第142話 死ぬよりはマシ
トシテが倒れた衝撃で、みんな外に飛び出していた。少し離れてみると確かに衝撃的な光景になっている。土下座する巨人。なんらかの芸術的意義を見出すもの好きすら出るかもしれない。
「この子が正生の言っていた子のようです」
「ゲッゲッゲ」
欲ボールで欲望ってるペックを伊佐美が全員の前に置く。オレが喋れないせいで、なにをしたのか説明できない訳だが、この際もう説明はしない方がいいだろう。色々な意味で。
「ギャッホ」
性欲を見る目、内緒にしようと思う。
見えてると気づかれたら、オレに近付く女いなくなるよね。女だけじゃなく、男もそうだけど、性欲に限らず、欲望は隠しておければこそ、安心して人々が生活できる類の情報だから。
想像してみればいい。
オリンピックで金メダルに輝いて表彰台に乗った選手が性欲を溢れさせていたら。まったく悪くはない。バイタリティ溢れる姿ではあるけど、感動は限りなく薄れると思う。
ライブステージに立つミュージシャンが性欲を溢れさせていたら。モテるために歌ってるんだから、当然といえば当然だけど、切ないラブソングはたぶん心に響かないと思う。
学校の先生が授業中に性欲を溢れさせていたら、どれだけわかりやすくても生徒は不安になるし、政治家の先生が演説中に性欲を溢れさせていたらどれだけまともなことを語ってても将来が不安になる。
性欲はともかく、真面目なことを台無しにする欲望だ。
妻たちだってそういう気分のときはいいだろうけど、なんでもないときとか、真剣なときとか、落ち込んでるときとか、欲求を我慢してるとか見られてたら嫌だと思うだろう。見えてることは知らない方が幸せなはずだ。
オレの悪用のためではない。
みんなの精神安定のためである。
大義名分。
「どうなん、みひろ?」
クッキーは自分の身体に戻ったようだった。
性欲は見えない。
「やはり」
九歳の天才に呼び捨てにされるに至ったあさまの母はペックの身体を深刻そうな顔で見ている。だが、白いもやは色濃くある。
「ギー」
ほうほう。
レイジとの夫婦関係は冷め切っていただろうから、レイプとクッキーに身体を貸し出して、すっかり身体が火照ってしまっているらしい。
歳が歳だが子供は産めるのだろうか。
「ギギギ」
試してみたい。ケダモノ。
「お母さん、それ、本当に死にかけの人間なの? そうは見えないけど、助からないの?」
あさまからはあまり見えない。
「ギャ!?」
死にかけ? 死にかけって?
「死霊使いペック言うんに操られてた可能性が高いんやって。なんでも病気や事故で死にかけた肉体に死霊を押し込んで一時的に活性化させるらしいわ。この子もそのひとりやろうって」
クッキーが説明してくれる。
「ゲッゲッゲ」
そんな話だったのか。
「そして命と引き替えに従わせる。えげつないな。ウチと歳も変わらんぐらいの子やのに。みひろの話やと死霊を抜かんと自由にはなれんけど、その場合は高い確率で死に至るらしいわ」
「ギーギー」
死ぬのか?
よりによって欲ボールを食らって?
