れっつざ、ごほうびタイム

 翌日。早々に調べられた採取地に、リプラと2人で赴いた。採取が絡んだリプラの仕事は早い。研究生を脱したら、有能な団員になれそうだ。

 今回も指定された場所は問題なし。いつもと変わらずに採取にいそしんで、本部に戻った。

 本部の多目的室に2人で入って、扉を閉める。多目的室のくせに個室並みに狭い室内のせいで、ほとんど利用されていない。今回も余裕で無人だった。

 持ってきた材料をスミに置いて、ほくほくとした表情のリプラを指す。

「絶対、振り向くな」

 試験の準備がある。見られたら、不正でしかない。

「はーい」

 ゆるい返事をしたリプラは、壁に体を向けた。ご丁寧に両耳までふさぐ。不正行為はリプラ自身も嫌なのか。

 完全にオレの行為が見えていないのを確認して、材料に視線をおろす。

 今回の試験は、素材成分の知覚。

 正直、やらなくてもいいレベルの、優先度の低い試験だ。オレが教えられる知識は大抵教えちまったリプラ相手。このレベルまで手を出さないと、いつか本当に教えられることがなくなる。教えられることをなくしたら、リプラとの縁が切れる。

 最悪なのは、もっと知識がある人に教えを請うために去られること。『オレの知識はそうでもなかった』なんて思われたくない。高度な知識に上書きされて、オレの存在を記憶から消してほしくない。

 防ぐためにも、必要な試練だ。

 微妙な味やにおいの違いがわかったら『A産地の材料を使った』として提供された料理を『本当はB産地の材料を使った』って告発もできる。……そんなのできてどうするんだってレベルだけど。

 実用的な考えをすると、徐々に毒を増やして長い目で致死量を狙うような犯罪を防げたりも期待できる。リプラを毒殺なんて、なにを考えてやがるんだとしか思えないけ。

 活用できるかは微妙だけど、覚えても損はしない。そのレベルの知識だ。

 貴族お抱えの毒見係とかなら、有用されるのか? そんな職あるのか、知らんけど。待て、実際にリプラがそんな職に就いたら、会えなくなるじゃん。リプラが服毒することになるし、絶対にその道には進ませない。味覚能力は無能であれ。

 妄想の末の決意をめぐらせつつ、同じ形の杯を5杯並べる。その中に、同じ量だけ飲料水を注ぐ。

 下準備は完了。

 あとは、それぞれに素材成分を微量だけ垂らす。飲んだリプラが、どの杯にどの素材成分が含まれているか言い当てる試験。

 ちなみに、オレはできない。かなり多く混入してもらって、ようやく当てられたレベルの実力。

 リプラに事実が知られたら、どう思われるか。1回しかやっていないから、どこからも情報はバレないと信じるしかない。仮にバレても『オレができないからこそ、リプラに体得してほしかった』とでも言えば、納得されるだろ。むしろ納得させる。

 左から作るか。

 さっき採取した素材だけでなく、自警団にストックされている素材も持ってきた。『採った素材から答えればいい』というやさしいものではない。自警団から素材を回収する際は、リプラに見ないように命令した。この部屋でも、リプラが後ろを向いてから準備した素材を広げた。どんな素材を準備したか、リプラは把握できていない。開発にもお熱なリプラだ。自警団にどの素材のストックがあるか、把握している可能性はある。でもストックされた種類は少なくはない。選択肢は絞られたとしても、不正にできるレベルではない。

 まずは味が濃くてにおいもあって、比較的初心者向けな素材。ガブリエルチョッパーを、この試験にしては多めに垂らす。これでわからなかったら、オレと同レベルと笑ってやってもいい。いや、自虐すぎて笑えないけど。

 次は……味は濃いけど、水とまざるとにおいが変わる素材。フォンデュリーフを適量。

 ……どの杯にどれだけ使ったか覚えないと、答えあわせができないな。今頃気づいて、2杯の中身のメモをする。危うく答えあわせの瞬間に『この試験はフェイクだ。答えなど存在しない』と、内心冷や汗ダラダラで断言するところだった。

 リプラみたいなヤツと一緒にいて、オレの脳までゆるくなったか? そう、かもな。病気のせいで、かなり冒されたか。気をつけないと。リプラのせいで仕事に影響が出たら、笑えない。

 気をとりなおして、3杯目だ。ここらで味もにおいもほとんどない、上級者でも当てるのは困難な素材をぶっこむか。立ちふさがる壁はでかいほうが、乗り越えようとする意欲につながる。リプラは困難を前に、すぐ諦めるタイプではない。

