番外編① 2-2 赤い花
朝食を済ませた挽歌たちは、不自然な自殺が多発している場所の一つである第三外周区に足を運んでいた。零華の提案で自殺が観測された場所をヒートマップ形式で表示したところ、特に第三外周区の中でも南側に位置する港区に有意的な偏りを認めることができた。
それ故に港区には自殺を誘因させる原因が潜んでいる可能性が高いとして、挽歌たちは聞き込み調査を行っていた。
第二外周区を囲むようにドーナツ状の形をした第三外周区は東西南北で大きく風貌が異なる。特に海に面しており、大きな港が発達している南側は第一・第二外周区にも劣らない経済発展を遂げている。積荷を運ぶための交通インフラも整っており、『オリジン』によるネットワーク管理が十全に行われているため、レプリカントに襲撃される心配もない。
だからといって、特別治安が良いというわけでもないのだが。
「なるほど、なるほど。貴方が鮮魚店で買い物をしようとしたところ、お店の御主人が突然に刺身包丁で自らの胸を刺してお亡くなりになった、と」
コンビナート付近を根城にしている浮浪者の男性に、零華は聞き込み内容を確認する。妙に赤黒い襤褸を着た浮浪者は何本か抜けて落ちてしまった歯を見せながら大きく頷いた。
目に染みるような異臭を放っているが、零華は全く気にしない様子で聞き込みを続ける。
「ああ、その通りさね! そりゃ驚いたもんさ、なんせ突然目の前で心臓ぐさーってなもんでなあ……おかげさまで一張羅が一瞬で真っ赤っかよ」
不自然な自殺を目撃したという浮浪者の大袈裟な身振り手振りを眺めつつ、零華は現代では珍しいメモ帳に鉛筆というアナログな方法で記録する。彼女曰く、紙媒体は保存が面倒ではあるがハッキングされる心配がないので安心できるとのことだ。
「その代わりに予定よりも多めに魚が手に入ったもんで、当分食い物には困らんなあ」
浮浪者は嬉しそうに錆びたションピングカートに積まれた小汚いクーラーボックスを叩いた。その振動でカートに山積みにされたジャンク品がぐらぐら揺れるのを見て、零華の頭部にガラクタが落ちてこないかと挽歌は気が気ではない。
「ふぅん……なるほど、なるほど」
「お嬢ちゃん、さては信じとらんね?」
「いえ、捜査に活用できるたいへん貴重な情報です。ご協力ありがとうございました」
さほど興味がなさそうにメモを取る零華の顔を訝しげに覗き込んでいた浮浪者であるが、彼女の感謝の言葉とにっこり顔に満足したのか、うんうんと頷く。
「まあ、あんたらも気をつけてなー」
山積みのカートを絶妙なバランス具合で押しながら、上機嫌に彼は去って行く。
その背中を見送った後、零華は作り笑顔を崩して溜め息を吐いた。
「……しかし、何が混ざっているのかわからない海で獲れた魚なんてよく食べられますね」
「まあ、魚は捌いて焼くだけで簡単な料理になるし、それなりに美味い。第一外周区で流通しているような養殖モノと比較すれば、格段に安いことも需要が生まれる理由なのだ」
ペンを口先に咥えたまま、メモを捲りながら肩を竦める零華。
自殺者のほとんどが、発作的に自らの急所を切断・刺突したり高所から飛び降りるなどのさまざまな方法で自殺を遂げていた。突然に同じような時間帯に自殺を行った以外の共通点は未だに見つかっておらず、正直お手上げ状態である。
「ふむ……そうだな……」
「これほど進展がないと憂鬱な気分になってきます。そろそろお腹も空いてきましたし、ハンバーガーでも食べに行きませんか?」
「さっき朝食を食べたばかりではないか。あまり食べ過ぎたら身体に毒だぞ」
「……先輩はお気づきではないかもしれませんが、もうお昼の十二時を過ぎているんですよ。案外時間というものは待ってくれないものなので」
零華に指摘され、挽歌は付近の透過ガラスモニターに表示されている現在時刻を確認する。
現在時刻は十二時三〇分。挽歌は体感よりも時間が早く過ぎ去っていることにようやく気が付いた。
「む……もうこんな時間か。そうか……わかった」
どこか得意そうなしたり顔になっている零華を見て、何故か負けた気分になる挽歌である。誰にでも簡単な失敗はあるものだ。あまり気にしてはいけない。
第八防衛都市では多くの市民にとって『エイトバーガーズ』というハンバーガーチェーンは非常に馴染みが深い。大体の場所で少し歩けば見つかるほどの密度で点在しているほどだ。
