ、腕傷だらけだった。
解放された猫は部屋の端にすっ飛んでいき、ぐちゃぐちゃになった毛を必死に舐めて毛繕いをし始める。
その必死さに笑ってしまいそうだ。
さっさと着替えて毛繕いを終えそうな猫を回収しようと近付くと鏡が目に入り、思わず見る。何処か違和感があった。
「?」
何が違和感か分からず更に近付いて覗き込んでみると、違和感が判明した。
髪の長さとか目元の治りかけの傷とかなんかじゃない。
瞳が何か猫のように縦に細長くなっており、瞳が朱色へと変化していた。
なにこれ。
思わず固まる。
「なにこれ」
思わず呟き、アウソを見ると「何が?」と言いたげな顔をしていた。
もしかして、ここ数日珍しい珍しい言われていたのって、この猫の目の事か。てっきり黒目の事かと思っていたら、まさかのそっち!?
「黒目の人見ないからそっち系で珍しい言われてるのかと思ってたのになんだよこれ」
「は?え?なに?」
「オレの目が変になってるぅぅぅ!!」
アニメとかではよく見るけど、リアルで見ると違和感凄いうえに、自分がそれだとなおさら気持ちが悪い。
しかも瞳の色が朱とか無いわ。
「……なんかよく分からんが、大丈夫か?まだ湯浴び早かったか?医者呼ぶか?」
アウソが心配して声をかけてくれるが、未だ混乱が続いているので大丈夫としか返事が出来ない。
てか、本当にどうしたの。
ホールデンに居たときは普通の目だったのに。
「……うん。これも後で考えよう」
混乱の末、考えるのを放棄した。
とりあえず問題なく見えるし、大したことじゃない。うん。大丈夫だ。
足元で横になっている猫を持って戻る。
「本当に大丈夫だば?」
「うん。考えてみればそんなに大したことじゃない。きっとなんかの魔法が反転したとか、そんな感じなんだ、多分」
「お…おう?」
はてなを飛ばすアウソには悪いけどオレもよくわかんないから、すまんね。
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