第30話「激昂」
「いや、そうとしか思えぬな。でなければ、この男まで連れて出る必要はない。女に、言うとおりにするからこの男を自由にしてやってくれとでも言われたか。なんとまあ、けなげな話だ」
ガチャンと磁器がぶつかった音の一瞬後、それが割れる音。どちらからともなく手が離れた。
志均が立ち上がっていた。
「でたらめを! 彼は私の友人で彼女の義兄です。共に連れて出ること、何ら不思議はございません」
「ほお、そうなのか?」
妙に甲高い、間延びした声が問う。
「ええ。彼は私の友人です。――おい」
正面に対して短く答えると、琉樹は首を巡らして、少し大きな声で呼びかけた。それが『落ち着け』と諭す声であることは、楓花には分かった。
「かつての
男はゆっくり立ち上がり、志均を下から覗き込む。そうして薄い唇に感情のない笑みを刻むと、
「お前は父のようにはなりたくはない、と言って家を出て行った。だが実際はどうだ? 私に言わせれば、お前ほど父に似ている兄弟は、他には居らぬわ」
「……。はは」
突然、渇いた笑い声が上がった。声はひとしきり続き、
「――なるほど、そんなに私にお会いになりたいんですね。そういうことでしたら、いつでもお伺い致しますよ。永寧まで」
志均のその言葉に、男はたちまち顔色を失い、
「約束が違うじゃないか。お前は二度と戻らぬと、申したはずだ」
押し殺した声が早口に言う。志均はにわかに表情を収め、
「ええ申しました。『二度とお会い致しません』と。先に約を違えたのは、あなただ」
そうして滑らかに腕を上げ、
「お帰りを」
男が現れた亭台の入り口を指さした。
「……」
あからさまな不満を滲ませた沈黙が落ちることしばらく。衣擦れの音がして、足音が遠ざかっていく。
琉樹に合図され、楓花は珪成の手を借りて立ち上がる。目の先に、階段口に立ち尽くす志均の後姿があった。
「二度と来るな」
聞いたこともない低い声が、苛立ちも露わにそう吐き捨てる。
「来ねえよ、あそこまで言われれば」
そう言う琉樹は、足元にしゃがみこんで、散らばった茶碗を片付けていた。
楓花は慌てて欄干を跨ごうとしたけれど、目の前には志均がいる。何てはしたない真似を! という養父母の叫びが耳に聞こえた気がして、思い止まった。隣の珪成も欄干に両手をかけたけれど、琉樹の「小妹についていろ」という言を思い出したのか、楓花を残して勝手には動けないと判断したらしく、やはりその場に立ったままだ。
割れた茶碗が触れ合う音に気づいて、志均が振り返った。
「そのままでいいです。私がやりますから」
「いいよ別に、これくらい」
「だから! そういうことをしなくていいと言っている!」
志均の余りの剣幕に、楓花と珪成は揃って息を呑んだ
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