第58話 腹のさぐり合い
「ホンマに大丈夫なん?」
石段の先で待つクッキーは不安そうだった。
「大丈夫だから」
あさまは笑顔で答える。
滝壺に落ちたところでなんともない。縛り鎖は保護の為の術だと知らない正生を精神的に追い込むことが、四人で決めた罰だった。
その方法を提案したのはあさまだった。
(これでケジメはつけた)
処女と童貞で結婚したのに、先に大人になってしまうなど簡単に許せるものではなかったが、前向きに考えればもう正生は妻の求めを拒むことはできなくなったということでもある。
これをきっかけに関係を一気に前進させる。
(魅了の結果なんて単なる性欲処理、愛情を得てこその妻、死ぬような思いをして落ち込んだ正生を介抱してイチャイチャする!)
石段を踏む足取りは軽い。
(そのためにわたしが手を汚した。鎖を解除できるのが術者のわたしだけなのだから、他の三人は見ていることしかできない道理、ね)
「悪かったな五十鈴、嫌な役回りをさせて」
少し後方から登る球磨が言った。
「鬼たちに荷物まで運んでもらって、疲れただろう? 社務所で休んでいていいぞ? 術さえ解いてくれれば、滝壺へは先生が」
「それには及びません」
(考えていることは同じか)
担任教師の親切を装った申し出を断りながら、あさまは他の妻たちの表情を見る。それぞれがやはりこの状況をチャンスと捉えているように見えるのは疑いすぎなのだろうか。
「では、私はお風呂を準備します。びしょ濡れでは風邪をひいてしまいますから」
桜母院が言う。
「そやったらウチは風呂上がりのご飯を用意するわ。一日閉じ込められて腹ぺこやろうしな」
クッキーも言う。
(正生を回収してからどこで接触するのが良いかと考えている。でも、甘い。わたしには羅刹がいる。滝壺から拠点まで移動して入浴も食事もすぐに可能な準備済み、抜かりはない)
石段を登り終え、比霊根神社のボロボロの社殿の前に到着する。かつて能力に目覚めた者が破壊した姿だという伝説を残すその場所で、四人の妻がにらみ合う形になった。
(けれど、少なくとも正生を回収する同意を他の三人には得ないと、今後の生活の禍根となるかもしれない。結託されて邪魔されるのは困る)
腹のさぐり合い。
「抜け駆けは良くない」
球磨がさっそく口にした。
「公平に順番を決めるのがいいだろう」
「どんな方法で?」
あさまはあえて尋ねた。
おそらく言い出すのは我田引水な理屈に相違ないが、意見は聞いておかないと不公平感が出る。民主主義において話し合いをしたという事実をきちんと残しておくことは大事なのだ。
後の反論を封じるアリバイとして。
「女として正生と接した順番ということだ」
「先生、よくわかりません」
桜母院が手を挙げる。
(学生じゃないでしょうに)
この微妙なノリの良さは素なのだろうか。
「うん。それぞれがそれぞれに、正生との馴れ初めはあるだろう。だが期間にすれば短期間、互いのことをよく知っているとまでは言えまい」
球磨は語り出した。
「だが結婚を決め、あろうことか夫は妻に手を出す前に不倫してしまった。これから妻としてそれぞれが行うことは夫を取り戻すための行為になる。当然のことながら、わかるな?」
「そらな?」
クッキーは肩をすくめた。
「……」
あさまは無言で頷く。
「なるほど、子作りです」
桜母院が口に出さなくていいことを言う。
「クマちゃん! なに言ってるの!」
そこに異論を挟んだのは怪訝な顔をしながら一歩引いてやりとりを聞いていた甘根館管理人だった。昨日から妻たちの会合に顔を出している。
クッキーの保護者を気取り、桜母院とは下宿での付き合いが長いらしく、球磨の同級生であるとかで、なんだか自然に紛れ込み、運転手まで買って出てくれているのだが。
(そろそろ遠慮して欲しい)
あさまは思う。
「そんなこと言って、全先くんがクッキーちゃんに手を出したらどうするの! いくらこの島が無法地帯とは言っても、限度があるでしょう!?」
無関係なのに口を出しすぎる。
「心配する気持ちはわかるが、正生にはそういう嗜好はないと思うぞ? なんと言っても、この、おっぱいを揉んで求婚した訳だからな」
球磨は照れながら言う。
「求婚したのは球磨先生の方では?」
あさまは思わずツッコんだ。
「遊びではなく揉んだのだ。それが意味することはひとつだろう。可愛い生徒が道を踏み外さぬよう慈悲深く応じたまでだ」
「どんな理屈やねん」
クッキーが呆れている。
「つまり伊佐美は胸を揉まれたから、兄さんが女として接したんは自分が最初やと主張したいわけやな。しかし、それは間違いや。兄さんが意識した女はそれより早くにおる」
