巻の五「妖寺」

第38話「本領」

 翌日。

 南市が開門してしばらく、人混みを連れ立っていく三人の姿があった。のどかな晴天である。

「あーあ、こんなにすぐまた行くハメになるとは。一ヶ月は恩人扱いしてもらうべきだったな」

「あれだけご馳走になったんですから、それはないですよ師兄」

「おまえは本当にデキた師弟おとうとだよ」

 気の抜けた笑みを隣に向けたのは琉樹である。隣にはもちろんのこと珪成がいる。

「――それにしても」

 僅かに声を低くした琉樹が反対隣に首を巡らせた。

「なんだって小妹が来ないんだ。よりによってこんなときに」

 向けられた鋭すぎる視線をかわすように志均は露店に目を流しながら、

「隣の荘小姐おじょうさまと、かねてから約束があったというのですから仕方ないでしょう」

「どうせ一緒に刺繍をするとか本を読むとかなんだろ。日を改めてもいい話じゃないか」

「……」  

 志均は首を巡らせて冷えた目を隣に向けると、これみよがしにはあっとため息をつき、

「それでなくても楓花はこちらに知り合いが少ないのですから、仲良くしていただける方とは仲良くしているのがいいんですよ」

「意外。もっと過保護にしてるかと思ってた」

「――あなたには言われたくないですね」

「なんだそれ?」

「お二人とも見てください! 店先に行列がありません、運がいいですね僕たち!」

 声を張り上げた珪成はささっと二人の後ろに回り、「さあ急がないと」言いながら二人の背中を押した。

 押し込まれるように琉樹が入り口を潜ると、「いらっしゃいませ!」威勢よく出てきた老板てんしゅが、にこやかな表情を一転させた。

「これはまた――いらっしゃいまし」

 隠しようもなく怪訝な表情である。「まさか、またに来たのか?」と危惧しているのは明らかだった。声も随分と暗い。

 そこへ、兄弟の間を割って前に進み出たのは笑顔の志均である。

「お忙しいところ大変失礼致します老板。先日は我が家人が大層お世話になりましたそうで、誠にありがとうございました」

 滑らかにそう言って、丁寧にお辞儀をする。とたんに老板は恐縮しきったように何度も首を振り、

「と、とんでもございません。そちらのお二人は店の恩人でございますから。わざわざお礼に来ていただき、こちらこそありがとうございます」

 さすがは商売人、戸惑いを滲ませながらも一息にそう言って、深々と頭を下げた。そして僅かばかりの空席がある店内を示し、

「立ち話もなんですから、どうぞ」

「それはありがとうございます。この二人からこちらの店が素晴らしいと聞き及び、私自身もお伺いしたいと思い参りました。それでは、お薦めの茶を三つ頂けますか? もちろん代価はお支払いします」

「さようでございますか……。そうそう、昨日新茶の西湖龍井が僅かばかり入りましてね」

 老板のもったいぶった言葉に志均は大仰に驚き、

「それは素晴らしい、まさか四絶の明前を賞味できるとは思ってもみませんでした。ではそれをいただきましょうか」

 柔らかな志均の返答に、怪訝そうだった老板の表情がみるみる明るいものに変わった。

 老板は深々と頭を下げると、

「ありがとうございます! では早速」

 軽やかに身を返し、通りかかった女童に席の用意を言いつけると、たちまちその場を去っていった。

「ではこちらへ」

 彼女が案内しようというのは、先日通された二階席のようである。階段に足をかけた女童に続く志均の数歩後に兄弟は並んで続く。

 そこで珪成が僅かに身を寄せ、こそっと琉樹に尋ねた。「師兄、四絶ってなんですか?」

「ああ、確か色・香・味・形が絶品の茶のことを指すって聞いたことがあるぞ」

「じゃあ明前って何ですか?」

「それは春分から清明節までの二週間のうちに摘まれた茶で、超希少品、つまり超高級品な。ついでに言っとくと西湖龍井は緑茶の最高峰と言われてる、と聞いた」

「そうなんですか、さすがは師兄。僕、お二人が言ってることがぜんっぜん分からなくって」

「あれは外国語みたいなもんだ。所詮は金持ちの道楽、気にすんな――ってなんだよ、いきなり立ち止まるな。危ないだろ!」

 抗議の声を上げた琉樹の鼻先に、数段先を行っていたはずの志均の背があった。

彼は肩越しゆっくりと振り返って、

「なに、真後ろで人の悪口を言ってるんですか。聞こえよがしに」

「どこも悪口じゃない。事実を言っただけ。細かいこと気にしてばっかりいるとハゲるぞ――ほらほら、上で彼女が待ってるじゃないか、早く上がれよ」

 言うなり琉樹は志均の背を押して階段を駆けあがらせた。

 案内されたのは、先日と同じく二階席奥の角席である。賑わう南市の様子をよく見渡せるところだ。

「それではしばしお待ちくださいませ」

 これまたかわいらしい女童はそう言って頭を下げると、その場を立ち去った。その姿が見えなくなると、珪成は辺りに目を配りながら身を乗り出し、

「医生、春麗さんにどう説明するんですか? 張青さんの大借銭の本当の理由はもちろんですけれど――」

「まだ推測の域を出ない話もありますし、今日のところはあたりさわりのない話にしておきましょう。様子見というところで」

「ここでうまく話しておかないと、また小妹を訪ねてくるかもしれないし。あいつは立ち回りがうまくないから、そこからバレたら諸々面倒――」

 琉樹が口を噤んだ。茶器一式を載せたぼんを捧げ持った女童と老板が現れたたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る