アサルトファング

七突兵

第1話襲撃

満月の照らす古城の庭園。つる草の這う城壁を背に、女魔道師のラミアはスパークアローの呪文を唱え、隣では妹の神官マリナが必死の結界を張っていた。古さびた城の風雅な庭に咲くふたもとの白百合のごとき姉妹を取り囲むのは、悪夢の底から這い出たような異形の数々。スパークアローの呪文を唱えるラミアの右腕が青白く光り、放たれた電撃の矢が魔物の群れを撃つ。だが、邪悪な呪法に守られた魔物どもには効かなかった。マリナの結界もやすやすと踏み破られて、二人に忌まわしい異形の影が迫る。清楚な白百合の醜悪の手に摘み取られようとする光景に、月の怒りの落ちたかの如く、白銀の輝きが現れた。美しき姉妹を背にかばって、醜悪な魔物どもに敢然と立ち向かうのは、ミスリルアーマーの凛とした輝きを放つ長身の剣士。その手に構えるのは、月光に冴える刃の魔物どもをもたじろがせる神竜のバスターソード。

「おまえは暁のルーンナイト。どうしてここに」

 魔物どもの後ろに隠れていた地獄の魔道師が驚愕の声をあげる。

「この世に悪のある限り、いかに深き闇とても、この暁は現れるのだ」

ううーっ、カッコいいなー

物置のような部屋の窓際で、マユラは机代わりの木箱の上に開いた少年向け冒険小説「暁のルーンナイト」、もう何回読んだかしれないその本の、主人公の登場場面でひとり快哉をあげた。

 ここはユーシア大陸西部、アムール州はナブロン平原にある戸数五百ほどの町だった。となりの町までは数十キロもある陸の孤島のような集落で、まわりには広大な農地が切り拓かれている。都市部をより遠く離れた未開の土地の開拓では、多人数の力が必要となるし、時に凶賊の跳梁する辺境では、小人数が分散して暮すのも不安がある。そのため多くの開拓民は、集まって土地を切り開き町を作る。この町もそのようにして出来た開拓民の町の一つだ。マユラがいるのは、少し傾いて建っている倉庫の二階。隅にほこりをかぶった木箱が積んであるだけの、いたくがらんとした部屋だ。おりしも鳴り渡る鐘の音は、三時限目の始まりを告げる学校の鐘の音であった。

 マユラは冒険小説のヒーローに憧れる、痩せて小柄な少年だった。父親はがっしりした体格の、大柄な黄色人の農夫で、母親は小柄で痩せた白人女だった。父と結婚する前は旅芸人一座の踊り子をしていたそうで、マユラは肌の色と黒い髪、黒い瞳は父親譲りだが、顔立ちや細い体つきは母親似だった。踊り子をしていたという母親は、しかし美人というほどではなく十人並みの器量だったが、酒を飲むと、興行で回った先々で立派な身分の殿方に言い寄られただの、旅芸人一座にいたころの自慢話をした。これが出ると父親は機嫌が悪くなり、決まって夫婦喧嘩となってマユラをうんざりさせた。

「学校さぼってなにやってんだよ」

 ふいの声に、ドキリとしてそちらをみれば、姿颯爽とした少年がいた。

「なんだアッシュか。びくりさせるなよ、親父かと思ったじゃないか」

「学校さぼってこんなことしていたら、いずれ親父さんに知れるぜ」

 アッシュはマユラと同じ十三歳だが、背丈は既に大人並みで、倉庫の二階の低い天井は、ちょっと伸びをすれば頭がつきそうだ。木箱を挟んでマユラの前にあぐらをかく。まばゆいばかりの金髪に、瞳は海の青をたたえ、白い肌の整った顔立ちは大理石の彫像を思わせた。体つきも精悍に、少年武者という言葉がぴったりの凛々しいたたずまいは、女の子たちに絶大な人気のあるのもうなずける。アッシュに比べると、マユラは背も低く、体つきも細いばかりの貧弱な印象で、こちらは女の子の人気はさほどというか、まったく無い。しかし、マユラがなによりうらやましかったのは、容姿などよりもアッシュが腰に差しているショートソードだった。

