第172話 神の施し
「アタシが負けるはずはなかったわけ」
イソラは構わず話しはじめた。
「……あ、あの、夜も遅いんで先に鋼を布団に寝かせてからでもいいですか? 私も裸なんで、服を着て、こ、コーヒーとか用意します」
諦めるしかなかった。
「そうだね。うん」
「ありがとうございます」
恋はよろけながら立ち上がる。
(勝手に家に上がり込まれて、弟を女にされて、私も女にされて、なにも納得できてないのに、納得できてないのに従わずにはいられない)
行動しながら困惑。
抵抗力を発揮する自分の能力がこれほど恨めしい状況もなかった。本来なら疑問にすら思わずイソラに従うことになったはずなのだ。それを幸せとも思わないが、気持ちと行動の乖離が常にある状態が幸せでないことも確かだった。
「……負けるはずがなかったって言うのはね?」
「はい」
ダイニングテーブルに向かい合って座り、互いに温かいコーヒーカップを握りながら、イソラが勝手に出してきたチョコレートをつまみつつ話をすることになる。夕飯も食べていなかったので空腹ではあった。
「恋も自分で体感したからわかると思うけど、この淫魔って能力はかなり強いの。なんと言っても巫女田カクリが自分の後継者のために探し出した能力だから」
「イソラさんが後継者なんですか?」
あまり深く考えず恋は相槌を打った。
「あ、相応しくないと思った?」
ニヤリと笑う。
「い、いえ、違うんです。イソラさんがどうこうじゃなくて、ジェネシスを受け継ぐ娘さん方は沢山いると聞いたことがあるので……」
失言だったと恋は思う。
五百人以上の子供がいる。そんな噂をそのまま信じるわけではないが、巫女田カクリの子と知られているヒーローや機関の重鎮だけでも数十人はいるのだ。
「いいって、確かに姉さんたちはアタシを認めてないと思う。でも、お母さんはアタシと決めてる。これは自惚れでも何でもなく、ジェネシスのために能力を厳選したのはアタシが最後だから」
イソラは頷いて言った。
「厳選?」
「能力が遺伝するものって言うのは知ってると思うけど、その遺伝を操作できる能力をお母さんは持ってた。恋は巫女田の一族を不自然と言ったけど、ジェネシスを持ちながら千年近く生きているのが巫女田カクリだけって事実。すっごく自然なことだとアタシは思ってる」
「……」
喋るイソラの表情に恋は恐怖を感じる。
(とんでもないことを聞かされてるんじゃ……)
笑顔で、目も笑っていて、心底、楽しそうに話している。母親を愛し、そしてそのままそれが自分の自信に繋がっている。素直に育った良い子。あるいはそう表現されるかもしれないのに、その言葉からは冷や汗しか出ない。
「父親の血からなにを受け取り、巫女田の血からからなにを与えるか。その最適なブレンドを探ることにお母さんは人生のほとんどを捧げてきた。ほとんどよ? 妊娠と出産、強化と若返りを繰り返し、地球上に、いや、そこいらの銀河中探したって敵なんかいないのになにがそこまでさせたのか、狂気の沙汰としか言い様がない。でも、そこまでの狂気があったからこそ、永遠みたいな時間を生きて、まだなにかやろうとしてる。すっごいと思わない?」
チョコレートをつまみながら喋る。
「すごいです」
恋にはそう答えるしかなかった。
イソラも狂気を抱えている。明らかなのはそのことだ。巨大な歪みが産んださらなる歪み。母親がなにをやろうとしているのか理解していない風でありながら、自分こそが後継者だと言い切れる辺りが狂った本気に間違いない。
「アタシの妹たち、五人いるんだけど、その子たちはみんなジェネシスを持たされなかった」
話は止まらない。
喋りたくて仕方がなかったという風だ。
「……そ、うなんですか」
頭がついていかなかった。