「なんだと?」
「そうなんですか?」
「クッキーちゃん?」
天才少女の言葉に全員が驚く。
まさかロリコンだったのか、という意味で。
(クッキーが前に出てくるとは)
そもそも妻の座に興味がないのではないかと思っていたあさまとしても意外なことではあった。だが、おっぱいを揉むのと同等のレベルで意識していると証明できるエピソードは難しい。
「兄さんと最初に女として接したんは、ここにはおらんマタや。ウチの生み出した科学の結晶が女という弱点を見抜き、即座にキスをした。この事実は変えられん。残念ながら改造中でこの場にはおらんから、しゃーないけど、ウチが代理で」
「ロボットじゃない」
あさまが呆れる番だった。
「ロボットを意識はしないだろ」
球磨も首を傾げた。
「犬や猫とキスしても異性とは意識しません」
桜母院も同意のようだ。
特に邪魔にもなっていないので問題として意識しなかったが、まずロボットと結婚というのはおかしいのである。生身の相手がいて、割り込む隙などないからどうでもいいが。
「その理屈なら」
あさまの横で黙っていた鎖鬼が口を開く。
「たぶん全先くんが最初に意識した女は鎖鬼だから、術者のあさまが一番じゃないかな」
(ナイスアシスト!)
心の中で鬼を賞賛しつつ、あさまは流れが向いてきたのを感じる。天才が球磨を否定して、その理屈で自分が推薦される。理想的だった。抜け駆けを正当化するステップを踏めていた。
「具体的にはなんだ」
球磨は不満そうに鬼に尋ねる。
自分から言い出した理屈故に否定できないのだろうが、エピソードがおっぱいを揉むよりショボければ却下する気のようだった。
「下着を洗ってもらった」
(なにそれ?)
鎖鬼の言葉はあさまの予想を上回っていた。
「それは、それはそれは……なかなか」
球磨が動揺する。
「好きな女の子でもまずしませんね」
桜母院は納得している。
それこそ恋人同士どころか、夫婦関係でもあまりやらないレベルの難易度だ。もしかしたら生涯やらない男女の方が多いかも知れない。
「あー、あんときのパンツはそやったんや」
そしてクッキーは訳知り顔だ。
「クッキーちゃん、どういうこと?」
管理人が目を血走らせる。
「チームに誘おう思て、夜に拠点を尋ねたら、兄さんがそれでエキサイトしてて、確かに女と意識してたんやな。姉さんが一番か」
「……」
あさまは言葉が出なかった。
勝ったが、勝った気がしない。
鬼がやらせたことも、それを目撃したことも、どちらも自分の経験にはないこと過ぎてあさまは嫉妬した。戦った時点で考えれば、自分が一番女として意識されていないのではないか。
「そうでしょうね」
桜母院がクッキーに賛同する。
「私なんか男湯で待ち伏せしましたから、女として意識されて当然というか、最初から裸を見せましたから、反則負けなぐらいです」
「さらっととんでもないことを言ってるぞ」
「……」
球磨が驚いていたが、あさまも言葉を失っていた。完全に出遅れている。キスもしていない。おっぱいも揉まれていない。パンツを洗わせてもいない。お風呂に一緒に入ってもいない。当然、セックスもしていない。
(わたし、なんにもない?)
「ん?」
愕然とするあさまの横で、クッキーがヒロポンを取り出して、その画面を難しい顔で眺めている。メールが届いたようだ。
「ッ!? アカン! 襲撃や!」
「それって正生か」
球磨が言った。
「他におらん」
「滝から落ちて気絶してたら」
桜母院が即座に最悪の想定を口にした。
縛り鎖は対象を保護するが、攻撃が当たらない訳ではない。気絶しているところを叩いて、KOを取ってしまえば島のルール上は勝てる。
「鎖鬼!」
「あさまぁ……」
女鬼は命令の前に鎖を引っ張っていたが、鎖は五百メートルある滝壺まで届く長さの前に途切れていた。これでは正生が上がってこない。
「どういうことなん?」
「呪いを壊された、かも」
あさまは口にする。
解呪されれば、反動が術者に返ってくる。それがないということは呪いそのものを無効化するほどの力が加えられたとしか考えられない。
並の能力者には不可能だが。
「正生が、壊した?」
あさまは可能性を口にする。
結界を破ったほどの潜在能力ならあるいは。
「ホンマに能力を引き出した?」
「おいおい」
「そんなことがあるんですね」
嘘から出た真。
四人はおそるおそる滝に向かって進む。
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