 町では十八歳にならなければ帯剣できない決まりだが、アッシュの父親は町の自警団の隊長だった。自警団は町の住民の中の戦闘能力のある者で構成され、当番で任務に就いているもの以外は、普段は一般の住人たちと同じように仕事をしている。そしてなにか事が起これば、隊長のもとに全員集まり、町を守るための任務に就くのだ。アッシュの父親は腕を買われて町に招聘された武人で、アッシュも幼い頃から剣術の稽古を受けている。その才能はずば抜けていて、既に自警団の隊員の中にかなうものはなく、町一番の使い手である父親の隊長とも互角に渡り合うほどだ。そして、この世界の武人には必須であるブレイヴの能力も、物心ついたときから自然と覚醒していたのである。

 ブレイヴは魔人(ヴァルム)に対抗するために、神が人間に与えたとされる能力で、ブレイヴを発動させている状態、ブレイヴ体(ボディ)になると、陽炎のような透明の炎、(といってもまったく熱くはないが)の全身より沸き上がり、超人的な機動力を発揮できるようになる。多くの者は魔道師の導きや特別なトレーニングによってブレイヴを覚醒させるが、なかにはアッシュのように、物心つくとともに自然にブレイヴを覚醒させる者もいる。そして勇名を馳せたブレイヴファイターの多くがこのタイプなのだ。町の人たちは、ゆくゆくは立派な武人となって町を守ってくれるようにと、アッシュの将来に期待して、特別に剣を装備することを許していたのだ。

「自分だってさぼってるじゃないか。いま授業中だろ」

「僕は先生の許可を得ているよ。勉強は半年先の分まで済ませているし、剣術の稽古がありますっていったら、早退を許してくれたんだ」

「それってウソだろ」

「ウソじゃないよ。午後から剣術の稽古はするのだから」

 アッシュは堅実の才能はズバ抜けているうえに勉強もできて、颯爽とした美少年で、そのうえブレイヴまで自然覚醒している。マユラからしたらヒーローになるために生まれてきたような男だ。マユラはみてくれからなにからアッシュにくらべるべくもない。背は低いし勉強だってできない。もちろんブレイヴ体にもなれない。周囲からみたらずいぶんかけ離れた二人だが、なぜか幼い頃から馬が合った。優等生のアッシュは劣等生のアッシュを見下すことなどなかったし、マユラもアッシュとは気兼ねなく、卑下することなくつきあえた。

「まったく、こんなものよく読めるな」

マユラからしたら羨ましいぐらいにヒーローに近いアッシュだったが、「暁のルーンナイト」にはなんの興味も示さず、ぱらぱらとめくって目も止めなかった。

「おもしろいもん。ああ、ボクもヒーローになりたいなぁ」

「なに夢みたいなこといってんだよ」

 本でマユラの頭を叩いた。

「痛いなあ」

「来年は親父さんと畑に出るのだろう」

「わかっているよ」

本来なら、もう一年学校に通うところだ。ほかの家の子供たちは、学校が終わったあとや休みの日には家の手伝いをしている。そうやって家の仕事を覚えてゆくのだが、マユラときたら、一度だってそんなことはしたためしがない。家の手伝いもしないで金をくすねては、冒険物の古本を買い、おとぎ話みたいな冒険譚を読みふけり、愚にもつかない妄想やら空想やらにうつつをぬかしている。一人息子のこのありさまを心配した父親は、どうせ見込みのない勉強なら早目に切り上げて、一人前の農夫となるよう、少しでも早くから仕事を仕込んでおくに越したことはないと考えたのだ。

「農夫が嫌いってわけじゃない。親父の仕事だし、僕にはそれしかないってこともわかっている。だけど、なんとなくつまんなくてさ」

「それで学校をさぼったの」

「ここんとこ、勉強する気も起きなくてさ」

「それはいつものことだろう」

遠慮のないつっこみを入れるアッシュだったが、

「マユラなあ、おまえは頑張れば出来るやつだと思うぜ」

 友達甲斐にさとしてみる。

「そういってくれるのはアッシュとおふくろだけだよ。親父も前はそんなこといってたけど、いまじゃすっかり現実を受け入れたって感じだもんね」

 マユラはけろりとしたものである。

「アッシュは騎士学校へゆくの」

 騎士学校はその名の通りナイトを養成する学校だ。帝都プレアディスをはじめとして、主要十数都市に設置されている。アムール州にはなく、カシミール州アガレスのアガレス校が一番近いが、それでも旅客馬車を乗り継ぐなどして十日以上の旅となる。

