堺の街の陶主公 ―『緋色の果実とファウストの聖杯』断片―
私は今、堺の街にいる。
我らはこの街で商人として、様々な者たちと交流がある。幕府要人や、他の商人たち、公家や武家など、頻繁に出入りがある。この国の人間だけではない。大陸や半島や、その他の国々の者たちも出入りする。中にはアガルタの者たちもいる。
まあ、我らは今のところはアガルタには行く事もない。呂尚先生やカエムワセト殿下からも、特別な連絡はない。しばらくは、ここを動く必要はないだろう。
果心はまだ、私がこの国にいるのを知らないが、今はまだ会う必要はない。いずれは会うだろうが、こちらから動く必要はない。その果心は、あの二人に付き従っている。
かつて、あの子たちはある寺の稚児だった。寺の僧侶たちに弄ばれた二人は、燃える寺から脱出し、私はこの二人をかくまった。そして、私は二人を養子にした。
成人した翡翠丸は、ある遊女に出会い、果心や遊女の兄からの協力で彼女を身請けして妻にした。二人は仲睦まじい夫婦だったが、少女時代の彼女を弄んだ継父が翡翠丸と争い、翡翠丸はこの男を返り討ちにした。自分の夫を舅殺しにしてしまった女房は、悩みに悩んで自害してしまったが、彼女は翡翠丸の子を孕んでいた。妻と子を一度に亡くした翡翠丸は心を閉ざしていたが、妻の兄に紹介された果心に対して心を開き、今では互いに心を許す友となっている。
かつては私の宿敵だった友、
果心は海岸で、海の息子として生まれた翡翠丸を保護した。そして、ある裕福な家にこの子を預けた。果心はしばしば翡翠丸に会いに行ったが、あの子が十歳になった頃に、家は賊に荒らされて家族は皆殺しにされ、翡翠丸は破戒僧どもに売り払われた。今の翡翠丸が幼い頃に果心と出会っていたのを覚えているかは分からない。そもそも、翡翠丸も瑪瑙丸も少年時代の自らについて多くは語らない。
おそらく果心は、今自分が守っている男がかつての赤ん坊と同じ者であるのを知らない。しかし、果心は懸命に翡翠丸を守っており、心の支えとなっている。まるで兄弟のように。
翡翠丸と瑪瑙丸は義兄弟だが、翡翠丸にとって果心は瑪瑙丸以上の「兄弟」だ。
今はただ、あの子を見守るだけ。「神のみぞ知る」としか言いようがない。あの子が本来の自らに目覚めるか、これは大いなる賭けだ。
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