第14話「魔王と天国への旅」
「……教授、エメリーを連れて来たわ」
聞き慣れた愛娘の声に、ゲルドスルフが振り向いた。無表情で父親を……否、製作者を見詰めるネリアの隣で、教会から訪れたエメリーは
「良く来てくれたの、エメリーさん。いつもいつも、本当に申し訳ない」
「いえ、そんな……私はただ、旅立つ方の魂が安らげばと思うだけですから」
トリヒル王国の神官、エメリーがそこには
それは本来、ありえない光景だった。祖父と孫ほども年の離れた男女は、片や死者を繰る背徳の
だが、両者は
ゲルドスルフはラドラブライトの古い友人でもあり、この迷宮に
エメリーは気にした様子もなく、柔らかな笑みで周囲を見渡す。
「ゲルドスルフ様、それで……今日、旅立たれる方は?」
ゲルドスルフは真っ白い
「へぇ、どうもすんまへん……お手数掛けますよって」
現れたのは、スケルトン。いわゆる死者の
昨日までは。
今はどこか気恥ずかしそうに、頭髪も皮膚もない頭を
もじもじとスケルトンの男は、エメリーの前に歩み出た。
「もう十年になりまさぁ、旦那の……ラドラブライト
「お疲れ様です、ええと……
「それが思い出せないんでさぁ。もっとも、ここでは不便もなかったもんで」
「そうでしたか。でも、なんの心配もいりませんよ」
そこには、なんの恐怖も侮蔑も見て取れない。
ただ、
彼は一度死んだものの、ゲルドスルフの手で不死の魔物として蘇ったが……今日、旅立つ。もう、彼は充分に働き、その責を
自然とゲルドスルフも頭が下がる思いだった。
「長い間ご苦労じゃったの……済まん事をしたやもしれぬ」
「教授、そう言わんでくだせぇ。あっしも好きでやった事なんでね」
今はもう、名前どころか生前の記憶すらないらしい。だが、再びこの世に化物として蘇らされてからの、賑やかなこの城の暮らしを好きだったと言ってくれる。それはゲルドスルフにとってなによりの慰めだった。
「冒険者達を
虚ろな視線の先には、むっつり黙ったネリアの無表情があった。
骸骨男は歯をカタカタ鳴らしながら喋る。
「それと……ネリアさん。どうか教授を……お父さんを大事にしてやってくだせぇ」
「……わかった、そうしてみる」
この城最強のモンスターは、一連のやり取りを
ゲルドスルフはつい、表情をかげらせてしまう。
時の止まった少女と、
一通り別れの挨拶をすませて、スケルトンがエメリーの前にひざまずく。
指を絡ませ、両の手を合わせると。エメリーは祈りはじめた……眼前の魔物のために。それは、
ぼんやりと温かな光がエメリーから発し、それはやがて強くなる。不死の魔物を安らぎへと誘う、穏やかな
「まってエメリー! わたくしにもお別れを……お礼を言わせてほしいですの」
突然、奥の扉が開け放たれた。
息を切らして肩で呼吸をしながら、シトリが現れる。驚く周囲にも無関心なネリアにも構わず、彼女は振り向くスケルトンに駆け寄った。
エメリーの眼前で膝を突いて、スケルトンに向き合う。
「お
「当然です! 先程ハンクから聞いて、急いで飛んで参りましたわ」
「お嬢もお
「おじ様に代って感謝を。今までありがとう、どうか
今より幼く小さな頃、エメリーが彼女に教えたから。
死の眠りを拒絶した者でも、望めば必ず天国に行けると。
だから泣く必要はない、と。
魔がひしめく迷宮内の一角で、光の柱が天へと昇る。骨の一片までも、その中へと溶け消えて……今、一体のアンデットが旅立った。法術の光が弱まり、その力が消え入るとシトリは立ち上がる。一度だけ
最後に十字を切って、エメリーは祈り終えた。
「神と
同時にエメリーは、無言で胸に飛び込んでくるシトリを抱き締めた。
その光景に首を傾げながらも、決して表情を変えないネリア。
たまらずゲルドスルフは小さく零した。
「ネリアや、仲間がまた一人旅立ったんじゃ……じゃから、のう」
