第14話「魔王と天国への旅」

「……教授、エメリーを連れて来たわ」


 聞き慣れた愛娘の声に、ゲルドスルフが振り向いた。無表情で父親を……否、製作者を見詰めるネリアの隣で、教会から訪れたエメリーはこうべれる。


「良く来てくれたの、エメリーさん。いつもいつも、本当に申し訳ない」

「いえ、そんな……私はただ、旅立つ方の魂が安らげばと思うだけですから」


 トリヒル王国の神官、エメリーがそこには微笑ほほえんでいた。

 それは本来、ありえない光景だった。祖父と孫ほども年の離れた男女は、片や死者を繰る背徳の死人使いネクロマンサー、片や神に仕える慈悲深じひぶかい神官。まるで真逆まぎゃくの、本来ならば反目はんもくしあう存在の二人だ。

 だが、両者はおだやかに挨拶を交わす。


 ゲルドスルフはラドラブライトの古い友人でもあり、この迷宮に蔓延はびこ不死の魔物アンデッドを生み出す死人使いだ。自然の摂理せつりあらがい、神に反する背教者はいきょうしゃ……その彼が今、神の祝福を一身に受けたエメリーの力を欲していた。

 エメリーは気にした様子もなく、柔らかな笑みで周囲を見渡す。


「ゲルドスルフ様、それで……今日、旅立たれる方は?」


 ゲルドスルフは真っ白いひげでながら、思い出したように振り返り声を掛ける。奥の扉が開き、カタカタと骨同士がぶつかる軽い音が響いた。


「へぇ、どうもすんまへん……お手数掛けますよって」


 現れたのは、スケルトン。いわゆる死者のむくろである。白い骨も随分と色褪いろあせ、所々ところどころ欠損している。それでも間違いなく彼は、迷宮ダンジョン内で冒険者達を脅かす勇敢な衛士えいしだった。

 昨日までは。

 今はどこか気恥ずかしそうに、頭髪も皮膚もない頭をいて笑う。

 もじもじとスケルトンの男は、エメリーの前に歩み出た。


「もう十年になりまさぁ、旦那の……ラドラブライト伯爵はくしゃくの下で奉公ほうこうして」

「お疲れ様です、ええと……貴方あなた、お名前は?」

「それが思い出せないんでさぁ。もっとも、ここでは不便もなかったもんで」

「そうでしたか。でも、なんの心配もいりませんよ」


 躊躇ちゅうちょなくエメリーは、眼前の手を取った。

 そこには、なんの恐怖も侮蔑も見て取れない。

 ただ、いつくしみの気持ちだけがこもる。

 彼は一度死んだものの、ゲルドスルフの手で不死の魔物として蘇ったが……今日、旅立つ。もう、彼は充分に働き、その責をまっとうした。先送りにされていた旅立ちを今、決心したのである。

 自然とゲルドスルフも頭が下がる思いだった。


「長い間ご苦労じゃったの……済まん事をしたやもしれぬ」

「教授、そう言わんでくだせぇ。あっしも好きでやった事なんでね」


 今はもう、名前どころか生前の記憶すらないらしい。だが、再びこの世に化物として蘇らされてからの、賑やかなこの城の暮らしを好きだったと言ってくれる。それはゲルドスルフにとってなによりの慰めだった。


「冒険者達をおどかし蹴散けちらすのも、楽しいもんでさぁ。仲間も沢山できやしたしねぇ」


 びるゲルドスルフを、彼はカタカタ笑いながら振り返った。

 虚ろな視線の先には、むっつり黙ったネリアの無表情があった。

 骸骨男は歯をカタカタ鳴らしながら喋る。


「それと……ネリアさん。どうか教授を……お父さんを大事にしてやってくだせぇ」

「……わかった、そうしてみる」


 この城最強のモンスターは、一連のやり取りを玲瓏れいろうな澄まし顔で見守っていた。旅立つ者の言葉に、なんの感慨かんがいもなさそうに頷く。妙に人間臭いスケルトンと違って、ネリアはまさに生ける死体そのものといった様子だ。

