第23話「魔王と賢王」

「定命の者よ、か弱く儚い者達よ――」

「もう芝居は結構だ……哀れで空虚な魔王の抜け殻よ」


 重々しい扉を一息に蹴破けやぶるなり、トリヒル王国の王ユークが現れた。彼は定型の台詞せりふを静かにさえぎる。

 十余年ぶりに対面した魔王の姿に、王は老いもおとろえも感じないだろう。ラドラブライトの白い顔に張り付く表情は、憔悴しょうすいにもにた疲れを隠し通せているはずだ。

 今が勝機とばかり、背負う王家の宝剣を抜き放つユーク。

 ラドラブライトは、幻滅の気持ちを隠せなかった。


「……随分と遅いじゃないですか。何故なぜもっと早く、誰よりも早くこなかったのです?」

「私とて来たかった。あの日真っ先に貴様きさまを追って、その身体をきにしたかったのだ」


 自らの問いに答えるユークに、絶望にも等しい失笑を覚えた。

 やれやれと首を振って肩をすくめると、ラドラブライトは玉座から立ち上がった。いつにも増して禍々まがまがしい邪気が満ち、彼を取り巻く空気が周囲の光景を歪曲わいきょくさせる。


「あの日、あの時、あの瞬間に……僕を殺して欲しかった。貴方あなたにはできたはずです」

「私は貴様とは違う。生身の感情ある人間だ。人間だったのだ……どれほど私が絶望したか」

「今は人間ではないと? 姫をさらった時もそうです、真っ先に来てくれれば……この命でつぐないましたが」

「今の私は一人の人間である前に、一国の王なのだ……今日もまた、王として来たまで」


 ゆっくりと二人の距離が縮まる。

 長い年月をへだてた、二人の過去と共に。

 一人の女を愛した、男達の暗い過去。近付くに従い、それは鮮明に両者ののうり裏によみがる。赤い赤い血の一滴いってきまで。


「貴様には感謝もしている。この国の経済は、貴様のおかげで随分と豊かになった」

「貴方のためでも、この国のためでもありません。全てはあの人の……クロアの願いのままに」


 ――ダンッ!

 ユークが突然地を蹴り、一気に距離を食い潰した。

 瞬時にラドラブライトの目前へと肉薄すると、気勢と共に剣を叩き付ける。

 鮮血が舞い、玉座を赤く染めるラドラブライト。


「我が妻の名を軽々しく口にするなっ! 貴様さえいなければ……貴様などにまどわされなければ!」

「惑わす? それができたなら、どれ程に楽だったでしょうね」


 天井まで届くかと思われる程に、赤黒い血を激しく噴出すラドラブライト。しかし彼は傷口を押さえるでもなく、自己再生の魔力を振るうでもなく……ただ両手を広げて、ユークの剣をその身に受け続けた。

 剛剣を振るうユークは、さらなる鋭い言葉の刃でラドラブライトを切り裂く。


「貴様に楽になる資格など……我が痛み、我が苦しみ、我が悲しみ! 万分の一でも、その身に刻んでゆけ!」

「クロアは美しく、優しかった……その全てを僕は失い、貴方から奪った」

「そうだ、そして……シトリさえも奪った!」


 深々と剣が胸をつらぬき、ラドラブライトは血を吐いた。渾身こんしんの突きを放ったユークは、そのままラドブライトを踏み抜きつつ剣を抜き、トドメの一撃を放つべく上段に構える。

 玉座にはりつけにされたように崩れ落ちる魔王へと、容赦ようしゃなく剣が振り下ろされた。


「これで終わりだ! シトリは返してもらう。必要なのだ……トリヒル王国の未来のために」

「……トリヒルの、未来……クロアの望んだ、平和で豊かな……未来の、ために?」


 追憶のクロアが微笑ほほえむ。

 その願いがラドラブライトの脳裏に、一字一句違わず蘇った。

 この国を守って下さい……千の国を焼いてきた魔王に、彼女はそう言った。おそらく、愛し合うトリヒルの国王へも同様に。それは両者を呪いの様に縛りさいなみながら、今日まで辺境の小国を支えてきたのだった。


「そうだ、もう勇者と魔王を演じる茶番ちゃばんは終わりだ、ラドラブライト……トリヒルはより良い国を、より強い国を目指す」

「姫が、シトリ姫が必要……そう言いました、ね……シトリ、嗚呼ああ、どうしてその名を……未練? この、僕が」


 不意に、場の空気が沸騰ふっとうした。

 咄嗟とっさにその場から飛び退き、ユークは剣を構える。玉座には肉塊にくかいと化して、鮮血を撒き散らすだけのラドブライト……しかし、歴戦の勇士たるユークは感じた筈だ。、と。

 すでに死を待つだけの肉体が、ゆらりと身を起こす。


「未練ですよ、ユーク。あの娘は、年月を重ねる程にクロアへ似てくる」

「……先程会った、確かに似ている。しかしクロアではない……クロアはお前が殺したのだ!」


 床へ零れる粘度の高い血液が、音を立てて敷き物をがす。徐々に高まる、恐るべき負の力……その圧倒的なおぞましさを前に、ユークは神の祝福を願って祈りをとなえた。同時に、亡き妻の名をつぶき、剣を握り直して構えてくる。


「何故だ? 貴様はいて、死を望んでいた筈! それが何故――」

「クロアの望みを守るべく、僕は魔王としてこの地に住みつき、協約にも応じました」


 ゆらりと不自然な格好で、まるで見えない糸に引かれるように起き上がるラドラブライト。その異様な光景に、微動だにせぬユーク。ゆいくに全土を震撼しんかんさせた魔王なれば、やすやすと死ねる道理はないが……ただ、勇猛果敢な人の王は、魔王のなんたるかを完全には理解していなかったようだ。