「試験は受けるさ。それから先は神のみぞ知るだけどね」

 騎士学校に入学することはエリート武官への第一歩であり、入試の倍率高き狭き門なのだ。

「アッシュだったら、きっと合格さ」

「騎士学校の入学試験には、大陸各地から文武に優れた秀才たちが集まってくるのだぜ。こんな田舎で少しぐらい出来たって、どれほどのものでもないさ」

「どんな秀才が相手でも、アッシュだったら負けやしないさ。騎士学校に入って、ルーンナイトにだってなれるさ。その頃にはボクも、たぶん一人前の農夫になっているはずさ」

「騎士学校に入るのさえ大変なのに、ルーンナイトなんて夢のまた夢さ」

 ルーンナイトはナイト職の中の上位クラスだ。

「夢のまた夢でも、夢があってうらやましいよ」

「一人前の農夫になることも立派な夢さ」

「そうかもしれないけど、冒険がないじゃん」

すっかり冒険小説かぶれのマユラに、

「冒険なんて憧れているうちが花、実際にやるとなったら難儀なもんだぜ」

 アッシュはさとすようにいった。

「どうしてそんなことわかるんだよ。キミだって冒険なんかしたことないだろう」

「僕らがやっている剣術はチャンバラごっこじゃないよ。戦いのときの敵を倒す技。つまりは人殺しの技術を磨いているのさ。稽古のときたまに思うんだ。これが実戦だったら、この一振りが誰かの命を奪い、誰かの剣が僕を切り裂くかも知れないってね。キミのいう冒険も、そんな切った張ったの活劇ありが前提なのだろう。活劇は、本で読んだり芝居で観るのは爽快だけど、実際その場に居合わせたら、血は流れ人は死ぬのだから、そりゃあ惨たらしいもんさ。そんな活劇の修羅場に分け入ってゆく冒険などというものは、やってみるまでもなく、そりゃあ難儀なものにちがいないさ」

「そうかもしれないけど・・・・」

 農夫の子のマユラは、剣術の稽古なんてやったことないし、冒険や戦いについて、憧れてはいても深く考えたことはない。アッシュのいうことはもっともだと思うが、冒険小説の世界観は、今のマユラにはお気に入りのオモチャのようなもので、それを壊すような言葉には素直にうなずけなかった。

「その剣、ちょっと触らせてよ」

 アッシュの腰の剣が気になっていたマユラは、ねだるようにいった。

 気やすく他人に触らせるなと父親からはいわれていたが、アッシュはあっさりと剣を抜くとマユラに手渡した。剣は刃渡り五十センチほどのショートソードだ。剣士が主武器とする標準的な剣より二十センチ近く短いが、なんといってもまだ少年なのだから、普通サイズの剣を与えるのは控えられていた。だが、多少短くとも、めったに剣など手にする機会のないマユラには、ずいぶんと迫力あるものに見えた。幅広両刃の肉厚の剣は、白銀の輝きに濁りのないミスリル鍛え。そこに焼かれた刃紋は氷のように冷え冷えして、切れ味の鋭さを窺わせた。

「やっぱり本物はいいな」

 マユラは柄の握り具合や重みを味わいつつ、真剣の輝きに見入った。いつまでも眺めていたいマユラだったが、やがてアッシュに返した。

「ボクが剣を持つことなんて、一生ないだろうな」

 農夫が剣を所持してはいけないということはないが、マユラの父親は生活に必要のないものは一切買わない主義で、家には一本の剣もなかった。

「こんなもの、使わないで済むのなら、それにこしたことはないさ」

 アッシュは剣を鞘に収めた。

 バサッ、羽音が二人の耳を打った。鳩やカラスにしては大きな羽音で、なにげに窓に目をやる二人、

「!!!」

「!!!」

 そこには、ありうべからざる姿があった。

 青銅色の皮膚をして、頭に山羊の角を持つ男。そいつが、骨格に黒い皮膜を張った、コウモリのそれのような翼を大きく広げ、羽ばたいていたのだ。

「ヴァルム」

あまりに思いもかけぬ光景に、マユラは恐れよりも唖然として、その言葉をつぶやいた。

ヴァルム、魔界ヴァルムヘルの住人。つまりは魔人である。マユラの好きなヒーロー小説にも出てくる怪物は、しかしこの世界では、架空の存在ではない。魔界ヴァルムヘルのものどもは常に人類の脅威であった。

