第72話《隠神様》-07-
あたしの名前は小島ハツナ。
物陰に隠れてチヒロたちの怪しげな会合に聞き耳を立てていたところを、誰かに肩を叩かれて声を上げてしまったマヌケな高校一年生だ。
「何やってるんだお前」
振り返ると。
イイダが呆れた顔で立っていた。
チヒロたちの会話を聞き取ろうと集中していたせいか、恥ずかしいくらいでかい声で「きゃあ!」っと叫んでしまった。
「せ、先生! 驚かせないでください!」
「なにが?」
下駄箱を見ると、チヒロたちの姿はなくなっていた。
しまった。
こちらの存在がばれて逃げられたか。
「もうバスなくなるぞ。さっさと帰れ」
突き放すようにイイダはあたしにつげた。
あたしは腕時計を見た。
ここからバス停まで、全力で走れば一〇分で着く。
最終バスは4時45分。
今は4時42分。
うん。
ダメだな、これ。
「いっとくが送らねぇぞ」
きっぱりとイイダは断った。
まだ何も言ってないのに、早いなこの人。
「あの、でも先生」
「お前、前の学校でサッカー部だったんだろ? 今から全力で走れば間に合うよ。バス停までなら」
彼方から車のクラクションが鳴り響いた。
砂利道の上をタイヤが走る音も聞こえた。
「……」
「……」
「……最終バスですね。たぶん」
「違うだろ」
「だと、いいんですけど。もしそうだったらどうします?」
イイダは頭を抱えた。
「先生。あたしに気を遣わなくていいですよ。近くのホテルさえ紹介してくれれば、それでいいです」
「あるわけねぇだろ、こんなど田舎に」
肩を落とし、「ったく」と、イイダはぼやく。
「しゃーない。ただし、村の入り口までだからな」
「家までじゃないんですか?」
「刑部の家は苦手なんだよ。あのばあさん、誰彼構わず説教垂れるからな」
ああ、それは同意。
「わかりました。それでお願いします」
あたしは頭を下げる。と、イイダはこれみよがしに大きなため息をついた。
よっぽど嫌なんだな。
あたしを車に乗せるのが。
それがわかった。
「感謝しろよ。こんなこと滅多にしないんだからな、俺は」
イイダの車に乗せてもらってから最初の数分、恩着せがましくイイダはあたしに何度も同じセリフを吐いた。
イイダの車は、山道を走るのに適したジープみたいな大型車だった。
ローンを一〇年払いにして買ったらしく、新車で基本的には自分の趣味のドライブのために買ったらしい。
基本、自分が乗って運転するために買った車だから、人を乗せるという選択はない。と、イイダはいった。
「へぇ、そうなんですね」
あたしはテキトーに相槌を打った。
だからどうした。
と、いいたい。
いいたいが。
車で送ってもらっている以上、文句をいう立場じゃないのはわかっているから、あたしは黙って愛想笑いだけした。
「……刑部の家とはどういう関係なんだ」
陽がすっかり暮れた山道。
車のハイビームで照らされたアスファルト以外、真っ暗闇がどこまでも続いている坂を下っている中、イイダは訊ねてきた。
「遠い親戚です」
「ウソをつけ。違うことはとっくに知ってるんだ」
イイダはまっすぐ前を見て運転している。
真剣な表情だった。
「事情があって、今はお世話になってます」
「なんの事情だ」
あたしは答えなかった。
答えたところでわかるはずがない。
そう思った。
気まずい沈黙がしばらく続いた。
「まぁ、いいさ。話したくなかったらそれでいいよ」
「先生は、ずっとここで先生を?」
「いや。前は大学で研究職をしていたんだ」
「へぇ、そうなんですか」
「お前、民俗学ってわかるか?」
一瞬、どきっとした。
おじいちゃんが専門にしていた仕事だ。
ただの偶然だけど、ちょっと驚いてしまった。
「知らないならいいさ。その分野の研究をしていただけだ」
「あの、先生。小島タカノリって知ってますか? 民俗学の世界だと有名だって聞いたんですけど」
ルームミラー越しに、イイダが「え」と口の形を作っているのが映った。
「お前、小島先生を知ってるのか?」
「あたしの祖父です」
ききっ。
急ブレーキを踏まれ、がくんと体が前後に揺れた。
「小島先生のお孫さん……お前が?」
シートベルトに首を締め付けられ、あたしは咽せる。
その間。
イイダは信じられないといった顔であたしを見つめていた。
「家の廊下にうんこ漏らしたことがあるっていうあのお孫さん?」
「そ、それは……」
「じゃ、スーパーでうんこ漏らしたのもか?」
あたしは答えなかった。
恥ずかしさで顔が熱くなっている。
思い出したくない過去のトラウマが一気に蘇る。
あのジジイ。
人に話してたのかよ。
「そうか……お前が小島先生の。先生どうしてる? 元気か?」
「亡くなりました」
イイダは前に向き直った。
下唇を軽く噛み、鼻から息を吐く。
しばらくイイダは黙り込んだ。
「すまんかったな」
「いえ、先生が謝ることでは……」
どんっ。
車に何かがぶつかった。
あたしとイイダは助手席側の窓に振り返った。
誰かが立っていた。
見覚えのある顔だった。
「若菜?」
イイダがつぶやく。
必死の形相でチヒロが窓ガラスを両手で叩いている。
「助けて! 《隠神様》が! 《隠神様》が! 来る! こっちに来る!」
続く
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