第3話 アストレア家 I (カイン)

様々な絵画や彫刻が置かれる部屋。

それは王家にも劣らない力を持つと言われるアストレア家の力を充分に示していた。


「くそっ!」


だが、その部屋の中にいる人物の顔に浮かんでいたのは何者かへの怒りと、激しい後悔だった。

彼の名はアストレア家現当主、カイン・アストレア。

アストレア家を一代で王国随一の名門に成り上がらせた英雄と今でも讃えられる人物。

だが、今の彼には常に浮かべている自信に満ちた笑みは浮かんでいなかった。


「アリス!」


そして英雄と呼ばれ、今でもその名称に相応しい力を持つ彼が常の冷静さを失い荒れる理由、


それは今は令嬢の位さえ捨てた娘、アリスに関することだった。



◇◆◇



事の始まり、つまりアリスと王子の婚約はそもそも王子から申し込まれていたものだった。

娘アリスは今は亡き、母親に似て明らかに常人離れした美貌を持っており、その娘に王子が一目惚れしたのだ。

そしてその婚姻に関しては国王陛下も乗り気だった。

今では名門貴族と王国内で無くてはならない存在であるカインだが、元々彼は王国内の人間ではない。

カインは王国の危機を救い、それによって貴族の位を与えられた人間なのだが、他国の人間であるという事で平民からは慕われているが、貴族社会での評判は決して良いとは言えなかった。

そしてそれ故に国王陛下はアストレア家が名門貴族であるのにも関わらず、親しい付き合いを出来なかった。

だが、アストレア家が名門貴族である限りそのままの関係を継続するわけにはいかない、そう考えていた折に息子に頼まれたのがアストレア家の令嬢との婚約だった。

王子マルズはその時からかなりの問題児で、国王陛下は息子の願いを受け入れることは稀だったが、その時ばかりはその提案をあっさりと通し、アストレア家に縁談を申し込んだ。

勿論、その裏にはアストレア家との親密な関係を結ぼうという下心があったが、それはアストレア家も望むことであることは自明の理で、国王陛下はその婚約が拒否されるとは思っていなかった。


だが、その婚約をカインは渋った。


確かにカインは名門貴族として王国に仕えているが、性来彼は贅沢を望む人間では無い。

名門貴族となったのも、英雄と呼ばれるほどの力を持つ彼を野放しに出来ないという王家の狙いで、カインが頼んだわけではないのだ。

だがらカインはその政略結婚で娘の将来が決まることを恐れ、その縁談をなかったことにしようとしたのだが、


「お父様、行かせてください」


当の本人の意思で婚約は決まった。


決してアリスが王子に恋をしていた、何でそんな話ではない。

ただ、彼女はアストレア家を守る為の選択をしたのだ。

カインの一晩のがかりの説得にも応じずに。


アリスを説得できなかったカインは焦ったが、直ぐにアリスの心を変えようとすることを諦めた。

そして国王陛下に直談判し、アリスが正式に王子の婚姻を結ぶまでは手を出さないことを契約させ、そして彼女の幸せの為に王家が手を尽くすようにおど……頼み込んだ。

アリスは自分の容姿に関して、母親という人外の存在がいた所為か、無頓着でそこまでしないと安心できなかったのだ。


だが、直ぐにカインはアリスを王子と婚約を結ばせたことを後悔することになる。

愚鈍、そう馬鹿にされる王子が手に届く場所にアリスを置かれ、我慢出来るはずもなかったのだ。

事件が起きた時、最初に気づいたのは国王陛下だった。

直ぐに国王陛下は何が起きたのか悟り、王子が手を出そうとした寸前にアリスを救い出した。

そしてそのお陰でアリスに王子の手を出されることはなかったが、


そのことを知った時カインは激怒した。


悲鳴をあげる王子の胸倉を掴み、本気で殺そうとした。


「その手に力を込めれば、新たに戦争が始まるぞ?」


そして国王陛下の脅しさえも気にならなかった。

恐らく今戦争になればアストレア家は国王陛下には勝てないだろう。

未だ王子と婚約し、貴族社会にも慣れてきたとはいえ王国と戦争となれば力を貸してくれる貴族は殆どいない。


だが、それでも娘と息子。

カインには家族だけは守りきる自信があった。


いや、例えカイン1人に対して王国が戦争を仕掛けてきても絶対に家族だけは傷1つつけることさえ許すつもりはなかった。


だがら、国王陛下の言葉に鼻を鳴らして王子の首を折ろうとして、


「お父様、それ以上は絶対に許しません」


ーーーそして再度アリスに止められた。




◇◆◇




アリスの言葉にカインは怒鳴った。

そんなことを言いながら、お前は何度この屑に屈辱を受けることになる、と王子を指差し叫んだ。


「けれども、戦争が起きます」


だが、アリスが折れることはなかった。

そしてそのアリスの態度にカインは目の前が真っ赤になるのを感じた。

どれだけ自分がアリスを大切に思っているのか、それを知らずに、と頭が沸騰した。

だがら、俺が絶対にお前達は守ってみせると怒鳴ってアリスを力づくで引き寄せようとして、


「だったら、アストレア家の人々は助けられるんですか!」


ーーー涙を流しながらそう叫んだアリスの姿に言葉を失った。


そのアリスの滅多にない感情の爆発を目にして、カインは気づいた。

家族だけを考えていた自分と違って、アリスはアストレア家を大切に思っていたことを。


そしてカインは自分を恥じた。


王子を離し、次はないという一言を残して王宮を後にした。

もう、王子が勝手にアリスに手を出すことはないだろう。

だったら自分はアストレア家のことをもう少し考えるべきではないのか。

アリスはもう自分よりも賢く強い。

ならば自分もアリスに誇れるようにならなければ……



そしてそう考えていたカインは知る由もなかった。

賢く強い、それだけでは決して悪意から逃れられないことを。

そして2年後、アリスが18歳になった頃。



自分が、あの時アリスを引きずってでも婚約を取りやめておけば良かったと思うことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る