第8話「魔王と魔女」

 魔王の玉座ぎょくざを頂く最上階に、人の気配が近付いてくる。

 重々しい扉が開かれると同時に、ラドラブライトはいつもの前口上をうたいながら……玉座から立ち上がりかけ、溜息をついた。


定命ていめいの者よ、か弱くはかな――と、ハンクでしたか。どうしました?」


 現れたのは悲願成就ひがんじょうじゅの可能性ではなく、この城の迷宮を取り仕切る一匹のコボルト。ラドラブライトは緊張感をひっこめると、軽い失望をおもてに出すことなく玉座に腰掛けなおす。そのまま肘掛に頬杖を突いて、ハンクの言葉を待つ。


「へぇ、旦那、その……」


 普段の物怖ものおじしない態度もどこへやら。珍しく口ごもるハンクを前に、ラドラブライトは話の先をうながす。


「また何か、シトリ姫が悪戯いたずらでもしましたか? それとも……ん、その荷物は」


 要領をえないハンクに代って、何よりも雄弁ゆうべんに事情を語るのは旅行鞄りょこうかばん。それを両手で抱えたまま、彼は事情の説明よりも己の弁護をすべきか、真剣に悩んでいるようだった。

 魔族の頂点に君臨する、魔王ラドラブライトとて万能ではない。弁明であれ報告であれ、口より言葉を用いてもらわねば、その意をむことは難しい。どうしたものかと、狼狽ろうばいするハンクを見詰めていると、その背後から細い人影が静かに滑り出した。


「旦那、実は俺ぁ……」

「ごきげんよう、ラドラブライト。元気そうで何よりですわ」


 翠緑色エメラルドの髪を揺らして、一人の女性が前へと歩み出る。

 ――再会。

 古い知己ちきの突然の訪問に、思わずなつかしさが込み上げる。ラドラブライトはつとめて平静をよそおい、振り返る友の横顔に目を細めた。


「荷物ありがと、もうここでよくてよ」

「じゃ、じゃあ俺はこのへんで……どうも、へへへ」


 荷物をそっと床に置くと、そのまま挨拶もそこそこにハンクが踵を返す。彼は不思議で不気味な麗人から解放され、心底安堵して迷宮内へと帰っていった。

 駆け足で遠ざかるコボルトを見送り、後手に扉を閉める女。彼女は改めて、ラドラブライトにまっすぐ向き直る。


「お久しぶりです、クエスラ。相変わらずお美しい」


 儀礼的な挨拶だったが、ラドラブライトの本音でもある。彼の古くからの友人、クエスラ。彼女は今も、昔と変わらぬ美しさで微笑ほほえんでいた。

 彼女と初めて会ったのは、今はもうはるか昔……この大陸、ゆいくに全土を邪悪が支配していた暗黒時代。黒衣こくい勇者伝説ゆうしゃでんせつが産声をあげる前夜、ラドラブライトは出会った。自ら闇の領域に身を捧げ、魔王に魂を売った魔女に。


「お世辞は結構でしてよ。十年ぶりくらいかしらん? こうして会うのは」


 人の身でありながら魔に属する、クエスラを人は魔女と呼ぶ。

 魔界の王達は誰もが、この奇異な人間の女を重宝し珍重した。見返りは強力な力や莫大な富、知識に経験、そして不老不死。ラドラブライトも何度か、彼女の力を借りた事があった。例えば列強十カ国を相手に戦った、十余年前の大侵略とか。


「世辞ではありませんよ、クエスラ。貴女あなたは相変わらずですね……何も変わらない」

「貴方は随分と変わってしまいましたのね。情けなくて泣けるくらいに」


 歯に衣着きぬきせぬ言い様で、遠慮なく辛辣しんらつな言葉が浴びせられた。クエスラはラドラブライトの玉座に堂々と歩み寄ると、その肘掛に腰を下ろす。思わずひるんだラドラブライトは、もう片方の肘掛にしがみつくように身を逃した。


「僕は……そんなに変わりましたか?」

「そりゃもう。あんなに残忍で狡猾、邪悪で冷酷だったのに」


 クエスラは誉めてくれているのだ。

 世界を震撼しんかんさせた、かつての魔王ラドラブライトを。

 過去へと置いてきてしまった、恐るべき姿を。


「アズイラートやビュンダイト、他の魔王達も笑ってるわ。貴方のこの有様ありさまを」


 懐かしい盟友の名を聞き、遥か昔へ思いをせるラドラブライト。自分と同じく、世界を脅かす魔王達……なるほど確かに、共に黒衣の勇者と戦った同胞からすれば、今のラドラブライトの姿は奇妙に思えるだろう。辺境の小国に引篭ひきこもり、まるで人間の言いなりの様におとなしくしているのだから。

 今も虎視眈々こしたんたんと世界を狙う魔王達ならずとも、そうだろう。丁稚でっちに等しいクエスラでも、現状のラドラブライトを見れば失笑するのがわかる。辛うじて魔王の威厳を取りつくろっているものの、以前はあった高圧的な覇気が失せて久しいから。