「ギギギギギ」
浮かれていた自分が死にたくなるほどの罪悪感である。オレのせいじゃないが、結果的には操られていた行動の邪魔したことで死を早めてしまったということになる。
「ペックの正体はわからん。少なくとも、この島で死霊使いが出たことは過去にないらしいから、外から入ってきた可能性が高いようやわ。タイミング的に言うても理事会に参加しとる関係者やろうけどな」
「ギャッホ」
目の前の少女も深刻だが、クッキーの話もずいぶんと深刻である。島に入り込んで、殺しを行おうとしてたってことだ。目的はわからないが、トシテのようなものまで使うことを考えると、単純な殺意ではないだろう。
「王子殺し絡みが一番疑われるところや」
「ギギギ」
オレは頷く。
五十鈴家に接近してきたことを含め、その線は強い。だが、ならなんでセラムを殺したオレへの警戒がペックを名乗る少女になかったのか疑問ではあるのだが、むしろ最初に殺すべき相手ではないのだろうか。
「ギャギャギ」
「難しいわ。これは、かなり」
少女の身体を見聞していたみひろが言う。
「あ、あっ、オラ、ァ」
譫言をつぶやきながら悶えてる。
「心臓に複数の死霊を宿らせてる。たぶんそれで肉体を動かしているから、このまま祓ってしまうと助けられないと思う。それに、異常に身体が熱くなってる。もしかすると限界なのかも」
「ギギッ」
すいません、それは欲ボールのせいです。
「病院に連れて行ってから」
あさまが口を開く。
「ペックが有名でありながら、その正体を謎のままにしているのは、医療で救えなかった肉体を用いているからよ。能力を解除すればもともとの死亡原因で死ぬ。これまでに例外はない」
「最終手段だな」
黙っていた伊佐美が口を開いた。
すっごい白いの出てる。
この人、真面目な顔してなに考えてたの。
「正生にやらせよう」
「ギー?」
「伊佐美、本気で言ってるん?」
クッキーがオレを見て、表情を曇らせる。
「それしかないと思ってたはずだ」
「助かる保証はないやろ。もし失敗したら」
「それでも助かる可能性がある方を選ぶべきだ。状況は切迫してる。時間はあるんですか?」
「トシテが行動不能に陥ったことは死霊使いもわかっているはずなので、この子に利用価値がないとわかったらあちらで死霊を剥がすことも」
伊佐美の問いに、みひろが答える。
「ならやるしかないじゃん」
見ていたリリが言った。
「さっさと助けてあげなよ。できることがあるならさ。なにを迷ってるかわかんなーい」
「ギャッギャ」
事情を知らなきゃそう言うよな。
「リリ、この際、無関係な第三者としての意見を聞きたいんだけど。生きるか死ぬかで、生きるために好きでもない男に抱かれられる?」
あさまはオレを見て言った。
「は? 死ぬよりはマシでしょ」
リリは平然と答えた。
「目の前のヒヒが相手だとしても?」
「ヒヒ。え? なに言ってんの?」
あさまの言葉にリリはオレを見て、鎖で縛られている身体をきゅっと縮めた。さっきフォーヴ・マスクの説明で言ってたことはあんまり理解していなかったらしい。
「ギャッホ」
リリにも伝えるのか?
「性欲の鬼でどれだけ性欲が増したか不明だ」
伊佐美が言う。
「これまででも白い獣は一回や二回では満足しない上に、子供を作れる相手を優先するという特性がある。なんとか止める努力はするが、ダメなときはこの場の全員で身を挺して止めるしかない。それを覚悟してくれ」
「ちょっと、クマ公なに言ってんの!」
「羽黒、頭数が必要だ。暴走した白い獣が被害を広げないように、ヒーロー予備軍として、自分の命を賭ける覚悟はあるだろう?」
伊佐美が生徒に言い聞かせる。
「よくわかんないけど、あたしカンケーないから! そんなヒーロー精神求められても報酬もらってないし! もらって……」
「クラスメイトを呪った報いだと諦めてくれ」
リリのもっともな反論を、伊佐美は聞き流した。しかしもうオレ完全に危険物扱いされてるよねこれ。そんなに暴走する感じかな。今は比較的冷静に考えられてると思うよ。ペック、あさま、リリ、この順番で行こうとか。
「ギャッホ! ギャーッホッ! ゲッゲッゲ!」
ああ、マスクの方は盛ってるけど。
「周囲の鬼を全部呼ぶから、ね」
あさまがオレに向かって言う。
「マタも呼び戻さんと」
オレの周囲が一気に性欲で満ちはじめていた。
霧のように広がって、周りが見えなくなってくる。だれから出たとか、どのくらい出たとかもうわかったもんじゃない。危険物だが、期待されてもいるわけだな。
姿は見えなくても、気配でわかるぜ。
「正生、マスクを解除するぞ?」
白いもやの向こうから伊佐美の声がする。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも?」
パスワードが酷かった。
「お前らだ!」
オレは叫んでいた。
身体の全面を覆っていたマスクがはずれて、オレは目眩がするほどの女の匂いを吸い込む。冷静でいられたのは、嗅覚が弱まっていたからに違いない。涎が垂れてくる。
「正生、まずはあの子を!」
「言われるまでもない」
命を助けてオレの子供を産んでもらう。
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