 微綿草の花弁の抽出成分を使うか。初心者がどんなトンチンカン回答をするか、楽しみだ。

 次は4杯目。……待て、順調に全部の杯に素材をぶっこみまくったけど。これって、1杯だけに素材を使うんだっけ? 水と素材が入った杯を比べて、さらにどの素材が入っているか答えてもらう。そんな試験内容だった気がしなくもないような。

 ……気づくのが遅れた。今頃真水なんて、それはそれでトリッキーだけど。今、思い出した感にあふれる。リプラにすら、オレのミスに気づかれかねない。

 『一般的な試験内容と違う』って指摘されたら『オレオリジナル』って返したらいいか。リプラになら通じるだろ。

 4杯目にも素材を放ってやる。真水の休憩タイムなんて、リプラにはくれてやらない。つけあがるなよ。

 含むのは……甘祷葉にしてやるか。味やにおいは気にならないけど、色が若干黄色い。気づけたら、素材にたどりつける。『女は色の違いに敏感』ってどこかで聞いた。リプラには有利かもな。サービス問題だ。

 5杯目は……どうするかな。

 味もにおいもある初心者向け、においがある、上級者向け、色が変わる。ほとんどのパターンを使っちまった。

 最後だしな。どうせなら当てられっこない、上級者でも泣き出すレベルを使ってやるか。こんな洗礼もアリだろ。

 味もにおいも色もほとんどない、冷嫋の雫を微量だけ垂らす。

 最後にメモを確認して、杯もかたむけて素材を水としっかりまぜて。メモをしまって。

 準備完了。

 さて、どんな結果になるやら。

「できたぞ」

 杯をかたむけ続けながら待っても、一向に返事が返ってこない。

 作る間に寝やがったか? こいつめ、誰のために作ったと思ってやがる。寝顔は見たいけど。

 イラつきつつ振り返る。壁に向かって両耳をふさぐリプラがいた。そうだ、耳もふさいでたんだ。

 しっかり耳も封鎖したんだな。ひたむきな律儀さを実感する。近づいても、微動だにしない。意識も遮断しているのか?

 リプラが動いてくれないと、試験が開始できない。視覚、聴覚が奪われているなら。触覚で気づかせるしかない。これは必要な接触だ。自分に弁解をしつつ、肩をたたく。

 近づく気配にすら気づいていなかったのか、リプラらしからぬ驚きを見せられた。顔は壁に向けたまま動かないし、耳もふさいだままだけど。

 視覚と聴覚が封じられていると、他の箇所から情報を得ようと過敏になるんだっけ? のん気なリプラでも、例外ではないんだな。いいことを知った気分だ。

「いいの?」

 耳をふさがれている以上、口で答えても意味はない。それを免罪符に、リプラの両手にふれる。

「ふあぁっ」

 漏れ出たのは、リプラらしからぬ色っぽい呼気。この場にオレ以外の人がいたら、記憶を消すために殴りたくなるほどの嬌声。

 理性と本能がタイマンしそうになるのを殺して、無感情を装って耳からはがす。採取で土を掘り返したりするせいか、指先の皮膚はかたい。女らしさには欠けるけど、くつがえすだけの採取の情熱にあふれている。形を気にしないで短く切りそろえられた爪も証拠だ。

 ひっぱり寄せたくなる衝動を理性が駆逐して、名残惜しさのまま手を離す。

「できたから」

 ようやくリプラは、オレに振り返った。この世のけがれを一切知らないような純朴な瞳は、何度見ても心臓をわしづかみにされる。目があうだけでほれるだろ。そのくせ、注文とかは店員の目を見てするリプラ。眼力裁判があったら、確実に有罪だ。むしろ死刑だ。末代までの極刑、食らえ。

「驚いたよ。声、かけてくれたらよかったのに」

 自分が出した声を自覚しているのか、リプラは自身の両手に笑みのない視線を落とした。小さく口をとがらせてぼそぼそと不満を語る様子もくそかわいい。また驚かせて、声を出させたくなる。

「かけた。耳をふさいだバカはどいつだ」

 ウソだ。ふさいでくれて大感謝。いっそ、あの声のために毎回知覚試験をしたい。貴族の毒味係にはしたくないのに。知覚試験以外で視覚と聴覚をふさぐ必要がある試験、ないのか? 古今東西、あらゆる試験を調べるか?