 ゲルドスルフはつい、表情をかげらせてしまう。

 時の止まった少女と、禁忌きんきを犯し続ける父親……その両者を交互に見て、エメリーはなにかを言おうとしては言葉を飲み込んでいた。

 一通り別れの挨拶をすませて、スケルトンがエメリーの前にひざまずく。

 指を絡ませ、両の手を合わせると。エメリーは祈りはじめた……眼前の魔物のために。それは、敬虔けいけんな信徒の一途な信仰心から来る善意だ。彼女の信じる神はいつでも、無限の愛で応えてくれる。

 ぼんやりと温かな光がエメリーから発し、それはやがて強くなる。不死の魔物を安らぎへと誘う、穏やかな解術ディスペルの力が発現しようとしたその時。


「まってエメリー! わたくしにもお別れを……お礼を言わせてほしいですの」


 突然、奥の扉が開け放たれた。

 息を切らして肩で呼吸をしながら、シトリが現れる。驚く周囲にも無関心なネリアにも構わず、彼女は振り向くスケルトンに駆け寄った。

 エメリーの眼前で膝を突いて、スケルトンに向き合う。


「おじょう、わざわざあっしの見送りに?」

「当然です! 先程ハンクから聞いて、急いで飛んで参りましたわ」

「お嬢もお達者たっしゃで……なに、いつか国に帰れやすよ。旦那にもよろしくお伝えくだせぇ」

「おじ様に代って感謝を。今までありがとう、どうかすこやかで」


 感極かんきわまったスケルトンの身体が、徐々に光に溶けて行く。何度も繰り返されてきた光景だったが、シトリは毎回同じように寂しさをこらえて笑顔を向けている。

 今より幼く小さな頃、エメリーが彼女に教えたから。

 死の眠りを拒絶した者でも、望めば必ず天国に行けると。

 だから泣く必要はない、と。

 魔がひしめく迷宮内の一角で、光の柱が天へと昇る。骨の一片までも、その中へと溶け消えて……今、一体のアンデットが旅立った。法術の光が弱まり、その力が消え入るとシトリは立ち上がる。一度だけまぶたぬぐって。

 最後に十字を切って、エメリーは祈り終えた。


「神と聖霊せいれい御名みなにおいて、の者の魂に安らぎと平穏を」


 同時にエメリーは、無言で胸に飛び込んでくるシトリを抱き締めた。

 その光景に首を傾げながらも、決して表情を変えないネリア。

 たまらずゲルドスルフは小さく零した。


「ネリアや、仲間がまた一人旅立ったんじゃ……じゃから、のう」

「……そうね、教授。頭数が足りなくなって、ハンクが少し困るんじゃない?」


 ゲルドスルフの物憂ものうげな声に、普段通りに応えるネリア。彼女は全てを見届け終わると、そのままきびすを返した。だが、その腕を掴み引き止める手。

 エメリーは普段と変わらぬ穏やかな、しかし強い意志を込めた瞳でネリアを見詰めていた。そして、振り払おうとする細い腕を握り続けた。

 僅かにネリアが殺気立つ。


「……何? 私には、貴女程度の法術では効かない」

「そうね、司祭様の祈りでも無理かしら。でも」


 肩越しに振り返るネリアを、シトリがじっと見詰めていた。彼女はエメリーにしがみ付きながら、何かを訴えるような眼差しをネリアへと注いでいる。ただ、それがなにを意図いとしたものか、ネリアには全く理解できないようだった。


「……私に言いたい事があるようね、シトリ」

「ネリア、貴女あなたの友人としてお願いしま――」

「……友人? 誰が?」

「わたくしが、ですわ。お願いですの……あまり教授を、お父様を悲しませてはいけませんの」


 それだけ言うと、シトリは顔をエメリーの胸に伏してしまった。紅茶色の髪を優しく撫でながら、エメリーも無言で頷く。

 それは父親の顔も覚えておらず、父親の関心も引けぬ少女から、父親の無限の愛で不老不死を背負った少女への……切なる願い。

 それはしかし、今は伝わらない。

 淡い期待を裏切るように、ネリアはエメリーの手を振り払った。


「……悲しみとか、寂しさとか。全然わからないから」


 そう言い残すと、ネリアは行ってしまった。残された者達全てに、彼女が理解出来ぬと言った感情をきざんで。ネリアのバカ……そう小さく呟くシトリを、エメリーは優しく抱き締めながら。遠ざかる小さな背中を見送る。

