第17話「魔王と魔女の別れ」

 その日その時、その瞬間……クエスラが別れを告げに現れても、ラドラブライトは決して驚くことはなかった。

 お互い永遠を生きる運命ならば、また会える日もやってくるだろう。

 それはラドラブライトの悲願が、その時まで成就されていなければの話だが。

 玉座に身を深々と沈めて、ラドラブライトは小さな声でうつむつぶやく。


「もう少しいてくれても、僕は全然構わないのですけどね。シトリ姫もきみには良く懐いているみたいだし」


 手を組み、親指をせわしなく遊ばせるラドラブライト。

 落ち着かない様子で彼は、少ない手持ちの言葉を良く選んた。

 今ではもう御伽噺おとぎばなしになってしまった大昔から、ずっとだ。クエスラはラドラブライトの数少ない友人の一人で、今もそうだと思いたい。

 そう、友人……その関係に留まっていたから。

 共に混迷の暗黒時代をいろどった他の魔王とは、別格の存在感をクエスラには感じる。そんなラドラブライトに、クエスラは自分に言い聞かせるようにキッパリと言い放った。


「そういう物言いでしか、引き止めて下さらないのですもの。もうここにはいられないわ」


 その視線は真っ直ぐ、ラドラブライトへとそそがれているが……何故なぜか、すがめるような死線はつらそうだ。。

 クエスラが知っていたラドラブライトは、もう今のラドラブライト自身とは違うのかもしれない。この城での短い滞在は、それを繰り返し何度も彼女に再確認させられるだけの日々だったのだろう。

 だから彼女は決意した。

 本来の目的を果たして、この城を去ろうと。


「最後に、私の務めを果たさせて頂戴ちょうだい。魔女も色々と忙しいんですからね」


 クエスラはいつもの調子で腰に手を当てると、いまだ態度をはっきりさせられぬ様子のラドラブライトを無視して、一方的に話を切り出した。


「アズイラートからの伝言よ……昔みたいにまた、一緒にやらないかって」


 それはまるで、旧友を久しぶりに趣味の川釣りにでも誘うような気楽さだ。

 だが、なつかしい名前と共に告げられたのは、人間社会にとってはとてつもなく恐ろしい内容だった。

 昔みたいに……そう、黒衣の勇者が現れる以前の、もっとも混沌こんとんとした時代のようにとクエスラは言っているのだ。再び魔王同士手を取り合って、数多あまたの魔物を引き連れ地獄を作ろうと誘っているのだ。


「ビュンダイトは乗り気ね。傷も癒えたし、そろそろ一暴れしたいみたい」


 立て続けにクエスラから同胞の名を聞き、ラドラブライトはしばし考える素振りを見せた。

 形ばかりは。

 だがもう、戦乱の記憶は彼の中で色褪せ化石となっている。緋色ひいろ追憶ついおくを掘り起こしても、なんの魅力も感じられない。

 すでにもう、ラドラブライトは魔王としての高貴で邪悪な精神を失っていた。

 今はもう、死をいながらも自らを殺せず、死を願って己を倒せる者を待つだけ。ひど卑屈ひくつ矮小わいしょうな魔王の抜け殻……それがラドラブライトだ。

 それでも彼は対外的には、立派に邪悪な魔王を演じていた。

 挑み来る者達は皆、この玉座の間に足を踏み入れ恐怖するだろう。まごうことなき魔の眷族けんぞく、その頂点に君臨する魔王の力に。例えその身に宿る魂が、罪にさいなまれてんでいようとも。か弱くはかな定命ていめいの人間にとって、ラドラブライトは強大な敵であり続けた。


「僕はもう、この国の……あの人の願いの為にだけ生きているんです。そして」


 腹の底から搾り出すような、低く弱々しい声。だが、その言葉を遮って、ラドラブライトへクエスラは詰め寄ってきた。もう、それ以上言葉を交わす事を拒絶したかのようだ。


 今更聞くまでもなく、答えは最初からわかっていただろう。

 つい先日、久しぶりに再会したその時に。

 あまりにも変わり果てたその姿を見れば、一目で察したはずだ。もう、ゆいくにに覇を唱えし魔王が一人、ラドラブライトは何処どこにもいないと。

 ラドラブライトはふと、このことを他の魔王達は知っていたのかもしれないと思った。

 その上で彼等は……中でも一際冷酷で残忍なアズイラートは、クエスラをこの地へとつかわしたのだ。永遠を生きる魔女の友情が、現実を前に砕ける様を楽しむために。ラドラブライトが友情だと思っている、小さな想いが四散するのを期待していたのだろう。

 クエスラは魔王達の忠実な下僕げぼくであると同時に……退屈を紛らわすかっこうのなぐさものなのだ。ラドラブライト以外の全ての魔王にとって、そうだった。


「すみません。アズイラートや他の皆には、僕がよろしく言っていたと――」

「嫌よ」


 不意にクエスラは本音をこぼした。この城にきてからずっと、押さえつけていた感情があふす。彼女は、驚き呆気あっけに取られるラドラブライトにも構わず、ぼそぼそと呟いた。


「今すぐ立って、私に言って頂戴。この世界を再び、紅蓮ぐれん業火ごうかで焼き尽くしてやるって」


 次第に声のトーンが上がり、クエスラはついには叫び出した。

 大きく両手を開いて、玉座のラドラブライトに迫る。


「アズイラートやビュンダイトに、決して遅れは取らないって……人間達を今度こそ滅ぼすって言って!」


 哀願あいがんにも似た悲痛な叫びが、広々とした空間にむなしくこだまする。

 息を切らせて叫ぶクエスラは、ついにはラドラブライトの膝に泣き崩れた。涙にかすれた声はなおも、ラドラブライトの耳朶じだを打つ。


「あの女の事なんか忘れて、昔の……高潔で気高い、邪悪で残忍な貴方あなたに戻って」


 嗚咽おえつ交じりの声に肩を震わせ、クエスラはラドラブライトの膝の上で泣いていた。

 永遠の若さと無限の寿命、魔王達も認め寵愛ちょうあいする美貌びぼうを持つクエスラ。その彼女が、すでに死んだ女への呪縛じゅばくにも似たつぐないからラドラブライトを解き放てないでいる。恐らく久方ぶりに味わうであろう無力さに、彼女はただただき乙女のように涙を流すほかなかった。