「約束、守っただけだもん」

 オレは『見るな』としか言っていない。耳をふさいだのは、リプラが勝手にしたことだ。よぎっても、口にはしない。毎回誤解して、視覚と聴覚をふさいでほしい。

 体の向きを変えて、リプラは杯を前にした。並んだ杯を前に、小さな不満は霧散したかのように喜々がちらつく。粘着気質ではない面もいい。小さなことで長い間うだうだと言われたら、面倒な女でしかない。

「どきどき」

 5杯を見つめて、そわそわするリプラ。擬音を口にするなんて、ぶりっ子のすることだ。脳内の冷静な単語は、あっさり場外に飛ばされる。かわいすぎるだろ、くそが。こっちのほうが何万倍もドキドキさせられている。リプラごときが、ドキドキを語るな。

 外面だけは平静を保ったまま、5杯を指す。

「真水にまじって、5杯にどんな素材が入ってるか当てろ。素材は、今まで教えた中から使ってる」

 本来は、4杯は真水でやるべきだったのかもしれない。それは言うまい。ツッコまれたら『オレ流にアレンジした』で貫く。それしかない。

「正解したら、どんなごほうびをくれる?」

 小首をかしげて、魅力しかない瞳の視線。破壊力しかない、その姿。オレがオーバーリアクションだったら、背後から倒れて後頭部を強打して死ぬ。よかったな、リプラ。冷静を保てるオレだったから、リプラは犯罪者にならないで済んだぞ。オレ以外には見せるなよ。リプラが連続殺人鬼になる。

「見返りがないと、やる気が出ないのか? とんだ女だな」

 冷静なオレは、心にもないことが言える。……むしろそれしか言えない。

「竜ヶ岳絶壁、行きた――」

「却下」

 竜ヶ岳絶壁には、レアな素材が大量に自生する。

 未踏の地のそこは、とにかく探索がしにくい。しっかり準備して挑んでも、いつの間にか息があがるレベル。おまけに、生息する魔獣も桁違いの強さ。オレだけで立ち向かえるランクではない。

 探索しにくい場所で、まともに戦えないリプラをつれて、強い魔獣に遭遇したら。

 オレは確実に勝てない。それだけなら、まだいい。リプラに大ケガさせる可能性だってある。

 採取中に魔獣に襲われた恐怖で、採取そのものが怖くなる例もある。リプラにまで、そうなってほしくはない。

「だめかぁ」

 想定はしていたのか、言葉のくせに落胆の色は小さかった。崩されない笑みが、皆無の落胆をのぞかせる。

「じゃあ、なでなでしてくれる?」

 あわせた両手をアゴにそえて、心臓を破壊しかしない上目づかいのお願い。

「いい……」

 『いいのか!?』と喜びかけた言葉を、慌てて切る。

 リプラの認可のもと、合法的にリプラにさわれる! そんな下心を吐いて、どうする。バカか。

「……と思ったら、後ろ向きに検討してやらなくもない」

 不自然にとぎれた言葉を、強引に続けた。

 最初に受諾困難な願いをすることで、次に言う願いを聞いてもらいやすくする。どこかで聞いた、詐欺の手法だ。天然か故意か、リプラも同じ方法を使ってやがる。故意だったら、末恐ろしいぞ。いや、天然でも末恐ろしい。このままだとオレは、無意識にリプラから金を吸収されかねない。心を強く持て。

「やったぁ」

 離した両手を耳くらいまであげて、小さく万歳するリプラ。狙いまくった仕草だとはわかっても、先代から継がれ続ける本能が素直に反応を示しちまう。

 おい、リプラ。オレからの好感度、どれだけあげれば気が済むんだよ。もうマックスだからな。上限突破しろって言うのかよ。オレを壊す気か? 壊れるぞ。

「やれるもんなら、やってみな」

 『正解したら』と話したリプラ。『全問正解したら』とは言ってない。これも詐欺に使われそうな手口だ。

 単純に『素材は1杯にしか入っていない』って思ったからこその発言かもしれないけど。

 答えを知った際、1杯しか正解できなかったとしても『全問正解とは言っていない』と褒美を要求される可能性もある。

 ……むしろそうしろ。なでてやる。

 『正解数が少なかったら、あらぬ場所をなでる罰にする』とでも言ってやろうか。全問不正解だったら、素肌をなでてやろうか。リプラのやる気のためにだけど。極限状態だと力を発揮できる理論もある。いや、さすがにしないけど。オレだって自警団員だし、理性はまだ生きている。妄想は自由。

 思えば、リプラは『どこをなでて』とは言っていない。つまり正解したら、オレはリプラの好きな場所をなで放題!? これはリプラのミス。文句を言われるいわれはない。

「選んでいいの?」

 思考を読んだかのようなリプラの声に、心臓が跳ねた。違う、なでる場所を選ぶって問いではない。杯を自分で選んでいいのかって問いだ。冷静に。

 杯を置いた机に両手をついて振り返る姿は、当然かわいい。そった腰で強調された臀部は、誘われてるようにも見える。分厚くてだぼっとした服のせいで、ラインがわかりにくいのが理性にとって幸いだ。ミニスカートだったら、本能に直撃する布地がほのめかされていたに違いない。

