姿なき声
「あれ?」
眠ろうとして目を閉じてからどれほども経たないうちに、雷太郎君は目を開けました。背中に何かを感じたのです。何か変なものが流れているような気がするのです。
「何だろう」
雷太郎君は腕に力を入れました。驚いたことに腕が動きます。腕だけではありません。背中も足も、わずかではありますが動かすことができます。雷太郎君は驚きました。
「ど、どういうことなんだろう」
「ベータ族」
突然どこからともなく声がしました。雷太郎君はさらに驚いて大声を上げました。
「だ、だれだ!」
「あなた、ベータ族でしょ」
「ボクはベータ族なんかじゃない。雷太郎だ」
雷太郎君は大きな声で聞こえて来る声に言い返しました。
「雷太郎……すると、あなた雷なの」
「そうだ、ボクは雷だ」
声はどこから聞こえて来るのか、まだはっきりしません。
「ああ、それで分かったわ。木の枝が一本折れて煙が出ているのはあなたの仕業だったのね」
「木? この太くて高い棒みたいなもののこと?」
「そうよ。雷が好んで利用する地上の玄関。普通なら真っ二つに引き裂いてしまうのに、あなたは枝を一本落としただけ。これはまた不器用なご訪問ですこと」
どうやらこの声の主は雷についてかなり詳しく知っている様子です。雷太郎君はさっそく救いを求めることにしました。
「あの、ボク、来たばかりで地上のことは何も知らないんです。それで、腕も足も動かせない状態でずっとここに寝転がっていたんです。今は少し動くけどまだ全然起き上がれないし、どうにかなりませんか」
雷太郎君は正直に話しました。自分の弱みを相手に知られるのは少々不安でしたが他に言いようがありません。
「まあ、あきれた。地上に来る雷の割にはずいぶん力が無いわね。なら流量を多くしてあげるわ」
「流量?」
雷太郎君が聞き返す間もなく、背中を流れていたものの量が次第に多くなってきました。その量が多くなるにつれ、雷太郎君の体を拘束していた力は弱くなっていきます。
やがて体がその中にすっかり漬かってしまうと、その流れは止まり、雷太郎君はもう完全に自由に動けるようになりました。雷太郎君は立ち上がると周りを見回しました。地上で初めて見る地上の光景です。
「う~ん、ほとんど見えないや」
日はとっくに暮れて地上には夜の闇が広がっていました。ただ、すぐ近くに大きな何かが立っているのは分かりました。それは地面の上にしっかりと立ち、その上部は傘のように広がっています。雷太郎君はその大きな何かをしばらく眺めていました。
「ちょっと、あなた、お礼くらい言ったらどうなの」
先ほどの声が聞こえてきました。相変わらずどこから聞こえて来るのかはっきりしません。仕方無いので雷太郎君は適当な方向に向かってお辞儀をすると、お礼の言葉を言いました。
「どうもありがとう。おかげで助かりました。最初に乱暴な言葉遣いをしてごめんなさい。あの、ところであなたは何者なのですか」
「あら、雷にしてはずいぶん素直じゃない。私は水たまり。雨が降った時だけ現れる水の集合体。あたしの中では全ての荷電体は自由に動けるの」
「水たまり……」
雷太郎君にとっては初めて聞く名前でした。晴れの天気しかない雷雲ですが雨雲の下まで降下すれば雨が降ります。けれどもそれが雲の上に溜まることはありません。雷太郎君が理解できないのも無理はないのでした。
「ところで、あなた、ここで何をしているの。見たところまだ子供の雷みたいだけど」
「はい、実は……」
それから雷太郎君はここに来るまでの経緯を話しました。雲の上での修業の話、本当は別の雷が地上に来るはずだったこと、動けずに困っていたことなどなど。
「それで、教えて欲しいのです。どうすれば雲の上に戻れるか。いつまでもこうやってあなたのお世話になっている訳にもいかないでしょうから」
雷太郎君はそう言うと返事を待ちました。ややあって、声が聞こえてきました。
「そう、それは気の毒ね。でも雲に帰る方法ならあなたも知っているはずよ」
「それは分かっています。雷の道を作ればいいんです。でもボクには作れないのです。だから困っているんです」
「残念だけど、それ以外に帰る方法はないわよ。作り方が分からないなら地上でその作り方を見つけるのね」
その声は冷たく言い放ちました。でも雷太郎君はあきらめません。
「あなたは雷の道について何か知らないですか」
「知らないわ」
「それなら雷がどこにいるか知りませんか」
「知らないわ。雷なんて気まぐれだもの」
「空にいる稲光先生たちが何とかしてくれないでしょうか」
「それはないわね」
まるで雷太郎君の希望を打ち消すのを楽しんでいるかのように、その声は言いました。
「地上から雷を引き上げるのは、雲から引き下ろすよりはるかに難しいのよ。よっぽど力のある雷でなきゃそんな芸当できっこない。それに、あなたみたいに力の無い雷だと、どんなに雲の高度を下げても位置を正確に把握するのはまず不可能ね。つまり雲の上からじゃどうしようもないのよ。打つ手なしね」
さすがの雷太郎君も口をつぐんでしまいました。やはり自分一人の力で何とかしなければならないようです。けれども地上すら満足に動けないとなれば、それはどう考えても不可能です。雷太郎君の顔から元気がなくなりました。
「ああ、ボクはもう戻れないのかなあ」
雷太郎君は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまいました。
「あらまあ、雷のくせに諦めの良いこと。いくら子供だからって、ちょっと情けないわよ」
「そんなこと言ったって」
雷太郎君は力のない声で言いました。遠くの方でため息のもれる音がします。
「仕方無いわね。それじゃちょっとだけ手伝ってあげるわ」
「ほ、本当ですか」
雷太郎君は勢いよく立ち上がりました。
「ええ。その前に聞いておくけど、あなた、体の大きさは変えられる? 雲の上では関係なくても地上では小さい方が動きやすいのよ」
「体の大きさ、ですか」
雷太郎君はこれまでに習った幾つかの呪文を思い出しました。大きさ、体の大きさ……そう、確か以前、雷の力を増幅させる修業で体を小さくしたことがありました。雷の体を取り巻く電場は表面積が小さくなれば密度が大きくなるのです。その時、体の大きさを変化させる呪文を習ったのです。
「できます。一度だけ使ったことがあります」
「ならいいわ。ついてらしゃい」
雷太郎君の周囲を満たしているものがゆっくりと動きだしました。雷太郎君もその流れの動く方向へ一緒に歩き出しました。
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