 それは悲劇である。


「そうだ、結果この国は豊かになった! もう充分……次の段階に進む時がきたのだ!」

「だから僕はもう、楽になっていい……そう言いたいのはわかりますが。ですがユーク!」


 玉座が弾け、ラドブライトの肉体が飛散した。

 否、その本性が溢れ出したのだ。

 部屋全体を覆う程に膨れ上がった、見るもおぞましい異形の姿。魔界に生を受けし、邪悪なる魔神……その真の姿を前に、ユークは全身から冷たい汗を噴出した。

 列強ひしめく唯つ国で、幾度いくどとなく戦場を駆けてきた、王の王たる肉体が戦慄せんりつふるえた。


 神に仇為あだなし、人の世を脅かす魔の眷族けんぞく……その頂点に君臨する魔王。あまりに強大過ぎるその力は、この世界ではかえって不自由なのだ。魔王達は皆、本来の姿を封じて人の姿を取る。そうして力を抑制よくせいしてさえ、人間が相手では充分に過ぎたから。

 普段のラドラブライトは、人の世に合わせた仮初かりそめの姿でしかなかったのだ。


「なにか、僕に……隠し事をしていませんか? ユーク……今になってシトリ姫を助け出しにくる、その意味は?」

「親が子を救ってなにがおかしい! 闇へかえれ……っせよ、魔王ラドラブライトォ!」


 本能的な畏怖いふ嫌悪けんおで、ユークは身を硬くした。それでも動かなくなった四肢に鞭打って、彼は眼前で生まれ直した化物へと跳躍ちょうやくした。

 その手に握るは、王家が秘蔵する伝説の宝剣。神々に祝福されし聖なる武器。いかな強大な魔王とて、全力の一撃を直撃させれば――

 だが、ユークは捨て身の一撃を放つ事が出来なかった。もとより、全てを捨ててラドラブライトを討つ気が彼にはなかったのだろう。王である自分を失った、そのあとのトリヒルをうれいていたから。国を思うあまりにぶった剣は、むなしく空を切る。

 そして、魔王が真の姿をさらけ出した。


「セレス君? は、いませんか。誰かそこに、誰でも……教授や博士でも良いのですが」

「……私で良ければ。シトリを待ってたんだけど」


 ラドラブライトの問いに、小さな少女の声が応えた。

 ユークを難なくあしらうと、ラドラブライトは首を……今や無数に増えた首の一本をめぐらせた。既にもう人の顔はなく、耳まで裂けた真っ赤な口が、無数の瞳を瞬かせて開かれる。


「ネリア君ですか。では、外で姫を待って……この部屋に入れないで下さい。絶対に」

「……ええ。わかったわ、伯爵」


 奥の間から顔をのぞかせたネリアは、醜悪しゅうあくな異形へと変貌へんぼうしたこの城の主にも、その足元に転がるこの国の王にもおどろかない。いつもの無表情で平然と、部屋の外へと出ていった。

 その背中を、無数の触手をうごめかせてラドラブライト。彼は再び、立ち上がろうと足掻あがくユークへ向き直った。ずらりと並ぶ瞳の全てが、憎悪ぞうおに満ちた光でユークをにらむ。


「親が子を救う……おかしくはありませんね。ですがユーク……貴方は言いました、自分は王であると」

「……そうだ、王として今! シトリが必要なのだ! ……これ以上は言わずともわかる筈だ」

「そうですか。僕は最近の国際情勢にはうといですが、なんとなく合点がてんがいきましたよ。……同盟、連合国、政略結婚……あたりですか?」

「トリヒルの内政は充実した、もはや小国などとは呼ばせん。次は外交を足がかりに――グァッ!」


 ユークの語る理想は、無残な悲鳴にき消された。剣を手放したその腕は、あらぬ方向へとねじり折られて……刺々しい触手がからまり締め上げていた。それはラドラブライトの体から伸びる、おぞましい肉体の一部。

 ラドラブライトの脳裏を、去り際にクエスラが放った一言が過ぎる。

 そこから導き出される答は一つ。

 自分が言えた立場ではないが、不思議とそれが許せない。

 ラドラブライトはみなぎ瘴気しょうきき散らしながら、獰猛どうもう幾千いくせんけだものとなってえた。憎悪にたぎる破壊衝動に身をゆだねながらも、意識はどこか冷静に己を客観視していたが。


「日々、死をいながら……かたわらの姫におびえていました。本当に良く似ています」


 ユークの骨が砕けて肉が裂け、その音に悲鳴が入り混じる。もはや魔王の本性を現したラドブライトは、その悲痛な叫びに愉悦ゆえつと快楽さえ感じていた。

 残忍にユークの肉体を、少しずつ壊してゆく。最大限の苦痛を与えながら。


「だからずっと願ってました……僕が早く死んで、姫が早く自由になれば、と……ですが」

「……シトリは我が娘、トリヒルの王女! その生き方を曲げたのは貴様ではないかっ!」

「ではユーク、クロアがもし生きていれば……シトリ姫になにを望んだでしょうね」

「化物風情ふぜいが、知った口をきいてくれるっ! その可能性を奪ったのも貴様だろうに!」


 既に力の抜け切った、満身創痍まんしんそういのユークを放り投げる。

 そうしてラドラブライトは天をあおいだ。

 久方ぶりに顕現けんげんさせた、自らの真の姿……その力。

 恋を知り、失い絶望して死を望んだ日々……それすらも忘れる程の興奮が、彼の身を今、支配していた。

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