3話 お情けを下さい。
「何から何まですみません」
一週間分の食料とその他、旅に必要な道具を揃えて貰った朔は恐縮そうに頭を下げた。
「いえいえ。本来なら私たちイアンパヌが解決すべき事ですのに、何もお役に立てませんでしたのでこれくらいは……」
「そんな! 死にかけだったところを助けて貰っただけでも、返せないほどの恩だっていうのに……」
「恩返しなんて必要ありませんよ。キサラギさんはカムイなのですから」
「……むぅ」
ここ数日で幾度となく繰り返されて来たやり取りに、朔は小さく唸った。
確かに朔は異世界の住人であるが、神などと言われる存在では無い。しかしリウたちにとって朔が流れて来た川は特別なものであり、何度言っても朔は人の衣服(にくたい)をまとったカムイだと信じて疑わないのだ。
「それよりも、人間の町に行く時は偽名を使った方がいいかも知れません」
「それはどうして?」
「普通の人間は家名を持っていないからです。余計なトラブルを招きたくなければキサラギという名前は名乗らない方が無難だと思います」
「だったら朔、とだけ名乗ればいいですかね?」
「……いえ、サクという響きは珍しいため、キサラギさんが仰っていたように目立ちたくないのであれば、サクという名前も極力避けるべきかと」
「偽名か……」
真っ先に田中 太郎という言葉が浮かんだが、速攻で破棄する。
朔は今まで生きていた中でこんな名前だったら格好良かったのに、と思っていた名前をいくつか思い浮かべてみた。しかしそれを呼ばれる自分の姿を想像するとあんまり似合わなかったため、それらの案も同様に破棄する。
「私はカムイ、でいいと思いますよ」
「……うーん」
カムイ、つまり神。その言葉はイアンパヌの人たちの言葉であり、人間たちにとって違和感は無いらしい。イアンパヌの人たちにカムイと名乗れば相手は何か思う事があるかも知れないが、他の人間や獣人には関係無いらしい。
(それに不本意ではあるけど、呼ばれ慣れたしなぁ)
当たり前だがイアンパヌはリウとハルの二人だけではなく、ここの近くだけでも数十人は住んでいる。その人たちが皆、朔の事をカムイ様と呼ぶのだからすっかり慣れてしまった。
「そうですね……じゃあ、これからはカムイと名乗る事にします」
朔、改めてカムイは異世界でただの『カムイ』として生きる決意を固め、天幕の外に出た。
おかしくない名前が決まったところで、見知らぬ世界で一人生きて行くのは不安だ。しかしカムイは結菜と愛梨のためにも元の世界に戻る必要があった。
(まあ海外旅行だと思えばいいか。日本語が通じるだけ大分マシだ)
「あ、カムイ様。出発ですか?」
「ええ。お世話になりました」
外に出るとリウたちと同じイアンパヌの人たちが見送りに来てくれていた。
彼らは不要な狩りが最終的に自分たちを苦しめると知っているため、蓄えは最低限のものだ。そのため一人とは言えカムイが来た事による唐突な出費は大きかったはずだが、それでも誰一人嫌そうな顔せずカムイを迎えてくれた。
もちろん朔(カムイ)が神(カムイ)だと思われているのも理由の一つだが、見知らぬ人間にそう簡単に良く出来るものでは無い。
「短い間でしたがありがとうございました」
本当に極僅かな時間ではあったが、万感の思いを込めてカムイは頭を下げた。
「それではリウさん、ハル、このお礼は何れ」
名前を出しておきながら見送りの列にハルの姿は無いが、カムイはファーストコンタクトがあれだしな……と諦める。
そして最も近い人間の街であるエルサレムを目指し、カムイは一歩踏み出した。
だがその歩みはリウに止められる。
「カムイさん、少し待って下さい」
振り返るとそこには、カムイ同様に旅支度を整えたハルの姿があった。
「リウさん……」
その意味を理解したカムイは咎めるような目でリウを見た。リウはカムイの旅の共としてハルを連れて行けと言うつもりなのだろう。
「カムイさん、ハルを連れて行って下さいませんか?」
「……お言葉は有り難いですけど、ここまでしていただいてさらになんて……」
「いえ、これはイアンパヌの儀式なのです」
「儀式?」
「ええ。可愛い子には旅をさせろと言いますでしょう? それと同じでイアンパヌにも、齢十二になると成人の儀式として旅に出させるのです」
リウは微笑んでいる。カムイが他の人間に顔を向けると、誰も視線を合わせる事はしなかった。
(ぜってー嘘だろ)
「しかし姉として一人旅は心配なのですが、もしもカムイさんが一緒であれば安心だと思ったわけなのです…………駄目、でしょうか?」
「……ぅ」