 ヴァルムは窓いっぱいに迫り、ガラスが割れて窓枠がはじけとび、奇怪な飛び出す絵本のように、悪夢の姿が日常の平穏を破って襲いかかる。

「うわっ」

 ヴァルムの鉤爪につかまれそうになったマユラだったが、アッシュの剣がこれを退けた。アッシュの全身から陽炎のような波動が沸き立っていた。これがブレイヴである。人間を圧倒する力を備えたヴァルムに対抗するために、神が人間に与えた力。アッシュに腕を切られたヴァルムは悲鳴をあげて退いた。驚きに呆然としていただけのマユラに対し、アッシュは即座にブレイヴ体となってヴァルムの襲撃に対応したのだ。日ごろから訓練されているとはいえ、実戦経験のない少年剣士としては、非凡なまでの迅速の対応であった。

「マユ、逃げろ」

 ブレイヴ体となったアッシュはショートソードを構え、一人でヴァルムに立ち向かう覚悟だ。

「でも」

 マユラは壊れた窓の外のヴァルムへと目をやった。有翼の魔人は、アッシュの剣を受けていったん退いたものの、さほどダメージのない様子で、翼を羽ばたかせて空中にホバーリングしている。ヴァルムは回復力が高く、少々の傷は数時間で痕もなく回復する。アッシュに切られた腕の血はもう泊まり、赤い目が獲物を狙う猛禽のようにこちらを見ていた。 

「いっしょに逃げよう」

「二人そろって背中を見せたら、あの鉤爪に引き裂かれるぜ」

「あんな化け物に勝てるの」

「勝つさ。そのために鍛錬してきたのだからね。アイツを倒すところを見せてやりたいけど、キミは急いで家へ帰ったほうがいい。どうやら町中が大変なようだ」

 危急を告げる鐘が鳴りまくっていた。間延びした学校の鐘とは違うせわしない乱打は、町そのものが金切り声をあげているようだった。

「わかったよ」

 ヴァルムとの戦いに、自分がどれだけの戦力になれる? むしろ足手まといになるだけだ。マユラには、自分の非力がなんとも悔しかった。

「そんな奴、さっさと片付けろよ」

「アイツの鉤爪を切り取って、プレゼントするよ」

 それが本心か、それとも心配させまいとする強がりか分からなかったが、マユラに出来ることは一つだけだ。

「じゃあな」

 いつもの別れのように笑みを見せ、足手まといとならぬよう立ち去るだけだ。マユラは階段を駆け降りながら、死ぬなよと、心の中で叫ばずにはいられなかった。

「さあ、お楽しみを始めようぜ」

 さきほどの自信も、まんざら強がりではなかったようで、一人になったアッシュは、外で羽ばたくヴァルムに向かい不敵の笑みを見せた。

 のんびり草を食べていた牛が突然狼に襲いかかられたかのように、町は少し前までの平穏をかなぐり捨てて狂奔していた。家に駆け込む女子供、武器を手に飛び出す男たち。戦いの号令、ぞっとする咆哮、破壊の物音。火の手があがり、煎られる豆のように逃げまどい転ぶ人々。日常にうんざりして冒険を夢みていたマユラだったが、日常を破って現れたのは、ヒーロー小説の世界ではなく地獄だった。 

身の丈四メートルはありそうな巨人が暴れていた。これもヴァルムで、ヴァルムとはヴァルムヘルに生れし魔人の総称だが、ヴァルムは種族によって大きく姿を変える。倉庫でマユラとアッシュを襲った有翼のヴァルムはガーゴイル。巨人はトロールである。他にも矮小の鬼、ゴブリンの姿も見たが、町を襲っている賊徒の中にヴァルムは数えるほどしかいない。敵の多数を占めているのは同じ人間たちだ。一つだけ違うのは、ブレイヴ体となったその者らの顔には奇妙な紋様が表れていたことだ。ヴァルカン、人間でありながら、人食いの儀式によってヴァルムヘルの神に帰依した邪教徒どもだ。神がヴァルムに立ち向かうために与えたブレイヴの能力を、ヴァルムどものために使用する者どもだ。ヴァルカンは見た目は普通の人間だが、ブレイヴ体になったときのみ、顔に独特の紋様がタトゥーの如く表れてそれと分かる。これを邪紋と呼ぶ。

 ヴァルカンたちは逃げまどう人々を襲い、マユラも何人かがその刃に沈むところを目撃した。

「くそっ」

 悔しいが、今はとにかく家へ、両親のもとへ帰るのだ。

 敵の目にとまらないよう、建物の影に隠れるようにして進んだマユラだったが、ヴァルカンに見つかってしまった。

「小僧、コソコソしたって地獄の口から逃れやしないぜ」

 顔に邪紋を表した男が、ニヤニヤしながら近づいてくる。

 マユラは仲間内ではすばしっこいほうだったが、ブレイヴ体となった相手からはとても逃げおおせるものではない。アッシュがブレイヴ体になれば、駿馬でも追い越す。コイツも、アッシュほどではないにしても、それなりにスピードはあるはずだ。