「若返って生き続けられる限界がどのくらいか、って実はよくわからないのよね。巫女田に現れた最初のジェネシス使いはお母さんのお祖母さんなんだけど、その人は三人目の旦那さんと添い遂げたくて二百歳を前に死んじゃってるし、その人から生まれた内の十数人は若返りを気味悪がられて殺されたり、殺されなくても能力が人間を完全に超える域まで高まる前に病気になったり、生き続けることに耐えられなかったり」
イソラは楽しそうに話をつづける。
「……」
頷くことしかできない。
「お母さんが言うには、ジェネシスを持たせた娘の平均寿命は百七十歳なんだって。だいたいこれくらい生きると死にたくなるみたい。母親にそういう相談するのってすっごい親不孝だよね?」
「あの、イソラさん。全先正生の話は……」
恋は話題を切り替えることにした。
狂気に飲まれそうな内容を叩きつけられてコーヒーも冷めてしまった。卑猥な話でも気分転換にはなるだろう。わかったことは巫女田にこれ以上は関わらない方が良いということだけだ。
(なんとか早く片付けないと)
この関係を終わらせなければと恋は思う。
親身とは違うが、イソラに対して必死にならずにはいられなかった。なにが目的か知らないが、生徒会会長と言う以外特に目立たない自分に接触してきた理由はそれほど大きいことではないはずである。それを終わらせ、彼女の長すぎる人生へと戻ってもらわなければ、こちらの人生が修復不可能な歪みを負ってしまう。
「おっと、脱線した」
イソラは言うと、冷めたコーヒーを飲み干す。
「淫魔って能力はみっつの要素で出来てる。ひとつめは催淫。これはまぁわかると思うけど、相手をいやらしい気分にするってことね。強弱はわりと自在。ふたつめは理性の破壊。いやらしい気分になって理性を壊されたら、後はどうなるかわかるよね?」
舌なめずり。
「ええ……」
恋は赤面した。
「で、みっつめは好意の同調」
「同調?」
「そ、実はこれが淫魔をコントロールする上での肝心要。アタシが相手を好きになれば、相手もそれと同じだけアタシを好きになる」
イソラはそう言って、じっと恋を見つめる。
「あの、ゆ、許して……」
切なすぎて恋は思わずそう言った。
身体が熱い。
「もうちょっと鼻が低くて、唇が厚かったらその野暮ったいパジャマを脱がせられそうなんだけど。外見の好みからはちょっと外れるなー」
イソラは眼鏡をかけた。
「!」
すっと切なさが消える。
「他人を操るには相手を好きにならなきゃいけない。これが淫魔って能力の限界なんだけど、アタシには第三の能力があって、それを使えばその限界も超えられる。これがアタシが正生に負けないと思ってた理由なわけ」
「第三の能力」
「神の施し、ってお母さんは名付けたんだけど」
言いながら、イソラは恋の手に触れた。
「っく!」
瞬間、恋の視界は真っ白く飛んだ。
「これは、アタシが正生から受けた快楽のほんの一部。濃縮なしのストレートね」
「………………ぁ」
(息が止まるかと思った)
テーブルに突っ伏して恋は小さく息を吸う。それだけでも痺れが全身に広がる。なにが起こっているのかわからない。
「アタシは、アタシのすべてを他人に与えることができる。これが、神の施し。必要に応じて増やすこともできる。今やったみたいに快楽もそうだし、肉体的ダメージとか、あるいは感情みたいに形のないものでもいい」
「は、あ……あ」
イソラの言葉は頭に入ってこなかった。
「あの時、アタシは処女喪失の痛みを万倍、万ってのは便宜上で想像しうる限界まで増やして正生にぶつけた。注射の痛みだけでライオンを殺す実験は成功してたから、死ぬはずだと思った。正生のちんこはもう太くて長くて普通にこっちが死ぬかと思ったから、死ぬはずだった。でも……」
「う…………ンっ」
頭に入らずとも卑猥なのはわかる。
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