リウのような美人に上目遣いに懇願されて、否と言える男が果たしてどれだけいるのだろうか。少なくともカムイは断る事が出来なかった。
ここでリウが道中危険だからと言えば、渡された武器ーーイアンパヌ刀と呼ばれる刀と同じ物ーーを指し示し、料理が……と言えば新月食堂で磨いた技が炸裂したであろう。
だがこの短い間でカムイの性格を把握したのかその逆の方法を用い、見事カムイは追い詰められた。
「……ハル本人が嫌じゃなければ、俺は構いません」
「本当ですか!? ありがとうございます! ……ほら、ハルも」
「……カムイ様の足を引っ張らないよう精進致しますので、どうかよろしくお願い致します」
死んだ魚のような目でハルは頭を下げる。どう見ても嫌そうだが、それを指摘したところでハルは誤摩化すだろう。
(……ハルを連れて行くか連れて行かないかじゃなくて、関係の修復を優先的に考えるべきか)
「ははは……よろしく」
引き攣った笑顔を浮かべながら、カムイはハルの手を握った。
「疲れてないか?」
「……問題ありません。獣人は人間よりも身体能力に優れていますので」
「そ、そう」
純然たる善意を悪意で返されれば流石に思うところが無いわけでも無いが、自業自得だと無理やり思い込んで諦める。
(嫌われてるなー……まあ自業自得だから仕方がないけど、やっぱり少しくらいは友好的でもーーーーん?)
刺すような気配を感じ、カムイは足を止めた。
「休息ですかーーーーきゃっ」
何事かと足を止めるハルを抱き寄せ、近くにあった木の幹に身体を隠す。
「静かに。何かいる」
「何かって、気配察知には何も……」
起き上がろうとするハルの頭と口を押さえ、息を潜める。疑わしそうにこちらを見るハルは視線で黙殺し、到底人間とは思えない気配を発する存在の方へ意識を向ける。
(……何だあれは……鬼か?)
緑色の小さな物体が歩いて来る。その頭には小さな角が生えており、ぼろ布を腰に巻いていた。
(川上からどんぶらこと流されて来た俺は、その森で小鬼と出会ったのでした……桃太郎亜種かな?)
あらゆる物語で、某ゲームで言うスライムのような扱いをされるゴブリンだが、この世界での実力が分からない以上油断は禁物だ。
「……ハル、あれは?」
「穢神(パコロカムイ)です。人間は魔物と呼んでいるみたいですね。あれはその中でも下位にあたるゴブリンです」
こちらでもゴブリンという名称でいいらしい。それに下位であるなら、カムイの敵ではない。
無論下位と言われても尋常じゃない強さの可能性もあるが、人間と比べておかしな雰囲気であったために警戒しただけで、その強さは大したものじゃないと分かる。
「見た通りの雑魚というわけか」
「ええ。消しましょうか?」
「いやいい。無駄な狩りはしないんだろ?」
「それは神(カムイ)のみです。パコロカムイはこの世界の理を乱す存在ですので、積極的に殺すべきです」
「……ふむ」
イアンパヌの法に照らし合わせれば、無駄な殺生は避けるべきかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。どちらでも良い、という返答であればこのまま素通りするつもりだったのだが、積極的に殺すべきと言われればそうするしかない。
(気配は……三、少し離れたところもう二体か)
ゴブリンはこちらに気が付いていないが、ちょうど狩りの最中であるのかきょろきょろと辺りを警戒している。今のままだと不意を打ったとしても、気付かれないまま全滅させる事は不可能だろう。
「ゴブリンの武器は何だ?」
「見ての通り手に持っている物だけです」
装備はバラバラだが、ククリナイフ、ショートダガー、ショートアックス……どれも恐るに足りない武器ばかりだが、カムイが聞きたかったのはそうじゃない。
「いや、あの三体じゃなくて離れている二体だ。何か遠距離武器は持っていたりするのか?」
「離れている……? よく分かりませんが、ゴブリンが持つ遠距離武器と言えば弓かロングボウですね」
「よし、ならいけるか」
万が一「ゴブリンの武器はアサルトライフルです」なんて言われてしまえばどうしようも無かったが、弓くらいならどうとでもなる。
「んじゃ、行って来る」
そう言った瞬間、カムイの姿が掻き消えた。
「え!?」
ハルは驚きのあまり目を瞬かせる。
目にも留まらぬ速さ、というわけでは無い。走り出した瞬間が分からず、分からないまま一気にトップスピードに乗り、気が付けば離れたところを走っている。
後ろから見ればカムイの動きはそこまで早さがあるようには見えないが、どうしてあの速度を出せるのかが分からなかった。
(何か特殊な術を使っている?)