「ヴァルカンの畜生めが、神罰くらって地獄に落ちやがれ」

 マユラは罵声を浴びせた。

「ヴァルムヘルの神々の偉大さも理解せぬエウレカの豚が、切り刻んでやる」

 ヴァルカンは鉈を長くしたような、ゴツイ蛮刀を振りかざして襲いかかる。ブレイヴ体になると、ブレイヴの波動は足元でエアと呼ばれる揚力の層を形成する。このエアこそがブレイヴ能力者の機動力の源だ。エアが形成された状態をエアを履くというのだが、エアを履けば一歩で数メートル跳ねることができ、走れば馬をも逃がさないのだ。

 ヴァルカンは走り、逃げる間もなくマユラの頭上に躍った。

――ダメだっ――

 目を閉じた瞬間、甲高い金属音が響いた。

 死を覚悟したマユラだったが、何事もなく数秒が過ぎ、恐る恐る目を開くと、そばに壮年の剣士が立っていた。

「あなたは!」

 自警団の隊長であり、アッシュの父親ジム・ハードロックだった。透明な炎のようなフレイヴのゆらめきをまとい、抜き身を片手にヴァルカンを睨みつけていた。彼はマユラが斬られる寸前に飛び込んで、ヴァルカンの刃をはじいたのだった。

[てめぇは」

 ヴァルカンは素早く後退して十数メートルの間合いを取ると、突然現れた敵に警戒した。

「地獄に落ちよ」

 ハードロックはエアを効かせた駿足で飛び出す。想像以上のスピードにヴァルカンはあわてて剣を合わせた。さっきまで弱者をなぶり殺す残忍な余裕をひけらかしていた男が、一転、顔をひきつらせる。刃が噛み合い火花を散らすも、腕の差は歴然だった。ハードロックの剣はヴァルカンを、肩口から胸の半ばまで切り下げた。ヴァルカンはおのれの血潮の中に倒れ、既にブレイヴは消えていたが顔の紋様、邪紋はくっきりと残っていた。ブレイヴ体のとき以外では、死んだ時に邪紋は表れる。ゆえにこれを魂の受領印という。邪神が、魂を受け取った証に残すものといわれているのだ。

「町を出ろ」

 ハードロックは、マユラをふりかえっていった。顔は人を殺した直後の興奮にこわばり、返り血も浴びていた。

「アッシュが一人でヴァルムと戦っています。表通りのボロ倉庫です」

 小さな町のこと、それだけ言えば場所は分かる。

「そうか」

「助けに行ってください」

「戦い方は教えてある。自分の身は自分で守るさ」

「アッシュはボクを逃がすために、一人でヴァルムと戦っているんですよ」

「それが、剣を与えられた者の使命なのだ。いまは、我が子にかまっていられる状況ではない。キミもすぐに町を離れなさい。町の守りを請け負っておきながら、こんなことしか言えないのは情けないが」

 ハードロックはそう言うと、他の助けを求めている人々のもとへと、エアを履いた足で、風のように去っていった。

 命拾いしたマユラは、ふたたび家へと向かった。建物と建物の間から小麦の畑が見える。数百ヘクタールの小麦の穂の海だ。ここは広大なナブロン平原。隣の町まで数十キロあり、一帯を管轄する軍の砦はもっと離れている。いまこのとき、救援の軍勢が駆けつけてくれることなど、奇跡でも起こらぬ限り望めない。

 混乱のるつぼと化した町をゆくマユラだったが、まるで天上から舞い降りたもののように、血生臭いただなかに超然とたたずむ者の姿に、視線は釘づけとなった。

 それは秀麗なる一個の純白。アーマーも白ならその人の肌も白。額に銀のティアラを戴き、しなやかに肩まで流れる髪も真っ白だった。細くすらりとした体に純白のアーマーをまとった美貌は、マユラには男女の区別もつきかねた。人々を助けるために天上より遣わされた光の戦士。ヒーロー小説の挿絵にあるような光景で、奇跡をまのあたりにしたかとも思った。だが、全身雪のように白い中にあって、唇だけが赤く、血の滴るような生々しい笑みに、マユラの胸はざわついたのであった。