 オレが『リプラの手に杯を運ぶ』なんていう、執事サービスをするとでも思ったのか。つけあがるなよ。

 ……リプラのメイドサービス、いいかも。次に褒美を要求されたら、リスクとしてそれを……いや、趣味をさらすようなことはダメだ。リプラがメイドになるのを嫌がる前フリがないと、リプラに与える罰として成立しない。『オレがしてほしいだけ』ってバレかねない。

 さりげなく、着たくない服を探るか。『全身タイツ』とでも言われたら、どうしようもないけど。いや、リプラの体のラインがわかるって意味ではアリか。だぼついた服の奥に、どんなラインを隠しているんだ? そこそこのつきあいになるし、そろそろ太ももくらいは拝みたい。それ以前に、生ふくらはぎすら見たことがない。採取があるから露出をさけるのは当然とはいえ。飯の誘いでも、低い露出度は変わらなかった。

「ご自由に。杯の位置関係は変えるなよ」

 同じ形の杯を使ったから、位置を変えられたら判別できない。

 ……本来の試験官は、杯の位置を変えられても自身の舌で正解を導き出せるのか? 『オレはこの試験が苦手』って、暗に教えちまったのか?

 視線だけ動かして、リプラを見る。5杯をじっと注視していた。言葉の裏の真実には気づかれていない。仮に疑問に思われても『リプラのためにいちいち飲んで考えるのが面倒』って言えば済むか。リプラが使った杯を使うなんて、変態っぽいし。

 1杯を持って、顔に近づけたリプラ。数回揺らして香っただけで、すぐに杯を戻した。飲む様子すらなかった行動に疑問を抱いたオレの目の前で。

 リプラはおもむろに服に手を伸ばして、豪快に上着を脱ぎ去った。捨てるようにスミに投げられた上着に、自然に視線が映る。ばふりと空気を含んで、地に落ちた。

 ぶかぶかの上着が邪魔で脱いだだけか。そう思っても、上着から漂うリプラのにおいに、また体は反応するわけで。服って、こんなににおいがしみつくんだな。

 無防備に捨てられたリプラの上着。『抱きしめてにおいをかぐ』なんていう変態的行為はしない。本人の目の前だし。仮にいなくてもしないし。

 そうは思っても、ダメと言われるとやりたくなる心理。ごくりと喉が鳴る。たたむくらいなら、平気か? 試験中はオレに背を向けているリプラ。たたむ隙を見てかぐくらいなら、できなくはない? 理性の戦士の前に立ちはだかる、甘美なる背徳の誘い。ほんの一瞬の遊び心で築きあげた関係を壊す、ギリギリの感覚。

 ヒマを持て余せそうな葛藤にいそしんでいたら、上着の上にさらに服が投げられた。

 何度か見たことがある、リプラの上着の下にある服。

 これがここにあるということは、つまりは。

 まさかと期待にはさまれて、罪悪感に後頭部をたたかれつつゆっくりと顔を動かす。

 薄手のシャツにくるまれたリプラが、そこにいた。

 下半身は見なれたいつもの服のまま。上半身だけが想像以上に身軽になって。

 だぼだぼの上着でよくわからなかった体のラインを克明に映す、純白のシャツ。

 どころか、袖のないシャツは肩を外気にさらして。

 いつもは上着と服のガードでお目見えしない生腕が見えるだけで、オレにとっては刺激なのに。さらに肩まで見えたら、もう半裸にしか見えない。

 事実、シャツ越しに体のラインや肌の色、下着までかすめる気がする。幻覚か? 病気の進行は、ここまでの症状を作り出すのか?

「待てよ!」

 理性が決起すると同時に、声が出てた。

 疑問しかない表情で、杯を持ったリプラが振り返る。

「試験前に……服を変える必要あるか!?」

 『脱ぐ』の単語を使うのは、はばかられた。シャツがあるから、見られても困らないレベルでしか脱いでいないんだろうけど。それでも、こっちの事情を考えろ。オレの欲求を見くびるなよ。ほんの小さなきっかけで、タガが外れかねいかもしれないんだぞ。

