第79話《隠神様》-14-


 俺の名前は飯田カズヨシ。

 ローンの支払いが一〇年ちょっと残っている愛車のランクルが、なす術なくスライムのバケモノに喰われる様を傍観している三六歳の高校教師だ。

 ちくしょう。

 まだ二年しか乗ってないのに。

 どうしてこんなことに。

 って。

 悠長に悔しがっている場合ではない。

 アスファルトの地面に手をつき、ふらつく頭を手で支えながら俺は立ち上がった。

 頭がくらくらする。

 物が二重に見えるし、吐き気もする。

 くそ。

 体が鉛みたいに重い。

 動けこの野郎。

 俺は自分の体に喝を入れ、車から投げ出されたハツナを探した。


「縺薙?繧ッ繧ス◯×ソ繝ウ繧ォ繧ケ莠コ髢薙←繧谿コ縺△繧?k? 繝溘Φ繝△励※鬟溘▲縺ヲ繧?k繝懊◻︎せ縺ゥ繧ゅ′縺?シ」


 意味不明な怪鳥音が夜の山に轟いた。

 それと同時に。

 スライムのバケモノが、九〇〇万だったのを八〇〇万まで値切り交渉して買ったランクルをすっぽり包み込んだ。

 まるで巨大な葛餅。

 二年しか乗っていない我が愛車が、半透明なスライムの体内に取り込まれて、ぷかぷか浮いているのが目に見えてわかる。

 その対面に。

 ハツナが立っていた。


「行かなくちゃ……」


 虚ろな眼で、ぶつぶつと何か独り言をつぶやいている。

 すると。

 何を思い立ったのか、ハツナはスライムのバケモノに向かって吸い込まれるように歩を進め始めた。


「ば! ばかやろう!」


 気がつけば、俺はその場から駆け出し、ハツナにタックルをかけていた。

 勢いあまって二人の体はアスファルトの上を転がり、ガードレールに背中から激突した。


「何考えてるんだお前!」


 起き上がり、怒鳴った瞬間。

 俺はぎょっとなった。

 ハツナの顔の左半分が。

 骨と筋肉がむき出しになっている。

 しかも。

 むき出しになった顔の筋肉の表面の覆うように、おびただしい数の白い物体がうねうねと蠢いている。

 おい、これ。

 蛆虫?

 え?

 どういうことだ。

 まさか。

 さっきのスライムのバケモノに喰われてしまってこうなったのか?

 いや。

 にしても、おかしいぞ。

 たしかハエは卵から孵って蛆に成長するまで最低でも『一日』はかかると聞いたことがある。

 こんなものの数分で孵化することなんて。

 ありえることなのか?


「行かなくちゃ……行かなくちゃ」


 ハツナは地面に手をついて、立ち上がろうとする。

 ハツナの顔半分から、ぼたぼたと血と蛆が滴り落ちた。


「おい! 小島! しっかりしろ!」


 俺はハツナの肩を掴んだ。

 ハツナの眼は虚ろで、ぶつぶつと「行かなくちゃ」と同じ言葉を繰り返しつぶやいている。

 ダメだ。

 ショックがでかすぎて正気を失っている。


「×××××?????△△△◯◯×××△‼︎‼︎‼︎‼︎」


 謎の奇声と共に、スライムのバケモノが動いた。

 表皮のあっちこっちに、大小様々なコブのような膨らみができたり萎んだりを繰り返している。

 まるで沸騰だ。

 水が百度に熱せられた時のように、スライムの表皮全部が激しく沸騰している。

 瞬間。

 スライムの表皮から、無数の棘が生えた。

 ……違う。

 棘じゃない。

 棘のように細いが。

 よく見ると、先端が枝分かれしている。

 あれは。

 『触手』だ。


 めきょめきょめきょ。


 スライムに取り込まれた俺の愛車、まだあれで海釣りに行ったのは三回くらいしかないランクルが、アルミ缶を潰すかのようにあっという間にぺしゃんこになった。

 ランクル……。

 ショックで言葉を失った。

 刹那。

 どんっと地面が大きく揺れた。

 スライムのバケモノの無数の触手。

 その無数の触手が、への字に折れ曲り、アスファルトの地面に突き刺さっていた。

 あれは触手だと、さっきまで俺は思った。

 アスファルトに触手を突き刺す光景を目の当たりにし、初めて気づいた。

 わかった。

 脚だ。

 移動手段の『歩脚』だな。多分。

 ん?

 え?

 あ。

 やばっ。

 逃げないと、これ死ぬパターンか?

 そう考える前に。

 気がついた時には。

 俺の体は、ハツナを背中に背負ってその場から全力で遁走していた。


「縺薙?繧ッ繧ス◯×ソ繝ウ繧ォ繧ケ莠コ髢薙←繧谿コ縺△繧?k? 繝溘Φ繝△励※鬟溘▲縺ヲ繧?k繝懊せ×縺ゥ繧ゅ′縺?シ」

 

 俺は振り返らず、真っ直ぐ走った。

 背後から轟く謎の奇声音が俺にプレッシャーをかける。

 逃げろ。

 どこに逃げるかなんてわからないけど。

 とにかく、逃げるしかない。


「縺薙?繧ッ繧ス◯×ソ繝ウ繧ォ繧ケ莠コ髢薙←繧谿コ縺△繧?k? 繝溘Φ繝△励※鬟溘▲縺ヲ繧?k‼︎‼︎‼︎‼︎」


 夜の山道にバケモノの咆哮が轟く。

 叫びたいのは俺もだ、くそったれが。

 腹の中で悪態を吐きつつ、俺は光のない林の中にハツナを背負って逃げ込んだ。


 続く

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