 ゲルドスルフは苦笑をこぼすしかなかった


「お恥ずかしい、どうか娘の非礼をお許し戴きたい」


 禿げ上がった頭を、長い髭が床に付くかと思われる程に深々と下げるゲルドスルフ。彼はシトリとエメリーに詫びた。慇懃無礼いんぎんぶれい愛娘まなむすめに代って。

 ネリアはゲルドスルフにとっての最高傑作だった。最愛の娘を蘇らせるため、若かりし日のゲルドスルフはあらゆる術を施した。神をも恐れぬ背徳の果てに……最強のアンデットとして蘇ったネリア。だが、過ぎし日の笑顔までは、戻っては来なかったのである。


「だっ、大丈夫ですわ! 教授、わたくしは平気です。それに、ネリアもきっといつか……」


 沈んだ場の空気を、明るい笑顔でシトリが追い払う。おもてを上げた彼女は、ゲルドスルフを元気付けようと微笑む。老いた死人使いはその気丈さに、ただ目を細めるだけだった。


「さて、ワシも仕事に戻るかの……エメリーさんや、今日もありがとう。姫も」


 すでにいつもの、好々爺こうこうやの顔に戻っていた。そのまま彼は、自分の研究室へと引き上げてゆく。エメリーはシトリと並んで、その寂しげな姿を見送ってくれた。掛ける言葉も捜せず、寄り添うべき者も連れ戻せずに。

 シトリは溜息と一緒に、素朴な疑問を吐き出した。


「どうしてネリアには、教授の……父様の想いが伝わらないのでしょうか」


 それは時折、自らに思う疑問の裏返しかもしれない。ゲルドスルフはふと、彼女の父たるユーク王に思いを馳せた。この国の王ともなれば、責務に追われる多忙な日々を送っている……それ位はもう、シトリは頭で理解出来る年頃だった。それでも、唯一の肉親である父王から、手紙一つ貰えないのは不憫ふびんだ。


 だからシトリは、純粋にネリアが羨ましいのかもしれない。不死の化物、恐るべき怪力無双のモンスターと化した愛娘を、それでもゲルドスルフは一心に愛していたから。どうしてその気持ちに、素直に応えてくれないのだろう? 大いに甘えて、時々支えてくれればとゲルドスルフは思うのだった。

 見送ってくれるエメリーが、少し残念そうに呟く。


「ゲルドスルフ様の力を持ってしても、人の心というモノは蘇らせる事が出来ないのかもしれませんね」


 シトリの傍らに寄り添うエメリーは、そう言って自らの身を抱きうつむく。彼女の信奉しんぽうする神は、愛する人間達の誰にも等しく、定命ていめい生命いのちを授けたもうた。富める者にも貧しき者にも。優しき者にもいやしき者にも。その寿命が、本人の行いとは無関係に定められているのは、神が誰にも公平である証。

 その摂理に人は、時として抗い足掻あがくが……失われた命を構成する最も大事な唯一無二のモノ、心だけは二度と戻らない。それは肉体の頚城くびきをとかれ、新たな生命へと再び宿る為に神の元へと召されるのだから。

 ゲルドスルフは振り返って目を細めた。


「でも、大丈夫やもしれませんのう。姫、ご安心を。人の心は時に、突然芽生えて育つ事もあるのです」


 そう言ってゲルドスルフはフォフォフォと笑うと、友を案じるシトリを励ました。彼女はその言葉を、ささやかな気休めだと笑うような娘ではなかった。

 この薄暗く邪気に満ちた、恐るべき魔城の中にあってさえ、その心は健やかに育ったから。

 だからきっと、永遠を生きる少女にもその時は訪れる。

 ゲルドスルフはそう思うし、シトリはその言葉を信じてくれると思うのだった。。

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