優しい悪魔 ―『ファウストの聖杯』後日談―
9月上旬、俺はミックと一緒に夜の繁華街をブラブラしていた。ミック…マイケル・クリシュナ・ランバートは大学時代からの友人であり、アーサー・ユエ先生のゼミの仲間であり、作家としての同業者である。
俺がもっぱら歴史小説をメインに書いているのに対して、ミックは現代ミステリーを書いている。だから、直接的なライバルではない。まあ、「何でも屋」の俺より、こいつの方がよっぽど純粋に「作家」として売れているのだが、色々な意味で「ジャンル」が違う者同士なので、ライバル意識は湧かない。
「建国350年記念コンサート、楽しみだな。アスターティもロクシーも出るし」
ミックは言う。
「だけど、俺と一緒に行ってくれる彼氏はいないんだな」
そう、こいつはゲイなのだ。そして、それを隠してはいない。そもそも、今のアヴァロン連邦では同性婚が合法化されているし、昔の地球みたいな性的マイノリティ差別はほとんどない。
ただ、一部のカルト集団が「伝統的な価値観」とやらを振りかざして同性婚の廃止を訴えているのだが。そして、そいつらは〈神の塔〉という政党を結成している。
奴らは性的マイノリティだけでなく、障害者や有色人種に対する差別を「正義」として掲げている。婚前交渉や妊娠中絶手術を罪悪視し、できちゃった結婚夫婦や未婚の母、性暴力被害者女性や中絶手術を行う産婦人科医らを殺害する事件まで起こしている。さらに、人造人間であるバールたちを「悪魔」として非難している。現に、あのカルト集団の仕業と思われるバール殺害事件も起こっているのだ。
俺たちは、作家仲間の飲み会の帰りだった。もっとも、俺は下戸だから、もっぱら烏龍茶やジンジャーエールを飲んでいたのだが。
「よう、
目の前にいる、ロマンスグレーの紳士。
ドクター・フォースタス・マツナガ。アガルタの研究者の一人。元アヴァロン連邦宇宙軍の軍医だが、実はこの人はバールだ。実年齢は80歳を過ぎているが、見た目は50歳前後にしか見えない。さらに、身体能力はもっとずっと若い。
「お前ら、飲み会の帰りか? なら、俺と二次会にでも行くか?」
ドクターは俺たちに訊くが、俺はもう帰りたかった。しかし、もっと気がかりな事があった。
ミックは、どうやらドクターに一目惚れしてしまったようだ。熱い眼差しをドクターに向けて離さない。頬を赤らめているのは、アルコールだけのせいではない。
(こんな厄介な人に惚れちまうなんて、何だか不憫だな)
大学時代、俺は4人目のガールフレンドに振られた後、アガルタにいるドクターに相談に行った。そんなドクターの、開けっぴろげな一言。
「お前が女だったら『実戦』で色々と教えてやりたいところだが、あいにく俺は、男や不美人の体には欲情出来ないんだ。はははっ」
身も蓋もない(俺もドクターと同じ意見だが)。まあ、そんな正直さがこの人の魅力の一つだけど、全くの異性愛者であるこの人に惚れてしまったミックは気の毒だ。
それはさておき、もうこんな時間だ。タクシーを拾わないと。
「すみません、早くアスターティに会いたいので、失礼させていただきます」
「ほほう。うらやましいな、
ドクター・マツナガは不敵な笑みを浮かべて、去って行った。ミックは、名残惜しげにドクターの後ろ姿を見送っていた。
✰
アガルタの宿舎。俺は月に一度、自宅でパーティを開く。俺の住まいは2LDK。料理の腕に自信がある俺は、アガルタの研究者たちを招いて手料理を披露する。「先着8名まで」くじ引きで決める。それ以上は定員オーバーだ。
若い奴らがうまそうにモリモリと料理を食っているのを見るのは楽しい。俺としても作り甲斐がある。しかし、俺が一番手料理を食わせたい奴は、外部の人間だ。もちろん、あの
客たちが帰り、俺は一人、後片付けをする。
俺はジェラルディン・ゲイナーを思い出す。俺が今まで付き合ってきた女たちの中では、彼女との関係が一番長い。
俺が一番手料理を食わせたい奴とは、他ならぬあの女だ。だが、俺はアガルタの一員として行動に制限があるし、彼女は父親から受け継いだクリニックの院長として忙しいハズだ。
「ジェリー、やっぱりお前はいい女だよ。今まで逢った誰よりもな」
俺は自立した大人のいい女が好きだ。若さだけが取り得で依存心の強い小娘なんかにゃ興味ない。アスターティは間違いなくいい女に成長するだろうが、あいつはあの坊主フォースタスの女だ。俺は、略奪愛には興味がないし、俺と同じバールの女も対象外だ。
アガルタ生まれだろうが、民間企業製だろうが、俺にとって他のバールたちは弟や妹みたいな連中なのだからな。
✰
診察時間はすでに終わり、夕食は済んだ。マリリンは後片付けをしている。
私は自室で、あの人の事を考えている。
フォースタス・マツナガ。
あの人との関係は一夜限りの火遊びかと思っていたけど、気がついたら私はあの人を「恋人」だと思っていた。もっとも、本人が私をどう思っているかは分からないけど。
「初恋相手の顔なんて忘れたわ」
そんな事を言って意気がっていた私。でも、今の私は思う。私の本当の初恋相手は、実はあの人かもしれない。
あの人の実年齢が80過ぎでも構わない。普通の人間ではなくバールだって、全然構わない。私は、あの人が好き。
あの人は一人の「自立した女」としての私を尊重してくれる。私も、一人の人間としての、一人の男としてのあの人を尊敬している。たとえ、どれだけ翻弄されても、私はあの人に惚れている。そう、本気で男に惚れたのは、あの人が初めて。
私の「優しい悪魔」。次はいつ会えるか、楽しみだ。
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