「天使様、お助けください」

 ヴァルカンに追われた女が、助けを求めて走り寄る。

 純白の剣士はそれを柔和な笑みで迎え、次の瞬間、腰間より白銀の光を閃かせ、スパっと落ちる剣光のあと、。女の頭より眉間を通り、胴を真一文字に赤い線が引かれる。女は自分の身になにが起きたのかもわからぬまま、赤い線を引いた切断面より、左右二つに分かれ、血と臓物をぶちまけて倒れた。抜く手もみせぬ一刀で人を両断する、凄まじい剣技に、ヴァルカンたちから歓声があがった。

「我らが頭領は、ヴァルムヘルの魔神も一目置く、堕天使ヴィシュヌ様だぞ。恐れおののけ、エウレカの豚ども」

 ヴァルカンが誇るように叫んだ。エウレカの豚とは、英知と人倫の神エウレカの信者を侮蔑する、ヴァルカンどもの言葉である。ヴィシュヌは、剣の血を服って鞘に収めた。あれだけのことをしていながら、返り血などよせつけぬように、その純白には一点染みもなく、挙措によどみもなく、辺りを払うかのよう趣に、ヴァルカンどもはもとより、矮小のゴブリンどもから身の丈四メートルはあるトロールまで、ヴァルムどもも恐れはばかる様子であった。

――ヴィシュヌ――

 マユラは涼しげにたたずむ姿を目に焼きつけながら、その名を胸に刻んだ。

「おのれがヴィシュヌか」

 風を切って駆けつけたのは、アッシュの父ジム・ハードロックだった。陽炎のようなブレイヴの波動を全身より沸きたたせてヴィシュヌに向かい合う。ヴァルカンどもがいろめきたったが、ヴィシュヌは片手をあげて制した。

「堕天使などと吹聴しているが、正体は、悪辣なヴァルカンかダークエルフあたりであろう」

「そう思いたければ、どうぞご随意に」

 ヴィシュヌは、その涼しげな顔に不快のカケラも表さない。

「一対一の勝負を申し込む。私が勝ったら手下どもを引き揚げさせるのだ」

「そんな申し出を受ける理由もないが、いいでしょう。あなたの勇気に免じて受けてあげよう。もっとも、私とあなたとで勝負になるのか、そこは大いに疑問だが」

「その自信過剰が命取りだ」

「いえいえ、これでも至って謙虚のつもりですが」

「ジム・ハードロック」

 ハードロックは、決闘に臨む武者の作法として名乗りをあげた。

「さて、あなた程度の腕で、わたしの記憶に名を残すのは無理かと思うが」

 ヴィシュヌは不遜の言葉を返す。

「ぬかせ」

 ハードロックはエアを蹴って跳び、迅速の剣を浴びせる。十数メートルの距離を跳んで、ヴィシュヌの胴に横薙ぎの剣を送るまで一秒足らず、まさに電光石火の斬撃であた。しかしヴィシュヌは剣も抜かず、跳び退くような慌ただしい動きもみせず、ひらりとした動きで、いともたやすくハードロックの剣をかわした。

 ハードロックはさらに畳みかけるような猛烈な斬撃をヴィシュヌに浴びせる。しかし剣をも抜かず、ひらりひらりとかわすだけのヴィシュヌに、ハードロックの剣は届かない。ヴィシュヌはブレイヴ体になっていない。ブレイヴはヴァルカンも含めたこの世界の人間にだけ備わった能力で、この世界の生態系外の存在であるヴァルムには現すことができない。ハードロックはヴィシュヌをダークエルフとかいっていたが、人間亜種のエルフならダークでもブレイヴは使えるはずだ。ブレイヴ体にならなくても、エアを履いて跳ぶハードロックの目もくらむような連撃に、こうも鮮やかに対応しているところをみると、堕天使という触れ込みが真実かどうかはともかく、ヴィシュヌはこの世界に生を受けたものではないのかもしれない。