「……そうね、教授。頭数が足りなくなって、ハンクが少し困るんじゃない?」
ゲルドスルフの
エメリーは普段と変わらぬ穏やかな、しかし強い意志を込めた瞳でネリアを見詰めていた。そして、振り払おうとする細い腕を握り続けた。
僅かにネリアが殺気立つ。
「……何? 私には、貴女程度の法術では効かない」
「そうね、司祭様の祈りでも無理かしら。でも」
肩越しに振り返るネリアを、シトリがじっと見詰めていた。彼女はエメリーにしがみ付きながら、何かを訴えるような眼差しをネリアへと注いでいる。ただ、それがなにを
「……私に言いたい事があるようね、シトリ」
「ネリア、
「……友人? 誰が?」
「わたくしが、ですわ。お願いですの……あまり教授を、お父様を悲しませてはいけませんの」
それだけ言うと、シトリは顔をエメリーの胸に伏してしまった。紅茶色の髪を優しく撫でながら、エメリーも無言で頷く。
それは父親の顔も覚えておらず、父親の関心も引けぬ少女から、父親の無限の愛で不老不死を背負った少女への……切なる願い。
それはしかし、今は伝わらない。
淡い期待を裏切るように、ネリアはエメリーの手を振り払った。
「……悲しみとか、寂しさとか。全然わからないから」
そう言い残すと、ネリアは行ってしまった。残された者達全てに、彼女が理解出来ぬと言った感情を
ゲルドスルフは苦笑を
「お恥ずかしい、どうか娘の非礼をお許し戴きたい」
禿げ上がった頭を、長い髭が床に付くかと思われる程に深々と下げるゲルドスルフ。彼はシトリとエメリーに詫びた。
ネリアはゲルドスルフにとっての最高傑作だった。最愛の娘を蘇らせるため、若かりし日のゲルドスルフはあらゆる術を施した。神をも恐れぬ背徳の果てに……最強のアンデットとして蘇ったネリア。だが、過ぎし日の笑顔までは、戻っては来なかったのである。
「だっ、大丈夫ですわ! 教授、わたくしは平気です。それに、ネリアもきっといつか……」
沈んだ場の空気を、明るい笑顔でシトリが追い払う。
「さて、ワシも仕事に戻るかの……エメリーさんや、今日もありがとう。姫も」
シトリは溜息と一緒に、素朴な疑問を吐き出した。
「どうしてネリアには、教授の……父様の想いが伝わらないのでしょうか」
それは時折、自らに思う疑問の裏返しかもしれない。ゲルドスルフはふと、彼女の父たるユーク王に思いを馳せた。この国の王ともなれば、責務に追われる多忙な日々を送っている……それ位はもう、シトリは頭で理解出来る年頃だった。それでも、唯一の肉親である父王から、手紙一つ貰えないのは
だからシトリは、純粋にネリアが羨ましいのかもしれない。不死の化物、恐るべき怪力無双のモンスターと化した愛娘を、それでもゲルドスルフは一心に愛していたから。どうしてその気持ちに、素直に応えてくれないのだろう? 大いに甘えて、時々支えてくれればとゲルドスルフは思うのだった。
見送ってくれるエメリーが、少し残念そうに呟く。
「ゲルドスルフ様の力を持ってしても、人の心というモノは蘇らせる事が出来ないのかもしれませんね」
シトリの傍らに寄り添うエメリーは、そう言って自らの身を抱き
その摂理に人は、時として抗い
ゲルドスルフは振り返って目を細めた。
「でも、大丈夫やもしれませんのう。姫、ご安心を。人の心は時に、突然芽生えて育つ事もあるのです」
そう言ってゲルドスルフはフォフォフォと笑うと、友を案じるシトリを励ました。彼女はその言葉を、ささやかな気休めだと笑うような娘ではなかった。
この薄暗く邪気に満ちた、恐るべき魔城の中にあってさえ、その心は健やかに育ったから。
だからきっと、永遠を生きる少女にもその時は訪れる。
ゲルドスルフはそう思うし、シトリはその言葉を信じてくれると思うのだった。。
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