「すみません、クエスラ……僕はもう、貴女あなたの期待に応える事は出来ない」


 翠緑色エメラルドの髪をそっとでながら、ラドラブライトは真摯しんしに謝罪を重ねるだけだった。

 その優しさに、クエスラは辛そうな顔をする……こんなにも優しさを見せるラドラブライトは、出会って以来初めてだろうから。彼女が好いていた魔王は、一片の情も無い完全無欠の悪の権化ごんげ……神に仇為あだなす全世界の敵対者だから。


「……ふん、もういいわ。甲斐性無し……本当に腑抜ふぬけになってしまったのね、ラドラブライト。ああもうっ、ほんっ、とうにっ、残念っ!」


 気遣きづかうラドラブライトの手を振り払い、クエスラは立ち上がった。

 ゴシゴシと涙をそでで拭うと、指をパチリ。目の前に突然現れたハンカチを引ったくり、思いっきり鼻をかむ。それをポケットにほうむると、彼女はいつもの魔女の顔を取り戻した。僅かに目が赤いが、気丈に振る舞いラドラブライトから離れる。


「本当にすまないと思ってます。どうすれば貴女のなぐさめになるのか、僕にはもう」


 言いよどむラドラブライトの声を、突如幼い少女の叫びが掻き消した。


「おじ様っ! ひどいですわ、どうしてクエスラに意地悪いじわるをするのです!」


 首をめぐらせれば。奥の間からシトリがズンズンと近付いて来る。クエスラは一目見て「まあ!」と怒りを感じ取ったようだ。だが、ラドラブライトは訳がわからず只管ひたすらにおろおろするばかりだった。


「シトリ姫、いつから聞いていたのですか? お行儀が悪いじゃありませんか、盗み聞きなどと……」

「お茶をれようと下に降りたら、クエスラの泣き声が聞こえて来たのですっ!」


 ラドラブライトはクエスラを恨めしそうに見詰めた。

 魔女は気まずそうに、それでもしたり顔で目線を外した。心の中で舌を出しているだろう。そんなクエスラの目の前で、シトリは本気でラドラブライトに怒っていた。


「シトリに出会えた事だけが、この城に来た唯一の収穫よねぇん?」

「な、なにがですか、クエスラ。あのですね、僕は――」

「例えあの女の娘でも……シトリはこんなにも純真で、自分の為に親身になってくれるから」

「え、ええ、……シトリ姫、僕はその、クエスラとはお仕事の話をですね。別に意地悪をした訳では」


 だが、頬をプゥ! と膨らませたシトリはたいそうご立腹だ。


「なんの話であろうと関係ありませんわ! クエスラを泣かせるなんて……おじ様っ! めぇっ! です!」


 あれこれと言い訳を並べるラドラブライトの、その言葉を聞く耳持たないシトリ。彼女は毅然きぜんと、恐れ多くもこの城の主を、自分をさらってとりことする魔王をしかけた。

 助け舟を求めて、何度も何度もラドラブライトはクエスラへ視線を送る。もはや、魔王の威厳いげんがどうこうというレベルではない……だが、踏ん切りがついたようにクエスラは大きな溜息を一つ。そのまま、やれやれと肩をすくめてからようやく。小さな友人の怒りをいさめてくれた。。


「いいのよ、シトリ……今日はね、お別れを言いに来たの。だからちょっと泣いてみただけ」

「お別れ? クエスラ、帰ってしまわれるのですか?」


 ええ、と頷くクエスラは、いつもの食えない笑顔に戻っていた。

 それがラドラブライトには、ありし日の彼女そのものに思えてならない。

 シトリの叱責しっせきから解放されたラドラブライトは、玉座からずり落ちて安堵する。

 シトリは大きな瞳に涙を浮かべながら、クエスラに抱きついた。


「それは残念ですわ……わたくしはもっと、クエスラとお話したいことがありますのに」

「私もよ、シトリ。でもね、魔女には魔女の務めがあるのよ? だからもう行かなくては……よくて?」


 こくり、と小さくうなずくシトリ。その柔らかな紅茶色の髪を撫でながら、クエスラも華奢な矮躯を抱き返す。

 見守るラドラブライトはもう、その面影に確かに愛した者の面影を見た。

 クエスラはシトリから離れると、微笑み優雅に御辞儀してきびすを返した。その背をシトリの声が叩いて、彼女を一度だけ振り返らせる。


「クエスラ、またお会い出来ますわね?」

「ええ、約束してよ? ……今度はシトリ、貴女に会いに来ますわよん? それと最後に一つ、ラドラブライト」

「は、はい……僕にまだ何か?」

「少しは人間社会の動向にも注意なさいな。色々と動き出しているようですわよ」


 それだけ言って、一切の質問を受け付けずに。クエスラはその場を辞した。手近な迷宮ダンジョンの魔物を……不幸にもたまたま居合わせたセレスをつかまえた。そうして、来た時以上に大きな旅行鞄りょこうかばんを持たせて、ラドラブライト城を後にした。

 見送るラドラブライトは、小さな寂寥の気持ちに寒さを感じた。

 それを癒やすようにシトリは、手に手を重ねて見上げてくるのだった。

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