 マユラの目には、ハードロックが圧倒しているように映った。ハードロックの剣の前に、ヴィシュヌは腰の剣を抜く間もなく、よけるに精一杯にみえたからだ。だが、実際に肝を焙られるような焦りを感じていたのはハードロックのほうだった。彼とて昔はある大貴族に仕えていて、剣士長の任にあったほどの者なのだ。その彼が、技の限りを尽くして放つ連続の斬撃が、完璧に見切られているのだ。ハードロックのの剣はわずか数センチヴィシュヌに届かず、しかしその数センチが、詰めることのできない絶対の懸隔としてあった。一目みたときから強敵だとは感じていたが、ハードロックも大貴族の家来でいた頃は、使い手としてそれなり名が通っていたほどの者だ。その自負もあり、なんとか戦えるかと思っていたが、これほどの力の差を思い知らされるとは。ハードロックは剣を振るいながらも、ヴィシュヌが指を折るほどにも容易く、自分の命を取れることを悟っていた。だが、彼の闘志は最後まで折れなかった。

「そこまでだ」

 ヴィシュヌの顔が目の前にあり、エアで跳んでいたアッシュは動きを止め、二人は挨拶をかわすもののように向かい合った。

「退屈だったよ。だが、あなたの勇気に敬意を表して、少し長めにつきあってあげました」

 美形には悪意のカケラもなく、ちょっと気の毒そうな表情すらみせる。そしていつの間に抜いたのか、彼の剣はハードロックの胸を貫き、切っ先が背中を突き抜けていた。

ぐふっ、ハードロックはなにか言おうとしたが、こみあげる血に言葉にならなかった。

――たやすく、まるでゆで卵に串を通すみたいに、たやすく仕留められてしまった――

 痙攣の中、脳裏にそんなつぶやきがよぎり、薄れゆく意識にアッシュの顔が浮かんだ。アッシュ・・・・息子の名を呼びつつ、一切の意識は冥府の闇に呑まれて去った。

「そんな、アッシュの父さんがやられるなんて」

この町しか知らないマユラにとって、自警団の隊長であるアッシュの父親は最強の人物だった。いや、マユラだけでなく、町のみんなが頼りにしていたその人が倒されたとなると、もう、町を守ってくれる人はいない。自警団の隊員が残っていたとしても頼りにできない。アッシュのことを考えると気の毒だったが、今は急いで両親と合流して、町から逃げ出すしかない。アッシュの無事を祈りつつマユラは家へと走った。

 息せき切って走ったマユラの足が、家の経つ通りに出て止まった。粗末な家の建ち並ぶ通りの、マユラの家の前あたりで、一人の男がクワを振り回して戦っていた。父だった。頑丈そうな体の太い手足は、これまでずっと大地を相手に戦ってきたものだ。その父がいま、剣や槍を持つヴァルカンどもを相手に戦っている。がむしゃらにクワを振り回す姿は、アッシュの父親のように格好の良いものではなかったが、マユラの胸に熱いものがこみあげてきた。両親に対する鬱陶しさは消えて、ボクはこの人の子で、これからずっといっしょに畑仕事をして作物を育て、父に負けない一人前の農夫になるのだ。胸が張り裂けるほどにそう思った。

「父さん」

 マユラの声に父は振り返り、

「来るな、逃げろ」

 クワを振り回しながら叫び返す。その背後をヴァルカンの剣が襲った。血しぶきがあがって、頑強な体がよろめく。

「父さん」

「マユラ」

 声をしぼって息子の名を呼び返す。その腹に槍が突き入れられ、大地と戦ってきた男は倒れたのであった。

「ヴァルカンのクソ虫どもが、よくも親父を」

 怒り狂ったマユラは、そばに落ちていた棒きれを拾った。五六十センチほどの棒は、剣や槍に対しては武器とも呼べぬ代物だが、怒りに割れを失ったマユラはそんなことお構いなしだ。父を手にかけたヴァルカンどもを殴り殺すことしか頭にない。棒を手に走り出すマユラの前を大きな影が遮った。見上げれば山の如き巨人である。身の丈は四メートルを超え、マユラたちがいた倉庫ぐらいの高さはあったかもしれない。牛を一頭丸ごと収められそうな胴体に、ビヤ樽より一回り太い手足。なにからなにまで人の規格を大きく超えた巨体は、異界ヴァルムヘルの巨人種トロールである。青銅色み皮膚は堅そうで、白砂利のような歯の並ぶ口は、馬の首だって噛みちきりそうだ。トロールは、その手足よりも太い、家も一撃で叩き潰せそうな棍棒を持っていて、人間ならば運ぶのも十数人がかりとなりそうそれを軽々と構え、マユラを見てニヤリと笑った。怒りに我を忘れたマユラだったが、圧倒的な脅威をまのあたりにして、さすがに立ちすくんでしまった。次の瞬間、トロールは棍棒をフルスイングした。巨大な棍棒は風を唸らせ、家をも木端微塵にしてしまう一撃がマユラを打った。体の破裂するような衝撃にマユラの意識はかき消え、小さな体は体はジャストミートされたボールのようにふっとんで、十数メートルも離れた民家の窓を突き破った。