「素材のにおい、ついちゃってたんだもん」

 さっき採取してた際に、服に素材のにおいがついた。ありえなくはない、のかもしれない。オレは一切気にならないけど。リプラのにおいしかわからないけど。

 言われたからには、リプラの姿に文句を言えなくなる。不服申し立てたら、正解できなくても『こっちの条件をのんでくれなかったから』ともめる未来がある。

 もめないほうが、楽でいい。ここは認めてやるに限る。かなり貴重なリプラの素肌が拝めるし。

「許してやる。続けろ」

「はーい」

 笑顔で返事したリプラは、杯に顔を戻した。

 いつもとは違う後ろ姿。

 むき出しの肩が作る、女らしい魅力的な曲線。

 すぐにでもかぶりつくたくなる二の腕。

 リプラの動きにあわせて時折姿を見せる、シャツ越しの肩甲骨。

 かがんだりしてシャツの生地が伸ばされるたびに浮かぶ、下着のライン。

 絶景って、こんなのを言うんかな。

 ここまで凝視していいのかと思う心もある。本人が気にしていないし、公認だよな? 試験中、怪しい動きがないか調べるのもオレの仕事。よし、許される。

 リプラは杯を顔の前で振って、香りを届ける。腕の動きにそって、たぷたぷ揺れる二の腕。『女の二の腕はやわらかい』って聞くけど。これを見ると、事実だと思えてならない。どうにかリプラに正解してもらって、二の腕をなでて真偽を確認したい。二の腕ならセーフだよな? 同意さえもらえば。

 あげられた二の腕からのぞくワキにも、魅力を感じる。そんな趣味はなかったはずなのに。いつもは見えない場所が拝めるだけで、ここまでそそられるなんて。

 体の側面越しにたまにかすめる胸部は、意外にもりあがりがある。窮屈そうにひっぱられた生地が、細かいシワを作っている。ゆったりした服でわかりにくかったけど、案外にあるのか? 喜びで跳ねたりした際、だぼっとした服の奥でどんな動きをしていたんだ?

 オレの中での期待値が、どんどん高まる。

 リミットが外れる前に、気づいた。

 オレがいる空間で、迷いもなく服を脱ぎ去ったリプラ。

 においのついた服は、試験の邪魔になる。シャツがあるから、見られても困らない。

 だとしても、オレの前で脱ぐか?

 生地も色も薄いシャツは、肌を透かすとは安易に想定できるだろ。おまけに肩出しだ。多少の羞恥心はあってもいい。

 『試験中はこっちを見るな』とでも言うのが、正常ではないか?

 試験中だからこそ、不正防止で言えなかったのもあるか? 正式な試験でもないし、遊びの一環みたいなもんだ。肌をさらしてまで挑むか?

 こう見えてもマジメで、万物に手を抜かないリプラらしい、と言えばそうなるかもしれない。それだけで片づけていいのか。

 オレの前で、一切の迷いもなく肌をさらした。

 つまり、オレを異性として意識していないから……になるのか?

 同性の友達感覚だから、この程度を見られるのはどうとも思わない。凝視されようが、気にならない。

 あるいは。あえて肌を見せることで、オレの機嫌をとりに来ているのか。

 自分の行きたい採取地につれ回せるように。利用するための賄賂として。

 ……両方、考えられる。納得しかできない答えだ。

 異性として意識していないくせに、異性であることを利用する。

 そう考えると、かなりの最低女だ。

 そう思っても、体の中心に根づいた感情が揺らぎすらしないのは。心のどこかで『リプラはそんな女ではない』と思っているからだ。同時に『これだけ肌をさらしても、オレがなにもしない』という信頼でされた行為だという前向き解釈もある。『誘っている』と考えない心もちらつく。

 この行為が天然だろうと、策略でされたことであろうと。少なくともオレは、リプラにとって害のない存在であることには間違えない。

 リプラにとってのオレがどんな存在であれ、変えられたらいいだけ。なによりも特別な存在に。誰にも渡したくない存在に。

 変わたらいい。のに。

 ……どうしたらそうなれるんだか。

「ガブリエルチョッパー」

 室内に響いた間延びした声に、意識を戻す。

 杯を持った両手をオレに伸ばしたリプラの笑顔があった。

 答えか。ガブリエルチョッパーはいれたな。

「どこの杯?」

 オレに向いたリプラは、豊かなふくらみを見せつける。ひっぱられて余計に生地が薄くなったのか、意識しなくても下着の色や柄が判別できそうだ。ざっくり開いた首元からむき出された生鎖骨も、理性を瀕死にさせかねない威力がある。耐えろ。

「いっちゃん左。配合量は全体の8%くらいかな」

 場所はあっている。配合量のパーセンテージ計算はしていない。計算も面倒だし、そうであったとしておこう。

「二言はなし?」

「男に二言はなーい」

 男ではないだろ。むしろリプラが男だったら、オレの思いをどうしてくれる。その世界に迷いなくダイブできるレベルだからな。あなどるなよ。

「簡単だ。わかって当然」

 オレでもわかるレベルで使った。リプラはオレと同レベルなのは確定した。あとは越されるかの勝負。

「やったぁ」

 握った拳をアゴの位置まであげて喜びを示す。いちいち計算された、男をトリコにする動作。当然、オレも魅了される。『あざとい』としか思えないのに。わかっているのに。それでも反応しちまうのが、生き物の悲しいサガなのか。

「次はねー」

 持っていた杯を左に置いて、その隣の杯を持った。オレに笑顔で掲げて、満面で口を開いた。

「フォンデュリーフだよね? 真水にはとけるのに、なぜか雨ではとけないでおなじみの」

 答えるだけでなく、教えた知識まで披露された。リプラの知識保有量はすさまじい。本気になったら、知識だけならオレをあっさり抜き去るんじゃないか?

