終わりの始まり

 5月の風は、極彩色の〈ビッグ・アップル〉アヴァロンシティを吹き抜ける。平和と繁栄の果実を味わう市民や観光客らは、この「世界都市」に華を添える。セントラルパークでは、ストリートミュージシャンや大道芸人たちが耳目を集めている。楽しみそのものを楽しむ街がアヴァロンシティだ。

 一人の子供がシャボン玉を飛ばす。いくつもの透明な玉が昼下りの陽の光を受けて、虹色に輝く。アゲハチョウが花壇の上を通り過ぎ、屋台の料理の匂いが客を呼び寄せる。神々の物語であると同時に人間讃歌でもあるこの世界は、全ての「生」を肯定する。生命の香りが都会をさらに活気づける。

 そう、自らが生きる事それ自体を認めよう。私たちはanimaを持つがゆえに動物animalなのだから。武器ではなく花を。平和の果実を食べに行こう。この世界の目抜き通りを歩もう。この世の生命力を体現するアヴァロンシティ、世界の首都、世界の聖杯。今こそが黄金時代だ。

〈Stay Gold〉

 この世界が黄金の輝きを保ち続けるように、祈る民はいる。行動する民も少なくない。かつて「アーサー王」と呼ばれた英雄の意志を受け継ぐ者は、今も生き続ける。

〈市民のためのファンファーレ〉

 全ての志ある者たちを迎える世界、未来は若き生命のためにある。雲一つない無限の青空は、この世の全ての魂を受け入れる。


 この陶酔感。自由な世界の、自由な民たち。時よ止まれ、お前は誰よりも美しい。


「良い天気だし、本当に気持ち良い季節ね」

 松永緋奈は言う。彼女と夫、果心居士…カシン・フォースタスは、古き地球から植民惑星アヴァロンへと渡ってきた不老不死の者たちだ。

「真の愛は5月の如し…か」

 果心は言う。

「だけど、古き秩序は新しき秩序に取って代わられるとも言う。今のアヴァロンの『黄金時代』は永遠ではない」

「そう、私たちは今までに、様々な国々の興亡を見てきた。季節が繰り返されるように、人の世も移り変わる」

 二人の前の斜め上を黄金の蝶が舞う。まるで、誰かの魂の化身が二人を導くように。

「あ、あの二人、フォースタスとアスターティの友達じゃないの?」

 緋奈が前方にいる二人を指す。黄金の蝶は、さらに上を目指す。


〈聖なる星からもたらされた、知恵と生命〉


 セントラルパークを歩く筋骨たくましい男と、細身の女。二人は手を繋ぎ、仲睦まじくゆったりと歩む。

「どうだ、フォースティン。面白いだろう?」

「ええ」

 スコット・ガルヴァーニとフォースティン・ゲイナーは、晩春のセントラルパークを散策している。アヴァロン美術大学に進学したフォースティンは、スコットと交際を始めた。

「ルシールのバンドは邯鄲ドリームと契約したんだっけな。バンド名は何だっけ?」

「〈アヴァロンシティ・ドールズ〉よ」

「そうか、アスターティみたいに売れっ子になるといいな」

 スコットはニンマリ微笑んだ。

「あ、ホットドッグの屋台があるぜ。食おう」

「うん!」

 二人は売り子からホットドッグと飲み物を受け取り、近くのベンチに座って食べる。

「おいしい!」

「うん、うまい」

「こんないい天気で食べるなんて最高!」

「そのついでに…というのも変だが、お前に頼みがあるんだ」

「え、何?」

 フォースティンもスコットも顔に赤みが差す。

「俺と一緒に暮らさないか? フォースタスとアスターティみたいにな」


「〈聖なる星〉の知恵と生命を受け継ぐ者たちはここにもいる」

 セントラルパークの上空にいる魂は語る。

「かつての〈アガルタ〉の総長シャマシュ公が愛した人間たちの子孫。それがアヴァロンの民だ。これから、この世は激動の時代へと移り変わるが、生命の灯火は脈々と受け継がれていくのだ」

 王侯将相いずくんぞ種あらんや。誰もがアーサー王であり、ファウスト博士である。この世に知恵と生命をもたらす聖杯は、我らの手の内にある。シャーウッドの森を通り抜け、バビロンの都をくぐり抜けて、無限の天空を目指す。

 そう、このアヴァロンシティの物語においては、〈聖杯〉とは全ての生きる者たちの意志と生命力を象徴する#概念__もの__#である。他ならぬ、この世に生きる私たちこそが〈聖杯〉そのものなのだ。