 あの女の……と言いかけて、クエスラは発する前に飲み込んだ。

 人間の女に恋をしてラドラブライトは変わってしまったと、他の魔王達は笑う。しかし彼女は、笑って済ませられないだけの理由があるらしい。


「……それで? どう? 貴方を倒せる真の勇者とやらは、本当に現れるのかしら?」

「いえ、それがなかなかでして……結構頑張ってるんですけどね、人間達も」


 以前のラドラブライトならば、人間の努力を認めるような事は言わなかった。そのことにクエスラは妙な苛立ちを覚えたらしく、それを押さえながら肩越しに振り向く。彼女の琥珀色こはくいろの瞳に、曖昧な笑みで弱々しく微笑むラドラブライトが映った。


「この国の経済は、随分と良くなったみたいね。かなり危い感じもするけども」

「ええ、唯つ国全土から冒険者達が集まって来ますから。人が集う所はうるおうものです」


 トリヒル王国は今、史上空前の好景気。誰もが魔王を倒して名を上げようと、辺境の小国へ押し寄せる。その流れは物流をともない、ここ十年近くは非常に安定していた。

 全ては協約の賜物たまもの

 トリヒル王国とラドラブライト、両者に結ばれた協約により、冒険者達は安心して魔王へ挑む事が出来る。最初は半信半疑だった協約が完全に定着し、冒険者達に浸透すると……彼等が語るラドラブライト城での冒険は、またたく間に唯つ国全土を席巻せっけんしたのだった。


「それで? いつまで続けるの、こんなこと」


 クエスラはれたように、しかし突き放すように問い質す。このままトリヒルの主産業として、無為むいに日々を過ごすのかと。いったいいつまで……しかしその問いに、ラドラブライトは嫌に明快な一言で答えた。


「僕を倒せる勇者が現れるまで、ですよ」


 それはおのれに対する死刑宣告にも等しい。しかし平然と、ラドラブライトは言ってのけた。その真意をんだのか、クエスラは立ち上がるとラドラブライトへ詰め寄る。


「いっそ自分の勇気に期待してはいかが? ――」


 思わず感情的に取り乱した自分に、すぐさま気付いて口をつぐむと、クエスラは溜息をこぼしてラドラブライトから離れた。気まずい沈黙が広がりつつあったが、すぐさまラドラブライトがその雰囲気を払拭ふっしょくする。


「それでは……その方法では、あの人の願いをかなえられない」


 ついに言ってしまった。あの女性のことを。その事を後悔する一方で、妙に卑屈ひくつな自分がクエスラを苛立いらだたせている。クエスラはただ、じっとラドラブライトを見詰めていた。目をらしながらも、ラドラブライトは言葉を重ねる。


「あの人が僕に、唯一願ったことだから。出来る限りトリヒルを支えなくては」

なげかわしい。罪を罪とも感じず、あらゆる悪を極めてきた貴方あなたが……そんな理由で?」

「他にないんだ、もう。世界征服とかも楽しかったけど、今はもう興味もないし」

「そうやってあの女を言い訳に、ウジウジと半分死んだように生きてる訳。これからずっと」


 自嘲気味じちょうぎみかわいた笑いを浮かべて、クエスラの追求を暗に肯定するラドラブライト。彼はそれっきり、手を組んで背もたれに寄りかかったまま黙った。

 クエスラには嘆かわしいだろう。かつて恐るべき魔王の一人として、世界を滅ぼしかけた男の現状がこれでは。だが、それだけが彼女を落胆させているのではないらしく、何やら忌々いまいましげにクエスラは唇をむ。


「自己満足じゃない、そんなの……悲劇的な自分に酔ってるだけよ」


 そう吐き捨てて、クエスラはラドラブライトに背を向けると、重い足取りで扉へと歩き出す。


「本当はもっと、前向きな話を持って来たんだけど。まあいいわ、しばらく厄介になるわよ」


 振り向かずにそう言い放ち、クエスラは軽々と旅行鞄を拾い上げた。そのまま扉のノブに手を掛け、ふと立ち止まる。

 貴女の勘違いだとクエスラに言い訳すれば、彼女に喜んでもらえるかもしれない。辺境の小国に身をひそめながら、実はとびきり恐ろしい計画を考えていたとか……そういう話が彼女は聞きたいのだろう。だがもう、この部屋のどこにも、クエスラの知っている魔王ラドラブライトは存在しないのだ。

 失望にいろどられた歩調で、扉を開くクエスラが振り向いた。


「そういえば、うわさのシトリ姫は? あわれな人質様ひとじちさまにも、挨拶くらいはしようと思うのだけど」


 玉座にうつむいていたラドラブライトは、その名に妙な反応を返してしまった。それは余人であれば気付かぬ、些細な変化だったが。つくろい隠す僅かな感情のほころびを、何百年来の友は見逃さなかったに違いない。


「シトリ姫なら多分、習い事か散歩か……探させましょうか?」

「ん、まあいいわ。そのうち嫌でも会うんだし、ね」


 どうやら彼女は、しばらくこの城に滞在するようだ。クエスラは玉座の間を後にし、きょろきょろと荷物持ちを探す。その目に留まったホムンクルスが、哀れな犠牲者になった。

 見るに耐えない、旧友の変わり果てた姿。その現実を直視したクエスラは、どのような思いを抱いただろう? 魔女と言えど人間だから。昔から寄せてくれる好意が、失望で色褪いろあせてしまう前に……きっと彼女は用事を済ませ、この城を出てゆくだろう。だから当面の寝床を、今はラドラブライトの傍ら以外に求めるように……魔女は颯爽さっそうと玉座の間を後にした。

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