「通常濃度のを4%前後かな? どう?」

 濃度の違いまでわかるのかよ。そこまで考えて作っていないから。

「正解。次は?」

 杯を持ち変えるリプラを見ながら、内心ほくそ笑む。3番目の杯は上級者向け。初めてのリプラには当てられまい。

「微綿草の花弁でしょ? 3%くらい」

 オレの期待はあっさり裏切られて、今まででなによりも早く言い当てられた。まさか上級者向けをさらりとクリアされるとは。

 いや、ビギナーズラックもある。最初から恵まれた才能を発揮するヤツもいる。リプラがそうだっただけだ。驚いてはやらない。

「次が甘祷葉。5%くらいかな」

 立て続けに正解された。おい、待て。リプラの実力、どうなってやがる。どこで才能を発揮してんだよ。貴族に毒見させられるぞ。

「全問正解するか、最後にかかってるぞ」

 思考を悟られないように、不敵に笑って吐いた。

 大きく点頭したリプラは、最後の杯をつかむ。顔まで運んで揺らして、においを鼻孔に届けた。

 さすがにこれこそ、わかりはしまい。正式な試験で出されたら、受講者全員激怒レベルの内容だ。人類にわかるのかとさえ思えるレベル。

「これなぁ……むつかしかったんだよなぁ」

 ようやくリプラから不安まじりの声が届いた。かすかに眉間に浮かぶシワが、問題の困難さを示している。

 全問正解は無理だ。リプラが望むなら、褒美のなでなではくれてやらなくもないぜ。今のオレは機嫌がいい。リプラの好きな箇所、好きなだけなで回してやるよ。……マッサージでも体はさわれるな。今度疲れを見せられたら、マッサージ名目を使う手も……いや、自制するけど。下心マッサージは危険だ。本当に。

「もー、いきなりレベルあがりすぎだよぉ」

 不満げにぷくっととがらせられた唇が愛らしい。所作すべてが、オレを刺激する。『オレ専用の心臓荒らし機器』と言っても過言ではない。オレ以外は荒らすな。

「でも、わかったよ」

 短い髪を広がせてふわりと振り返ったリプラには、さっきまでの不安は消えていた。薄い口唇がきゅっとあがって、ほのかな笑顔を作る。

「冷嫋の雫でしょ。それも、ほんのちょっとだけ」

 またしても言い当てられて。返せる言葉がなかった。

 このレベルの判別、初心者でできるとは到底思えない。むしろ、3番目も上級者向けだった。

「経験者?」

 そうとしか考えられない。だったら、先に言えよ。もっと難問にしてやったのに。

「違うよ。ハーウィングが初めてだよ」

 天然なのか狙っているのか、また男心をくすぐるしかしない言葉を返された。そうか、リプラにとってオレは、初めての男か。

 ……考えている場合ではない。初めてなのに、上級者レベルすら正解。アリか?

 むしろ上級者ですらわからないであろう問題すら、正解したぞ。

「どう? 大当たり?」

 キラキラ輝く純朴な瞳を近づけられて、思考をとめられた。呪われたかのように動かない体は、操られるように言葉をつむぐ。

「……そう言ってやってもいい」

「いやったぁ!」

 目の前で高く跳ねられて、2つのふくよかなふくらみが視界で無尽に揺れた。薄着なんだから、自重しろ。とも言いたいけど『もっと跳ねてもいいんだぜ』の言葉もこだまする。フェロモンが香って、全神経がとろかされる。

「さてさて」

 軽く握った両の拳を、胸の前でこつりとさせたリプラ。

 狙ったかのような上目づかいで、じっと見つめられる。シャツの隙間からのぞく、たわわな双子山の谷。もう少し角度が変わったら、下着すら拝めそうだ。

「れっつざ、ごほうびタイム」

 じっとできない幼子のように左右に揺れる体。かすめるリプラのフェロモンに、微妙な重力で装いを変える谷の線。

 場所の指定がないし、好きな場所をなでていいのか? いっそ、谷に沈んじまおうか。

 よくない考えがよぎったけど、瞬時に理性が仕事を始めた。それはいかん。

「するかどうか、検討中」

 あっさりやってやると思うなよ。いや、なでたいけど。それでも薄着のリプラを前だと、な。幸か不幸か、オレら以外いない個室だ。ここ最近、理性が様々な勢力と孤軍奮闘をしている。ここらで倒れてもおかしくない。リプラと一緒にいると、理性に休むヒマがない。……つまり出会ってから今まで、理性は不眠不休かよ。今まで、よく耐えられたな。家に帰ったら、爆発させよう。今後の理性のためにも。いい光景も見れたし。