実際は縮地と呼ばれる歩法だが、すり足の概念が無いハルには特殊な技にしか見えなかった。
「……あ」
その動きに気を取られて走り去るカムイをただ眺めるだけになっていたが、すぐさま援護しなければと思いハルも後に続いた。
しかしその必要は無く、カムイの一振りでゴブリン二体の首が呆気なく飛んだ。
「うお! なかなかの業物だな、これ」
その切れ味に驚いたのか、カムイは敵の前で刃を掲げて指を滑らせる。
「ちょ、何してるんですか! 前をーーーー」
見て下さい、という言葉より早く最後の生き残りであるゴブリンが、自分の首を置き去りにして(、、、、、、、、、、、、)一歩前に出た。
「…………え?」
ごとん、と音を立ててゴブリンの首が落ちる。
なんて事はない。ただカムイは二度刀を振るっており、ハルにそれが見えなかっただけの事である。
(何という妙技……これが、神(カムイ)の力……?)
別に異世界チートだというわけでは無いのだが、ハルにそれを知る術は無い。より神認定されるカムイだが、カムイにもまたそれを知る術は無かった。
「流石はーーーーッ!? カムイ様、後ろです!」
カムイの背後から矢が襲いかかる。そう言えば、離れたところに敵がいると匂わせる言葉を口にしていた、とハルが思い出したところでカムイが身体を傾けた。
「よっと」
一本の矢が地面を貫き、もう一本の矢はカムイが叩き切る。
(嗚呼、私は何という思い違いを……)
そうしてようやく、ハルは悟った。自分の……否、あの場にいたイアンパヌ全員が思い違いをしていた事に。
カムイは決して、守られるような存在ではないという事を。
「……カムイ様、我が身はあなたの為に。我が魂はあなたの側に。……どうか、どうか奴隷としてでも良いので、あなたに侍る事をお許し下さい」
「……………………は?」
弓を放って来たゴブリン二体を切り伏せて戻ると、そこには三つ指をつき頭を地になすり付けるハルがいた。
(い、いきなり何の手の平返しだ? 何を考えている?)
その変わり様に戸惑うのも無理は無い。
ハルは最初の出来事でカムイの事を苦手としており、供として旅に付き添うのも年が近いかつ結婚していない女がハル以外にいなかったからだ。他に候補がいればもちろん辞退していたし、リウの頼みでなければ確実に断っていただろう。
神(カムイ)である事も半信半疑だったし、この世界に無知であるが故にあらゆる苦難が降り掛かるのは目に見えていた。二人分の家事をするのも面倒だし、魔物との戦闘もお荷物を庇いながらと思えば鬱でしかなかった。
だが、それは全て間違っていたのだ。謎の術は神(カムイ)の証明であるし、何よりもお荷物なんてとんでもない。ハルよりも索敵能力に優れ、戦闘力も一級品。となれば最初の出来事も全て事故。
ハルにカムイを嫌う要素は無くなったのだ。むしろ自分の言動を振り返り、青褪めたほどだ。
だからハルは頭を下げた。イアンパヌとして、カムイを導く事が出来るという誉れをみすみす逃すほど馬鹿じゃない。
だがカムイはそのハルの心情を知らない。自分がイアンパヌからどう思われているのかも正しく理解していなかった。
故にカムイは、とてつもなく戸惑っていた。
そのため何かしらの答えを返す事が出来なかったのだが、ハルはそれを拒絶と捉えてしまった。
「カムイ様……どうか私にお情けを下さい」
上目遣いで懇願してくるハルを見て、カムイの心臓が跳ねた。
ただでさえ女性の上目遣いに弱いカムイである。お情けを、という卑猥な方向に誤解してしまうような台詞を添えられてしまえば、抗う術など皆無だとしか言えない。
「分かったよ……ただ、十二歳の子に敬語を使われるのはちょっと遠慮したいな。俺としてはもっと気楽な関係でいたいんだよ」
「気楽、ですか?」
「親戚の兄を慕うみたいにとか、そんな感じだよ。どのくらいの旅になって、どのくらい一緒にいるかは分からないけどさ、よそよそしいままだと気疲れしちゃうからね」
「わ、分かりました……善処します……じゃなくて、あの、その…………私、お兄ちゃんのために頑張る!」
むん、と小振りな胸を張るその姿を見て、カムイは自然と笑みが溢れた。
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