第6話 好きになること
見えないカップの底
第1話 紅茶の人
あなたに会ってあなたを知る
あなたは案外甘いものが好き
あなたはだいぶ辛いものが嫌い
あなたはだいぶ渋いものが苦手
あなたは大きな声で歌う
あなたは小さな声で泣く
あなたは大きな声で笑って
あなたは小さな声で怒る
あなたが好きなものを知った
あなたが好きなだけで、私は嫌い
あなたのことが好きだから
あなたのために私は
あなたが好きなものを好きになったのに
あなたは紅茶が好き
あなたは角砂糖を3つは入れる
あなたはミルクティーも好き
あなたは紅茶の香りが好き
あなたは紅茶のクッキーが好き
あなたは紅茶の人
あなたのために紅茶を好きになったのに
あなたのために紅茶を勉強したのに
あなたのために紅茶を飲んだのに
あなたのためだけに紅茶を淹れるのに
あなたはもう私を嫌いだという
あなたはもう私を
あなたに会ってあなたを知る
あなたと別れて私を知る
あなたは私の淹れる紅茶が好き
あなたは好きと言ってくれたのに
あなたはもう私を好きと言ってくれない
あなたはもう私の紅茶は飲まない
私ももうあなたのために紅茶は淹れない
私は決めた
私の紅茶を作って、店を出して
あなた以外の人のために
私は紅茶を淹れる
私は紅茶の人になる
〇〇〇〇〇〇〇〇
「ここね、コーヒーだけじゃなくて紅茶も美味しいんだよ!」
「紅茶にもどうせ3つ入れるんだろ」
「もち!」
「静かでいいところだな」
「ここにいるとねネタが降ってくるんだよ、おススメスポット。じゃ、」
「え?一緒に飲まないの?」
「え?一緒なの?」
「俺、誘ったんだけど別れて飲むの変だろ?もしかして俺と一緒にいるの嫌なの?」
「え、いや、だってどっか連れてけって言うから…」
「あー言い方悪かったな。えっと、一緒にどこかに出かけませんか?」
「あ、はい。えっと」
「一緒に合作するんだろ?」
「おうよ!コンテスト受賞狙って!」
カップルも仕事帰りの人も、おじいちゃんもおばちゃん3人組も、物書きも、俺も。みんなこの店の雰囲気が好きで集まってくる。まだ俺は3回目だけど。いつもは1人の家に帰りたくなくて、時間潰しのために苦手なコーヒーを甘くして飲む。今日は今の女性の意見を参考にして紅茶も頼んでみよう。もちろん砂糖は3つで。
店員の顔に見覚えがあった気がしたが、よくそうやって知らない人に声をかけてしまうので、誰なのか頭の引き出しを覗くのはやめた。
いい香りのする紅茶に心を和ませながら、ゆっくりと俺の引き出しは自分から出てきた。口につけて飲んで、顔を出したのは青いロボットではなく、いつか俺に紅茶を淹れてくれた人。彼女だ、彼女の紅茶だ。
ばっと振り返るとこちらを見て微笑んでいた。俺は、俺は何も言えなかった。
彼女は俺のために紅茶を淹れてくれた。
今のように微笑んでいるけれどどこへ連れて行っても何を食べてもどこか楽しそうではなくて。聞いても答えてはくれなくて。ただ美味しい、楽しいというだけで、その原因はよく分からなかった。
彼女の好きなものも分からない、彼女の笑顔以外は俺が振った時のショックを受けた顔しか記憶にない。喧嘩をした時でさえ微笑んで、俺を許してくれた。
どうすれば彼女は喜んでくれるのか分からなかった。そして俺はそれを考えるのをやめた。まあつまりはそれだけだ。それ以降彼女ができて、また別れて今は1人。今までの彼女達とは決定的に違う。美人だし、ベラベラうるさくないし、愛想もいい。告白したらオッケーで、今じゃ紅茶出してくれるって言ったら友達に羨ましがられた。
俺にはもったいなかった。彼女は特別だ、俺なんかが恋人じゃいけない人だ。
あの時を思い出しながら紅茶を飲む。美味しいなあ、腕を上げたな。立ち上がって店の入り口でまた振り返る。彼女は接客中で、いつもの笑顔で、いつもの声だ。
俺には彼女のことはわからない。みんなに見せる笑顔だけしか俺は見られなかったんだと、改めて思う。気まずいっちゃ気まずいけど、美味しいからまた来よう。
〇〇〇〇〇〇〇〇
いつも女性1人でコーヒーも紅茶も砂糖を3つ入れるお客様。今日はかわいい男の子と一緒で、楽しそうに話してる。なんだか難しい話をしているみたいで、2人して唸ってる。
いつもくるおじいちゃんも2人を見ながらコーヒーを飲んで、私に目配せしてきた。おじいちゃんは昔物書きだったみたいで、お客様の少ない時間帯によくお話をしてくれる。
時々くるおばちゃま達はいつも楽しそうで、賑やかで華やか。
私はここでコーヒーも紅茶もケーキも出している。私は厳密には店長ではない。従業員の1人だけれど、最近淹れ方や味の調整に参加させてもらえるようになった。小さいお店だからこそこだわってるんだ、とマスターは言う。マスターはいつか店を持ちたいという私を応援してくれる。実はマスターのことが好きだけどまだ言えていない。言おう言おうと思うんだけど、自分から告白なんてしたことないし、どうしよう。
そして今日、いつかのあの人が来た。気づいてない、あ、振り返った。思っていたより私の心は動かなくて。懐かしい気持ちでいっぱいになった。彼も美味しそうに紅茶を飲んでいて、その顔を見ていたのを思い出す。
あんなに好きだったのに、今じゃ懐かしいだけなんて、少し寂しいけど。ぜひまたいらしてくださいね。
私の紅茶の人。
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