「えー」

 不満で力がこもった腕で押しあげられたのか、谷の開始点に横のラインも伸びた。狙ってやっていなかったら、完全に罪だ。オレ以外も確実に病気にする。研修の身だから、オレ以外と深い交流が生まれていないのが救いだ。一生、研究生のままでいてもらうか。むしろ同期の研究生、よく平気だったな。オレは長く一緒にいすぎたのか?

 すっと消えた横のラインを見ている間に、オレの両手になにかがふれた。

「よーしよし」

 正体をつかむまえにあげられて、リプラの頭部まで運ばれる。

「いいこいいこー」

 リプラの意のまま、髪の上をすべらされる手のひら。こそばゆさと、伝わるリプラの手の熱。一瞬の混乱を、すぐに理性が駆逐した。

「勝手にやるなよ!」

 言いつつ、手は払わない。ケガをさせるといけない。褒美をあげたくないわけではなかった。決して、オレの感情どうこうではない。髪、やわらかい。ふいうちで耳、さわってやろうか。またあんな声、出すか? いや、ダメだ。薄着のリプラからあの声が出たら、理性は即死だ。

「むつかしい問題を出した罰だよ」

 よごれを知らない瞳で言われると、一切の反論ができない。難解な出題をしたのは事実だ。

 リプラのペースに乗るのをやめて、自分の心で頭をなでる。リプラも気づいたのか、手を離して地に垂らした。つながれた感触がなくなるのは無念だけど、気の向くまま髪をさわれるのはいいものだ。

「ほめてほめて」

 まぶたを閉じて、うっとりとオレのなで回しを楽しむリプラ。自らの視界を遮った、無防備な姿。見られていないのをいいことに、鎖骨の下に伸びる谷間に視線を移す。

 ここまでするなら、行けるところまで進めちまうか。よぎった考えに、またしても理性が緊急出動する。

「つけあがるな」

 なでる手を強めて、髪が乱れるまでにしてやる。手の動きに比例してぐらつく頭すら、くそかわいい。幸福ななでなんて、期待するな。ほしいなら、相応の関係になりやがれ。オレのなでは安売りしない。

「最近、ほめてくれないじゃん。ここらで大放出してよ」

 小さくとがった唇が愛らしい。『つかんでほしい』と主張しているように見えるのは、確実にオレの病気のせいだ。理性、動け。食いつきたい。

「オレがいつ、リプラをほめたってんだよ」

 頭ごと揺れるのではと思うほどの強さで、わしゃわしゃとかき回す。もう髪は爆発している。少しいじっただけでこれなんて、寝起きはもっとひどいのか? オレはリプラがどんな寝起き姿でも、愛でてやる。見せろ。オレにだけ見せろ。

「最初の頃だよ。覚えてないの?」

 悲しげに向けられた上目づかいに、記憶を想起する。

 最初の頃。リプラに教えることになった頃。

「あー」

 あった、気がする。

 まだリプラがひよっこで。初めての自警団でひたすらに目を泳がせていた。故郷から1人出てきたというのもあって、小さく縮こまって誰よりも不安をのぞかせていた。

 習いたての素材や開発の知識はまだまだ芽も出ていなくて、今とは似ても似つかないリプラだった。

「同情だよ」

 とにかく心もとない姿に、ちょっとした長所を見つけてはほめた。口頭だけで。

 あの頃は、リプラに特別な感情は一切なかった。不安のせいで、自警団を怖がったままでいてほしくない。精神を病んでほしくはない。その程度だった。

「それでもいいよ。ほめて」

 再度まぶたを閉じたリプラ。この状況、この流れで。この言葉、この行為。誘われている、と思っていいのか。

「嫌だ」

 当然、理性が働いた。

 ゆっくりと開けられたリプラのまぶたの奥に、ほのかに憂きが見えた気がした。

「そうやって甘ちゃんだから、いつまでたっても研究生なんだろ」

 乱れきった髪のまま、なでるのをやめる。あからさまに見せられる感情は、理性の体力をゴリゴリ奪う。本気で誘われた感覚におちいったら、どうしてくれる。

「しょぼん……」

 本気なのか演技なのかわからない、強い落胆。悲しげにふせられたまぶたと、爆発したままの髪が異様なほどに不整合だ。

 ここまで落胆されたら、放っておけないのが男。男は本能的に、悲しむ女は見たくないようにできている。

「研究生から昇格したら、考えてやるよ」

 天井からシズクを垂らされたかのように、リプラはきゅっと頭をあげた。

「超前向きに」

 続いた言葉は、リプラを甘やかす内容だった。我ながら、リプラに甘すぎる。結局いつだって、リプラの願うままに行動しちまっているな。リプラが詐欺師だったら、あっさり全財産を持っていかれるほどに掌中だ。病気って怖い。