「先輩、どのバーガーを食べますか?」
エイトバーガーズは第三外周区で汗水を流している労働者であっても、財布の負担にならないほどに安い価格で満腹になるまでハンバーガーが食べられる人気チェーンだ。
挽歌には理解のできないことであるが、毎日三食分をエイトバーガーズで済ませる者も第三外周区では少なくない。
ソイレント加工販売メーカーであるペルセフォネ・フーズや連携ハンバーガーチェーンであるエイトバーガーズによる巨大なエコシステムに捕らわれた人間はもはや顧客ではなく、利益を生み出すための家畜と何ら変わらない。
「私はいつものセットでよろしく頼む」
手のモーションサインで零華に送金しつつ、席に座りながら事件レポートが記録されたタブレット端末を取り出した。
三分もしない間にハンバーガーの印刷を終えた零華が隣の席に座り、挽歌がいつも食べているチーズバーガーとゼウスと銘打たれたエナジードリンクを差し出した。
ハンバーガーと言っても、正体不明の肉や野菜の味がするパティをバンズで挟んだだけのものだ。他の飲食店と変わらず、材料のほとんどをソイレントが占めている。
挽歌はハンバーガーに齧りつき、無理やりに咀嚼してゼウスで流し込む。喉をソイレントが通っていく感覚に辟易としつつ、タブレットに目を向けた。
「虚偽の証言である可能性を考慮して監視カメラの映像も確認しましたが、目撃者の証拠と合致していました。だからと言って、原因が追及できるわけではありませんが……」
零華はハンバーガーには手を付けず、同じようにタブレットを操作し、決して飯時に見るようなものではない自殺を記録した監視カメラの映像をじっと見詰める。
挽歌の反応が欲しいのか、ちらちらと彼女の顔を覗く零華である。
「うむうむ……」
タブレットに表示されている事件レポートに目を釘付けにしたまま空返事する挽歌。
その態度に起源を損ねたのか、零華は無表情のまま頬を膨らませる。そのまま、彼女の脇腹を人差し指で執拗にツンツンと突く。
「ひゃんっ!? な、なにをする! やめるのだ!」
「先輩、ちゃんと考えてくれてますか? かわいい後輩にお仕事押しつけちゃ駄目ですよ」
不意に弱点を突かれ、タブレットを危うく落としそうになる。先輩として注意するべきであるが、零華に仕事を任せているのも事実だ。戦闘任務ばかりをこなしてきた挽歌にとって、このような調査任務はあまり経験がない。
だから、妙に自信ありげであった零華に任せているのだ。
慣れない任務を受けるべきではないな、と自戒する挽歌である。
「すまぬ……考えることはどうも苦手なのだ。今も何故、自殺が発生した地点を一つ一つ繋いでいくと似たような経路になるのかを考えていたのだが……見当もつかぬ……」
「経路って……道じゃないんですから」
突拍子もない指摘をする挽歌に対し、零華は呆れたような表情だ。零華はやれやれと型を竦めると、ハンバーガーを小鳥が木の実を啄むように口に含んだ。
そして、ほんの少しだけ咀嚼した後に零華は眉を顰めて掃き出した。
「おえ」
「な、何をしているのだ!」
吐きだしたハンバーガーをちり紙で丁寧に包んでいる零華に対し、挽歌は突然のことに驚きを隠すことができない。
「先輩こそ、よくこんな気持ちの悪い味がするモノを食べることができましたね。微妙に金属みたいな臭いがしませんか?」
「いや、私が食べたチーズバーガーはいつもと同じ味がしたぞ。貴様が食べたハンバーガーだけ印刷設定を間違えたのではないか?」
「私は心配性なので、こういうのは何度も確認する性格なんですけどね……はぁ、おかげさまで食欲がなくなりました。先輩、食べますか?」
ずいと挽歌の目の前に一口囓っただけのハンバーガーを差し出す零華。
ソイレントは苦手であるが、捨ててしまうのも勿体ない。挽歌は差し出されたハンバーガーを零華の指に届くような勢いで齧りつく。
もむもむと咀嚼し、飲み込んだ。
「……む? 普通のハンバーガーと変わらぬ味がするのだが……零華、貴様の味覚がおかしいだけなのではないか?」
反撃するように零華を睨めつけ、彼女の手からハンバーガーを奪い取る。苦手な野菜を食べさせられる子供のように、そそくさと咀嚼して余ったゼウスで胃袋に送り込んだ。