「あの坊主ラッド、あのが卒業してから入籍するのか…なるほど」

 フォースタス・マツナガはタブレット端末で新聞を読んでいた。もう数年先の予定だが、あの二人、フォースタス・チャオとアスターティ・フォーチュンの結婚はめでたい。まずは、アスターティが無事に大学を卒業出来るのを祈ろう。

 しかし、めでたいニュースばかりではない。

 ロクシー、すなわち歌手で女優のロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンドのゴシップだ。

「あの男、すなわちプレスター・ジョン・ホリデイとの関係か。表向きには大物歌手だが、その実態は高級娼婦。リリス・グレイル社が作るバールみたいなものだ」

 華やかな美貌の彼女は、男性関係の派手さが話題になっていたが、同時にライバルのアスターティ・フォーチュンの悪口をしばしば公言しているらしい。しかし、アスターティはそんな彼女については何も語らない。

 ただ、その程度のゴシップはまだまだかわいらしい。

「〈ジ・オ〉の奴らの噂があるな」

 金髪碧眼の歌姫ロクシーは、カルト集団〈ジ・オ〉並びにその政治部門である政党〈神の塔〉と密接な関係にあるという黒い噂があるのだ。しかも、〈ジ・オ〉の幹部の愛人だという噂すらある。

 女性芸能人の「枕営業」は地球史の時代からある。男女同権が確立した現代のアヴァロンも例外ではない。

 ただし、アスターティは他のどの男にも汚されずに、最愛の男と結ばれた。

「〈ジ・オ〉は『伝統的な価値観』の復権を目指している。女性の権利と自由の制限、白人至上主義、性的マイノリティーと障害者の排除、そして、俺たちバールの排除だ」

 マツナガ博士は眉をひそめた。またしても、バール殺害事件が起こったのだ。

 今度の事件は、性風俗店で使われている民間企業製の「セクサロイド」バールが被害者ではない。ついに、アガルタ育ちの「官製バール」が犠牲になったのだ。

 被害者は、非番の警察官だった。

「ついに、恐れていた事態が起きてしまったか」

 しかし、これはまだまだ序の口に過ぎない。


「僕が軍隊にいた頃にも、奴らはいたんだな」

 タリエシン・トラロックはつぶやく。片方の目を義眼にし、手指の一部を義指にした男性型バールは、かつてはアヴァロン連邦陸軍の兵士だった。彼は「天然の」人間の同僚からの虐待を受けて除隊し、アガルタに戻ってサイボーグ手術を受けた。

 彼は一見20代に見えるが、実年齢は40歳を超えている。現在のアヴァロンにおける医療技術であれば、失われた目玉と指を再生出来るが、トラロックはなぜか、機械的な義眼と義指を選んだ。義眼をはめ込んだ眼窩の周りにはタトゥーが入っている、異形の容姿だが、本来の彼はバールらしい美男子である。

「かつての地球にいた悪魔みたいな連中が、再び混乱と破滅の世を招こうとしている。最悪の『愉快犯』だ」



「あの刑務所に例の小僧がいるぞ」

「あの親殺しの男か?」

「そうだ。あと数年で出所する。奴が親か誰かに迎えられる前に、我々が奴の身柄を確保しよう」

「しかし、刺客としてどれだけ使えるかな?」

「ふん、どうせアジア系イエローだ。単なる消耗品の鉄砲玉ヒットマンでも十分だろう。しかし、白人でも我々の理念に賛同しない者どもは多い。有色人種カラード異教徒ペイガンホモレズクィア連中に対して寛容な奴らばかりだ。全く、困った奴らだ。ビッチどもにも甘過ぎる。女は産む機械、ルックスとセックスだけを売り物にすべきなんだ」

「そうだ。我らがロクサーヌ『女王様』もただの肉人形ラブドールよ。幹部の方々を相手にする『高級娼婦メッサリーナ』さ!」

「ふん、全くだ。それに、そろそろ、あの『事故』以上のイベントを仕掛ける必要がある。そう、例の式典があるだろう?」

〈ジ・オ〉の男たちはせせら笑う。


 アヴァロン連邦暦350年、5月5日。

 男は、独房のベッドの上であぐらをかき、瞑想していた。

 マーカス・ユエ。

 今はただおとなしくしている。しかし、以前と変わらぬ決意がある。

 己を辱めた男たち。絶対に許せない。

 今はただおとなしくしている。模範囚として、仮釈放を早められるために。

「復讐するは我にあり」

 彼はさらに決意を固めた。自分以外の全ての者どもを不幸にするために。

 それが己の使命だと確信している。

「全ては滅ぶためにあるのだ。アーサー、フォースタス。貴様らも例外ではないぞ」

 外では満月が静かに輝く。

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