「本当?」

 悲しげな表情のまま小さくゆるんだ口元は、砂漠のオアシスのようだ。

「『ほめる』なんて言葉だと足りないくらいに、くれてやっちまうかもな」

 元気を戻してほしくて、イジワルに笑う。

 実際、オレから卒業したヤツらには、相応な言葉をかけた。リプラにも、くれてやらなくもない。理性を必死に働かせながらくれてやるよ。

 水が注がれたかのように明るくなった表情は、ある瞬間から変化をとめる。

「……そうなったら、もうハーウィングといられないね」

 悲しさを押し殺したような笑顔で届けられた言葉。

 そうだ。研究生でなくなったら、オレから『リプラの指導者』という肩書は消える。すなわち、リプラと一緒にいる理由が消えるということ。

 一緒にいてはいけないわけではない。リプラが求めるなら、関係を続ければいいだけだ。

「その日が待ち遠しいな」

 わかっていてもこの口は、幼稚な悪態をついた。

 否定してほしい思いがあるのかもしれない。オレを求めてほしい思いがあるのかもしれない。

 ずっと変わらなかったリプラとの関係に、変化のきっかけを与えるなにかがほしいのかもしれない。

「……だから試験、嫌なんだ」

 痛々しい笑顔で続けられた言葉は、本心なのか。狙って言っているだけなのか。

 オレには知る由もない。それでも、心が反応しちまったのは事実。高鳴る鼓動に慌てもしなくなるほど、リプラには心乱されてきた。

 それでもこの言葉は、この態度は、偽りで作ったようには見えない心痛な表情は。今までのどれよりもオレの心を乱して、期待も高めた。

 オレと一緒にいる理由をなくしたくないから。だから、試験に挑戦しなかった。

 そう、なのか?

 リプラも、オレと同じ気持ちなのか? 長い時間一緒にいたから、感情を抱くのは互いに当然のことだったのか?

「ハーウィングばりに頼れる人、他にそういないもんね」

 交錯する感情で口内をカラカラにしたオレの前で、リプラは一転、表情を明るくした。

 まるで『今までのはすべて冗談だった』と語るみたいで。

 オレは採取に利用できるから。魔獣を倒してくれて安全だから。

 だから、一緒にいたいだけ。

 そう言っているみたいで。

 感情が静寂すると同時に、全身の温度もすーっと冷めていく気がした。

「いい加減、試験に挑戦しろよ」

 やっぱりリプラは、オレを特別なんかに思っていない。利用しているだけ。

 くり返される所作もすべて、男を掌中で操るためのテクニックなのか。

 そう思っても、芯までは折れない心があった。

 仮にもし、リプラに男を踊らす意図があったとしても。オレがその対象だとしても。

 オレ以外の存在にも、こんな態度を見せているのでは。この瞳で、この笑顔で、この仕草で。そう思うほうが嫌だった。

 手遅れなまでに、病気は進行している。

「まだまだ勉強が足りないよ」

 リプラとの心の距離は、離れていくばかり。

 リプラの場所は変わらないのに、オレの中のリプラだけがどんどん変化していって。今いる場所と、いてほしい理想の場所が違いすぎて。

 いつになったら、この距離感が変わるんだ。変わる日は、来るのか?


 オレが仕事で出る日も、リプラは本とかで自主的に勉強している。魔獣の危険のない地に採取に出たりもしているとか。研究生でも参加できる任務に呼ばれたこともあるらしい。

 オレがいない間も、リプラは努力を欠かさない。向上心をなくさない。

 なのに、いまだに研究生。

 オレが教えた研究生が功績を残してたたえられても。あとから来た研究生に、先に試験を合格されても。

 リプラはのんびり勉強を続けるだけだった。

 まだ勉強が足りない。だから試験に挑戦しない。

 その言葉を、もう何回聞いたか。

 リプラとの関係も、そうだ。

 まるでオレとリプラの間だけループしているような。そんな感覚さえ覚える。

 『努力は無意味』としか感じられないほどの、不変だけが続く世界。

 変えるための一石は。

 きっかけは。

 なにかが、ほしかった。

 もしかしたら、と思えるだけの。

 仕事帰りに採った素材の成分を抽出したビンを見つめた。とろみのある、薄い桃色の半透明の液体。味やにおいを消す成分もまぜた。

 オレはただ、きっかけがほしいだけ。

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