「一発でミンチだぜ」

 異界の巨人はヴァルカンどもを見下し、会心の一撃を自慢した。

「マユ、無事でいてくれるといいけど」

 アッシュは、剣の血を払って鞘に納めながら、供の無事を祈った。その足元には、有翼のヴァルムの死体があった。激しい戦いとなったが、なんとか仕留めることができた。相手を少年と見くびって、翼を活かせない屋内に入り込んだガーゴイルの油断もあったが、一人前の剣士でも難敵となるヴァルムを、初めての戦闘で討ち取るアッシュの才能は、やはり非凡のものと言えよう。

 外に出ると、平和な日常は踏みにじられて、無辜の人々の倒れ、凶悪の賊徒の跳梁する有り様にアッシュは憤った。だが、非常のときほど冷静でなくてはならないと父に教えられている。怒りは抑え、まずは父に会わねばと思った。自警団の隊長である父の指揮のもとに、一人でも多くの人を救うため、最善を尽くさねばならない。

 敵を警戒しながら町を行くアッシュは、ブレイヴ体にはなっていない。ブレイヴ体は無制限になっていられるものではなく、その時間はキャパシティによって決まる。ブレイヴの能力者は、重さも形もない燃料タンクを装備していると思えばいい。この燃料タンクは、鍛錬や実戦経験により容量を大きくしてゆく。アッシュは才能はあるが少年だし、実戦もさっきのガーゴイル戦だけだ。経験値はそんなになく、キャパシティもそんなに大きくない。才能とブレイヴ体での各種スペックは別物で、そこは、経験値を積み重ねなければどうにもならないところなのだ。アッシュが連続してブレイヴ体でいられるのは一時間ぐらい。それも、ガーゴイルとの戦いで相当減っているから、ブレイヴの無駄な発現、ブレイヴエナジーの不要な消費は控えねばならない。しかし、即時のブレイヴの発現、即応力には自信のあるアッシュだった。

 歩いていると、建物の影で泣いている女の子を見つけた。

「ローラじゃないか。一人でどうしたの」

 こんな小さな町だ、子供は全員顔見知りだ。

「アッシュお兄ちゃん」

 ローラは闇夜に明かりをみつけたように、アッシュに抱きついた。

「家族はどうしたの。お父さんやお母さんは」

「わからないわ」

 ローラは六歳。デニムのオーバーオールにはチューリップのアップリケ。ボロクズのような人形を抱いて、涙に汚れた顔がなんともいたいけだ。

「そうか。とにかくここは危険だ。安全なところに連れてってあげる」

「うん」

 アッシュの差し出す手をローラは握った。アッシュは町の子供たちのリーダーで、みんなから頼られていたが、いまのローラには殊に頼もしく見えた。

アッシュはローラを後ろにかばい、剣の柄に手をかけたまま慎重に進む。その姿はかよわき者の守護者たらんとする気概に満ちていた。あたりには死体も転がっていて、幼い子には足がすくむほどに怖いだろうに、ローラは泣きもせず、立ち止まることもなくついてくる。その健気さを思うと、アッシュは、なんとしてもこの子だけは救わねばならぬと、胸に誓わずにいられない。

 それにしても、想像以上の町の惨状に、ここは一旦、町を離れたほうが良いのではないかとアッシュは考えた。父に会いたくはあったが、幼い子を連れてこの状況を行くのは危険すぎた。ひとまずローラを安全な場所に連れて行って、それから父と合流しよう。そんなことを考えながら歩いていたアッシュは、突然目の前に現れた純白の麗姿に、一瞬、この非常の時も忘れ、魅入られたように唖然とした。

 すらりとした体は雪のように白く、その身を鎧うアーマーも、肩まで流れる髪も真っ白だった。その容姿は絵の中から現れ出たような抜群の美形で、この血なまぐさい状況の中で、神々しさすらまとうかであった。

「やあ」

 気さくに声をかけられ、

「こんにちは」

 アッシュ緊迫の状況も忘れて答えた。美しさに見とれながら、何者だろうと考えていると、背中にしがみつかれて振り返った。アッシュに抱きつきながらも、純白の麗人を見上げるローラの幼い瞳は、もののけにでも遭ったかのように、ひどく怯えていた。、

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