「普段から質の悪いモノばかり食べているから舌が馬鹿になっちゃったんですよ。そうだ、私がお料理してあげましょうか!」
「貴様の作った飯など、その辺のどぶねずみでも食わぬわ。無駄話はいいのだ、早く自殺の原因を突き止めるぞ。正直、この人数の自殺は私が許せない」
挽歌は五〇人を超えるほどの自殺者情報が表示されたタブレットの電源を落とした。
このような無駄話をしている余裕はない。すぐにでも原因を突き止めて適切な対応を取らなければ、また幾何かの命が自身を散らせてしまう可能性がある。自分が命を賭けて守ってきた命が、理由も不明なままに散っていくのは我慢のできないことだ。
「先輩、待ってください」
零華の静かな声が焦燥に駆られ、何処ともなく足を運ぼうとする挽歌を引き留めた。
「焦る気持ちも分かりますが、手掛かりのないままに調査を進めるのは非効率です。確実な進捗を生み出せる根拠を見つけて行動に移すのが無難な選択ではないでしょうか。例えば、大多数を救うための人柱を探す、とか」
「……何が言いたいのだ」
「先輩にも理解できるように説明しますと、次に起きた自殺現場を入念に調査をするのが最善なのではと……うぐっ」
零華が言い終わる前に、挽歌の右手が彼女の襟首を掴んで引き寄せていた。
「貴様……人の命を踏み台にするつもりか!」
襟首が千切れるのではないかというほど右手に力を込め、挽歌は青筋を立てながら凄んだ。
鬼も逃げ帰るような形相の挽歌に対し、零華は臆した素振りを一切見せずに淡々と言葉を発する。
「それの何が不都合なのでしょうか。被害を最小限に抑える、この『最小限』という言葉に犠牲となる一人の命が含まれているというだけの話です。私は倫理的な功利主義者ではないので最大多数の最大幸福を得るためには、少数の犠牲も必要だと思います」
「……ッ」
襟首を掴んでいた手を離し、挽歌は彼女の身体を突き放した。
どうも自身と零華では頭脳のロジックが全くの別物のようである。考え方が合わない人間との会話には慣れているつもりでいた挽歌であったが、零華だけは異次元だ。
実際に、零式という男は機神の味方に回るなどの全く理解のできない思考の持ち主であったがそれなりに付き合うことはできた。
この零華という白髪の娘と零式の思考はよく似ている。任務遂行の際に効率化を追求し、非効率を忌み嫌う点では生き写しのようだ。
だが、明らかな違いが両者には存在する。
それは、良心という名の暖かさの有無だ。
「……零華、私は貴様のことが嫌いだ」
「そうですか。別段、私は先輩に嫌われても困ることはありませんが……」
詰襟の襟首を直しながら、零華は続ける。
「だけど、意味をはき違えないでください。私は命を軽んじているわけではありません。残念なことに現段階の情報量では、次の自殺を止めることはどう足掻いても不可能です。その命を無駄にしないように、これ以上の犠牲者を増やさないために、次の犠牲者を最大限に利用させてもらう。それだけのことです」
「……ああ」
挽歌は彼女の正論に対して何も言い返すことができなかった。
仮に今から最適な行動を取り続けたとしても、次の自殺を必ず止められるとは言い切ることができない。彼女は何も間違ったことは言っていないのだ。
「自殺が起きたら私たちに連絡を送るように手配しておきました。先輩、気分転換にお店にお洋服でも眺めに行きましょうよ」
そう言って、零華はエイトバーガーズの出口の扉へと歩いて行く。
その背中を眺めながら、挽歌は自身の内側で蠢く奇妙な感情を押さえ込んでいた。
冷静になって考えてみると、零華の行動は間違いなく最適解だ。何の手掛かりもなく動き続けるよりかは効率的に違いない。彼女がいなければ、挽歌も同じ方法を思いついて実行に移したはずだ。
それなのに、この奇妙な感情が心の奥底から溢れ出すのは。
零華が何の葛藤もせずに、次の犠牲者を切り捨てる覚悟を決めたからだ。
「はぁ……」
武力以外では市民を守ることのできない非力さを情けなく思いつつ、挽歌は席を立った。
「――ッ!」
まさに、その瞬間であった。
挽歌はエイトバーガーズのガラス越しに、上空から落ちてくる少女と目が合った。
夏の街に赤い花が咲く。
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